映画『みんなの学校』真鍋監督へのインタビュー  ~パルシステム主催自主上映会 アンケートより~

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【Q1】大空小学校を卒業した子どもたちは、環境が大きく変わる中学校でどのように過ごしたのでしょうか。映画のその後が気になります。

支援が必要とされる子について

 大空小学校からは、一部は特別支援学校中等部へ進みますが、地元の公立中学に進む子のほうが多いです。そんなこともあって地元中学には大空から毎年新しい子たちがやってきています。そこには一緒に大空のやっている事が分かっている子たちも来ているので、少しずつ中学校が変わっているように聞いています(というか、自然に変わりますよね)。別の学校から来る子の方が圧倒的な多数であり、まだまだ大空小と同じというわけではないですし、別の小学校から来るいわゆる普通の子たちにとっては、その中途半端な状況ですらかなりの驚きがあるようです。当然ながらそのうちの理解・共感できない生徒からは、差別的な言動を浴びせられることもあるようです。だからと言って共に学ぶ姿勢が大きく後退することはありません。もともと大阪では、かつての同和教育推進校などを中心に「誰もが共に生きる」を目指した教育がおこなわれていました。大空小学校はその名残りというか、新たにできたという意味では突然変異という位置づけで語られることも多いのですが、あのような学校はいくつかは存在していたし、中学でも近い学校はあります。全国の多くの学校が大空のようになれば社会が変わるのですが、それにはどんどん増えて多数派になっていかないと厳しい面はあると思います。

いわゆる普通の子について

 全ての子がというわけではありませんが、大空での学びは体のどこかに染みついているといえます。木村さんから私が聞いた話の中に、大空の卒業生たちが小学校の職員室に戻ってきて中学のことを話すというエピソードがあります。それは別の学校から来た生徒が、大空を卒業した支援の必要な友達に対して暴言を吐くという内容なのですが、その暴言は大まかに言うと「なんでこんな奴がここにいるの」とか「こいつ、ここにいて何が分かるの」といったものです。それを聞いた彼や彼女らはその場で新しい友達をたしなめつつも、様々に感じた思いを小学校に戻ってきて先生たちに話します。ひどい奴だといった非難の言葉だけではなくて「あいつら、あんなふうにしか思えないのは可哀想だな」といった内容の事を、彼らは話すと聞きました。もちろん、そのような受け止めを大空出身の子たちの全てが出来ているということではないのだろうと思います。ただ多かれ少なかれ、そのような考えを持てるような学びが大空の6年間で身に付いているのではないでしょうか。私は自分の子どもにはそんな子になってほしいと思っています。ただ、もともと小学校とは違って高校受験を控える中学校という生活環境であるため、生徒達は誰もが学校生活に対し小学校よりは強いプレッシャーを感じているのではないでしょうか。特に大阪では、「チャレンジテスト」という制度や「学校安心ルール」が始まっていて、1年生からの日々が学力を高めることへの圧力にさらされています(※この二つの制度については皆様ご自身で是非調べてみてください。この制度に対しどのように感じるのかは、自分がどのような立場から教育を考えているのかを理解できるきっかけになるはずです)。大阪では現在、教育現場が厳しい状況になっていて不登校も増える傾向にあります。まさに大阪全体が異常な状況(といっても日本全体が少し遅れて同じ方向へと向かっています)に向かっている最中なので、彼らの地元中学だけをことさらに評価するのは難しいことです。

トピックステストです。

これは回答です。

【Q2】支援の必要がある子どもがどれだけの成長や学びを得られるのか、足りないような部分もあるのではないかと心配ではあります。

支援の必要のある子に「どれだけの成長や学びが受けられるのか?」という質問には、そこでイメージされている「学ぶべき力」とは何なのかの定義が必要だと思います。もしもそれが障害者施設の中で「障害者のエリート」として、あるいは健常者からの都合のよい「愛される障害者」として生きていく力であるのならば、分離されて手厚い支援の元で身に付ける力が重要なのかもしれません。それは障害者同士の優劣を図る力とでも言い換えれば分かりやすいのではないでしょうか。私が思う力の最優先はそれではありません。周りの人と関わってコミュニケーションをとるこが重要で、それはお互いの立場からの理解が必要であって、それが出来ることで初めて社会で生きる力が付くのだと考えます。お互いの理解を産むためには一緒にやる以外の選択肢はないと考えています。彼ら自身の存在が、周りの子を育てて社会を変えていくきっかけになり、それなしに必要な力とはいったい何でしょうか?またそれぞれの子が個別に足らないものを身につけるのに特別なカリキュラムが必要であれは、一緒に過ごしているその場でやればいいのではないでしょうか。例えば「障害者」とは呼ばれない子にとっても、ひとりひとり違っている足りないことを抱えていることは多いはずです。そんな子ひとりひとりに支援は必要なはずで、「きょう困っている子が支援の対象である」という大空の方法に何が足らないのかは良く分からないです。先生や大人はもう少し数がいるのかもしれませんが、基本的には周りの子たちが成長していく力に勝るものはありません。

【Q3】セイちゃんが教室に入れなかった時、木村先生が同じクラスの児童にはたらきかけた時、「友達の力」って本当に大切だなと思わされる場面でした。逆に、同じクラスの子が嫌な思いをしたり「何で自分がお世話をしなきゃいけないの?」と思うなど心の負担になっていたりしないのでしょうか。いろいろな違いをどの子どもも保護者もしっかり受け止められるものなのでしょうか。

これらの質問の大枠には既に前の質問で答えていますが、補足をいくつかします。「嫌な思いをする子もいる」という前提ですが、嫌な思いをする子はいくつくらいから増えるのでしょうか。保育所や幼稚園の年少さん辺りでそんなことがあるのかは、私には分かりません。どちらかといえば、あまり無いという風に聞いています。では、そんな思いはいつどのように生まれるのでしょうか。いずれにしても周りの大人たちによる影響が非常に大きいと思います。大空に入学したばかりの一年生は、他の学校よりも「嫌な思いをすること」を学ぶのが遅いのではないでしょうか。

「呼びに行かされた子」のことについては、彼自身が新しい学年で担任との関係を築けないでいる状況でした。セイシロウと関わらせることで、あの子が変わるであろうという校長の考えで周到に選ばれて迎えに行くように導かれています。しかし、基本的には誰かに「お世話をさせる」ということはなくて、その役目は必ず誰かやりたい子がやるし、当然ながらセイちゃんの側にもやってもらいたい子や関わってほしい子といった希望や望みがあるので、自然に誰かがやっています。嫌だと感じる子はやる必要はありません。それはああいった少人数でもどうにかなるのだなと感じさせられました。

「他の子の心の負担」というのが、正直に言って私には良く分からないのですが、ちょっとめんどくさい子がそばにいるのが「心の負担になる」というのは、その人自身が成長出来ていないのではありませんか。よく障害児の親になった人が「自分が成長できてよかった」みたいな趣旨のことを話しますが、私はその言葉に凄く共感できます。一緒に過ごすことで自分が予想もしなかったことが見えてきたり、気づけたり、理解出来たりします。それに勝るものがあるのでしょうか。

障害のない子を積極的に大空小学校に入学させようという動きというのはそれほど多くはないと聞いています。例えば私は、自分の子どもを入学させたいと思いましたが、通学には一時間以上かかりますし、なにより私の子どもにはすでに地元の保育所で築いた友達との関係もあるので、自分の地域の学校へ入学しました。ただ、そこが大空のような学校になってほしいとは思っています。保護者としても受け止められる保護者であろうとしています。ただ保護者の理解がなかったとしても、そんな保護者は子どもが変えていくのでは無いでしょうか。「●●ちゃんがこんなことをしていた」というのを偏見なしに受け止めて、家で会話する子ども達の姿を見た親が何かを学んでいくものではないでしょうか。大空の保護者もそんな具合に変化していったと思われます。

【Q4】同一の校長先生が同じ学校に9年勤務というのは特殊に感じます。特別な設定の学校、また、市からの配慮やあらかじめの計画があったのですか。

特殊か特殊でないかとは何を基準にするか次第ではないでしょうか。公立小学校についていえば、大阪市でも一般的には5年くらいで教員は転勤します。木村さんは定年を迎える直前の勤務(4年間)と再雇用での勤務(5年間)が重なったために、結果的には大空に9年間いました。なぜ大空に居続けられたのかは人事権を持つ大阪市教育委員会のみが知りうるところであり、表には決して出てこない理由であろうと思います。ただ、全てのことに関して大阪市から特別な配慮が「公式な形」であったとは聞いていません。どこの学校でも採用されているルールにのっとって、そこからはみ出さないようにやっていたと聞いています。

【Q5】公立学校でここまで全ての子どもたちを受け入れることが許されているのはなぜでしょうか。校長先生の力ですか。

校長にはもともと大きな権力があるため、使い方によって学校がどこに行くのかが分からない面もあります。大阪市では公募による民間人校長が多く採用されましたが、それは負の側面も多かったです。しかし木村さんは学校を自然にたとえる時に「教職員は風で、地域の人たちが土だ」と言います。重要なのは、その地域にずっと住む住人たちであるということでしょう。その原則に沿って木村さんは「土」に対しても働き掛け続けてきたのでしょう。

【Q6】木村校長が別の人に変わってしまったとき、この大空小学校はそのままで存在できるのか疑問に感じます。

大空小学校の校長はすでに2年以上前から新しい人に変わりましたが、今も同じ理念「全ての子どもの学習権を保証する」に基づいて運営されています。この質問の回答には、ひとつ前の質問にヒントがあります。つまり、この学校の在り方が変わってしまう可能性はあるのですが、子どもたちや地域の大人がそのようにしてほしくなければ、「あり方を変えたい」という校長や教職員がやってきたとしても、彼らが闘うのではないでしょうか。地域の公立学校の主権は、校長や教職員にあるのではなく、その学校で学ぶ子どもや地域の人たちにあると考えるべきでしょう。

【Q7】今、どういった方々に一番みてもらいたいですか。

社会に関わる全ての人に見てもらいたいです。特に絞るのならば、学校関係者・いま子どもと関わっている人・これから子どもに関わる人です。

【Q8】編集された映像は公開前に確認させてもらうが撮影は自由にしてよい、との木村校長の話でしたが、とはいえ、近くでカメラを回し続けることで、現実の微妙な人間関係に悪影響を及ぼすおそれもあったかと思います。その辺はどうお考えになって取材をされたのでしょうか。

どんなテレビ取材も対象者に影響を与えることからは逃れられません。というよりも、たとえテレビ取材ではなくても、私たちがそこに行って人と関わることで、人間関係に何らかの影響は必ず与えます。私はいつも、どんな取材であってもそのことを忘れた取材をしないように心がけています。

 

【Q9】撮影に入られる際に、学校はともかく、保護者や子どもたちからの承諾はどのようにとりつけられたのでしょうか。

保護者への了解は、木村さんから家庭に対し「こんな取材が1年間入ります。映りたくない人がいれば言ってきてください」という内容の手紙が配られました。また、その場その場でも子ども達自身に対し「嫌であれば、真鍋さん達に写さないでと伝えなさい」と教職員の方は伝えていました。勿論それは事後であってもかまいません。撮影したから使えるなどとは私は考えていませんでした。実際に映りたくないと言った子どももいて、その子はあの学校に存在しないような編集になっています。そのこと自体が心苦しく感じている部分もあります。

【Q10】講演会の際におっしゃられた「.映画で表にだせないこと」ってなんでしょう。そしてそれはなぜなのか知りたかったです。

それぞれの家庭の事情などです。子どもは受け止められるが親は受け止められないだろうという事情で使わなかった場面もいくつかあります。一切ぼかしをかけけない、顔出しの作品にしたいという強い思いがあり、話としては良い場面であっても、その子をわからなくしなければならないという場面であれば思いきって切っています。

また、大空から転勤していったある先生が、大空と当時勤めていた学校の違いについて、私たちに寂しそうに語る場面がありました。「大空ではみんなにどうしたらいいのかを相談できるのに、今の学校はそうではない。どうしたらいいのかもわからないままに仕事を続けている」といった内容でした。それはカメラの前で話してくれましたが、その学校との関係などから使わない方がいいのではないかと私自身が考えて使いませんでした。

【Q11】この作品の監督をされたことで、作品が監督自身の生き方や考え方に影響を与えたことはありましたか。あれば伺いたいです。

一番学んだことは、人はいつでも変われるということで、私自身も変わりました。人にはそれぞれ、その人自身の見方や事情があるという当たり前のことを意識しやすくなった事もその一つです。また、人と人を分断して対立をあおるような社会について、より敏感になりました。そのような考え方にはより強く忌避する意識が生まれています。

 

【Q12】木村校長の広く深い教育精神は、どのようにして培われたのかおききしたいと思いました。

いろいろとお聞きしてはいますが、その辺りは木村さんご自身から聞いていただくべきことだと考えます。

 

【Q13】学校にいかなくても良いという環境を子どもたちに用意することは、一方で必要ではないかと考えています。

私は、学校は行きたくなければ行かなくていいと思っています。木村さんは、子どもは学校というか、友達のいるところには行きたいものだと思っているようでした。だから誰一人として来られないような理由を作らないように動いていると感じました。常に来させることを目的として、無理に引っ張って登校させるのではなく、来たくなるような学校にすることで不登校を無くそうとしていたと受け止めています。来たくないなら来なくていいのです。

【Q14】30年くらい前は、大空小学校のような学校があたりまえだと思っていました。なぜ学校のありかたが変わったと思いますか。

学校が学力をつける場とされて、学力がつかなければ人としての価値がないということを学ぶ場所になってきているからではないでしょうか。

【Q15】フロア式の卒業式、改めていいなと思いました。大阪の厳しい中でも、こういう卒業式を続けていけるのだと少々びっくりしました。

大阪でもフロア式への弾圧がはっきりとあります。大空にも教育委員会からの圧力はあるようです。しかし橋下市長時代に、地域の人が入った学校協議会が学校のことを決定するという仕組みを作りました。橋下氏はこの仕組みを教員に言うことを聞かせるための方向で設計したと私は感じていますが、学校協議会にちゃんと考えて議論して決められるような体制があれば、教育委員会などからの不当な要求をはねつけることもできます。私が前の質問で、「学校の主権が地域の人にある」といったのはこの辺りのことも理由です。

【Q16】6年生のクラスに10人くらい支援の必要な子がいるとありましたが、日常的に担任の先生以外にどれくらいの大人が教室に出入りしているのでしょうか?子どもの状態や場面によって流動的だとは思うのですが・・・。

38人の子どもに、教員が3人、大人があと1人いるかいないかだったと思います。いずれにしても今日助けが必要なところに支援がいくので、6年生より4年生が大変ならば、人数には関係なく4年生に行くといった具合です。それは特別支援の対象となっている子には限られていません。

【Q17】教育現場の教師も管理されていることで、学級経営をスムーズに「ことなかれ」でやり過ごそうとしている点を感じます。この映画を撮られる中で、一般的な教師に対して伝えたいことはなんですか。

教師だけでなく、すべての人に言いたいのは自分の頭でちゃんと自分の考えを持って行動しましょうということは言いたいです。

【Q18】地域に外国の人が増え、その子どもも増えています。民族意識の壁が親や教師に大きくあり、ハーフの子が転校をくり返すパターンも多いです。理解できないままいることは「怖れ」に結びつくので、どんな行動や話し合いによって近づくことができるでしょうか。

違いのあることを受け入れるのは、集団という括りで人を見ないで、一人一人がどうであるのかをその人自身を見つめて考えていけば、それに合った答えが出てくるし、それ以外に解決方法は無いのではないでしょうか。

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