【Q2】支援の必要がある子どもがどれだけの成長や学びを得られるのか、足りないような部分もあるのではないかと心配ではあります。

支援の必要のある子に「どれだけの成長や学びが受けられるのか?」という質問には、そこでイメージされている「学ぶべき力」とは何なのかの定義が必要だと思います。もしもそれが障害者施設の中で「障害者のエリート」として、あるいは健常者からの都合のよい「愛される障害者」として生きていく力であるのならば、分離されて手厚い支援の元で身に付ける力が重要なのかもしれません。それは障害者同士の優劣を図る力とでも言い換えれば分かりやすいのではないでしょうか。私が思う力の最優先はそれではありません。周りの人と関わってコミュニケーションをとるこが重要で、それはお互いの立場からの理解が必要であって、それが出来ることで初めて社会で生きる力が付くのだと考えます。お互いの理解を産むためには一緒にやる以外の選択肢はないと考えています。彼ら自身の存在が、周りの子を育てて社会を変えていくきっかけになり、それなしに必要な力とはいったい何でしょうか?またそれぞれの子が個別に足らないものを身につけるのに特別なカリキュラムが必要であれは、一緒に過ごしているその場でやればいいのではないでしょうか。例えば「障害者」とは呼ばれない子にとっても、ひとりひとり違っている足りないことを抱えていることは多いはずです。そんな子ひとりひとりに支援は必要なはずで、「きょう困っている子が支援の対象である」という大空の方法に何が足らないのかは良く分からないです。先生や大人はもう少し数がいるのかもしれませんが、基本的には周りの子たちが成長していく力に勝るものはありません。

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