【Q3】セイちゃんが教室に入れなかった時、木村先生が同じクラスの児童にはたらきかけた時、「友達の力」って本当に大切だなと思わされる場面でした。逆に、同じクラスの子が嫌な思いをしたり「何で自分がお世話をしなきゃいけないの?」と思うなど心の負担になっていたりしないのでしょうか。いろいろな違いをどの子どもも保護者もしっかり受け止められるものなのでしょうか。

これらの質問の大枠には既に前の質問で答えていますが、補足をいくつかします。「嫌な思いをする子もいる」という前提ですが、嫌な思いをする子はいくつくらいから増えるのでしょうか。保育所や幼稚園の年少さん辺りでそんなことがあるのかは、私には分かりません。どちらかといえば、あまり無いという風に聞いています。では、そんな思いはいつどのように生まれるのでしょうか。いずれにしても周りの大人たちによる影響が非常に大きいと思います。大空に入学したばかりの一年生は、他の学校よりも「嫌な思いをすること」を学ぶのが遅いのではないでしょうか。

「呼びに行かされた子」のことについては、彼自身が新しい学年で担任との関係を築けないでいる状況でした。セイシロウと関わらせることで、あの子が変わるであろうという校長の考えで周到に選ばれて迎えに行くように導かれています。しかし、基本的には誰かに「お世話をさせる」ということはなくて、その役目は必ず誰かやりたい子がやるし、当然ながらセイちゃんの側にもやってもらいたい子や関わってほしい子といった希望や望みがあるので、自然に誰かがやっています。嫌だと感じる子はやる必要はありません。それはああいった少人数でもどうにかなるのだなと感じさせられました。

「他の子の心の負担」というのが、正直に言って私には良く分からないのですが、ちょっとめんどくさい子がそばにいるのが「心の負担になる」というのは、その人自身が成長出来ていないのではありませんか。よく障害児の親になった人が「自分が成長できてよかった」みたいな趣旨のことを話しますが、私はその言葉に凄く共感できます。一緒に過ごすことで自分が予想もしなかったことが見えてきたり、気づけたり、理解出来たりします。それに勝るものがあるのでしょうか。

障害のない子を積極的に大空小学校に入学させようという動きというのはそれほど多くはないと聞いています。例えば私は、自分の子どもを入学させたいと思いましたが、通学には一時間以上かかりますし、なにより私の子どもにはすでに地元の保育所で築いた友達との関係もあるので、自分の地域の学校へ入学しました。ただ、そこが大空のような学校になってほしいとは思っています。保護者としても受け止められる保護者であろうとしています。ただ保護者の理解がなかったとしても、そんな保護者は子どもが変えていくのでは無いでしょうか。「●●ちゃんがこんなことをしていた」というのを偏見なしに受け止めて、家で会話する子ども達の姿を見た親が何かを学んでいくものではないでしょうか。大空の保護者もそんな具合に変化していったと思われます。

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