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雑穀づくりでふるさと再生
ここに設けられた「体験広場」や「味の広場」「展示の広場」などでひときわ存在感を示している「森のココペリ」。帝京科学大学(上野原市)の学生さんたちを中心とした「森のココペリ」の活動を取材させていただくのが目的でした。「森のココペリ」は現在設立3年目。30名程が在籍し環境教育や森作り活動をしています。

森のココペリの仲間が「おやき」を販売していました。元気な呼び込みの声もあって、好評。お昼12時頃には完売していました。

クラフト作りのテントも親子連れで賑わっていました。
西原の森で拾ったどんぐりなどの木の実を使って自由に工作が出来ます。森のココペリのお姉さんやお兄さんがアドバイザーになってくれてます。
「西原ふるさと祭り」は地域おこし(都市と農村の交流)の拠点「羽置の里びりゅう館」を中心に今年は10月13日、14日と行われました。
13日は「前夜祭」で14日が「本祭」。
西原地区の人々だけでなく上野原市内外から大勢詰め掛けるのはなんといっても美味しい「山の幸」を味わえるから。
私がお祭会場入りした11時半ごろには、「ふるさと味の広場」の目玉のひとつ「山菜めし(五目めし)」が早くも完売になっていて、これを目当てに来たらしい、私とほぼ同時に会場に入った女性2人連れが「ああ〜っ、売り切れだってさぁ〜」とがっかりした声をあげていました。
14日一日のお祭りで3000人ぐらいの人が西原に詰めかけ、そろそろ紅葉の始まった山あいの里は年に一度の賑わいを見せたのでした。
さて、私は「展示の広場」に行き、そこで「森のココペリ」の活動のひとつである「西原地区の川の水質検査」の展示や、「地域との交流」の様子などの紹介ビデオ上映コーナーに立って説明をしていた井上雅人君にお会いして、井上君の案内で森のココペリの畑や活動フィールドを見せていただくことになりました。

「ココペリ畑」西原(さいはら)地区の、原(はら)という部落に「森のココペリ」が借りている畑があります。
地元の農家から遊休農地を借りて、昔ながらの農法で農薬を使わずに野菜を育てています。西原(さいはら)地区一帯で昔から作られてきた雑穀を、地元農家に指導を受けながら作っています。

秋蕎麦の花が満開でした。他に小豆と枝豆も実っていました。
「雑穀栽培」といっても、ヒエやアワ・トウモロコシなどのいわゆる「五穀」だけでなく、私たちが普段親しんでいる野菜も栽培されていました。かぼちゃなども作り、収穫された野菜は西原の「野菜直売所」で売ったり、仲間で分け合ったりしているのだそうです。
井上君もたまに直売所の売り場で村の農家の人たちと一緒に立って売り子をしている、という話。学生さんたちがボランティアで耕している畑で「売れる野菜が出来ている」という事実に感動。遊び半分でなく本格的に取り組んでいるのですね。

豊かな実りに欠かせないのが堆肥。「ココペリ畑」の中には堆肥作りのコーナーもちゃんと作られていました。

堆肥コーナーの柔らかい土を踏む井上君。堆肥は落ち葉とか栽培した野菜クズを土と混ぜ合わせたもの。ここら辺の土は太古に山が崩れて出来た傾斜地ですから耕すと握りこぶし大の石がごろごろ出てくるそうです。
傾斜地の耕し方にもまずは下から耕すなどの作法があるとの話。傾斜地ですので雨や風で土はどんどん下に流れてしまうので、畝を作るときに下から上に向かって畝を作ると土が下へ行かなくなる。との事。
この畑の1キロ上方にイノシシ防御の柵が設けられていますが、あまり効果はないみたいです。ココペリ畑にもイノシシの足跡が畑に残され、掘り返された跡も・・・。村人と交流する中で、イノシシ対策も協議されますが今のところ「村の人たちは半分諦めていますね」ですと。そういう、村人と共通の痛みを分かち合うところも「森のココペリ」の活動が地についていることの現われでしょう。
「夏場、農作業の合間に畑脇の草地に寝転んで空を見上げていると山鳥の声や風の音など普段耳に入れない音が聞こえて心が澄んでいく感じがします」という井上君の言葉に、「ココペリ畑」に対する思い入れの深さを感じました。
畑から下って民家の並ぶ細道をたどりました。

方屋川の川べりにある水車小屋。村の人々はこの水車を使って雑穀を粉に加工します。ここで挽いたそば粉で蕎麦を打って提供するお店もあります。また方屋川は、森のココペリが毎月「水質検査」をしている川でもあります。

西原(さいはら)の方屋川沿い(原の部落)には現在稼動出来る水車が2つ。昔は5機ありましたが今は需要が減って2機になりました。昔は、集落単位で各戸の粉引きの順番を決めて使っていたそうです。
「自給自足で家族数も多かった昔のことですから、粉引きの時期には家族を養う分の粉を挽くには夜っぴて水車を回したらしいです」などというお話が次から次と、若い都会育ちの学生さんの口から出てくるのに驚きをもって聞き入りました。井上君はよほど、村の古老の話をじっくり聞く機会を持ったのでしょう。

「森のココペリ」代表の夏目暁子(あきこ)さん。帝京科学大学「アニマルサイエンス科」を去年卒業。故郷の埼玉に戻らず、ここ西原に住み着いてしまいました。北都留森林組合に職を得、自身の暮らしが「森をフィールドにした活動」そのまんまな人。
「ココペリ」とはインディアンの神話に出てくる精霊。“幸せを呼ぶ使者”。「私たちもみんなを笑顔にするような存在になりたい」から「森のココペリ」というネーミングにしたのだそうです。
「地域活性」「環境保全」「環境教育」を活動の3本柱に、「農山村と都市」「人と自然」をつなぐ架け橋となっていきたい「森のココペリ」。
夏目さんは、「来年は獣害について重点的に取り組もうと思います。他の活動も継続しながら・・・。」と豊富を語りました。「今、学生たちが主体的に活動を継続していく組織形体を模索中です」と、課題の多いところも率直に話してくださいました。
今回のふるさと祭リの準備・運営の一翼を担ったように、普段から村の活性化の大きな役割を担い、期待されている「森のココペリ」。
どうぞこれから「ココペリ畑」の雑穀が豊かに実り、収入アップにつながり、この努力が結実しますことを。(山本豊美)
2007-10-23 01:55:34 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
高齢化・わが街の場合(多摩ニュータウン)NO.1
■診療所から見えること(朝日新聞 シリーズ「街をつくる、まちに生きる」より)
9月。諏訪・永山地区の80代の女性宅を、永山団地に診療所を開く医師、斉藤宣照(のぶてる)さん(62)が往診した。
永山で開業して19年目。斉藤さんは、高齢化が急速に進むのを目の当たりにしている。 毎年、70歳以上に出す敬老祝いのはがきは、開業後数年のころは150枚ぐらいだった。今は、約600枚に上る。
認知症や高血圧、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)の患者が目立ち始めた。通院できないお年寄りを往診する回数も増えた。エレベーターのない5階の部屋で、3年間、一歩も外に出なかった患者も診た。寝たきりになるお年寄りは、この先もっと増えるだろう。
7、8年前から、在宅の寝たきり患者に指圧を勧めている。治療効果に加え、マッサージ師と連携してお年寄りを見守ろうという取り組みだ。人と接する機会を増やすことでセーフティーネットが広がる。
諏訪・永山地区では、街開き当初に入居した「ニュータウン1世」の多くが、70歳を超える。ここを「終(つい)のすみか」と決めている人が多い
一方、「故郷で最期を」と願う人たちもいる。ニュータウンやその周辺に暮らす娘や息子に呼ばれ、最近になって地方から越してきたお年寄りに多い。
懐かしい景色、おいしい食べ物――。往診すると、望郷の思いを切々と語られることがある。斉藤さんは、その言葉をひたすら受け止める。
「でも、聞いてもらえるとうれしい気持ちになるようで、心静かに療養の時を過ごせる。治療と同様に大事なことかもしれません」
診療所には、ふだんは誰とも話すことなく、「言葉を忘れた」ように暮らす人も来る。診察室で会話をすると、「あぁー、良かった」というような表情で帰っていく。
斉藤さんは今、診療所の待合室を「交流の場」として改修するアイデアを練っている。畳を敷きつめ、健康器具を置いて使ってもらう。
「閉じこもりがちの人が、診察のついでにくつろいでいける場になればいい。ささやかなことでも、時代に合わせ、できることを探っていきたい」
2007-10-22 12:00:00 この記事のURL 「まちぐるみで子育てを応援」
『市民主体による地域づくりとその経営』に参加して

『市民主体による地域づくりとその経営』に参加しました。
主催は広域関東圏コミュニティビジネス推進協議会
会場は、「ちよだプラットフォームスクウェア」会議室でした。
鶴ヶ島市における地域づくり
「パネルディスカッション」の報告です。
埼玉県鶴ヶ島市における地域づくりのキーパーソン4名がパネリスト。
鶴ヶ島市は人口約7万、多くの勤め人が東京へ通勤している「埼玉都民」の町のひとつ。この鶴ヶ島市が、行政と市民の協働のモデルとでもいうべき活動をしていることを知りました。
地域福祉計画の策定において、鶴ヶ島市では、市民に集まってもらって「地域の課題解決を考えるワークショップ」を延32回開いたのです。調査会社に頼むのではなく市民と共に課題と解決法について第一歩から意見を出し合って市民と行政の協働でまちづくりが行われているのです。行政が設置している「審議会」等の諮問機関でよく行われている、”一応ご意見をお聞きいたします”という形式的なものではありません。
政策決定の過程で、市民の声を積極的に受け入れる自治体は決して多くはありません。そのような行政の姿勢に応え、市民も行政に要望をするだけでなく、市民自ら知恵を出し、労力も惜しまず住みよい街づくりに具体的な事業が生まれています。
地域に根付く「もう一軒の我が家」
「NPO法人鶴ヶ島学童保育の会」は留守家庭児童の居場所、生活の場として560名の児童の第2の家庭の役割を果たしています。
「NPO法人鶴ヶ島なごみ」は、2,000年に活動仲間12人で設立。現在は会員は300人です。コンセプトは”もう一軒の我が家”介護予防事業、自立支援事業、子育て事業、IT事業、調査交流事業の5つの事業が行われています。「地域に参加するすることによって、地域が見えてくる。」という言葉が印象的でした。
2007-10-21 17:46:30 この記事のURL 「コミュニティビジネスでまちを元気に!」
妻と夫の定年塾
西田小夜子さんの前著書の『定年夫はなぜこんなにじゃまなのか』、『定年漂流』は衝撃的なタイトルが記憶に新しいのですが、今回紹介されている『妻と夫の定年塾』は熟年夫婦の今後のあり方について、気軽に参考にできそうですね。
「引きこもり夫」、「みのむし夫」、その例えは言い得て妙で、その様子が目に浮かびます。100点のコラムはまさに「百人百様」なのでしょう。そのうちの一つくらいは「私たちと似てるなあ!」と思うかもしれません。
「地域デビュー」のための基盤になる夫婦の関係について、ちょっとこの本をのぞいてみませんか?
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上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』で読む目からウロコの老後。著者インタビューのおまけつき

「結婚していようがいまいが、だれでも最後はひとり」―。
うまい! タイトルの『おひとりさまの老後』もうまいけれど、この表紙のコピーだけでも手に取ってしまいます。さらに「これで安心して死ねるかしら」の追い討ち。20万部の快進撃だそうです。
「面白いよ。こっちはイマイチだけど」と、女ともだちがポンと2冊の本をくれました。1冊が上野さんの最新刊の『おひとりさまの老後』(法研)、もう1冊の「イマイチ」のほうは精神科医・香山リカさんの『老後がこわい』(講談社現代新書)。両方とも広告を見たときから、ちょっと気になっていました。とくに『おひとりさま・・・・・』のほうは、タイトルを見たときから・・・。さっそく読んでみることにしました。
2007-10-17 17:12:25 この記事のURL 「最新!高齢者福祉と医療&美容」
結婚式in小菅村
そんな小菅村に移り住んだ若者の結婚式の模様が、のんびるリポーターの山本豊美さんのブログに紹介されています。何より驚きなのは、村の人120名近くが披露宴に参加されたとのこと。実に人口の1/10強という割合です!会場となった公民館での披露宴も20年ぶりとのこと。本当におめでたいことです。
日本は高齢化が進み、農村は過疎や農業の後継ぎ問題が深刻な現状です。そんな中、この結婚式は一組の若者の幸せな話のみならず、全国で同じような問題に直面している多くのまちや村にも勇気を与えてくれる話題です。
楽しそうな当日の様子が写真を通して伝わってきます。郷土料理が並ぶ手作りのお祝いのご馳走も本当においしそうです。
同席された山本さんの、幸せあふれる記事をぜひご覧ください。そして小菅村ファンがますます増えるといいなと思います。魅力的な人々が暮らす場所は、きっと訪れても楽しい場所に違いありません。 [バックナンバーへ]
過疎の村で結婚式
先日、9月29日。小菅村でひとつの結婚式がありました。結婚した二人は小菅村に住みます。

ちょうど、村の特産の秋蕎麦の花が満開でした。
日本の農村の抱える問題「高齢化と過疎化」を象徴するような村、小菅村に久しぶりの結婚式と、若者の定着。喜びにわくこの日の小菅村をリポートします。
結婚した二人は小菅村で「NPO自然文化誌研究会」事務局長をしている黒澤友彦さんと、栄養士の森田東江(はるえ)さん。
ふたりを結びつけたのは、自然豊かな小菅村での野外教育活動キャンプでした。
友彦さんの出身地は神奈川県海老名市。実家はサラリーマン家庭。農村とは程遠い環境に育ちました。
一方の東江(はるえ)さんは埼玉県大里郡の生まれ育ち。お父さんは公務員の仕事を持ちながら休日は農業を営み、お母さんは老人ホームで介護の仕事に携わっている家庭環境に育ちました。
仕事で小菅村に定住して6年。野外教育キャンプ活動や、雑穀の栽培などに同じNPO仲間や村人と取り組む友彦君の、生まれ育ちは都会でも、今はすっかり「野人」と化した「たくましさ」に東江さんは魅かれたといいます。

パレード用の着物で。
披露宴に先立ち、13時半から軽トラックに乗って村内パレードして村人に挨拶して回る予定だった新郎新婦。あいにくの雨模様でパレードは中止となりましたが、披露宴会場にふたりを励ましに訪れる村人らは引きもきりません。

新郎新婦親族顔合わせの会場で、やや緊張の面持ちのふたり。
15時から始まった披露宴。
小菅村の公民館「YLО会館」3階の広間での結婚披露宴が開催されるのは20年ぶりとか。この建物が出来た当事は(約50年前)、幾つもの結婚披露宴が行われていたことでしょうね。村一番の大きな建物として人々が集まった屈指の場所だったそうです。
高齢者から赤ん坊まで、村人120名近くが披露宴に参加してくれました。新郎新婦共通の知人若者らが裏方に回って宴を盛り上げます。
お祝いのご馳走は、前日、新婦の栄養士仲間が中心となって手作りしたものが並んでいました。村の郷土料理もお目見えし、村外からの参加者を喜ばせていました。
乾杯の音頭に引き続き料理紹介。小菅村の郷土料理「かまぼこ」と呼ばれているもの。海のない村ですので、海の魚は使われておりません。麩をベースに山菜が入っているようです。でも食感は確かにかまぼこでした。

郷土料理「かまぼこ」を紹介する、井村さん。
新郎の大学の恩師で、小菅村の「植物と人々の博物館」の設立運営にも深く関わっています。
司会者や、仲新郎新婦の介添え役も皆新郎新婦の共通の仲間でした。

村の古老の採ってきた山の幸、アケビもテーブルを彩り、山奥の村ならではの宴席ですね。
この結婚披露宴に先立つ8月1日に、ふたりは結婚の届けを役場に出しました。それからふたりの小菅村定着の準備が徐々に進められてきました。小菅村の村営住宅に空き家があり、入居することが決まったそうです。また小菅村には定住する若者を応援する「小菅村若者定住促進の奨励制度」があります。その中には「結婚祝金」や「出産祝金」など、定住する2人にうれしい措置が含まれています。

笑顔の2人を村が応援しています。
小菅村村長の広瀬さんが新郎新婦に祝辞を述べ「村の活性化に一役買ってもらいたい」と言い添えたのが印象的でした。
東京都民の飲み水の源流域、小菅村。他所から来た若者が村に定住し、結婚をした。この事例が、これからますます小菅村への若者の流入を招く呼び水となってくれると良いですね。(山本豊美)
2007-10-04 04:15:59 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
新リポーターブログ、必見です!
それぞれ興味深いテーマを掲げ、役立つ情報を紹介していきます。
今週はダイジェストにそのブログテーマを紹介します。
トップバッターは吉田和子さんの「地域とつながろう」。女性ならではの地域デビューのヒントが満載です。続いて、「誰でも通る、延命治療、終末期医療」というちょっと重いテーマを、明るいキャラクターで淡々と紹介する松尾陽子さん。続いて、「こころが疲れた人のための”地域”の活用法」の成相 陽子さん。ちょっと疲れた方は必見です。トリを飾るのは、軽妙なタッチで「最新!高齢者福祉と医療&美容」を紹介する中澤 まゆみさん。美容の話、楽しみですね。
4名ののんびるリポーターのみなさん、よろしくお願いします!
ぜひ、お気軽にコメントやメールでご意見をお寄せください。
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ほぐし織りの産地富士吉田in山梨
ーーー仮の横糸を用いて織り上げた生地に、捺染で絵柄を染め、その後、仮の横糸を抜いて(ほぐし)、改めて本織り用の横糸で織り上げます。柄が縦糸だけに染められているので、本織りの際に生じる微妙なずれにより、柔らかな絵柄に織りあがるのが特徴です。模様のずれはその都度異なりますので、まったく同じものがないのも、ほぐし織りならではの楽しみです。ーーー
なんか、複雑な工程のようですね。でも「まったく同じものがない」というのは魅力です。まさしく「マイ傘」!
カタログに載っている傘の絵柄も「フランス的」というか洒落ていて、まるでカシニョールかラウル・デュフィの絵のよう。傘の柄も木で出来ていてアールヌーボーの曲線を彷彿させます。
こんな素敵な傘を持っていたら雨の日もきっと楽しみになるでしょうね。
「モンブランヤマグチ」というお店、なんだかお菓子やさんみたいなネーミングですけれど傘の専門店なのでしょうか。東京は錦糸町にあるみたい。
ホームページを探してみました。「モンブランヤマグチ」さんのホームページだけではないようですが(いくつかの傘屋さんが載っています)、このページから入って行く「ほぐし織り」の製造行程を織った「ほぐし織り〜富士吉田〜探訪」というページに出会いました。このページで「ほぐし織り」というのがどういうものか大変よくわかりました。
ブログでも触れました「ワイルドシルクフェスタ」をきっかけに、このところ俄かにシルク(絹)熱にうかされている私ですから、「ほぐし織り」の産地が富士吉田と聞いてすぐ「甲斐絹(かいき)」を連想しました。
雨傘の生地はシルクではなくポリエステルであるとわかっていますが、生地の織り方が「富士吉田をはじめとする山梨県の郡内地方でかつて栄えた郡内織物の伝統を受け継いでいるのではないか!?」と思ったのです。
そこでまず、ネットで「甲斐絹」を検索してみました。
ありました!「山梨県富士工業技術センター」で作っているホームページが。「甲斐絹ミュージアム」のページに出会いました。
なるほど、「Kinari」のカタログに載っている西洋傘の絵柄とは違って日本の伝統的な絵柄が「甲斐絹ミュージアム」には展示されていますが、絵の微妙なカスレ具合は同じ。
「ほぐし織り」は紛れもなく「甲斐絹」の伝統の織り方だったのです。
伝統が今も脈々と受け継がれていることに意を強くした私。早速富士吉田にある「山梨県富士工業技術センター」に出かけていきました。
9月19日(水)。この日、ふらりと出かけたので、「山梨県富士工業技術センター」の「甲斐絹ミュージアム」HP作りに携わった五十嵐さんにはお目にかかれませんでした。でも、代わりに応対してくださった職員の方からいろいろお話を聞くことが出来ました。
■まず甲斐絹とは?
先染めの糸を織ります。糸に縒りをかけないので薄い生地になります。高密度に織るため、昔、戦前ごろまで手織りでやっていた時分はなかなか生地一枚の完成までに時間がかかったということで、今は機械織りです。
■手織りの後継者は?
現在手織りでやっている人はいないだろう。
私注)郡内は織物が盛んで、今の80歳から上の世代の女性たちの多くが「機や(はたや)で奉公に出て働いた」という言葉をよく耳にしますが、その「機や」とは機械織りの、いわば工場であって、手織りをしていたわけではないので、「甲斐絹」の全工程を一人の人がこなすということはないのだそうです。つまり「甲斐絹」は一人で織る織物ではないということ。
■でも郡内あちこちで「手織りの会」があるようですが・・・?
甲斐絹の手織りの会ではないでしょう。
私注)郡内の女性たちが今でも伝統を受け継いで次世代に残すために、あちこちで「手織りの会」を作っているのを知っており、そこが「甲斐絹」の伝統を残すことと同義なのかと思っていましたら、説明によりますと「手織りの会」は「大石紬」(河口湖の大石地区で受け継がれた)などに代表される、つむぎで、甲斐絹ではないということでした。大月市の市歌などに出てくる「筬(おさ)の響き」が町のあちこちから聞こえていたという戦前当事の様子は、「機織工場(はたおりこうば)」の機械音だったのですね。私はそれこそ、昔話「うりこ姫とあまんじゃく」の世界にワープしていて、近代という時代が抜け落ちていたのでした。
「トントンカラリ、トンカラリ」と、うりこ姫が織るような機(はた)音が、町中のあちこちの家から聞こえていたのだ、なんてのんびりした光景を夢見ていたのでした。
■甲斐絹はたまた郡内織物の現況は?後継者は?
特に問題はなく受け継がれてきていますよ。
私注)気を取り直して(現実に戻って)、伝統産業「甲斐絹」の今について少し伺いました。「後継者は大丈夫」とのことでした。昔から続いている甲斐絹の工場が、三代目、四代目という形で今の工場主に受け継がれているのだそうです。
「甲斐絹」は分業体制で出来上がります。そのため、行程で専門分野それぞれが連携しあわないといけません。(工場)家で受け継ぐという縦糸と部門それぞれで連携しあうという横糸で織られた産業。一箇所欠くわけにはいきません。
■団塊世代のセカンドステージとして、そこに(行程に)関わることは出来るのかな?
う〜ん・・・・。
私注)聞かれてちょっと首をかしげていました。「熟練を要する仕事なのでそう簡単には・・・」。なのだそうです。
■若い人なら、受け継いだ家の出でない人が志した場合、就職できるのですか?
そういうケースもありますが・・・。でも収入が少ないですから、あまり希望者はいないでしょう。
■では「甲斐絹」は儲からない産業なのですね?
儲かっているところ(会社)もあると思いますよ。市場のニーズをつかみ、そこに応じているところは・・・。つまりブランド化に成功しているところは。
ーーーと、以上のような職員の方のお話で改めて「ブランド化」の大切さを思ったようなわけです。「ブランド」と聞いて、すぐに「モンブランヤマグチ」の雨傘が思い浮かびました。ここの雨傘は市場のニーズに応えているし、ニーズを作り出すことも出来る!そう確信しました。
さて、「甲斐絹」の製造工程探訪は、モンブランヤマグチさんのホームページで素晴らしい探訪のページ写真があるため、私などのブログで写真を物すこともないでしょう。
でも、私はどうしても「ほぐし織り」を自分の目で見、機織りの機械音を耳で聞きたく思います。次は是非、工場見学をしてリポートをお届けしたいと考えています。お楽しみに。(山本豊美)
2007-09-21 07:00:20 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
続・ワイルドシルクフェスタ
9月9日の会場で農学博士長島孝行さんと出会いました。言葉を交わすチャンスもあったのですが、会場内の展示物の面白さに頭がいっぱいになっていた私は、博士にワイルドシルクについての学術的なお話を伺うなどの余裕はなく、傍らに置かれていた博士の著書を買って帰りました。その本を読んでの感想です。

まず長島先生の本から引用させていただきます。
ーーー「シルクのふるさとが世界遺産になる!?」
2007年の1月、文化庁は世界遺産として「富岡製糸場と絹産業遺産群」を追加申請しました。富岡製糸場(1872年〜1987年)は、明治のはじめに政府が近代化のために設置した最初の工場で、日本の養蚕・絹織物の発展に欠かせない存在でした。そして最盛期には1000人もの女工を抱える大工場であり、「殖産工業」を謳った近代日本の産業遺産であったのです。
常々、私は「日本の養蚕をなくしてしまったら、世界に誇れるものがまたひとつなくなってしまう。群馬ならでは、富岡ならではのものを押し出すべき」と訴えてきたのですが、今こそがまさにそのタイミングだと思っています。では「富岡ならではのもの」とは何か?やはりそれはシルクをおいて他にはない。第5章の「食」のページにてもお話しますが、シルクは食品としても非常に優秀です。富岡産の繭を絹たんぱく液にし、飲むこんにゃくゼリーやまんじゅう、うどん、せんべい、パンなどに混ぜたものを「富岡ブランド」として発信し、どんどんアピールしていけたら、と考えています。−−−
長島孝行博士は2007年6月の「富岡のシルク産業を考えるシンポジウム」にパネリストとして参加し、そのとき富岡市長さんにも提言を出していらっしゃいます。
この文章を読んで私が考えたのは、まず「富岡製糸場が世界遺産になるなら、長野県岡谷市だって世界遺産だろう!?」ということです。
長島先生の文章の主旨とズレますが・・・。
大竹しのぶの名演が涙を誘った映画「ああ野麦峠」の原作本「女工哀史」に出てくるうら若い糸取りの女工たちは、岡谷の製糸工場で働いていたのですから・・・。私が長野県岡谷市と近い諏訪市の生まれ育ちということもあり、地元びいきでしょうが、私は「製糸といえば岡谷だ!」とこの数十年信じて生きてきたのです。
「富岡製糸場」は確かに政府が最初に作ったものだし、私の小さい頃の社会科の教科書にも写真が載っていた記憶があります。ですから、日本の国の位置づけとしては、「製糸で栄えた近代日本の基礎は、富岡にあり」で正しいでしょう。そこで富岡を文化庁が世界遺産にしたいと思ったのは無理からぬことでしょう。
でも私が言いたいのは「製糸工場が明治政府の繁栄を支えた、ひいては日本のその後の運命を決めた」というわけで重要というのなら、製糸工場及び製糸関連のもの、場所すべてを日本の遺産、宝物として位置づければよい!ということです。
まずは富岡で、長島博士の提言したことを取り入れていろんなブランドを発信してくだされば素敵です。
日本の宝物、シルクを(昔のような製糸一辺倒でなく、食品とか医療品とマルチな分野で)見直し、活用していこうよ!と。
次にそれを、日本中の養蚕の盛んだった地域が参考にして取り入れていけばいいのに、と思うのです。地域ブランド開発もいいけれど、日本の国の規模でシルクの復興を図る!というのはどうでしょう。
群馬県富岡で、長野県で、そうそう、山梨県でも、天蚕の盛んだった市川三郷町、郡内織物の栄えた富士吉田市、都留市といった郡内地域!まだまだありますよね!日本中にシルクの遺産の地域と言える場所は。
9月15日だったかしら、NHKの朝のニュースで福島県の川俣町が登場しました。福島県もかつて養蚕が盛んな地域だったそうです。
今でも160軒が養蚕を続けているという話。(もしかしたら日本で一番養蚕が残っている地域ではないでしょうか?)
昔と違いほとんど機械化されているそうです。
その一軒、佐藤さん宅では30万匹の蚕を飼い、したがって30万個の繭を作る!
その数字を聞いて、びっくりしました!昔の家内生産現場と違い30万という数字は、工場の規模ではないでしょうか!?やはり機械化の強みですね。
でもそんなことより何より、今でも養蚕農家が健在であるというニュースが素直に嬉しかった。
テレビ画面に映った蚕の繭作りの様子やその音は、「手作業」から「機械作業」へという人間の側の事情の移り変わりにに関係なく、太古からの人と昆虫の共生の営みが思われて、感動をがわきました。
養蚕農家の佐藤さんの奥さん、洋子さんの、蚕を見るまなざしも昔の養蚕農家の主婦が「お蚕様(おかいこさま)」に注いだまなざしと同じだと感じました。日本の誇る世界遺産を守る人がここにもいる!と思いつつテレビ画面に釘付けになってしまいました。
従来の人と蚕の共同作業から出来上がるシルク(家蚕)と、育つフィールドが山となる山繭のシルク(天蚕)。そして、今回「ワイルドシルクフェスタ」で紹介された蚕の吐く絹糸にとどまらない多種の昆虫の吐く糸、シルク(野蚕)。こんなにシルクのフィールドは広いのです。
長島孝行博士の本を読むと、「日本は資源のない国」なんかじゃあない!と希望がわきましたし、多くの人がこれからシルク産業の復興に加わっても決して持て余しにならない需要が望めると思います。
再び長島博士の著書から引用を。
ーーー本書はシルクについて大きく取り上げています。それは私が10年以上かけて観察して来たことですが、天然繊維の時代が再びやってくることを想定してのことでもあります。
日本では「食」の自給率が40%と低く、大きな問題になっていますが、衣食住の「衣」の部分に関しても、そういった問題がこれから出てくるでしょう。
実際、日本では綿や毛などもほとんど作られていません。世界に誇ってきた絹産業をここまで衰退させてしまった問題は非常に大きいのです。日本の科学技術の中で、シルク生産に関した桑の研究実績、蚕の研究実績、そして絹糸の研究実績は紛れもなくトップです。
だから今からでも間に合う。養蚕業を復活させたいという思いがあります。ーーー
長島孝行著「蚊が脳梗塞を治す!昆虫能力の驚異」というご著書で、世界中のいろんな昆虫のパワーについていろいろ書かれていますが、蚕について多くのページを使われています。
この本は「ワイルドシルクフェスタ」会場でも売っていますのでお出かけの折には是非手にとって見てください。定価800円。
長島孝行博士のプロフィール・・・0955年、埼玉県に生まれる。東京農業大学を卒業後、同大学院農学研究課博士後期過程終了。農学博士。専門は昆虫発生学・解剖学で昆虫機能を研究し、社会に役立てようとする「陰線とテクノロジー」を提唱。2005年の名古屋万博、愛地球博では中部千年共生村の生物力を監修。
今まで一般には「衣食住」の「衣」の部分だけで着目されてきたシルク。「食」の分野でも「住」の分野でも研究が進み、研究結果も活用されていて、「天然繊維野時代が再びやってくる!」と断言する研究者もいるのですね。わくわくしてきました。しばらくシルクから目を離せそうにありません。(山本豊美)
2007-09-17 22:16:33 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
江東区で水彩フェスティバル

第8回水彩フェスティバルが9月8日・9日開催されました。
会場は江東区の水門橋周辺。
主催は「水彩都市アピール実行委員会」です。
のんびる7月号で取材させて頂きました「NPO法人江東区の水辺に親しむ会」など15以上の団体が協力して開催されたものです。地元江東区や町会。東京海洋大学、明治学院大学経済学部の若者たちの積極的な参加もありました。ストリートライブの出演者は、真夏のような暑さにも負けず、楽しい踊りや素敵な歌声を披露。
竹とんぼ作りコーナーでは、手作り工作を子どもたちに伝えました。

2007-09-11 12:58:09 この記事のURL 「コミュニティビジネスでまちを元気に!」
人形劇の町飯田
いいだ人形劇フェスタは毎年8月初旬に行われるイベントです。今年は8月2日から5日に開催されました。前身の「人形劇カーニバル飯田」から通算すると今年はもう28回目なんだそうです。ワーキングホリデーやグリーンツーリズムの先進地域である飯田に、こんなイベントがあったなんて最初は意外な気がしました。一見人形劇とこれらの活動は全く関連がないように思えたからです。
しかし、今回の記事を通して新しい発見がありました。このイベントのルーツには、この地で大切に継承されてきた「人形浄瑠璃」も関係があるのですね。江戸時代の「人形劇」の代表である人形浄瑠璃。それが小さな村々にも伝播して、各地で地域独自の伝統文化として築き上げられたものもたくさんあるのです。そういえば飯田市と同じ南信州の大鹿村・農村歌舞伎も大変有名ですね。
とすれば、飯田が取り組んでいるさまざまな取り組みも、なんとなく1本筋が通ったように思います。もちろん現代の人形劇も予想以上におもしろく魅力的です。でもよりいっそう飯田カラーを出していくためにも、次回は飯田が誇る「人形浄瑠璃」PRしてほしいですね。え?それ以上飯田が有名にならなくっても・・・? そんな声が聞こえてきそうです。
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廃校の再利用in山梨
山あいの農地の中に立っている施設。駐車場に車を停めて、施設入り口に向かう道すがら、周囲の青々とした田んぼとその脇を流れる小川に心なごみます。

山梨県の避暑地として賑わう「清里」に近いせいもあつてか、駐車場には県外ナンバーの車がずらりと並んでいました。
「三代校舎・・・」の三代とは明治・大正・昭和のことです。思えばこの三代にかけて、学校は地域の文化や伝統のシンボルでした。「廃校」と言う言葉は過ぎ去った時代への郷愁と、「地域衰退」のうら寂しさを連想させますが、今「廃校リニューアル」に取り組む全国各地の動きは、そこから立ち上がる新しい地域創造の力が感じ取れます。ここ「三代校舎ふれあいの里」にもそんな力の漲りを感じられます。
まずは、昭和校舎をリニューアルした「おいしい学校」へ。ここには食事どころ・入浴休憩施設・宿泊施設・農産物販売所・パン工房が入っています。お昼時でしたので、レストランはお客さんでいっぱい!イタリアンと和食の2つのレストランがありますが、私は今回和食を選びました。「和食・古宮」さんに入ると、学校給食を再現した2つのパターンのメニューがあり、シチューを中心にしたランチを注文。運ばれてきました。でも、連れの注文したカレーを中心にしたランチもおいしそう。

ただ、シチュウの方が限定10セットと書かれていたので、「限定」と言う言葉につられて注文した私でした。

おや!?ご丁寧に箸ではなく先割れスプーンとは!私の子どものころにはこれは無かったなあ・・・。なんて、話は子どもの頃に飛んで、なかなか上手い演出ではありませんか。
見回すと周りのお客さんたちの多くがファミリー連れで会話が弾んでいる様子。小さい子どもさんを含む家族連れが多いのもこの「おいしい学校」の特徴。学校給食にはジャガイモがふんだんに使われていました。ホクホクのジャガイモは八ヶ岳南麓のこの地の特産だったことを思い出しました。このメニュー1000円。人気なのもうなずける話。食事が済んでこの地域の特産品の売り場を見て回った後、さて、次に足を運んだのが隣の大正館。

大正館の前には野口英世像がありました。

このような校舎と庭と偉人の彫像が組み合わせに、日本の学校光景の典型を見る思い。懐かしさの波紋がまた一つ。野口英世は言わずと知れた東北地方出身ですが、大正期に活躍した人なので大正時代の校舎の前には好んで彫像が置かれたのでしょうか・・・全国的に。
大正館は現在は農業体験施設として活用されています。中ではちょうどパンつくり体験教室が行われていました。体験はすべて予約制ということで、私のようにふらりと訪れた人は、教室の外側から様子を見ることに。

大正館の前の瓢箪型の小さな池。昔は多分金魚や鯉など飼われていて、校長先生がパン切れを池の鯉に与えていたりした光景があったことでしょう。見ると殿様蛙がいました。

近頃殿様蛙を見るのは珍しいなと思い、そっと近寄りました。蛙は人の気配に警戒する風も無く不動だにしています。蛙がのんびりと生きていられるのどかな空気がここにあるのだと思いました。
明治校舎は「須玉歴史資料館」になっています。

外観は明治8年建築のハイカラな洋館を復元したもので、中に入ると昭和初期の様子が復元された教室などがあります。
「三代校舎ふれあいの里」では建物を中心に外観も楽しめ、(特に桜の時期にはお勧めです)、建物の中でもそれぞれに学ぶ体験や、お風呂・食事などの楽しみも味わえ、地域の特産物を買うことが出来るというまさしくファミリー向けの、のどかなレジャー施設です。帰途立ち寄った県道沿いのお店で出会った地元の人に「おいしい学校」に行ってきたと話しましたら、こんな答えが返ってきました。「レストランは賑やかだったでしょ?だけどあそこのお風呂は混んでなかったでしょ?いつも人がまばらって感じだよね。きれいな風呂だけどね。」と。「おいしい学校」のお風呂って、のどかにゆっくり入浴休憩したい人の穴場ですよ!(山本豊美)
2007-08-29 03:53:00 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
続々夏祭り・人形劇の町飯田
日本国内外から300にのぼる人形劇団が集まった飯田市。「人形劇で町おこし」はどんな具合だったのでしょうか・・・。私の目で見たフェスタの様子はひと言で言って、「凄いスター劇団は存在しないものの、アットホームなつながりで細々とやっている人形劇団は多いんだな」というものでした。4日の人形パレードの様子だけ見て言っているのですけれど・・・。
劇団の人数は多くなくて、でも団員のあたたかな笑顔、沿道の人々へのサービスが印象的でした。

沿道に座っていた老夫婦とのふれあい。おむすび人形?

劇団員は華やかなピンク色の揃いのTシャツで。白い人形を引き立ててますね。

裸の少年の人形。どんな物語の主人公でしょうか・・・。
日本の各地から飯田に集まった劇団の人々の熱意。そして迎える飯田市の、実行委員会の人たちを核とした大勢の人々の応援。皆、とても暖かいなと思いました。
「生身の人間以上のドラマ性(宿命)を持った人形の姿」に見とれ、その人形のたどる運命を見ることでカタルシスを味わう。それが人形劇を見ることのキモだと思います。
もう一つ。
飯田を訪れた1週間後の8月11日、神奈川県の篠原(シノバラ)にある大石神社の人形浄瑠璃を見に行きました。神社の境内は夕方から人で埋まっていました。

ほとんどが地元の人でしょう。茣蓙を敷いて陣取った家族や親類縁者がご馳走の載った折箱や皿を囲んでお酒を酌み交わしながら夕方から浄瑠璃の開演を待つ。その姿に、「江戸期から日本の庶民の楽しむ姿というのはこうであったろうな・・・」という郷愁のような、興奮を感じました。

出し物は「釣り女」。もっと舞台の近くに行って写真を取りたかったのですが、人で埋まっている辺りを進めず、遠いところからの写真でごめんなさい。

浄瑠璃語りの太夫は竹本駒之助師匠。人間国宝であられます。写真左から2番目。きちんと撮影に臨む姿勢が無かったなあと後悔しきりです。(望遠レンズも用意してこなかったし、こんなに人が集まるのだという事前情報把握もしなかったのでした。)
篠原は過疎の村です。でも年に一度の大石神社の人形浄瑠璃の日に村中の人が集まってこうして村の伝統を味わう日をもっているのだと知ってらやましい気持ちがわきました。「過疎でいいじゃないか!伝統を楽しむには過疎に限る!」などと思ってしまいました。

村の出店。テント2張の出店だけど、お客さんは満足そう。
「いいだ人形劇フェスタ」も、来年2008年は30周年で、「世界の人形劇フェスタ」を開催するとのこと。世界中の人形劇団が集まってくる・・・!どんなことになるのかな・・・。
今からわくわく。
「いいだ人形劇フェスタ」を飯田市が興したのは、飯田には人形浄瑠璃の人気の座が2つあり(「今田人形座」「黒田人形座」)、飯田の人々が愛して守り、受け継いできたということが大きな要因でしょう。
伝統の人形芝居と、現代の人形劇。そのコラボも面白い飯田の人形劇フェスタ。
来年も「いいだ人形劇フェスタ」にじっくり足を運んで見たいな。(山本豊美)
2007-08-21 22:41:57 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
おらが湊鐵道応援団
茨城交通が経営している湊鉄道が利用者の減少・経営難などを理由に廃線の危機にさらされています。茨城の勝田駅から阿字ヶ浦駅までの14.3kmを9つの駅で結んで走るローカル電車です。大正2年に開業し、平成16年には90周年を迎えた由緒ある鉄道です。
2005 年の12 月、茨城交通からひたちなか市に2008 年3月にも「湊鉄道線を廃止したい旨」の申し入れがありました。市はこれを受けて関係者等で組織する『湊鉄道対策協議会』を立上げ、市長自らが会長となって、湊鉄道線の維持存続対策・利用促進策・財政支援策を協議しているところですが、沿線住民も存続運動にたちあがりました。
その熱心な住民運動を生んだ湊鉄道はどんな鉄道でしょうか。取材してみました。

2007-08-15 22:42:43 この記事のURL 「もっと楽しむためのバリアフリーとは」
お盆あれこれ

■お盆とは?
お盆は毎年七月十三日から十六日まで4日間行われます。正日は十五日です。「地獄の釜の蓋が開く日」とか「先祖(亡くなった近親者)の霊が帰ってくる日」などといわれ、精霊を供養する期間とされています。
お盆は本来は盂蘭盆(うらぼん)といいます。梵語の《ウランバナ》を漢字に音訳したもので、盂蘭とは苦悩を救うの意、盆とは器のことです。すなわち百味百果と称する様々な供え物を盆器に盛り上げて先祖や死者の霊を家々に迎え入れ、ご馳走して慰める(供養する)仏教行事です。
起源は仏説盂蘭盆経にあり、釈迦の十大弟子である目蓮(もくれん)が、死んで地獄に落ちた母を、釈迦の教えに従って七月十五日(自恣じし=仏僧が互いに懺悔しあい解悟する行=の最後の日)に仏僧たちにたくさんの食べ物を施し、供養したことによって救うことができた、という言い伝えに典拠しています。盂蘭盆の習慣は、日本人の死後観や祖先崇拝の民間信仰の中心的な行事として古くから行われてきました。(始まりは推古天皇の時代604年、すなわち日本の国が仏教を受け入れたときから)
■お盆はなぜ7月、8月とわかれているか
東京で七月に盆の行事を済ませ、八月に帰省してまた八月盆に加わる、という立場の方も少なくありません。なぜお盆は地域で七月と八月に別れているのでしょうか。
お盆は七月十五日を正日とする行事で、それを新暦にあてはめるか、旧暦に従うかということの違いですが、伝統的に新暦七月十五日にやるのは、東京の、二十三区内の、そのまたせまい地域に限られています。もっともこれは今から二十年くらい前までのことで、東京圏の広がりに伴って七月派の輪は最近では近郊県まで広がりつつありますが。しかしながら大都市といえども東京以外は、大阪でも京都でも名古屋でもお盆は全国的に八月です。
わが国が新暦(西洋暦)に移行したのは、明治五年の改暦断行によりますが、いくら当時の外国列強に伍してゆくための近代化とはいえ、なんのまえぶれもなく発表されたことで当時の国内の混乱は大変なものだったようです。政府は新暦を徹底させるために暦(カレンダー)の作成権を官が独占し(私暦の禁止)、旧暦の併載を認めず、旧暦というものを国民に忘れさせようと努めました。これに即座に従わざるをえなかったのが政府の目が利くお膝元の東京都心部で、正月も盆も当初から一ヵ月早めて新暦に移されました。
(和菓子の喜屋HPより)
2007-08-15 17:11:53 この記事のURL 「まちぐるみで子育てを応援」
続・夏祭り 人形劇の町飯田
飯田の町の目抜き通りを人形劇団がそれぞれの劇団のスター(人形)を押し立ててパレードし、沿道の人々と触れ合います。17時半ごろJR飯田駅前を出発すると聞き少し早めに待機しました。
人形たちのパレードに先立って人々のパレードが行われました。

ブラスバンドのパレードに日本の祭りの血の騒ぎ方と違うところでの興奮を感じました。
いよいよ人形パレードの始まりです。

赤鬼・青鬼が先手を切って登場。向こうに見える赤い屋根は飯田駅舎の屋根。可愛い駅ですね。

木の切り株人形(?)がこの劇団のスターのようです。

劇団なのかブラスバンドなのかちょっと識別しがたいですが、人形パレードを彩ってくれてます。

上の劇団(?)ブラスバンドと他の劇団とにこやかな交流。

沿道の人々も人形とのふれあいに沸き返ります。

人形に迫られて(?)逃げの姿勢の女性。この人形、人形を繰る男性と面差しが似ていますね。人形って作った人に似るんですね。下の写真も見てください。

これは和尚さんでしょうか?着物を着た男性。人形と本人とどちらが主役?

ちょっと休憩。着ぐるみを着た人はこの暑さの中大変そう。人形の顔は中の人の苦しい顔を反映してませんが・・・。
「いいだ人形劇フェスタ」のリポート、ちょいと一区切り。人形パレードはまだ続きます。お楽しみに。(山本豊美)
2007-08-14 03:56:44 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
夏祭り・飯田は人形劇の町
たまたま4日は「第26回飯田りんごん」が開催される日で町をあげてのお祭りムード。JR飯田駅から商店街へと続く中央通り、それと交差する並木通り、銀座通りが歩行者天国となり、たくさんの出店が出て焼イカやフランクフルトなど美味しい臭いを漂わせていました。
飯田市のお祭りが「飯田りんごん」と呼ばれるのは、りんごの名産地というところからきています。りんご並木が飯田の町を横切っていました。

「並木通り」に林立したりんごの樹の中でも一番の古木。樹齢50年以上。傍らの説明に「アメリカから渡ったりんごの樹」との説明書きが。
メインは夜7時からの踊り。曲も振り付けも市民が創り上げた踊りで誰でも気軽に踊りの輪に参加できるものです。
また愛宕神社で花火の打ち上げも行われます。「いいだ人形劇フェスタ」は2日〜5日の4日間開催されるのですがたまたま私は飯田の一番賑やかな日にきてしまったようです。
私の滞在した時間は昼から夕方にかけてでしたが、夜の踊りの熱狂「飯田りんごん」を待つ静かな熱気が町を満たしていました。歩行者に解放されたストリートで太鼓演奏やよさこいソーランなどの踊りが披露され大勢の人が見入っていました。

浴衣姿の若い人たちが多いなあ。飯田市は小京都とも呼ばれています。町並みがとても歩きやすい。おしゃれな一角もあります。

「蔵の街飯田」とも言われている飯田の町。まちなかに昔の蔵のたたずまいをよみがえらせた建物がありました。
こんな素敵な町だから、若い人が浴衣を着てぶらぶら歩いてみたいという気持ちを起こすのかな・・・。地域おこしに町並みのたたずまいは重要ですね。

りんご並木と蔵の並ぶ飯田の町にとけこむ太鼓うちの晴れ姿。

飯田駅からの中央通りの交差点ではよさこいソーランが披露されました。

その先、銀座通りではヒップポップダンスが披露されていました。

銀座通り商店街のショーウィンドゥの中にマネキン人形と相対峙して飾られている浄瑠璃の人形。

人形がガラス越しにストリートダンスをそして見物人をじっと見つめているみたい。古くからの伝統の人形芝居が今でも飯田の町に息づいている姿のように思えました。
飯田市には「今田人形」と「黒田人形」という2つの人形浄瑠璃の座が続いてきています。

ショーウィンドーの中で琴を爪弾く浄瑠璃の人形。この人形が動くお芝居がみたいなあ。「いいだ人形劇フェスタ」期間中、浄瑠璃も上演されるのかな・・・。
残念ながら前日の8月3日に上演されてました。4日は無し。
「いいだ人形劇フェスタ」は今年で9回目。カーニバルから通算29回目。日本全国から、また海を越えて外国から、300に上る人形劇団が参加しました。観客数は昨年の数字では46,787人ということですから、人口107,072人の飯田市にすれば、「いいだ人形劇フェスタ」期間中、市の人口の半分近くの人が市の内外から訪れて人形劇に触れるわけです。
4日の「飯田りんごん」の踊りとその前奏の太鼓やダンスといった路上での競演、それと「人形劇フェスタ」!飯田の町の人たちは一時にこんなにたくさんの楽しみを詰め込んで準備に大変だったでしょうね。
「人形劇で町おこし」と意気込む飯田市。一年前この町を訪れたときは「そばで町おこし」の飯田市の顔をこのブログでお伝えしたのでした。
いろんな顔を持ち前向きな飯田市。来るたびにさらに深く知りたくなる町です。
昼間から飯田のお祭りムードにすっかり酔ってうろうろしてしまいました。「いいだ人形劇フェスタ」に集まった人形たちの姿もお伝えしなくては。それは次回に続きます。
(山本豊美)
2007-08-08 02:05:56 この記事のURL 「農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨」
ラジオ体操
子どもたちの夏休みも中盤になりました。夏休みで思い出すことのひとつにラジオ体操がありますね。
最近ではわが地域でも夏休みに限らず、近くの公園で有志の皆さんが集まりラジオ体操をやっています。多摩市保健・医療計画部会(けんこう多摩手箱プラン作業委員会)会議要点録に、ラジオ体操についての記述があります。
「ラジオ体操を定期的に毎日、雨の日以外できれば、その中から色々な知り合いができる。すばらしい方がいることを知る。そこからコミュニケーションを広げていける。」
「中高年期は、自分の好むスポーツ無理のないスポーツ(中略)高齢期では、ラジオ体操に来て友達を作ってもらうこと。」
というように、地域での仲間作りのツールとしてこのラジオ体操をあげています。
以下の情報はウィキペディアで検索したラジオ体操についてのものです。
■ラジオ体操の起源
学童の夏季休暇中は、全国で早朝に町内会や自治会が主催するラジオ体操の会が催されている。日本の夏の風物詩の一つ。

ラジオ体操自体は、1928年に当時の逓信省(現在の日本郵政公社)簡易保険局が制定したのが始まりで、同年11月1日に天皇の御大典記念事業の一環として放送を開始した。正式名称は国民保健体操。1925年3月にアメリカのメトロポリタン生命保険会社が、健康増進・衛生思想の啓蒙を図るために考案され、広告放送として放送されていた(世界初の)ラジオ体操がもととなった。
・ラジオ体操第一
1951年制定。同年5月6日放送開始。一般的にはラジオ体操といえば第一のことを指すことが多い。事務職向けの体操と言われている。 (作曲:服部正)
・ラジオ体操第二
1952年制定。同年6月16日放送開始。 ややテンポの速いメロディで、第一より運動量が多い。 主に小学校高学年〜高等学校で使われている。作業などを行なう現業向けの体操と言われている。(作曲:團伊玖磨)
・ ラジオ体操第三
1939年に制定されたもの(同年12月1日放送開始。1946年4月13日をもって放送中止(1945年8月15〜22日の間も放送中止))と、1946年(同年4月14日放送開始。翌年8月31日をもって放送中止)に制定されたものがある。現在では利用されていない。
2007-08-06 20:00:00 この記事のURL 「まちぐるみで子育てを応援」
音楽ボランティアゆっぴーず
特定非営利活動法人ゆっぴーずは埼玉県春日部市周辺を中心に活動する音楽ボランティアサークルです。
主な練習会場である内牧地区公民館へ取材に伺いました。
ドアを開けると、「おしえて(アルプスの少女ハイジ)」の明るい歌声が部屋いっぱいに広がっていました。ゲゲゲの鬼太郎、バンビ、象さん、と子どもの歌が続きます。次回の演奏は春日部市児童センターでのエンゼルコンサート。子どもとお母さんがお客さんです。リクエストに応えて歌い演奏する〜特定の音楽ジャンルにこだわらず、お客さんが楽しめる音楽を〜というのが「ゆっぴーず」の活動理念です。
代表理事の藤井さんは「お客さんが演奏にあわせて嬉々として踊ったり一緒に歌ったりしてくれるときに、私たちの取り組みは役にたっているんだな、と感動と充足感を覚えます。これは、演奏家として『いい演奏をする』だけでは得られない感動です。」と活動の喜びを語ってくださいました。
ゆっぴーずは、あくまで「自分たちが何をやりたいかよりも、何をやればお客さんが楽しんでくれるか」を優先する団内なのです。」(藤井さん)
2007-07-25 07:44:07 この記事のURL 「コミュニティビジネスでまちを元気に!」

- 自分も幸せにする福祉活動
のんびるリポーター:佐々木 和恵 - コミュニティビジネスでまちを元気に!
のんびるリポーター:田中 幸枝 - シニアにとっての食育ー鎌倉の台所からー
のんびるリポーター:浅越 美枝 - まちぐるみで子育てを応援
のんびるリポーター:山崎 礼子 - 身近な国際協力に参加しよう
のんびるリポーター:鈴木 由利子 - 農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨
のんびるリポーター:山本 豊美 - セカンドリーグ!自立して生きる女のガイド
のんびるリポーター:矢口 峰子 - もっと楽しむためのバリアフリーとは
のんびるリポーター:徳重 富士子 - 地域デビューでキラリ輝く
のんびるリポーター:吉田 和子 - 誰でも通る、延命治療、終末期医療
のんびるリポーター:松尾 陽子 - こころが、ちょっとほっとする地域活用法
のんびるリポーター:成相 陽子 - 最新!高齢者福祉と医療&美容
のんびるリポーター:中澤 まゆみ


