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ツバルの映画 へのお誘い
のんびるリポーター鈴木由利子さんのブログで、このツバルの映画が紹介されています。海抜が1メートルのツバルは地球温暖化の影響で海面下に沈みつつあり、頼りの飲み水の雨も降水量が少なくなり、深刻な現実問題となって立ちはだかっています。このツバルのドキュメンタリー映画が各地で反響を呼んでいます。
自主上映主宰を希望される方への情報もあります。この映画は「生きている映画、成長する映画」なのだそうです。見た人の思いが映画を成長させるとのこと。映画をきっかけに、世界の縮図とも言えるツバルの現状について、環境問題について、学んでみるいい機会ではないでしょうか。
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YOKOSO! JAPAN WEEKS 2008
国土交通省は、平成14年、日本人の海外旅行者が約1,600万人であるのに対して、日本を訪れる外国人旅行者は、その3分の1以下の約500万人に過ぎないことから、その格差をできる限りはやく是正しようと決定しました。

そのため、「外国人旅行者訪日促進戦略」の一環としてビジット・ジャパン・キャンペーンの実施が決定されました。「2010年までに1,000万人の訪日外国人誘致」を実現するための活動が開始され、今年も1月20日から2月29日の期間、“YOKOSO! JAPAN WEEKS 2008”と銘打ってそのキャンペーンが行われています。現在日本にはそれぞれ異なった形態を持つ大手の通訳案内士の団体が三つあり、私はそのうちのひとつ、全日本通訳案内士連盟(JFG=Japan Federation of Certified Guides http://www.jfg.to/)に所属しています。この団体は通訳ガイド、通訳、翻訳など、9ヶ国語での外国語サービスを有償で提供している国家資格を持つプロ集団です。このキャンぺーに協力するべく、私たち通訳案内士(通称通訳ガイド)は日本の歴史・史跡・伝統・習慣などをよりよく理解してもらうために有名観光地に立って、ボランティアで一日フリーサービス(無料)のガイドをしました。
2008-02-19 09:01:07 この記事のURL 「もっと楽しむためのバリアフリーとは」
いにしえの国際交流の足跡を訪ねて〜羊太夫の伝説
古代に半島から高い技術を持った人々がこの辺りに多く移り住んだということに興味があり、ちょっと調べるうちに「羊太夫」という伝説が出てきて、何なのだろう?と思ったことが訪ねたきっかけです。多胡碑は、宮城県の多賀城碑・栃木県の那須国造碑とならび、日本最古の三石碑の一つだそうです。
「多胡」という地名は、胡人がたくさんいる土地ということですが、胡とは、弦楽器の二胡(胡弓との混同は間違いとのこと)などで知られるように、中国からシルクロードの先、アジア西域をさしています。従って、この地域から中国を経て日本に渡ってきた人の多くいる地域ということになるようです。この地名は成田空港の近くにもあり(多古)、私の住む近くの神奈川県中央林間にも多胡記念公園があります。おそらく群馬県のこの地域から他方に移動して行ったと思われます。
まず、群馬県安中市、学習の森にある、「ふるさと学習館」を訪ねました。町の中心地からはずれ、のんびりした丘陵に建てられたこの施設は、これまでに何回か足を運んでいるのですが、清々した気持ちの安らぐ場所です。そこで渡来人についての資料などを尋ねましたら、学芸員の大工原氏方が、新参者にもならない私のような者に詳しく講義をしてくださいました。地元の方でもあり、次々に資料を出して説明して下さり恐縮至極でした。
また、お昼ご飯に勧めて下さった、この学習館のすぐ近くのレストラン「とねりこ」では、ちょうどオーナーの方がいらっしゃり、この学習の森で行われる多国籍の方々と一緒に楽しむ祭りのこと、ご自身も日中交流に力をいれておられることなど、いろいろお話ししてくださいました。このレストランはお座敷列車を改造したダチョウ料理がメインのレストランで、車窓から山々の景色を眺めながらの食事は、ちょっとした旅気分。エスニック風のダチョウのカレーを美味しくいただきました。
さて多胡碑ですが、711年に上野国の片岡郡、緑野郡、甘楽郡を分割して多胡郡が作られ、そのことを記念して作られた碑です。 分割の理由は、甘楽郡の勢力の大きさを懸念した中央がその力をそぐためだったとのこと。八高線はいわば渡来系の人材バンクであり、その中でも甘楽郡は織物、牧場がさかんで6世紀の榛名山の爆発でも傷つかず、力をつけてきたことが、大和朝廷に反乱の元になると怖れられたとのことです。
碑に彫られている2文字「給羊」の解釈については、羊とは方角、渡来人、中央から遣わされた郡司など、様々に論議されてきたようですが、「給羊」 を 「羊に給(きゅう) す」 と読み、羊という人物を郡司とし、新しくできた多胡郡に遣わせた、とするのが定説になりつつあるようです。
「羊太夫伝説」でも、この「給羊」を、郡司のこととして語られているようですが、碑の中の「給羊」とは切り離して、伝説の人「羊太夫」とは、誰なの?について大工原氏に伺いました。氏のお話しでは、羊太夫とは、運送業を生業としていた物部氏(中央とは直接関係のない)とも考えられるとのことです。
羊太夫伝説では、最後、羊太夫が謀反を企てているという嫌疑をかけられ、大和朝廷国府軍に追捕されることになっていますが、当時甘楽郡北部で広大な牧場を運営し、蝦夷征伐から戻ってきた集団を受け入れ、運送業を手広く行っていた物部氏も、その勢力の大きさを朝廷に怖れられ、国府の追捕を受けます。追われた物部氏は、甘楽郡から分かれた多胡郡の地に逃げて立て籠もったとのことです。
この地域から出された蝦夷征伐は出羽の国で、ここはすみやかに平定され、出て行った民は地元に戻ってくるのが早かったとのこと。行くときは農民だったのが、戦いの方法を学んで帰った彼らは、いわば戦士の集団、あるいはならず者の集団、農民には戻らず、牧場に集まったとのこと。また、当時の牧場には製鉄所(馬具の製造)や、釜業、皮なめしなどの工房もあり、技術集団を囲っている大きな複合施設でもありました。軍馬をたくさんもち、運送業を行い、広大な範囲に勢力を広げていたのが、中央政府に怖れられたのでしょう。
蝦夷のアテルイが地元で英雄であったように、この物部氏も地元では人気があっただろうと想像されます。元は大陸から渡ってきた技術集団と土着の荒くれ者たちをまとめて、抜群のカリスマ性のあった頭領。馬に乗って疾走する姿が目に浮かぶようです。地元では、この多胡碑は羊さまのお墓として親しまれているとのことです。 (鈴木由利子)
2008-02-18 11:16:28 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
ツバルの映画 へのお誘い
フィジーの少し北に位置し、品川区くらいの面積に人口は1万人ほど。バチカンを除くと、独立国の中で最も人口の少ない国だそうです。9つの珊瑚島からなる小さな島国は、環礁といわれ、幅の狭い土地が輪のような形で、美しい海面に浮かんでいます。1978年にイギリスの植民地から独立した時、8つの島にしか人が住んでいなかったので、国名は、ツ(TU)=立ち上がる、バル(VALU) =8 となったそうです。
ツバルは今温暖化の影響で海面下に沈みつつあり、住民に深刻な不安を引き起こしています。海抜が1メートルのこの国は、すでに満潮時で50センチの海面上昇があり、それに加えて温暖化の影響を受け、常時浸水する面積が広がっているとのことです。また砂浜も高くなった波にさらわれ、その面積は減少しています。砂浜にあった椰子の木は根元から倒れています。また、これも温暖化の影響で、飲み水として頼っていた雨が降らなくなり、それも深刻な死活問題となっています。かつて使われていた井戸は海面上昇により、井戸に海水が入り使えなくなったそうです。
このツバルの状況をNPO法人宇宙船地球号の事務局長山本敏晴氏が視察して映画になっています。この映画は、今週末にはJICA地球広場で上映会があります。ただし今回はほぼ予約で満席状態とのこと。ですが、これからいくつか上映会が予定されています。(一般公開は、5月4日はJICA横浜)、また自主上映主宰者も募集されています。興味のある方は、こちらで詳細をご覧下さい。
山本氏がこのツバルのこと、温暖化についてOur Planet-TV の番組”Contact”の中で語っておられます。この番組の中で、日本も他国事ではなく、このまま温暖化が進み最悪のケースを考えると、例えば東京では、東京湾沿いのかなりの多くの地域が沈没するといる怖い予想が立てられています。
二酸化炭素排出量を国別で見ると、一位はこれまで米国でしたが、2008年には中国になるとのこと。1人当たりの排出量一位はやはり米国、日本は8位で、中国の一人当たりの3倍出していることになるとのことです。
「私たちが個人レベルでできるエコライフは?」という質問に山本氏は「モノを買うとき、それが本当にどうしても必要なものかどうかを考えるということ。余計なものを買わなければ企業も作らなくなる。工場から排出される二酸化炭素が減るようになる・・・」と提案なさっています。衝動買いはどのみち良くないですね〜
2008-02-12 01:17:31 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
映画上映会へのお誘い 「それでも生きる子供たちへ」
ベトナム、ラオス、カンボジアなどの国々で厳しい状況下で生きる子どもたちの教育・文化支援を行っているエファジャパンは設立3周年を記念して映画「それでも生きる子供たちへ」の上映会と上映会後に対談(エファジャパン理事長のイーデス・ハンソンさんと、国際子ども権利センター代表理事の甲斐田万智子さん)を行います。
◆日時 2008年2月2日(土)13:30〜17:15
◆第一部◆上映会 映画「それでも生きる子供たちへ」
◆第二部◆対談 イーデス・ハンソン×甲斐田万智子
◆参加費◆一般:1,500円 エファジャパン会員:1,300円 学生:1,000円
※前売り:1,200円(学生:1,000円)チケットぴあにて12/10より発売(Pコード 553-382)
◆会場◆ シネマ・ジャック&ベティ(上映会・対談 共)
横浜市中区若葉台3−51
(京浜急行線 黄金町駅より徒歩3分)
上映する映画「それでも生きる子供たちへ」は、ジョン・ウーやスパイク・リーといった映画界の巨匠たちが、両親の別離、ストリートチルドレン、HIV胎内感染、少年兵士など、7つの国の子供たちの現実を、7つの国の監督たちがドラマチックに描いたオムニバスストーリーです。
この映画の発端は2002年、イタリアの有名な女優マリア・グラッツィア・クチノッタ、キアラ・ティレシとその友人で、イタリアパートを監督したステファノ・ヴィネルッソが、世界中の子供たちの窮状を救うための映画を作ろうと立ち上がったことが始まりで、イタリア外務省の協力、国連の二つの機関、ユニセフ、WFP 国際連合世界食糧計画の参加も、企画の実現に大きな役割を果たしたとのことです。(HPから抜粋)
7つの作品の内、作品に対する監督の思いをいくつかHPから抜粋転載します。
「アメリカのイエスの子ら」 監督は常にアフリカ系アメリカ人を取り巻く社会の現実を見せる作品を撮り続け、日本でも人気の高いスパイク・リー監督。
「HIVに感染している子供たちは、両親が事実を一切話してくれなかったらどうなるかを想像してみた。そして、彼らが自分の病気を知ったら、彼らの生活はどうなるのか・・・・。これは、地球規模の問題なんだ! 世界中の子供たちのことがとても心配だったが、何も具体的なことができなかった僕にとってこの企画を持ち掛けられた時はとても光栄に思い、嬉しかったよ」とコメントしています。
「タンザ」 アルジェリア生まれのメディ・カレフ監督は、この作品について「この映画のように、毎日戦いつづけている子供たちがいるということを、世界の人々に知ってもらいたい。彼らの多くが親を虐殺され、自分自身のアイデンティティを求めている。ヨーロッパの何不自由ない子供とは全く違うんだ。彼らは、戦争へ行くことが誇らしく、喜ばしく、手榴弾や銃をもらうことがプレゼントだと思っているんだ。そんな世界に心が痛むよ。だから僕はこの映画を通して、そこで生きる子供たちのことを語る機会を持ててとても嬉しかった」と語っています。
「ビルーとジョアン」
監督は、スラム社会の映像化への知識が深く、映画『シティ・オブ・ゴッド』の共同監督を務めたカティア・ルンド監督。「世間が意識しないか、あるいは普通は哀れむような生活を、新たな視点で見ることを、この映画で伝えたい」とコメントしています。
「ブルー・ジプシー」
サラエボ生まれのエミール・クストリッツァ監督は、この作品について次のようにコメントしています。「僕の祖国のように問題の多い国では世間から存在を忘れられた子供たちが多くいるが、そんな子供たちを浮き彫りにしたいと告げられたとき、この企画に参加できることを光栄に感じた。
子供たちのことを考えているうちに 彼らにとっての自由は、僕たちが考えている自由と反対の意味を持つということを知ったよ。彼らは金を使い果たしたときや冬の寒い季節には、軽犯罪を犯すことで刑務所に戻ろうとするからだ。僕は自由よりも刑務所を好む社会的レベルの人があまりに多いことに驚き、これがきっかけで、『ブルー・ジプシー』という映画を、自分なりのやり方で作るべきだと思うようになったんだ」
他の作品の詳しい紹介は映画の公式ページをご覧下さい。
(鈴木由利子)
2008-01-27 21:22:54 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
ダグラス・スミスさんのお話しから−2
ダグラスさんは、「100人村」の読んだ方の反応は3つあるとおっしゃいます。
1.「ひどいところに生まれなくてよかったね〜!」という自己満足で終わる。
2.「ショックを受ける」そこから「何かしなくては、生き方を変えなくては」と、考える過程が始まる。
3.「自分たちの貧しさが豊かな国の中でたくさん読まれてベストセラーになっていることを、貧しい国の貧しい人たちが知ったらどう思うだろう?」といった疑問をもつ。
この文は、どうして世界がこういう状況になったか、どうしてこの状況が維持されているのか、どうすれば解決につながるかには一切ふれず、その部分は読者に任されています。
どうして世界がこういう状況になったかを考える時、「貧しいのは、経済発展が遅れているからよ」「豊かなのは産業革命が早く始まったからだ」と考えてしまうおそれがありますが、そもそもこの考え方がいつ始まったかというと、画期的なシナリオがあったのです。
1949年1月21日、アメリカ大統領トルーマン氏が演説の中で、初めて「underdeveloped countries」という言葉を使い、「未開発国家」という新しい定義が付けられたことから始まりました。これを境に、学問的に「発展経済学」が爆発的に力を持っていくことになったそうです。それまでは”underdeveloped”と言えば、カメラのフィルムについてしか使用されなかったそうです。(現像されていないという意味)。
近年「発展途上国」「後進国」という言葉を使うと、「開発されていないから遅れている」ということになり、それがそのまま、その国の定義に使われてしまっていますが、もとを辿るとこの演説で起きたパラダイムの転換にあったわけです。
世界を把握する言葉として、第二次世界大戦前までは、「植民者」と「植民地」が使われていました。その解決策は植民者からの独立でした。大戦後、世界の分け方が前述の演説を境に経済中心の言葉になり、「先進国」と「後進国」に代わり、「貧しいのは、植民地で搾取されているから」ではなく、「開発が遅れているから」となってきましたが、言葉を換えても、行われていることは同じです。搾取の状況は変わっていません。
植民地主義からグローバリゼーションに代わりました。結果として貧富の差は縮まっていません。グローバリゼーションで新たな貧困が生まれ、「貧困の近代化」という矛盾が起きています。例えば経済発展によって作られた町の構造は高層ビルの近くにはスラムがあり、そこにはビルの掃除などで働く人々が暮らしています。
5000語くらいの言語が存在する多様な社会が「発展」「開発」という言葉を使うことによって、「ヨーロッパのもつ経済制度を持っているか」、「ヨーロッパのもつ経済制度を持っていないか」と単純に2つに分けられているのが現状です。しかも「持っている」ほうが少数派なのです。「開発」という言葉は思考を停止させるとダグラスさんはおっしゃいます。
「経済発展に頼らない豊かさとは何だろう?」すでに多くの方が頭を悩ませている難問ですが、ダグラスさんは、少なくとも、このようなことを悩む人を増やす教育がなされ、こういうことを公に議論する人が増え、たくさんの人が議論するようにならないと、答えは見えてこない、とおっしゃいます。
これを考える時、自分と結びつけて身近にあることから考えていくことができます。例えば100ショップでは時計が100円で売られています。作った人にはおそらく5〜7円、なぜ?と考えるのです。
またフェアトレード運動は、まだ小さな小さな種ではあるけれど、消費者が「できるだけ安いモノを買う」という、経済構造を破り、労働に見合う、正当な値段を第3者が決めるという、資本主義以前のヨーロッパ中世の考えかたを取り入れています。この運動に参加することは、経済だけではなく、プラス「倫理」を基本にすえる動きに参加することになります。
以上 ダグラス・スミスさんのお話しからでした。
ダグラスさんのお話しの後、席の近い人同士がグループになり、「自分達に出来ることは何か?」といったことを話し合う短い時間がもたれました。「とりあえず、夜更かしをやめて、電気の消費を控えることにします!」とおっしゃった方がいました。「そうだな・・ウチも全員宵っ張りだし・・・」大きなことでなくても、身近なことから何かを始める感性と考える力を養いたい感じました。 (鈴木由利子)
2008-01-18 16:05:52 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
「100人の村の未来を語ろう」〜ダグラス・スミスさんのお話しから〜
すでに多くの方が御存知の「世界がもし100人の村だったら・・・・」で始まる文は、もとはアメリカの環境学の教授が1990年、「村の現状報告」と題した小文の中で、世界をひとつの村にたとえ、人種、経済、政治体制、宗教などの差異に関する比率はそのままに、人口だけを1000人に縮小して説明したものだそうです。それがネットを介して伝えられる内に、100人に人数が減り、また部分的に削除されたり、逆に加筆されたりして伝えられ、2001年ころには世界中にひろまったとのことです。日本では最初に中野裕弓さんが日本語にし、その後池田香代子さんとダグラス・スミスさんが共同で翻訳し、本として出版されました。出版社によるオフィシャルサイトはこちらから見られます。
また、動画(NPO法人オアシスは中野さんの翻訳版)もこちらから見られます。
ダグラスさんのお話しは、日本語に翻訳するにあたって、「だから日本に生まれて良かったね!」という自己満足にならないような本にするための池田さんとのやりとりの裏話から始まり、徐々に「開発」に関するお話しに入り、最後は、この文には語られていない、「では私たちに出来ることは何か?」というところで締めくくられました。
まずこの文がネットを介してチェーンメールのように世界中に広まった理由は、私たちが一般的に100万以上の数字は把握できないので、世界を説明するとき「〜億」として説明するのではなく、100人にすると理解しやすい数字だったことがあげられます。しかし世界の言語は5000以上あると言われていますし、世界をたった100人にして把握するということは、所詮大雑把なメッセージでしかありません。しかしそれでも、マスコミの伝える世界観がいかに現実とは異なるかということは伝わります。
世界をコントロールしているのが誰かと見てみると、白人は30人、キリスト教徒も30人、アジア・アフリカ人は70人、全世界の富の59%を自分のものにしているのが全てアメリカ人で6人。つまり世界を支配している白人が、実際は少数派なのであり、マスコミの伝える世界感とは異なることが分かります。
ダグラスさんは、「この100人村の文を読んでショックを受けること自体が本当はショックなのであり、私たちの受けている教育がいかに幻想を教えているかということです」とおしゃいます。私も初めて読んだ時はショックでしたし、仕事でこの「100人村のコピー」を教材に使いましたら、「ええ!?」それから、しんみり・・・というのが読んだ方のおおかたの反応でした。そしてダグラスさんは、「『だから日本に生まれてきてよかった〜!!』では何もならない」とおっしゃいます。
ダグラスさんのお話し、次回に続きます。 (鈴木由利子)
2008-01-16 13:13:56 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
なぜ今海外協力?
「情報のグローバル化」「経済のグローバル化」・・・よく耳にする言葉ですが、海外協力活動に関しては、これまで「遠いところで起きていること」といったハードルのような壁がありましたが、それが近年あっさり崩れ、途上国との距離感はグンと縮まりました。情報のグローバル化による携帯電話の普及です。
例えばバングラデシュの農村を例にとると、ほんの数年前までは、農村と都会、都会と日本という情報経路で、農村との直接情報の入手は困難でした。しかし近年農村地帯は有線電話の時代を経ることなく、いきなり携帯電話の時代に入ったわけです。有線電話から携帯電話へのシフトに苦心することもなく、初めての電話が携帯電話なのです。
時差を除けば国内で話をするのと変わらない感覚で、日本と途上国の農村が直接個人同士でリアルタイムに連絡を取り合うことができるようになり、ユヌス氏のグラミン銀行からの融資で農村でも携帯電話を使った起業が始まっています。
経済のグローバル化は、途上国との関係に限らず、特定の国が風邪をひくと、他の国々が広く感染することは、実際近年のアメリカの低所得者向け住宅ローンの問題が、日本の株式にも影響を及ぼすなど世界的に波及していることからもわかります。
このように狭くなった地球の中で、これまで見えていなかった問題が見えてくるようにもなりました。例えばバングラデシュも日本の同じ社会問題を抱えていることが見えてきます。バングラデシュの農村の主は町に出て働くようになり、農村には子どもと母親だけが残り、コミュニティ崩壊の危機となっています。日本でもコミュニティが果たしてきた役割が崩壊し、地域での人間関係が薄っぺらになっていることが、子どもの成長過程に影響を与えているなど様々な問題に波及しています。現在両国ともコミュニティの再構築が課題となっています。
また共通点だけではなく、これまでの「援助のあり方」がズレていたことも分かってきます。マスコミで報道される途上国といえば、悲惨な状況ばかりがクローズアップされがちで、「可愛そう」と思って募金をした方が大勢いらっしゃると思います。途上国=貧しく気の毒な国という見方ができ上がっていました。しかし、実際の交流が増えてくるにつれ、そうではない、日本では失われた「モノに頼らない豊かさ」が途上国には有り、そこからこちらが学ぶべきことが多くあることも分かってきました。
また、金持ちに見られる外国人が途上国の現地に入ることで、現地で受け継がれてきた権力構造が崩れてしまったり、相手国のニーズの調査をすることなしに「不要なモノを施した」など様々な失敗の積み重ねから学んだことから、海外協力のあり方もこれまでの、「援助側」が「施す」といった上下関係の姿勢から「相手国と同じ目線で、共に学び合う」というように変化してきています。援助国が主役になるのではなく、援助国は「黒衣」に徹し、相手国を尊重し、同じ目線で付き合うことが国際協力の成功に結びつくというように変わってきています。これは日本国内での援助の仕方にも通じるところです。
一昔前までは情報不足でちょっと敷居が高かった海外協力活動もその気になればいくらでも情報を入手できる時代になり、どこかの団体に参加することも、自分で何か始めることも可能な時代になっています。
一応豊かな日本国内では接することの難しい「貧しいけれど、少しも惨めではない、生きる力のある子ども達」にも出会え、私たちは自分たちの暮らしを見つめ直したり、生き方を軌道修正したり、学びを得ることで「自分が変わることができます」。
それは国内での経験よりインパクトが強い分、気づきが大きく、「互いに学び合い」、「支え合う」、「与え合う」、「生かし合う」ということが実体験として得られる。それが国際協力活動に参加することの素晴らしいところです。
以上、シャプラニール=市民による海外協力の会事務局長坂口さんに窺いました。
(鈴木 由利子)
2008-01-04 19:57:00 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
ボランティア 事始め
今年はどんな年になるのでしょうか・・・「今の瞬間の中に未来がある」といったことを最近よく耳にします。なるほど・・・。ということは、今何かを決意し、何かに踏み出せば未来はそのような方向に向かって行くということですね。今年は何かボランティアを始めてみようと考えておられる方も多くいらっしゃると思います。
昨年暮れ、シャプラニール=市民による海外協力の会の事務局長坂口さんに、ボランティア活動を始めるに当たってのポイントなどを窺いました。
その1.まずは「チョイボラのすすめ」
どのNGO・NPOも団体によって活動内容も方法も雰囲気も全然ちがうため、できるだけたくさんの団体に実際に参加して信頼できる団体を探して見極めることが大切。「1回限りのボランティアでもだれも咎めたりしません」とのこと。まず地域の国際交流団体に行き、情報を集めることから始めるのもよいかもしれません。団体との「お見合い」、「お味見」を繰り返すことが重要だそうです。若い方は「お見合い」の練習??? シニアの方で「お見合い」が少なかった方はこの際もう一度チャレンジ???
その2.「理想に燃えないで!」
「あまり理想を描いて参加しないほうがいいですよ」とのこと。善意、チャリティ、正義といったキレイ事、絵空ごとで入ると、夢やぶれてうちひしがれて去るということにもなりかねない。「実際よくあるんですよ」とのこと。人間同士が集まっているのだからいろいろ問題があるのは当たり前。失敗もたくさんある。燃えさかったままでは出かけない方がよいかもしれません。
その3.「one step ずつ、最初は一から」
チョイボラをしてみてここにしようと決まっても「、少しずつ上がって行く方が良いです」とのこと。チョイボラから会員に、徐徐に参加の時間を増やし、経験を重ねてから役員に・・というステップを踏んだほうが、団体の中の人間関係がスムーズにいくからとのことです。いきなり「僕の机はあそこがいい」と言われてもね・・・とのこと。
では、信頼できる団体を見極めるポイントは?
1.情報が公開されているかどうか
2.組織が透明であるかどうか
3.民主的に意志決定がなされているかどうか
4.特定の財源に依存していないかどうか
5.ミッションを理解しているかどうか
自分に合った団体かどうかのポイントは?
1.ミッションが自分のしたいことと合っているか
2.年齢層はどれくらいか
3.宗教が関係しているかどうか
4.これが一番大切:実感・共感がもてるかどうか。
これまでテレビなどで海外の悲惨な状況が映し出され募金をしたけれど、そのお金がどう使われたのか、どのように改善されたか、いまひとつ実感がない・・・私もそうですが、そういう方がたくさんおられると思います。自分が関わることで、実際の状況ももっとリアルに身近に理解でき、共感することができますが、そのように感じられる活動をしている団体を見つけることが大切とのことです。
次回は「なぜいま国際協力なのか?」坂口さんのお話しの続きです。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(鈴木由利子)
2008-01-02 11:05:50 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
リメイクの楽しみ〜着物を活かす〜
[WEはWomen's Empowerment(女性たちが力をつける)の略です]
リメイクで古着に新しい生命を
販売収益を海外支援に
WE21ジャパンでは、神奈川県下35のWE21地域NPOと連携し、市民による品物寄付・ボランティア参加を中心としたリサイクルショップ「WEショップ」事業を推進しています。
WEショップ・旭では『着物フェア』の開催中。会場には、賛同者から寄付された着物が新しい出会いを待っています。洋服や小物などにリメイクしてされた作品も展示、型紙は販売されています。2007-12-28 22:45:12 この記事のURL 「コミュニティビジネスでまちを元気に!」
「ウガンダを食べよう」に参加して
まず「ウガンダ」という国名、名前は知っていても正確な位置となると、あやしい人がほとんどですよね。映画「ダーウィンの悪夢」の舞台となったビクトリア湖(ナイル川がここから始まっています)に接し、ケニア、スーダン、コンゴ民主共和国、ルワンダ、タンザニアに隣接する内陸の国です。
1971年クーデターにより政権を握ったアミン大統領は、1979年に失脚するまで恐怖政治を続け、その間30万人もの反体制派を虐殺しました。80年には新政権がスタートしましたが、その後も混乱が続き、現在でも反政府勢力が北部と西部の一部でゲリラ戦が繰り広げられています。
アミン政権が残した爪痕からの復興もようやく軌道に乗り始め、首都カンパラは携帯電話やインターネットカフェも普及する都会とのことです。しかしその近代化に伴い、新たなる貧困も生まれ、農村部においてもその貧しさは変わっていないようです。平均寿命が48歳。農村部の貧しい方の食事はほとんど芋ばかり、都市部の貧しい方の昼食はサモサ1個だけだそうです。これは春巻き1個と同じくらいです。
ハンガー・フリー・ワールド ウガンダチームによる「ウガンダを食べよう」は2〜3ヶ月に1回のイベントで、「在日ウガンダの方と一緒にウガンダ料理を作って食べ、ウガンダの貧困について知ろう」というイベントです。毎回17人前後の外部参加者があり、ウガンダの方と日本人スタッフがそれぞれ5人くらいずつ加わります。この日の参加者は、22人の外部参加者にスタッフ6人、ウガンダ人男性のみ5人、全部で33名と盛況でした。
2007-12-23 11:29:46 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
鎌倉で見つけた国際協力 / ジュンコ・アソシエーション
晩秋の鎌倉を散歩しました。
鶴ヶ岡八幡宮から荏柄天神社に向かう途中で滑川のほうに細道を下り、錦鯉が泳ぐ川沿いを報国寺に向かいました。紅葉も終わりかけの山々を見ながら歩いていると、突然目の前を大きな鷲?が翼を広げて飛び立ち、悠然と民家のほうに飛んでいきました。
観光シーズンが終わったこともあり、報国寺(竹の寺)も釈迦堂切り通しも訪れる人はまばら。切り通しまでの短い山道では台湾リスの大きな鳴き声がこだましていました。釈迦堂の切通しはトンネル状で、鎌倉市内の生活路として作られたとのこと、防御の観点から重要とされる七つの切り通しには数えられていませんが、他の切り通しにはない当時の雰囲気が残っているように思われ、若い時に「チゴイネルワイゼン」(映画)を見て、以来ずっと「切り通し」に憧れを抱いていた私は満足でした。(「通り抜けできない」という立て札が雰囲気をぶち壊しているのが残念でしたが・・・)
切り通しからの帰り道で、お店の入り口に並んでいる野趣のある陶器に惹かれ、和食器のお店「楽」に立ち寄りました。中に入ると、気の利いた塗り物や陶器、布ものがカラフルに並べられていてどれもお手頃な値段。親しみやすいお店でした。一角に山岳民族の織りもののバックがあったので、お尋ねすると、モン族(タイとミャンマーの国境辺に暮らす山岳民族)の製品とのこと。明治学院大学内 NPO団体ジュンコ・アソシエーションの協力で置いているとのことでした。他には、インドの職人さんによる手作りのビーズを日本の障がい者の地域作業所の方々が仕上げたネックレス、ベトナムからは貝の箸置き、水牛の角で出来た箸置きなどがありました。
JUNKO Associationを調べますと、このグループは、「世界の恵まれない子どもたちのために…」という、ある一人の女性の想いから成立したとのことです。
以下JUNKO AssociationのHPからの抜粋です。
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明治学院大学国際学部3年生だった高橋淳子さんはゼミで東南アジアの経済発展について研究中でした。夏に旅行でベトナムを訪れた彼女は現地の人々の優しさを感じるとともに、途上国の貧しさに直面し、「ベトナムの貧しい子どもたちのために何か役に立ちたい」という強い想いを胸に帰国します。
その想いをレポートにまとめ再びベトナムへ赴こうと思っていた矢先の12月、交通事故に遭いこの世を去りました。彼女の遺志を生かそうとご両親は淳子さんの積み立て貯金や集まった香典を提供します。
2007-12-17 12:56:20 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
映画 「ディック子ども達は海を見る」タイの子ども達の輝きに溢れています
すでに上映会は70か所を超え、延べ6,000人以上の方に鑑賞されています。じわじわと多くの人々に感動を与えているこの映画が、12月22日から渋谷の映画館「Q-AXシネマ」にて上映されるとのことです。
鈴木さんは映画の詳細と、映画の舞台の子ども達が学ぶ「メートー学校」の支援を行う、NPO法人「地球市民ACTかながわ」の活動について、2週に渡って紹介されていいます。記事を読むと、ACTかながわ代表の近田真知子さんがタイの山岳民族の子ども達を支援するようになったいきさつ、メートー校との出会い、映画監督であるアリヤー・チェムサイ監督のことなど、どれをとっても人と人の縁やつながりをしみじみと感じます。
映画は、タイの山の学校での子どもたちの生活を追ったドキュメンタリーです。この映画をみることが「身近な国際協力に参加」する第一歩になることでしょう。映画から学ぶことも多いことと思います。このすてきな「プレゼント」をもらいに、ぜひこの映画を見に足を運んでいただければと思います。
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難民の方にもあなたからのXmasプレゼントを!
独り寂しいクリスマスを迎えたことのある人は私たちの中にもたくさんいます。それでも日本国内にいれば言葉は通じます。ほとんどの人にはヒーターのある家があり、食べる物もぜいたくをいわなければ困ることもありません。友達や家族が居なくても、その気になれば話す人も探せば見つかります。
しかし祖国の迫害から逃れて避難して日本にたどり着いた人たちの中には、日本の言葉はわからない、法律も分からない、友達も身内もいない、住むところ、食べ物さえ十分ではない、持ってきたお金も底をつき、絶望の中、寒空の下でひっそり独りで過ごす人達がいます。周りが華やぐほど、人のぬくもりが恋しく、寒さがいっそう身に応え、それは私たちが経験したことのない、想像をはるかに越えた辛さでしょう。
祖国の迫害により日本に逃れてきた人は、その時点で「難民」であり、どの方も国際法で守られなければならない方達です。
「難民支援協会」はこの方達がこの冬を無事に乗り切れるよう、「冬のキャンペーン」を行っています。私たちが自分の国で差し迫った身の危険を感じることなく寝られる幸せを、どうぞ難民の方達におすそ分けしてください。
寄付の申し込みは以下からできます。
・クレジットカード
以下のページのクレジットカードのところをクリックして進んでくださ い。
http://ww w.refugee.or.jp/kifu/
オンライン決済サービス会社"PayPal"社のサイトに移動します。そちらで ご寄付金額と、その他必要事項を記入してください。
※PayPalのアカウントをお持ちでなくてもご寄付は可能です。移動後の画 面で金額ご記入の上、左下にある「続行」という文字をクリックすること で詳細情報入力画面に進みます。
※途中電話番号の入力を求められる場合がありますが、この情報は難民支 援協会には通知されません。
• 郵便振替
郵便振替口座 00100−0−132625
加入者名:難民支援協会
• 銀行振込
みずほ銀行 飯田橋支店
普通口座 8043319
• 現金書留:
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-7-2第二鹿倉ビル4F
難民支援協会「冬の寄付」係宛
※ 郵便振替もしくは銀行振込の場合、通信欄に「冬の寄付」とご明記くだ さい。
また、書き損じハガキや切手のご寄付も随時募っています。年賀状の書き損じなどどうぞこちらにお送り下さいますようお願いいたします。
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-7-2 第二鹿倉ビル4階
難民支援協会 鹿島・加藤宛
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以下は「難民支援協会」のHP「冬のキャンペーン」からの抜粋です。
2007-12-05 20:11:42 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
映画 「ディック子ども達は海を見る」タイの子ども達の輝きに溢れています
この山岳民族の村のメートー校が舞台となった映画「ディク子ども達は海を見る」が12月22日から渋谷の映画館「Q-AXシネマ」で上映されます。すでに昨年から全国各地での自主上映が始まっており、素晴らしい反響が寄せられています。予告編はこちらから見られます。
この映画のアリヤー・チュムサイ監督は、30代前半の、生まれも育ちも米国の女性。女優であり、ジャーナリスト、コラムニスト、大学の講師を務めるかたわら、ベストセラーを含む4冊の本を執筆し、社会貢献と指導力を評価され、タイ人女性として初めて「トウキョウ・クリエーション・アワード」を受賞している方でもあります。その上、美人コンテストでも優勝したという、いくつもの天分に恵まれた才色兼備の方。タイでは美人女優としても大変有名な方だそうです。その監督が映画封切りの22日と23日に舞台挨拶に来られるとのことです。
2000年、2月のある日、アリヤーさんが女優として海でロケをしていたときの事、彼女は、撮影現場のそばで、服を着たまま海の中に飛び込み、我を忘れて飛び回って喜んでいる子ども達の集団に出会いました。子ども達の驚きと感動に満ちたその喜びようは、一種異様でもあり、彼女はその光景に唖然とし,それは、そのまま彼女の喜びとなりました。「これが本当の人生の姿なのではないか・・・」と、彼女はその光景に満ち足りた幸せを感じました。
彼女は、彼らが誰であるかを尋ね、それが山岳民族の子ども達で、中学の卒業記念に20時間もバスにゆられて初めて海を見に来た子ども達であることを知り、近くのレストランで子ども達にシーフードチャーハンをごちそうしました。できればそのチャーハンを親にもって帰ってあげたい、といった様子で丁寧に礼儀がよく食べる子ども達の様子にアリヤーさんは更に心を動かされ、「この子ども達のかけがえのない、この輝きの一瞬を映画にしたい!」と強く感じました。そして山岳民族のことを深く知るようになると、貧困、麻薬、エイズ、学校に行けないといった、タイ社会の抱える問題が、山岳民族の抱える問題に凝縮していると分かり、この子たちの学校を映画にすると決め、ニューヨークに渡り、学校で映画シナリオを学びました。
NYからタイに帰国後、一緒に山に入る女性のカメラマンを探していたところ、広告代理店で仕事をしていたけれど、その仕事に嫌気がさしていたニサ・コンスリを紹介されました。しかしニサは、「女優のお遊びなんかに興味はない」と大女優の申し出をあっさり蹴ったのです。ところが、アリヤーはニサのそんなところが気に入り、「あなたのような方と是非組みたい」と食い下がり、二人の完全ボランティアの映画作りが始まりました。今では二人は大の親友とのこと。二人は2004年からメートー校に入り、一年間をかけて撮影しました。
その間TPAKの近田さんも何回かメートー校に行っていました。近田さんも映画の中で映っています。近田さんが、「彼女達は何をしているの?」と先生に聞くと、「物好きな方が撮影しているんだよ」といった具合で、何回かアリヤーに会っているけれど、近田さんはどのような映画になるかは知らなかったとのこと。映画は三人の生徒に焦点をあてながら、一人一人の夢と希望を描き、一年間のメートー校での生徒達の生活を追ったドキュメンタリーです。
2007-11-29 19:08:51 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
地球市民ACTかながわ TPAK
TPAKはタイ、ミャンマーの山岳民族、少数民族、インドの貧農村地区の子ども達の教育支援を行っていますが、1991年に代表の近田さんがアユタヤの孤児院を視察するスタディツアーに参加したのがきっかけでした。
その孤児院とは当時、名ばかりの施設に2000人ほどの孤児達がいて、大人に面倒をみてもらうこともなく、よい子とは限らない年上の子が小さい子の面倒をみている?という悲惨な状況でした。近田さんが、「どうして政府はこの子たちを放っておくの?この国には福祉はないの?」と尋ねると、「この子どもたちは山岳民族の子だからタイの国民ではない。だからタイの税金を使って救うことはできないのだ」という答えが返ってきました。
その悲惨さに衝撃を受けた近田さんは帰国後、友人とともに三人で各1万円を出し合い、計3万円を持って半年後、三人で再びタイに渡りました。山岳民族のことをもっと知ろうとして情報を集める内、チェンマイの奥にある小学校に熱心な先生がいると聞き、ミャンマーとの国境近くの山岳民族の村に入り、そこのメートー校を訪ねました。
そこで出会った山岳民族の村の子ども達もまた、食事も満足に与えてもらえず、学校にも行けない。将来の希望など何もないという極貧の状況の中にありました。親たちの中には、子どもはお寺に捨てた方が食事にありつけるだろうと考える親が少なくありませんでした。教育にしても、自分たちが受けなかったのだから子どもにも必要ないと考えるのが普通でした。また、親たちは遠くの畑で仕事をするため、家に戻ることなく畑で寝泊まりするため、家で老人の世話をするのは子ども達の仕事でもありました。学校に行ってしまうと困るという親達に、「子ども達にせめて初等教育を」と説得する熱心な先生のぐちを聞くことが、最初に近田さんたちにできることでした。
2007-11-23 02:05:20 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
韓国映画再発見!9本一挙上映の「韓国映画ショーケース2007」へのお誘い

韓国の今を伝える良質な映画が勢ぞろい
いつも刺激的な映画を配給してくれるシネカノンから、日本未公開作品8本+話題の新作の9本を一挙上映する「韓国映画ショーケース」のスケジュールが届きました。“韓流”ファンではないけれど、あまりにも魅力的なラインアップなので、お知らせしたくなって、急遽、アップすることにしました。上映作品を簡単に紹介しましょう。
韓国映画ショーケース2007
期間:12月8日(土)から12月14日(金)までの7日間。
会場:シネカノン有楽町1丁目(JR有楽町駅前 ビックカメラ7F)
先行特別上映(12月15日から全国ロードショー)
「カンナさん大成功です!」
2006年 監督:キム・ヨンファ 12月8日(土) 18:00〜
人気歌手アミの影で、彼女の“声”として歌うカンナ。歌唱力抜群なのに体重95キロの彼女には表舞台に出るチャンスはない。だが、思いを寄せていたプロデューサーに利用されていたことを知ったカンナは、全身整形をして運命を切り開く決意をする。鈴木由美子の同名漫画の映画化。主役のキム・アジュンは抜群の歌唱力で、韓国のアカデミー賞といわれる大鐘賞主演女優賞を受賞。600万人を観客動員した大ヒットとなった。
2007-11-12 18:28:06 この記事のURL 「最新!高齢者福祉と医療&美容」
"難民が作った郷”高麗郡を訪ねて

埼玉県日高市に用事があり、行ったついでに周辺を散策しようと、高麗郡を訪ねました。
その日は、まず用事を済ませてから市役所へ、玄関で観光案内地図をもらい、それから産業振興課へ。持ってくるのを忘れたレストランの場所をお聞きするためでした。関係のない建築課の方が気前よく、そのレストランのHPをダーと印刷してくださり、いろいろ親切に教えてくださいました。
まず高麗神社(こま神社とよみます)に直行。それから聖天院へ足を伸ばしました。古い道を歩いると、おそらく当時とあまり変わっていないのではないかと思えるほど、のどかで心が安らぎます。
日本人のルーツには諸説あるようですが、縄文系と、何回かにわたって異なるルートで大陸から移動してきた異なる民族の渡来系とに大別され、それらの混血により現在に至っているようです。
668年、半島では、唐と新羅の連合軍に高句麗が滅ぼされ、亡命の民が日本列島へ逃れ、関東各地に散らばって暮らすようになりました。高麗郡は、716年、朝廷が関東7ヶ国に居住していた旧高句麗の移民1799人を武蔵国に移したことにより設置されたのが最初とのこと。高麗郡は“高句麗からの難民”の開拓した土地だったのですね。

高麗神社は、高句麗王族とされる若光が、当時の朝廷によって武蔵国内に新設されたこの高麗郷の首長として就任し、関東各地から呼び集めた高句麗からの移民とともに当時未開だったこの地を開拓した、その偉功をたたえ、若光の没後その御霊を祀った神社です。湘南の大磯町にも高麗山があり、高来神社(もとは高麗神社と呼ばれていた)があることからすると、きっと関東全域に現在もたくさんの足跡があるのでしょう。
この時の亡命移住の前にも、長野には5世紀から6世紀にかけての高句麗式積石塚が多数分布し、狛、巨麻などの古代地名が日本各地にたくさんあります。交流はもっと古くからあったのですね。聖徳太子の師となった恵慈、紙と墨の製法を伝えたとされる曇徴らの高句麗のお坊さんも有名です。若光も高句麗が滅ぶ少し前に日本にきていて、既に朝廷から高い位を授けられていたとの説もあります。
2007-11-01 11:32:20 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
ハンガー・フリー・ワールド 「ひとつぶ募金」
ハンガー・フリー・ワールドの事務所を訪ね、笠原さんにお話しを窺いました。
5秒に1人が飢餓が原因で亡くなっています。8億5千万人が空腹のまま眠ります。私たちは豊かな日本にいて、飢餓で亡くなることはテレビのニュースにはなりますが、身近な話しとしては考えていません。ところが、日本と世界の飢餓は密接な関係があります。
日本で1年間に消費される食料の量はおよそ9000万トンで、そのうちおよそ5800万トンが輸入です。自給率はカロリーベースで40%を切りました。これは主要先進国の中では最低の数値です。こんなにたくさん輸入しているのですが、2000万トンが捨てられています。
この2000万トンの内約1000万トンがなんと家庭から出されたゴミです。(この1000万トンは食べられるものだけで、果物の皮や芯などは含みません。失敗作、腐ってしまったもの、食べ残し、そして手つかずのまま捨てられているものです)残りの1000万トンは食品メーカー、卸売り、小売業者、総菜屋、外食産業から出たものです。世界中の食料援助の総量は1000万トン。つまり、日本人が家庭で出す可食ゴミの総量と同じです。日本人の捨てる量を半分にすると、2600万人の人が日本人と同じ食生活をすることができます。
世界では充分な食料が生産されているのに、必要な人のところに届いていない現状があります。ひとつには貿易の問題があり、穀物は充分あるが高い時に売りたいので、高値になるのを待って倉庫にねむっています。あるいは生産国では換金作物を作って現金収入を得るために、かつては主食を作って畑が輸出用作物になり、そのため生産者が主食を食べられなくなっています。
また豊かな国の人々に肉を供給するために穀物が家畜飼料として牛や豚に回されている問題もあります。牛肉1kgにつき7kg、豚肉1kgに対し4kg、鶏肉1kgにつき2kgの穀物が消えています。世界のトウモロコシは年間生産量の約2/3までが穀物飼料に使われています。
豊かな国に暮らす私たちは、ここのところ、食の安全についての問題がニュースでもさかんにとりあげられるようになってきたこともあり、「どの産地、どの食材を選ぶか」という「選食」の問題への関心は高まってきました。しかし「どうやったら世界中の誰もが食べ物を確保」できるか、という問題までにはあまり関心が広がっていません。
食のあり方について関心を向けながら、一方では、食料の「確保もできていない」世界の現状にも関心をもってもらいたい。そのために、1日3食を食べられている私たちが、1食につき、10円をこういった人々におすそ分けの気持ちで回したらどうだろう・・・1日30円、1ヶ月でおよそ1000円。1000円あると、250人分の1回の給食費(1食4円)となる・・・「ハンガー・フリー・ワールド」はそのように考えて、1000円からの「ひとつぶ募金」を始めました。
「ハンガー・フリー・ワールド」は、バングラデシュ、ベナン、ウガンダ、ブルキナファソの飢餓に直面している人々を支援しています。通常の募金は食料材料費、機材費、人件費などに使われますが、この「ひとつぶ募金」で集まったお金は、すべてこれらの国々の栄養改善事業に使われ、学校給食、有機農業支援、赤ちゃんとお母さんの栄養改善、養蜂の指導などに当てられます。
「ひとつぶ募金」は1ヶ月1000円からの募金です。お申し込みはこちらからです。http://www.hitotsububokin.net/member.html
2007-10-16 21:24:46 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」
グローバルフェスタ報告−3 海外日本語学習支援協会・日本砂漠緑化実践協会

「海外には『日本へ行って日本語を学びたい』と願ってこつこつ日本語を学んでいる人たちが大勢いますが、先生も不足していますし、いい教科書や教材もないのが現状なんです。そういった海外の現状の中で日本語を学んでいる人たちのために何か役に立ちたい、という思いからこの「海外日本語学習支援協会」が設立されました」とのことです。
ここが作っている日本語の教材「ちょっと日本語」300円 がよく売れていました。大学の授業(ゼミ?)でも使われているとのことでした。中は入門のあいさつのから始まっていますが、字も大きく、書き込み式になったワークブックでたくさんスペースがあり、海外で日本語に取り組みはじめる人にとってはやる気のおこる使いやすい教材だなと思いました。

これから海外に行き日本語を教えようとする方には、「海外日本語学習支援協会」の頼りがいのある経験豊富なスタッフの方たちが、日本語教授法などに関して強い味方になって下さりそうです。
日本砂漠緑化実践協会http://www.sabakuryokuka.org/1-1.htmlの「故遠山正瑛初代会長と砂漠緑化の実績」と題したカルチャースクールワークショップに参加しました。故遠山氏の実績はNHKの番組プロジェクトXでも取り上げられた方で御存知の方も多くいらっしゃると思いますが、私は初めて知りました。このワークショップはプロジェクトXを少し見てからの説明でした。説明スタッフの方も実際に現地で植林をなさっている方々だったこともあり、とても面白く30分でしたが充実していました。
遠山氏の足跡はこちらのサイトの写真がよくわかります。http://www.yamanashi-nponet.jp/~desert/inochi.html
2007-10-13 20:24:02 この記事のURL 「身近な国際協力に参加しよう」

- 自分も幸せにする福祉活動
のんびるリポーター:佐々木 和恵 - コミュニティビジネスでまちを元気に!
のんびるリポーター:田中 幸枝 - シニアにとっての食育ー鎌倉の台所からー
のんびるリポーター:浅越 美枝 - まちぐるみで子育てを応援
のんびるリポーター:山崎 礼子 - 身近な国際協力に参加しよう
のんびるリポーター:鈴木 由利子 - 農業・地場産業の助っ人になろう!From山梨
のんびるリポーター:山本 豊美 - セカンドリーグ!自立して生きる女のガイド
のんびるリポーター:矢口 峰子 - もっと楽しむためのバリアフリーとは
のんびるリポーター:徳重 富士子 - 地域デビューでキラリ輝く
のんびるリポーター:吉田 和子 - 誰でも通る、延命治療、終末期医療
のんびるリポーター:松尾 陽子 - こころが、ちょっとほっとする地域活用法
のんびるリポーター:成相 陽子 - 最新!高齢者福祉と医療&美容
のんびるリポーター:中澤 まゆみ








