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<闇の子供たち>映画と本の書評から

2008-01-31 15:12:29

映画<闇の子供たち>
一般公開は春(2008年)のようです。現在は、東南アジア・タイ王国首都バンコクで撮影中とか。

原作 梁石日(ヤン・ソギル)「血と骨」の作家です。
監督 阪本順治
出演 江口洋介・宮崎あおい・妻夫木聡・佐藤浩市・鈴木砂羽 他
(この情報は、日本映画監督協会のホームページより)

社会学博士で評論家でラジオのコメンテーターもされている宮台真司さんが、ご自身のブログMIYADAI.com Blog に、映画「闇の子供たち」を熱く語っておられます。
↓が宮台真司さんのブログURLです。他の映画の紹介に続いていますから、ちょっと見にくいですが探してみて下さい。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=607

書評<闇の子供たち>
「本の言霊」というサイトに書いてある書評です。筋も丁寧に書かれていますので、内容がよくわかります。
http://www.shitamachi.net/wa/kodama/001.htm

書評の一部を転載しておきます。
――――――ここから転載――――――――
みなさんは国際児童年を覚えていますか。
世界のすべての子供たちの福祉の向上と人権が保障されることを目指し、国連で批准されました。もちろん日本も批准しています。
しかし、今でも多くの子供たちは強制労働や戦争、貧困、そして幼児売春によって苦しめられています。
日本人がアジアのある国で幼児買春をした罪で強制送還された事件は記憶に新しいところです。
今回紹介する「闇の子供たち」はタイの幼児売春の実態を余すところ無く書いています。
 舞台はチェンマイから約130キロ離れた北部山岳地帯から始まります。
主人公は8歳のセンラーと10歳のヤイルーンの姉妹です。日本にいれば遊び盛りの年齢ですが、すでに姉は8歳のときに売られて、売春宿で働かされています。妹も約3万6千円で売られていきます。父親は娘と別れを惜しむというよりは、あたかも農協に出荷する野菜のように売買の交渉をします。それが何か特別なことではなくて、村では当たり前なのです。
 需要と供給の関係から、児童売春にも世界各地にお客がいます。もちろん日本にも。
そのお客を喜ばすために、プロとして徹底的に仕込まれます。時には子供同士のセックスショーもやらされながら、あるいは、ホルモン薬を注射しながら。そして、そういう子供たちを本国に連れて帰り、手元において楽しみたいという大人もいるのです。
表向きは養子縁組ですが、まさしく性の奴隷です。実態は生き地獄。子供たちに救いは無いのでしょうか。
もちろん、現地の社会福祉センターの働きも描かれています。所長や日本人ボランティアの目覚しい活動に応援したくなります。しかし子供を売ることが当たり前になっている社会では、どうすることもできないのです。
やがて、当然のように子供たちは病に倒れていきます。
姉のヤイルーンはエイズに罹り、置屋を追い出されます。生きたままゴミ袋に入れられて、ゴミ捨て場に捨てられます。彼女はゴミ袋を破り、ゴミ捨て場の腐った食べ物を口いっぱいにほおばって、故郷に向かって歩き始めます。行きかう人は穢れたものでも見るように彼女に近づくことはありません。蟻や蜘蛛やゴキブリ等を食べながら、時には木の皮さえも口にして、やっとの思いで村に帰ります。そこで会えた父親から「人間か?」とナタを振りかざされるのです。そして村で檻に入れられてしまいます。もちろん手当てはしてもらえません。「あんた!あんた!ヤイルーンが蟻に食べられてる!」母親の叫び。父親はガソリンをまいて、娘を焼き殺してしまいます。
――――――転載ここまで――――――――
このあと、『私たちが躊躇するまもなく、妹センラーが臓器提供で売られていきます。当人には何も知らされずに。
誰かいないのか!思わず叫びたくなるような展開の中で、叫び声はむなしく消えていきます。』という文があります。
実は私がこのエントリーで書きたかったことは、臓器移植のために子供が犠牲になる、ことでした。

二十年近く前になりますが、私はカウセリングの勉強をしたいと思い、ある団体のカウンセラー育成の講座を受けたことがあります。最初ははっきりしなかったのですが、やがてその団体の最終的な目的が、臓器移植の推進と、推進に関わるところでのカウンセラーの育成である、ということに気づきました。
大変戸惑いました。私は臓器移植に対して、感覚的に「それはいいことなのだろうか?」という疑問に近い感情がわいてならなかったのです。
「臓器移植は、子供の臓器をとられる、という恐ろしい犯罪につながらないだろうか・・・」と震撼たる思いも強くわき、臓器移植推進への疑問は増すばかりでした。
お金のために子供を拉致して臓器をとる人間がいるかもしれない、と容易に想像がつく世界、社会になっていると、日頃から感じていたからでした。

こうした自分の素朴な疑問を無視することはできず、私は受講後のカウンセラー認定試験に最終まで残りましたが、試験の最後に提出するレポートに、医学の進歩と、それによる人間が受ける幸せを否定するものではないが、臓器移植に対する疑問と不安があり、もし認定されてもこの活動はできない、という気持ちを率直に書いて終わりました。

このたび宮台さんのブログで、映画「闇の子供たち」が公開されると知って、自分がかって、臓器移植は人間の命を救う大きな医療だろうけれど、一方で必ず子供が犠牲になる、と感じた経緯がありながら、いつの間にか、日頃特に思うこともなく今日まで生きて来ていたんだなぁ、大事な落し物ばかりをしているような自分の人生だなぁ・・・と思ったのです。

そういえば、臓器移植の問題は昨年、私も知っている郷里の宇和島徳洲会病院の万波医師が病気腎移植のことで悪徳医師と叩かれた折に、あらためて考えましたが、この時も、臓器移植には疑問があるが、万波医師を悪徳医師と決め付けることには否と言いたい、というところに止まり、子供の問題にまで思うに至りませんでした。

梁石日さんが「闇の子供たち」を最初に発表されたのは多分、2002年だと思うのですが、読んでいませんでした。今、茫々とするばかりです。
書評の作者は、このようにしめておられます。
【誰しもが持っている欲望。それこそが「闇」の根源であり、だからこそ救いようがないように思えるのです。
宮崎駿の「千と千尋の物語」でも、欲望の塊である「顔なし」が出てきました。
大人が作り出した世界各地にいる「顔なし」。それを救うのはやはり「千」には「ハク」がいたように、子供と共に笑い、涙する存在の必要性ではないでしょうか。
日本人ボランティアが子供たちに「さあ、みんなで食事を作りましょう」と言うところで物語は終わっています。】

この、【大人が作り出した世界各地にいる「顔なし」。それを救うのはやはり「千」には「ハク」がいたように、子供と共に笑い、涙する存在の必要性ではないでしょうか。】を借りて、私は自分に今、言い聞かせています。
そう、そうして各々が自分の感性を信じて生きるのだ、と。

リポーターの独言
このエントリーをここに挙げましたのは、問題を提示するとか、何らかを戒めようとか、そんな小賢しい気持ちはありません。
子供は、人権、命を保障され、福祉も向上すべきと国連が批准しながら、このような実態が”普通”にあるということと、自分では何も言わない非力な存在のものを守るには、大人の誰かの命がけの闘いがいるのだということ、を今更ながら自分に示したかったのです。

(佐々木和恵)

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