これまでの<介護☆同行二人 我が家の場合>に書きました通り、夫は二度の脳梗塞、一度の脳内出血をおこしていますから、入院は長く、またディサービスなど介護施設に通うことも何年も続いています。
その間、喜びにつながる人との出会いや親切や温かさをいっぱい体験しましたが、それに輪をかけて体験したのは悲しみに近いものでした。病気、というもの自体が悲しみになりますから、それは当然といえば当然かも知れませんね。
エレジー版 その1に書いたAさんとともに、何年も経ったのに忘れられない人が二人います。
夫がまだ点滴の管をつけていて、私は食事の介助や排泄の世話に、一日二回は病室に通っていました。隣のベッドがしばらく空いたと思ったらすぐに、50代とおぼしき男性が入院されました。その人は夫と同じ脳内出血の手術を受け、集中治療室から移ってこられたようで、頭には包帯がまかれ、手足に点滴の管が三本ほどありました。
夫の場合は、集中治療室から普通病室に移ってきた頃には、しゃべろうとしたり、手足を動かして意思を表わそうとしていましたが、その隣のベッドに来た男性は、ご家族が見えても、殆ど無言で横になっておられました。たから、私は『この方は何もわからなくなっているのだろうか』というような気持ちを持ちました。
その人のご家族もそうだったようで、奥さんと息子さんらしい人と、親戚の人らしい人が数人でベッドを囲んでおられたある日、耳を塞ぎたくなる内容の話をされ始めたのです。
お金の話です。息子さんらしい人が、「こんな病気になって金を湯水のように使いやがって、もういいかげんにしてほしいね」と言われたのです。
それから皆さんは帰られたのですが、その人たちの気配が消えた頃です。いきなり、隣の男性が、むくっと起き上がり、ベッドの上で仁王立ちになったのです。男性の点滴の管が、立ち上がった時に、プチッと音を立てて抜けたのか切れたのかはずれ、仁王立ちといっても身体は危なげに大きく揺れました。
私は驚いて、その人を支えようとそばに飛んでいきました。
すると、その人は、私に、「いや」というような声をもらして礼をされたのです。いかにも、「いや、大丈夫ですから」と言われたようでした。ですが、視線はすぐにご家族の消えた方に向けられており、眼は怒りとも無念ともつかない強い色が走っていました。
私は心臓が止まりそうでした。
『この方はみんなわかっているのだ、頭をやられて何もわからなくなった、と私たちが勝手に決めているだけだ』。
それにしてもなんとむごい光景を目の当たりにしたことか・・・今でも、あの場面を思い出すと冷静でいられなくなります。
もうひとつも、哀しい場面です。
かなり高齢のおじいさんでした。おじいさんは、痰がのどにつまるのを防ぐために喉を切られ、喉元に管をつけておられました。しゃべりたくてもしゃべれないのでした。
日が経って、喉の管がとれ、おじいさんは、看護師さんに励まされながら、言葉を出す練習をはじめられました。いかにも苦しそうに見えましたが頑張っていました。
そしてついに、声が出たのです。一声はなんと言われたのか私には聞き取れなかったのですが、看護師さんは、「わ〜、すごい、すごい、えらいえらい」とほめ、ほかの看護師さんも集まってみんなで拍手をされました。
おじいさんの嬉しそうな誇らしそうな表情。病室の付き添いにきていた私たちもみんな拍手をしました。
おじいさんは、その日から、何度も何度も、病室の前のナースステーションに向かって、「おーい、おーい」と声を張り上げました。そのたびに看護師さんが駆けつけ、「なあに?」と応えていました。
ところが、病院は人手不足でした。ある看護師さんが多忙のあまり、そのおじいさんに、「なんども呼ばないで!」と声を荒げたのです。おじいさんの顔が、一気に谷底に落ちたような表情になったのがわかりました。
それっきり、おじいさんは、「おーい、おーい」と言わなくなったのです。<エレジー、つづく>
(佐々木和恵)