『大地の子と地域医療』は、黒岩卓夫医師が、第13回若月賞を受賞された折りに開かれた記念講演のお話しを、自らまとめられたものです。
本の内容
医療に関する難しい専門的なお話だろうかと思ったのですが、読み始めるとすぐにその面白さに惹きこまれてしまいました。
文学青年のような芸術性、冒険家の持つロマン性を秘めた視線を含めつつ、医師としての理念、理想、情熱を根底に持って医療に打ち込まれた自らの足跡を書かれているのです。しかも、『少年の純朴さ』、そう少年そのものの溌剌とした精神がほとばしっている痛快さすら感じるのです。
と書くと、娯楽的な本なのか、と思われるかもしれませんが、そういう意味ではありません。
黒岩先生は戦争中、ご家族とともに満州開拓団の一員として満州に行かれており、戦後、妹さんと弟さんは満州開拓団から逃げ出し避難する途中、病と飢えで亡くなり、長姉さんのご一家は、北朝鮮で、夫、子供三人(一人死亡)と孫三人、計七人が1975年以降行方不明であるということです。
「大地の子」とタイトルにつけられたのは、ドラマで有名になった山崎豊子作の大地の子の陸一心と同じコースを辿って開拓団から逃げてこられたからなのです。
先生は、下のように記述されています。
『私は日本に帰り成長したが、私の心境からしたら「日本の子」にはなりきれなかった。なぜなら、満州開拓団30万人は、祖国日本に切り捨てられた棄民となったからだ』と。
ここからだけでも、この本がどのような重さをもった本かわかるでしょう。
そうなのです。この本は、戦後の悲惨な日本とご自分たちの姿を書いておられるのです。
それでも尚、面白い、痛快だと書いたのは、黒岩先生の、苦難や権力に屈しない反骨精神と、洞察したことを明快に表す潔さを称したのです。
人間性
敗戦後、日本に帰国され、医師となられ医療の道を歩んでこられたのですが、医療への情熱、理想の追求の魂もまた痛快と言うに相応しい輝きを放っておられるのです。それから、人間に対する視線の温かみ、豊かさ、自由さのようなものを感じ、読んでいるとなんとも言えない深い安心感のようなものを感じるのです。
例えば、越後で歌や三味線を弾きお金を貰って生きる盲目の女性たちは瞽女と呼ばれて、瞽女は悲しい負の存在のように伝えられていることが多いですが、黒岩医師は、このように記述されています。
「瞽女は、各地の情報のメッセンジャーであり、農村の女性たちへの癒しの受け手でもあった。」と。瞽女は、行く先々で、当時ただ忍従の中に働いていた農婦たちのグチなどを黙って聞いてあげたのだといいます。
そこで黒岩先生は、『旅芸人であった越後瞽女たちは、訪問ケアの原点ではないか』と書いておられるのです。
こうした視点の広さ、深さに感銘を受けるのです。