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介護☆同行二人<ダイジョウブか、介護人の頭>

2008-07-21 01:50:16

夫の微熱が三日ほど続いた後の夜高熱になり、翌朝、あたふたとかかりつけの病院に駆けつけました。認知症の夫は、週に一度しか診察がない神経内科で受診すると決まっているのですが、この日は、その神経内科の先生がいらっしゃらない日なので、カルテを内科に回していただきました。

結果、夫は肺炎に罹っていて入院したのですが、このエントリーで書こうとしていることはそのことではありません。介護人たる私のことです。

さて、この日、廊下のベンチに腰掛けて順番を待っておりますと、ほどなく、「ささきさーん」と名前を呼ばれました。「はーい!」と夫の車椅子(普段は車椅子は使わないのですが、熱のために歩行がおぼつかなくなり)を押して、内科の診察室に入りました。
こちらに顔を向けて待っておられた先生の顔を見て、『やや、Wさん、医師もされていたんですか』と言いそうになりました。Wさんにそっくりの先生だったのです。Wさんというのは、当セカンドリーグのんびるの編集をされている、私たちリポーターの上司にあたる方です。

この時の、『やや、Wさん』と思ったことが私の頭にこびりついてしまい、以後、八日間の入院の間中、その先生はFさんと言われるのに関わらず私は一度もF先生とお呼びすることなく、『W先生』と言いつづけたのです。

一度ならず何回か、ナースステーションの窓口で、「あのう、W先生こっちにいらっしゃいます?」「だからぁ、F先生だって言ったでしょ」と看護師さんに呆れられました。
当のご本人から、「ぼく、Wじゃないよ、Fだよ」とも何度も言われました。そのつど、「は・ははぁ、失礼しました!」と平身低頭謝るのですが、次に会うと、また、「W先生」と言ってしまうのです。

しまいには、「W先生」と呼ぶと、「はい」と答えて下さるようになりました。
これ、恥ずかしながら本当の話です。
私の頭はこんな始末になってしまっているのです。いやはや、どうしよう・・・と、マジで心配です。

何ヶ月か前にも自分の頭が心配になることがあり、大きな病院に行って脳のあらゆる検査をしたのですが、特に異常はなく、「介護による疲労とストレスが原因でしょう。ま、気をつけて下さい」とあっさりしたものでした。

ご家族の介護をされている皆様、お互いのんびりやっていけるように致しましょう。(ナンテ、簡単に言われる正論ほど介護人を追い詰めるものはありませぬが、ノンビリヤロウ、ノンビリヤロウと自分にジュモンをかけてみようかな、と)sinkaoi_fc_ninmari.gif

(佐々木和恵)

この記事のURLコメント(2)

Posted by 佐々木和恵 at 2008-07-25 00:05:44

ゲゲゲの鬼太郎さん、ようこそ! コメントありがとうございます! 含蓄深い内容ですね。老老介護から認認介護って・・・ギョェギョェ! 有り得る! と実感するからなおのことギョギョです。
キーワードは「笑い」・・・このこと肝に銘じておきたいです。

>これから「認認介護」の時代がやってくるのであれば、当事者の「認認老人」を囲む周りの人々が、おおらかさと笑いで受容すればいいのです。たとえ「私はまだまだ認知症じゃないわ!」と自覚していても「認知症」の仮面をかぶって、自分の生きやすい世の中にしていくというあの手この手もあり。長谷川町子の「いじわる婆さん」という漫画も実はそんな狙いを持った漫画だったのではないかしら・・・と思う今日この頃です。

ここを拝見して痛快な気持ちになりました。
水木しげるさんの名前にはそんな秘話があるのですか。いかにも水木しげるさんらしいですね〜。

いろいろ考えさせられる話題から、痛快な話題まで、ほんとにありがとうございます。明日は爽快な朝を迎えられそうです。

Posted by ゲゲゲの鬼姫 at 2008-07-24 20:04:58

介護による疲労とストレスが介護人をおかしくさせる事例を読ませてもらった感じです。「お互いにのんびりやっていけるように致しましょう」という正論ほど介護人を追い詰めるものはありませんが・・・という佐々木さんの独白も厳しい状況を覗かせてくれました。
私も認知症の夫と付き合う中、時々、自分も認知症に陥っているのではないかという事態に直面し、内心寒々とすることがあります。7月6日付け「朝日新聞」で「認知症2035年に倍増」という見出し記事があり、「老老から認認介護に変化」という副題がありました。老人が老人を介護する現状から次は認知症の老人が認知症の老人を介護する事態へと移行しつつあるといった予見(おこりつつある現実)の記事でした。
暗鬱なイメージを抱かせる見出しです・・・そうなるとすれば、私達はどうすれば乗り越えていかれるのかしら・・・。私は乗り越えていくキーワードは「笑い」だと思います。
佐々木さんの記事を読むと、幸いにも、名前を間違えられた医師も終いには「W先生と呼んでいいですよ」と譲ってくれていますね。

私は漫画家「水木しげる」が好きなんですが、彼の自伝を読むと、本名は武良茂(むらしげる)なのに住んでいたアパート名が「水木荘」だったため、漫画会社の人から「水木さん」と呼ばれた。何度も「僕の本名は武良茂です」と訂正したのだけどいつまでたっても名前を覚えてくれないので、面倒になって「じゃあ、水木でいいや」と思って「水木しげる」というペンネームの漫画家が誕生した、というエピソードが書かれており、笑えました。そんな話を読んだあとでは、人は、何度も名前を間違えられたなら「いいですよ、その名前で呼んで!」とふっきってしまうおおらかさもあっていいと思うのです。そういう人がたくさんいる世の中って生きやすい。これから「認認介護」の時代がやってくるのであれば、当事者の「認認老人」を囲む周りの人々が、おおらかさと笑いで受容すればいいのです。たとえ「私はまだまだ認知症じゃないわ!」と自覚していても「認知症」の仮面をかぶって、自分の生きやすい世の中にしていくというあの手この手もあり。長谷川町子の「いじわる婆さん」という漫画も実はそんな狙いを持った漫画だったのではないかしら・・・と思う今日この頃です。

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