寺子屋的塾で授業中の山中さん
二ヶ月ほど前のことです。「
茨城県・八千代町図書館司書、山中治雄さんの生涯 1<図書館が”ぼっち”になればいい>」に、一通のコメントをが入りました。
【私は25年ほど前、山中さんといっしょに神奈川県川崎市の小さな寺小屋的な子供たちのたまり場で、小中学生の勉強の手伝いをしていた亀井正樹と申します。山中さんが病であった知らせの後、亡くなられたことを知りました。
生前、本を愛し、子供たちを愛していた山さんが、郷里でこれほどの偉業に専念されていたことを、後からしりました。
当時、山さんといっしょに教育を志していた仲間たち、教え子たちとともにぜひ、図書館を訪ねたいと思います。なお、彼の墓前にもあいさつへいきたいのですが、お墓の場所をご存知でしょうか? お寺の名前だけでも知りたいと思っております。】
思いがけないコメントの主亀井正樹さんは、この後、メールで若き日の山中さんを、私たちの前にいざなって下さいました。
<亀井正樹さんのメール>
9月22日
山中さんとの出会いは、1985年、彼は27歳ころ、私が20歳のときです。
川崎の小さな借家に開かれた、子供たちの寺小屋的塾でともに小中学生に勉強を教え、遊び3年間の短い間での付き合いでした。
本を愛し、子供を愛し、その時代に最も求められる教育者的存在だった山さんは、それは子供たちから慕われ、親たちからも信頼されていました。
時として、夏休みの子供たちの為に、「24時間テレビ」ならぬ「24時間授業」というユニークな企画をたて、昼夜塾に張り付き、好きな時間に駆け込んでくる子供たちを手伝ったり、夏のキャンプ合宿では、率先して川に入り、山を歩き、自然に触れ合う機会の少ない都会の子供たちに、自らの少年時代の体験を伝授するなど。常に子供の視線を大切にしてきた人でした。
彼の若かりし教育者としての日々は、私も相当数写真に収めてきました。
1988年、故郷の茨城へ帰るとき、山さん自身としては、川崎を離れることに相当の葛藤があったようです。私も、山さんはいつか、川崎にもどってもう一度子供たちとともに・・・。
そう考えていましたが、後年「故郷でやっておきたいことがたくさんあって・・・」と多くを語らなかった山さんが、茨城で地域に図書館を建てようという、偉業に専念されていたとは、私も知りませんでした。
「体の調子が悪くて」と手紙に書いてきたのですが、昨年、年賀状の返信がなかったので、「筆不精の山さんらしいなぁ」と思っていたら、前年の夏に亡くなっていたと聞き驚きました。
山さんの足跡を訪ねているうち、みなさんのホームページ(当ブログ)に出合った次第です。
川崎の仲間たちや、教え子たちにも連絡をとり、みんなで山さんに会いに行こう。そして彼が願っていた図書館を見に行こう。と今考えています。
亀井正樹
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10月18日
メールをいただきましてありがとうございました。
あれから、早速北島さんへ連絡をとりましたら、こころよく山中さんのご実家へ電話していただき、私のことをお伝えいただきました。
現在、かつての仲間たちに連絡をとり、みんなで図書館の見学と山中さんのお墓参りを計画中です。おそらく年末か年明け頃となりそうです。
二十数年まえ、川崎の小さな寺小屋塾で山さんから勉強を教わり、遊んでもらっていた子供たちも、既に30代をすぎた立派な成人となり、連絡がつかない教え子たちもいます。
しかし皆、山さんが故郷の結城で、地域の皆さんとともに町の図書館を作ろうという運動をしていたとは知らず、驚いていました。
当時、山さんは都立大学を卒業後も都内に住んでおられたようで、私たちの寺小屋的塾「あらぐさ教室」には、どなたか先輩の紹介で訪ねられて来た記憶があります。
ここでは小学校4年生から、中学3年生までの子供たちに勉強や遊びを教えていました。なかには学校になじめない子、体が不自由な子もいっしょに来ています。ひとりひとりの様子にあわせながら、集団の自治を形作っていた場所に、山さんも熱心に子供たちの中へ入っていました。
その頃に撮影した写真をお送りします。
誰かが連れてきたノラ猫と一緒に授業をしていました
クリスマス会で子供たちと遊んでいる山さんです
亀井正樹
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みんな、なんて素敵な笑顔でしょう。一点の曇りもない澄み切った山中さんの笑顔と生徒たちの姿は、まるで映画のスクリーンの中で、今も生き生きと学び遊び笑いあっているようではありませんか。
「人間の価値はお金や栄誉ではない、心だ」と、多くの人が口にしながら、実際は、貧しく、地位もなく、失敗した人や、異質な生き方をする人たちに、冷酷で無関心な現代。・・・こんな時代に、一本の細いろうそくの灯りのような生涯を終えた山中さん。
でもその細い灯りこそ、人の心の奥の奥の奥まで静かに届き、本当の生きる力になるのだと、私は真実思います。
※写真は、亀井正樹さんが撮影されたものです。
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リポーターの独言
山中さんの生涯を書きながら、どうしても自分のこの十数年を思い起こさないではいられませんでした。自分の苦しみにとらわれ、閉塞的な孤独感に苛まれて、人に背を向けていた自分の姿。
この時期、私に少しでも人や社会に心を開く広さと強さと優しさがあったら、山中治雄さんと人間としての出会いを得られたかもしれないのに・・・この悔いに、何度涙が溢れたかしれません。
でもこうしてささやかながら、山中さんの生涯を書かせていただいたことを幸せに思っています。
亀井正樹さん、貴重な写真とメールを、本当にありがとうございました。
教え子の方たちとお墓参りをされます時は、ぜひお知らせください。
(佐々木和恵)