1995年1月17日のあの朝のことを、地震に合わないところで暮らしていた皆さんは、どのように思い出しますか?
私は、二階の自分の寝室で目覚めると、いつものようにFMラジオのスイッチを入れました。すると、クラッシック音楽が流れてくるはずのラジオが、「○○町の△△さん、□□さんに連絡をして下さい」というようなことを次々と言っているのです。私はてっきりドラマの放送をやっているのだと思いました。BGMも何もなく○○町の△△さんとひたすら呼びかけているそこに、張り詰めて緊迫した空気が漂っているのを感じ、『朝っぱからなんだかすごいドラマを流しているなぁ』と苦笑すらしました。
それから、いつも聴いていたFM音楽に直そうとラジオをいじりました。何かの拍子に設定が動いたのだと思ったのです。
でも、番組設定はいつもの通りになっていました。
この時、はじめて、『なにかおかしい・・・』と感じ、テレビを観るために階下に急ぎました。
そして、神戸の惨状を知ったのです。8時ごろだったと思います。
私はその後、あまりの現実に押しつぶされ、自失の感覚でいたという気がします。テレビを観るのも怖かったです。直視することなどできませんでした。
私は四国の出身ですから、親戚や昔の友人知人の多くが関西方面に住んでいましたが、その人たちのために力になることもできませんでした。
地震の日からしばらく経って、兵庫にいる従姉妹に、どうしていいかわからず見舞いを送るだけで、復興や生活の役に立てないことを詫びましたら、従姉妹がこう言ったのです。
「何言うとるん。当たり前や、そんなこと。うちら、当事者になってしもたから、生きなあかん、立ち直らなあかんと、やらないけんことを必死にやっとるけど、立場が違うたら何もできんよ。役に立たんでごめん、なんか言われたら困るよ」
この「シロのいた町」を読んだ時、従姉妹の言葉を思い出しました。
『当事者になってしもたから、生きなあかん、立ち直らなあかんと、やらないけんことを必死にやっとる』
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では、「とらやよしみ作:崖の上の家」「高浜直子作:とうがらしの花」「古本博子作:シロのいた町」をご紹介しましょう。