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「いま、戦争と平和を考える」 日本ペンクラブのシンポジウムより

2007-02-14 08:41:18

2月6日、日本プレスセンターで、「社団法人 日本ペンクラブ」主催の「いま、戦争と平和を考える」というシンポジウムが開催されましたので行ってきました。のんびるブログの私の担当は、「福祉」「介護」ですから、「戦争と平和」を取り上げるのはどうかと思ったのですが、何事も平和あってのことです。「平和」のテーマは全てに通じます。・・・というわけで、今回はそのシンポジウムの様子をリポートします。

まず、国際ペン事務局長ジョアン・リーダム=アッカーマンさんと日本ペンクラブ会長井上ひさしさんの対談です。
テーマは、戦争と平和を考えるという主軸にしたがって、ペンを持つものとして、自分は何ができるか、何をしたか、何をしていくか、というものでした。

ジョアン・リーダム=アッカーマンさんは、体験を交えたさまざまな話をされましたが、特に主点とされているのは、「真実のストーリーでなくてはならない。真実のストーリーとは、イデオロギーやプロパガンダのためではなく、自分の魂が真実感じたこと、見たことでそれを表さなくてはならない。」という発言に顕れていることではないかと思いました。
人権問題で世界を駆け自分の目と心を通して人や物事を見通し、数々のノンフィクションを発表されているだけに、お話しぶりや身のこなしは優雅で美しく穏やかながら、その言葉には研ぎ澄まされた説得性があり、聴衆の方々は共感ととともに感動と直接的な刺激を受けられたようでした。

井上ひさしさんは、夕張の崩壊をこう書きたい、というプロットを明かされながら、アイロニーをこめたウソ作りのような仕立ての中から、真実を浮かび上がらせたいのだ、ということを力説され大きな拍手がわきました。


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ジョアン・リーダム=アッカーマンさんのプロフィール
作家・ジャーナリスト。国際ペン事務局長兼副会長。国際ペン獄中作家委員長、国際ペン財団の理事を歴任。
正確な情報と地球規模的視野に定評のあるクリスチャン・サイエンス・モニター紙の元レポーター。
ノンフィクションの著作により多くの賞を受賞。雑誌や定期刊行物に、小説、随筆を発表。代表作に、”Tha Dark Path to the River(川への暗い道)”、”No Marble Angels(大理石の天使はいない)”。
Human Rights Watch(アメリカの人権擁護団体)理事なども兼任。人権問題を専門とする。(シンポジウム当日のプログラムより)
さて、続いては、井上ひさしさん阿刀田高さん浅田次郎さん新井満さん堀武昭さん吉岡忍さん、そして、司会の高橋千劒破さん、紙面の参加の松本侑子さん、以上の方々による、シンポジウム「戦争と平和」 −私はこう考えるー

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お一人づつ、三分間の持ち時間で、それぞれの「戦争と平和」を語られました。新井満さんは、ジョン・レノンのイマジンを訳された、「自由訳・イマジン」の一節の朗読をされました。

お話はみんな面白く、またもっと発信されたいものがあるはずだと感じ、三分間の制約が気の毒に思え、聴く側にとってはもったいない短さでした。
私にお話の要約を書けるほど書き取りができていませんので、ここに内容の紹介できないのが残念です。ごめんなさい。

日本ペンクラブのURLは http://www.japanpen.or.jp/

リポーターの独語
この日本ペンクラブは、組織嫌いの私が唯一所属している文学の会です。なんでこの会に入会したかと言いますと理由があります。
かって、永山則夫という連続殺人犯で死刑囚だった人が、獄中で、「無知の涙」という凄絶な自分の生い立ちを書いて発表し、文学関係の会に入会を希望しました。が、彼が望んだ会は彼を受け入れなかったようです。
その時、日本ペンクラブがT氏たち何人かの作家の意見で入会を許可したようなのです。当時、このことを私は報道で知り、えらく感銘を受けました。自分もこう生きたい、というような感銘です。(いえ、殺人を肯定しているということではありませんよ。)
このことがずうっと残っていて、私は知り合いは一人もいなかったのに、自分の出版物を送って入会を申し込んだのでした。

・・・長々と自分のこんなことを書いてなんだ? ですが、言いたいことはこれからです。このような私にとって、「戦争と平和」を、過去にあった戦争を語ることが、平和につながる、絶対的な価値あるものか?と、一抹の不安のようなものとともに思うところがある、ということなのです。
この思いは、このシンポジウムで感じたということではなく、常日頃感じていたということであり、今回ここに書くのは、この機会に普段の思いを書いておこう、という気持になったことです。

一見、平和に思える日本の国。自由にものの語れるこの国。・・・でも、ひとつ、何か、特別な問題を抱えた時、平和で自由であるはずの場が、戦場に見えることがある、ということです。
平和を望むことを語るということは、過去の戦争を語っているだけでは済まないのです。今、どう、生きるか、ということだと日頃の思いを新たにしました。イラクの泥沼化を目の当たりにしているだけに、自分たちの足下を自分たちで戦場にしていくことがある自覚とともに、です。

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