私は別の個人のブログで、認知症の夫の様子や介護にまつわる自分の気持などを書いています。それに対して、私と同じように認知症のご家族を介護している方から、コメントをいただくことがあります。
そうしたコメントのやりとりを、介護者の実体験として記事にしました。
<私がブログに書いた記事>
■脳の損傷
さっき、夫が観ていたテレビを後ろからのぞいたら、所ジョージさんと内山理名さんが司会をして、かなり昔に、ダイナマイトの爆破現場で事故にあい、頬から脳に直径3センチの鉄材が貫通した男性が、その後、人間性がわがままな子供のように粗暴になったと、再現ドラマでやっていた。
番組が言いたかったのは、事故で脳が損傷した男性の状態ではなく、その後男性は、粗暴な振る舞いが三年間ほどでおさまり、後は穏やかになり、社会生活を営むほどに回復したというのだが、それはなぜか、ということのようだ。
彼は、事故で頭の前頭葉の部分を損傷したのだったが、その後、子供の頃の記憶にある環境で療養したそうだ。この環境は彼にとってはストレスのない環境で、そのことで、新たなニューロン(脳神経細胞)が生まれたのではないか、それで回復したのではないか、というのである。
これがもし、前頭葉でない脳幹の損傷であればこのような奇跡はおこらなかったこと、また脳の回復は、別の部分が損傷したところを補って回復するが、このように新たな脳神経細胞が生まれて回復するというのは新発見、というようなことも言っていた。(私はたまたま部分的に見ただけで、解釈が間違っているかも知れないが)
なぜ大昔に死んだ人のことがわかったかというと、この男性、ゲイジを爆破事故の時に治療した医師が、ゲイジの死後頭蓋骨を保管し、原因の解明を後世に託していた。そして最近になってどこかの何かが(?)調べたのだというのだ。
以上が番組の内容であるが、私がこの番組を観て思ったのは、ストレスばかりの環境にいて耐え続けていると、性格そのものが歪むというのは常識のように言われているが、それは、脳の細胞そのものが欠損する、ということだろうか? ということだ。ストレスがない環境にいたことで、新たな正常な細胞が生まれるのなら、逆もあるということだ。
<M氏のコメント>
佐々木さんこんにちは。お久しぶりです。体調が悪くあまりお伺いできませんでした。佐々木さんもますますきついところに踏み込んで行かれてるようで、心配です。
さて、この記事のことですが、私の今の興味にも関わっているところであります。やはり、脳障害と認知症(痴呆症)とは分けて考えるべきだろうと思います。脳障害者の行動に対する外圧的なストレスを負荷していくと認知症にいたることはじゅうぶんに考えられることです。
三好春樹という介護士は、佐々木さんと同じような疑問を出していましたね。脳の研究はずいぶん進んできて、妻の担当医に聞きますと、脳の分布的な役割分担はもうほぼわかっていると言います。だけど、脳外科医の範囲を超えるものとして、ではなぜ意識が発生するのかということについては、今もコギトの時代も変わらないのが現実のようです。
最近テレビによく出る脳学者の茂木健一郎という人が新潮社から出ている「考える人」という雑誌に仮想の系譜という連載をしていまして、それをよく読んでいました。少し毛色の変わった小林秀雄論とかモーツアルト論とか書いていました。ただ何が変わっているのかというと、意識の問題を意識として追求するのではなく、それらは脳内現象だという前提が現代的といえば言えるのですが、それ以外は対象に接するに伝統的な手法というか古典的な接近の仕方なのでかえって驚いた覚えがあります。つまり、実証的な研究の成果によって対象に到達する最短距離は示されるかもしれませんが、未だ起こりうる事象は解釈に委ねられているということです。私は今せっかく世捨て人のような生活を余儀なくされているのですから、妻と向き合いつつこの辺りを彷徨ってみようと思っております。
<私の返信>
Mさん、興味深いコメントをありがとうございました。三好春樹さんの著書は一冊だけ読んだのですが、もしかしたらこの部分もあったかもしれないのに流してしまったかも知れません。(読み返してみなくっちゃ)
私がこの、環境によってニューロンの新生、再生、欠損があるのか? ということにとらわれだしたのは、この番組を観る以前から、漠然と感じていたのですが、それは自分自身のことについてなんです。
私は反発意識が強く、何事にも自己の視点に戻って物事を見る傾向があるのですが、そこに戻るまでは、自分を無にして従おうとするところがあります。父親との関係、結婚後の夫との関係においてそうです。私は潔癖症気質なので、この傾向は強く、私は尋常でないストレスに耐え続けていたところがあり、私の言動の殆どはここに起因していると、自分で分析できるのです。
そして、さまざまなことを思い起こしては考えて見ると、脳自体が、自分の環境に対応して形を変えたのではないか、と思うようになっていたのでした。
そして今日の昼間の所ジョージさんの番組をたまたま見て、やっぱり! という思いが湧いた、ということでした。
自分のことを別にして、夫の認知症を考えてもそのことに思い当たります。夫自身の本来的な脳の働きの形についても。
こうした点を知る本を見つけられましたら、ぜひ教えて下さい。
<M氏のコメント>
佐々木さん、こんにちは。私が認知症そのものに(介護の技術とかではなく)興味を持った時に啓発されたのが読売新聞で連載する三好春樹の小さなコラムでした。ここで読むことが出来ます。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/kokoro/
脳の働きに対する本はそれほど読んだわけではありません。
現在は三好春樹の著作に引用される主著を全部読んでやろうと思っています。
今読んでいる本は「関係障害論」雲母書房刊です。読んだ本は「痴呆論」「ウンコ、シッコの介護学」「介護の専門性とは何か」いずれも雲母書房刊。並行して「野生の思考」レヴィ=ストロース・みすず書房刊、「新装改訂版・心的現象論序説」吉本隆明・角川文庫(いずれも三好春樹に引用されているもので、フロイト、フーコー、ポンティーとかこの辺りは膨大にふくらみそうです)を読んでいます。
それとは別に関連して、へえ、面白いなあと思ったのは「免疫の意味論」多田富雄。出版された頃読んで、これから医学や技術の進歩によって思想とかの問題は変容せざるを得ないだろうと感じたことを思い出します。この方は脳梗塞で倒れられて大変な状態になり、医療制度の改正に抗議の声を上げられていますね。世界的な免疫学者です。養老孟司「唯脳論」いずれも青土社刊。これも出版されたときに読んで、ちょっぴり驚かされた本でした。
脳の本で面白かったのは「脳の中の幽霊」V.S.ラマチャンドラン、角川21世紀叢書。脳の錯覚、腕を失った人が鏡を使って認識するという有名な話を書いた本です。医学と技術の進歩は日進月歩なのでしょうが、今の脳科学の全容を平易に説明してくれる本としては「進化しすぎた脳」副題<中高生と語る大脳生理学の最前線>池谷裕二・講談社ブルーバックスはお薦めです。最近の本です。
あと私が読んだ本といえば、「前頭葉の謎を解く」舟橋新太郎・学術選書・京都大学出版会、「脳と心の地形図」「脳と意識の地形図」いずれも原書房刊、「意識とは何か」茂木健一郎・ちくま新書、「言語の脳科学」酒井邦嘉・中公新書ぐらいです。
(略)
自分の考えがまとまってきたらぼちぼちとブログか何かにまとめていきたいとなと考えてはいるのですが・・・。
<私の返信>
Mさん、こんばんは。やっぱりMさんの読書の質と量には驚かされます。凄いですね〜!
この中から図書館で借りれるものは借りてみたいです。特に今興味があるのは、「前頭葉の謎」ですね。
茨城に引っ越してきて、筑波大学があるので、何か勉強しようと思い、心理学の聴講をして、脳のことを少し学んだのですが、当時既に夫は一回目の脳梗塞を起こしたあとだったのですが、大分回復していましたので、認知症(痴呆)と結びつけて考えることもなくさっぱり残っていません。
今頃になって惜しかったなぁと思っています。
>自分の考えがまとまってきたらぼちぼちとブログか何かにまとめていきたいとなと考えてはいるのですが・・・。
ぜひそうしていただきたいですね。Mさんのやるべきこととしてまとめておかれるべきのように思います。学者さんの机上の論理ではない、共有感、シンパシーの持てる要素は家族を介護する者として救われますし。いつか取り組まれること願っています。
<M氏のコメント>
こんばんは。
(略)
迂回して迂回して結局自分の直感にたどり着くこともあるのですが、逆に正反対だったということも多々あるので。
(略)