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紙芝居 「わたしのお兄さん」井出裕子作・絵

2007-03-19 04:25:40

「わたしのお兄さん」は、紙芝居作家であり実演者でもある井出裕子さんが、障がいのあったお兄さんとの思い出を描いた紙芝居です。

わたしのおにいさん 脚本・絵 井出裕子

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ここに私が赤ん坊の頃、今から50年以上前の
古い写真があります。

私には4歳年上のお兄さんが居ました。
何枚かある、お兄さんと一緒に写った写真を見てみましょう。


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これは私とお兄さんが一緒に写っている最初の写真です。

近所のおじさんが映してくれたました。
そっくりかえっていてるのが私、
嬉しそうにしてるのが私のお兄さんです。

何故、ズボンを二枚はいているのか、というと
お兄さんは足が不自由で直ぐ転ぶからです。
ころぶとすぐどろんこになるから、
お母さんが
汚れてもいいのを上から履かせてたのです。

言葉も不自由でした。何度も覚えさせられ、自分の名前を
お兄さん「ががしまかじと(ナガシマカズト) 」
住所を
お兄さん「きたくたばたろぴゃあよんじーさんばんち(北区田端643番地)」と言えました。
でも、本当に迷子になったときは
泣いてばかりで役に立たなかったそうです。


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ご飯の時も良くむせました。
お兄さん「はっくしょーん」
ひろこ「あーきたないなあ。
    唾がとんじゃってこっちにきたじゃない。」


お兄さん「鼻出た、鼻出た」
お母さんが鼻紙で鼻を押さえてあげるとちーんとかみます。
一人で歩けない、鼻もかめない、
うんちしてもお尻の拭けない
何にも一人で出来ないお兄さんに
私はいつも威張っていました。
そしてみんなが「ボク」と呼ぶので
私も「ボク」と呼んでいました。


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だからある時、お母さんから
お母さん「ひろこはボクの妹なんだよ。」って言われたとき

ひろこ「裏のおばちゃんが
    『何でも出来てひろちゃんのほうが
    ボクよりお姉ちゃんだ』
     って言ったもの。」  
    「えーん、えーん」(大声で)
お兄さんは自分がお兄さんだと言われて凄く嬉しそうでした。
それ以来、私が我が儘を言うと
お兄さん「ひろちゃん、駄目よ。
     ひろちゃん、マママ」
と兄貴風を吹かせました。、
マママとは我が儘と言っているつもりです。


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これは私が幼稚園に入ったとき
友だちのお父さんに写して貰った写真です。
バラの垣根の前で
お兄さんも一緒に笑っています。
実は7歳になっても
お兄さんはどこの学校へも入れてもらえませんでした。
そのころは自分のことが一人でできない子は
養護学校も入れませんでした。
2年遅れて少しだけ小学校へ行きましたが、
みんなに付いていけないので、すぐ止めてしまいました。


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お兄さん「ぼくおおちえんに行ったよ。」
ひろこ「へー行ってませんね。」

お兄さん「ひろちゃん、べんきょうしなさい。」
ひろこ「うるさいなーもうやったもん。」

私が学校へ行くようになるとお兄さんはいつも留守番でした。
ささいなことでけんかを良くしました。
口げんかで勝てないと手が出ました。
手当たり次第に物を投げたとき
何かがガツンとお兄さんの頭にぶつかりました。
お兄さん「痛いよー、ひろちゃんやったのー」
   「お父ちゃん、帰ってきたら言いつける。」
ひろこ「ふーんだ、平気だもん。」


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夜帰ってきたお父さんが
お兄さんの頭を調べると切れて血が出ていました。
お父さん「見なさい、こんなに切れてるじゃないか!」
    「お母さん、赤ちん出して、
     全くなにしてたんだ。」

お兄さん「ひろちゃん悪いの。お父ちゃん、かんかんして!」
怒られたと事より
大変なことをしてしまって恐ろしくて私は泣きました。
ひろこ「ごめんなさーい。もうしません。」


お兄さんは一四歳の時、知り合い人の薦めで
保谷市にある小さな施設に入りました。


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あるとしの夏休みにお父さんとお兄さんと電車に乗って
千葉の海へ遊びに行きました。
お兄さん「こんちゃん、こんちゃん」
電車の中にメガネをかけた男の人を指さして言います。
次は
サングラスをかけた人を見つけ、大きな声で
お兄さん「いっこうかめん」と指を指します。
お兄さんはテレビの『月光仮面』や『とんま天狗』が好きでした。
ひろこ「あーやだやだ、はずかしい。」
そう言いながらも、お兄さんと出かけるとき
人にじろじろ見られるのはなれっこで
それほど恥ずかしくはありませんした。


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海では体が自由になるのかお兄さんは大喜び。
お父さんが浮き輪に風呂敷をくくりつけそこにお兄さんを乗せて
放り出して遊びました。
お兄さん「おとうちゃん、もっとやって、もっとやって!」
私に水をかけられても
お兄さん「おべたいよ(冷たい)」と
おおよろこびでした。


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ところが海で体が冷えたのか
帰りの電車ではお腹がゆるくなってしまいました。
行きはあんなに嬉しそうにしていたのに
帰りの電車にはつらそうでした。
ウンチが漏れて臭くなったのには困りました。
何度か途中の駅のトイレにに寄りました。

ひろこ「あーあ、ボクのせいで恥ずかしいよ。」
お父さん「そんなことを言うんじゃない。」

そのうちお父さんが免許を取って小さな車を買ったので
そのとき以来、お兄さんと電車に乗ったことは有りません。


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私が結婚して子供が産まれるとお兄さんも叔父さんに成りました。
子供達は「ボクおじさん」と呼びました。 
その後、大好きなお父ちゃんが病気で死んでしまいました。
  
私たちはずっと離れて暮らしていましたが
お兄さんが 四三歳の時、
私の家のすぐ近くに出来た療護園に入れることになりました。

お母さんも毎週面会に行けるようになりました。 
私は初めて安心しました。

園の運動会の日に家族で面会に行きました。
あんぱんが大好きなお兄さんはパン食い競争で頑張りました。
みんな「かずとー、手をつかっちゃ、反則だぞ」
お兄さん「うーん、うーん」 


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その日、私の家族と一緒に撮した写真です。
お兄さんと一緒に写っている写真はこれが最後です。
有る冬に、インフルエンザの高熱が元で
激しいけいれんを起こし、緊急入院しました。
それから三年間の病院のベッドで寝たままで
お兄さんは五四歳で死んでしまいました。

今は大好きなお父さんと一緒に
遠い空から私たちを見守ってくれています。
お兄さん「ひろちゃん、マママ、ダメよ。」
「ひろちゃん、勉強しなさい。」

終わり
井出裕子さんのプロフィール

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昭和27年3月東京生れ。
4歳上に重度の脳性麻痺の兄(6年前死去)。
10歳の時、就学猶予になっていた兄が施設生活に。
23歳で結婚。長男、長女をもうける。
現在は実母と夫との3人暮らし。
34歳から紙芝居ボランティアのグループに所属活動を続け今に至る。
紙芝居実演の他、手作り紙芝居に挑戦。紙芝居文化推進協議会第6回、7回手づくり紙芝居コンクール入賞。     

井出裕子 本の部屋から(紙芝居のことはこちらに)
http://www.h7.dion.ne.jp/~honheya/

「永遠 一門さんの心」(当ブログ内の”お兄さん”)
http://secondleague.net/user/001/001/102.html#more

リポーターの独言
この紙芝居は、障がいのあるお兄さんとの思い出、としてご紹介させていただきましたが、実際は単なる思い出ではなく、井出さんとお兄さんの”絆”そのものなんですね。だからでしょうか、紙芝居を観た後、何とも言えない癒される思いと、励ましをもらった気がしました。
どんなことであれ、もし何らかの痛みや迷いなどがあった時、それを紙芝居にしてみたり、お話を作ってみたりするのはいいかもしれません。それはきっと、自分自身だけでなく、人へのエールにもなる気がするのです。
そんな様々な思いを、「わたしのお兄さん」から受けました。
井出さん、紙芝居をありがとうございます。

(佐々木和恵)

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