セカンドリーグをヘルパーとして生きる選択をした中村さんの本音は、率直で簡潔に語られ、その篤実で硬派なお人柄とともに魅力的でかつ楽しいものでした。
いやぁ、えらい道に来てしまったな、と
中村さんは、ある会社の重要なポスト(ビルなどを造る技術者)でばりばり仕事に打ち込む、企業戦士と称される一人でした。
「仕事はがんがんやってましたが、決して順調ばかりではなく、ま、山もあれば谷もある、という中を生き抜いて定年が来たわけですが、その後、なんかやった方がいいな、と。それで福祉の専門学校に通って、一級の介護士の資格をとったんですが、深く考えずにそうしたんですよ。」と中村さんはおかしそうに言います。
「それである介護施設に最初は送迎車の運転手として入ったんですよ。そのうちヘルパーもやるようになり、一年半近く経ったところですかね。・・・いやぁ、えらい道に来てしまったな・・・と。」と続けました。
えらいことと言うのは・・・
「うーん、何といいますかね、施設には高齢者や認知症の人が来られるわけでしょ。その人たちに、敬意の気持や親身に思うものは当然あるのですが、人によったら、話しのやりとりもうまく合わなくなっていることもあるわけですから、結果的に、接し方が『接する』というより、『あしらう』という感じになってしまうことがあるんですよ。
例えば、施設に来ると同時に、『家に帰る』と言い出して、どんなに何時になったら帰りますからね、と言っても、十五分おきくらいに、『もう帰る』と繰り返す人がいるのですが、ぼくは、そのたびにまじめに、『何時になったら帰れますよ。』と対応しようとするんです。けど、その対応では、その人を落ち着かせるようにはならないことがある。かえって不安感を起こさせると感じることがあるんです。そんな時、言いくるめるようにしたり、ごまかしたりした方が、その人が落ち着くんですね。・・・落ち着いたからそれでいいかというと、自分の気持はそうではないんですね。人をあしらったやり方をしてしまったな、こうしていいのかな、と反省とも悩みともつかない思いがわく。・・・こういうことをひとつとっても、介護をするというのは難しいしわからない。えらいところに来てしまった、と思っちゃうわけですよ。」
つらいことは
「一生懸命、言葉にして話してもらったことが何言ってるかわからなくて、充分応えてあげられないことがあることですね。」と中村さんは表情を曇らせました。
高齢者の人も認知症の人も、うっかりすると怪我につながることがあるので目が放せず、抱きかかえるなどのこともあります。そうした気苦労や身体的な重労働はつらいとは感じない、といいます。その人の訴えたいことを、わからないからいい加減にしていると、見る間にその人は無表情に頑なな沈黙の人になってしまうのだそうです。
「そうさせてしまうのは我々ですからね。何度も繰り返すというのは不安感がそうさせるということもあるから、それをこっちがわからなかったり、察してあげられなかったというのは、本当につらいですね。」
中村さんはこうも言います。
「午前中は機嫌が悪くてすぐ怒ったり、暴力がでそうになる人がいる。午後は落ち着くんですが。・・・単純に眠いこともあるだろうが、そうではなく、何かを訴えていると感じるんですよ。」
嬉しく感じることは
「辛いの反対ですね。誰かの感情や言葉を受け止めようとして、それがぴったりあい、その人が嬉しそうな表情になっているのを見ると、本当に嬉しい。」
退職後のヘルパーの活動は
「50代、60代まで会社勤務をしてきた人は、それだけの経験を積んでいるから、高齢者や認知症の人をお世話するのはいいと思いますね。若い人には若い人のよさはあるけれど、セカンドリーグを迎えた人のキャリア、体験は、人を落ち着かせる強さ、優しさに通ずるものがあると思うんですよ。」と中村さんは明言しました。
知識の豊富さひとつとっても、高齢者、認知症の人の人生に響くものがあるはず。そういう有形無形のものを介護の道で役立てて欲しいというのです。
「心がけることは、これは自分に言い聞かせて、悩みながらも頑張っていることだけど、基本はやっぱり、いつも敬意をもって、真面目な態度で、高齢者、認知症の人に向き合う、ということですね。結果的に言いくるめたり、あしらったりする対応になったとしても、敬意と誠意を忘れなければ、単なるあしらいにはならないはず。」と中村さんは真剣な表情でこう締めました。
中村夫人は夫の転進をこう見る
私としましては、最初介護の仕事を夫がしている事に違和感がありました。
技術者としてビルなどを作る男に惚れていた部分があります。
個人としては自分の夫がする事に抵抗もありましたが、福祉の視点から社会を見る時、中村の様に長い事しっかり社会の先端で仕事をしてそれを全うして来た人間が、福祉の世界に入れば何か変える事が出来るのではないかと思いました。