茨城県八千代町図書館司書、「山中治雄さん」をご紹介します。
無名の一司書に過ぎなかった山中さん。でも多くの人が、彼の人柄と志を決して忘れることはないでしょう。
町の「図書室」
私がはじめて山中さんに会ったのは、ここ八千代町に引っ越しをしてきた1991年の後のことです。児童文学に取り組んでいた私は、移転してきて真っ先に探したのは図書館でした。でも当時は八千代町には「図書館」はなく、公民館の中に、こじんまりとした「図書室」があるだけでした。
何度かその図書室に通ううちに、私は、若い二人の職員の方と、お話しするようになりました。お二人は、読書量が豊かで、どの分野にも詳しく、何よりひきつけられたのは、「本の持つ力」を信じ、「町の子供や大人に図書館を作りたい」という深い願いを抱いていらっしゃることでした。
実際にお二人は、それが実現する日のために、司書として必要なこと、全国の図書館の様子、本の出版の状況など、多岐にわたってそれはよく勉強されているのがちょっとした会話を通して伝わってきました。
この二人の方のうちの一人が、山中治雄さんでした。
ついに町の「図書館」に
そして、1999年7月、ついに「八千代町図書館」がオープンしました。
明るい広々とした館内には、いつ行っても、山中さんの穏やかな笑顔がありました。
ですが、2006年、7月14日、山中さんは亡くなりました。享年48歳。
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癌
図書館設立からわずか4年後の、その年の御用納めの日。
職員の人たちは、一年間の責任を果たしたほっとした気持や、来る年に向けての晴れやかな心地ちを持ちつつ、家路につこうとしていました。
その時、山中さんが「気分が悪い」と言って倒れたのです。
救急車で病院に。病名、大腸がん。
この日から、山中さんの、癌との壮絶な闘いがはじまったのです。
誰もが信じていた。穏やかな人柄の奥に、誰よりも強い情熱と信念と行動力を持つ山中さんが病に打ち勝つことを。
だが癌は、既に進行しており、あらゆる手を尽くすも、山中さんを誰にも手の届かないところに連れ去ってしまったのです。
「山中治雄さんを偲ぶ会」
山中さんが旅立たれてから一年後の2007年7月29日。八千代町図書館で、「山中さんを偲ぶ会」が開催されました。町の方々や友人の方々が大勢集まり、山中さんの死をあらためて惜しんでいらっしゃいました。
冒頭に書きました、公民館の図書室に勤務され、「町の子供に図書館を作りたい」という願いを持っておられた「二人」のもう一人の方、山中さんのよき理解者であり、共に図書館実現に力を注いでこられ、ご自身も詩、創作、評論を書かれる中村弘さんに、生前山中さんがどのようなことを言っておられたかをお話していただきました。
「山中さんは、とにかく本と子供が好きな人でしたね。『本というものは、子供の成長にかけがえのないものだ』とよく言ってました。
ここの図書館が出来る時も、90年代を代表する福岡の苅田図書館、近くには水海道図書館などを理想としてよく勉強していました」
「ある時、彼に、『司書の仕事をしなかったら何になる?』と訊いたら、『教育研究所を立ち上げたい』と言ってました。町の子供たちの未来を案じていて、そこに自分も本気で関わっていきたかったんですね」
「”ぼっち”って知ってますか? 米を収穫した後、田んぼの中にわらを重ねておくこんもりしたものです。山中さんは、『図書館が”ぼっち”になればいい』、と言ってました。『学校に行けない子供、一人ぽっちと感じてる子供が、図書館を居場所にしてくれて、心を安心させていてくれたらいいね、ぼっちのように寄り合って本を読んでるうちに、きっと生きる力がつく』とそんな意味のことを」
「彼は最後の最後まで、生きることを諦めなかったと思いますよ。ずうっと明るかった。図書館と子供の教育の夢を語っていた。子供が自殺をしなくてはならなくなる、人を殺してしまうほどになる、そこまで追い詰めていくもの、時代を心の底から憂えていた。だからこそ、生き続けていたかったと思う。ぼくは、そういう山中さんに、ずうっと生きていて欲しかった・・・」
リポーターの独言
私は2006年の春のある日に、図書館に行ったのですが、ホールのソファに、髭をはやした見知らぬ一人の男性が、いかにも静かな風情で座っていらっしゃるのに気がつきました。何気なくその方を見ると、その人も私を見て、髭の中に埋もれた口元をほころばせ、にこっと目礼して下さったのです。
その笑顔で、山中さんだ、と気付きました。私は、「ひゃ〜、山中さん、お髭をはやしていらっしゃるのでお見それしちゃいました。似合いますね〜、かっこいい!」と言いました。すると山中さんは、「へへへ」と髭の顎をひとなでして声をあげて笑って下さいました。
この日から三ヶ月後に、山中さんは亡くなったのです。
その後に、私は、この春の日、山中さんが、他県の病院に移り、癌と尚闘うことを仲間の方に告げに図書館にいらしていたことを聞きました。
ここにあらためて、山中さんのご冥福を心からお祈りいたします。
中村さんは、山中さんのことを語るのが辛そうで、うつむきながらお話して下さっていました。でも言葉をどんどん出して下さっているうちに、明るい元気なお顔になってきました。それはまるで、これからも山中さんの分まで頑張るゾ、という表情のようでした。そのことがとても嬉しかったです。
中村さん、ありがとうございました。
(佐々木和恵)