不登校とは? ウィキペディア(Wikipedia)に寄ると(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%99%BB%E6%A0%A1)、下のようになります。
不登校(ふとうこう)とは、広義には在籍の有無にかかわらず学校に登校しない状態のこと。日本の一般的な用法では、経済的理由や、病期による長期入院等を除いて、在籍していながら学校にある程度の期間登校していない状態のこと。別称で「登校拒否(とうこうきょひ)」とも言う。
(管理人の註:最近では「不通校」と言われてきているようですね)
ある一定の年齢まで学校へ行くのは当たり前、となっている社会の中で、子供が学校に行かなくなるというのは、親にとって何らかの苦しみや不安や迷いをもたらせるものでしょう。しかも世はごくわずかの人を除いて、学歴崇拝の人々によってつくられている、と言っても過言ではなく、そんな中子供が学校へ行かなくなったら、何らかの形で親の精神を圧迫するのは容易に想像できます。だからこその、「不登校」をめぐってのさまざまな論議も出ています。
そこで、「子供が不登校になった」谷川晴美さんに、その時の心境や、その後何を考えどのようにされ、そして現在はどうされているのかをお話していただきました。
<学校に行きたくない、と言い出した>
「息子は今18歳なんですけど、この子が学校に行きたくないと言い出したのは、小学校5年のゴールデンウィークが過ぎてからでした。」
「私は、子供というものは学校に行って、学科を勉強をし、友達や先生とふれあい、それでさまざまなものを学んで成長していくものだ、と思っていましたから、息子が学校に行かなくなった時は、本当に苦しかったですね。」
「理由や原因というのは、例えば誰かにいじめらるなどいうはっきりしたものはなく、本人の言葉から総合的に判断すると、どうも自分の発言や質問を、先生に無視される、ということのようでした。例えば、反省会などでみんなが順番に発言して、それについて話し合う時、息子が発言したことを先生は素通りしていったようなのです。
これは息子にしたら、単に発言を取り上げられなかった、というだけではなく、自分の存在の無視、と感じて自信をなくしていくことになった、と思うのです。」
<突破口を開いたのは息子さん自身>
「そうして学校へ行かなくなって、私は正直なところ、どうしたらいいかわからず悩んで塞いでいたのですが、その突破口を開いたのは息子自身だったんですよ。」
「不登校になった二学期に、『ぼく、フリースクールに行っていいよ』と言ったんです。後で息子が言ったのですが、この頃の私は、毎日、『学校へ行きなさい、行かなくちゃだめ!』とそのことばかり言って、息子は家にいても追い詰められるだけ、という心境になっていたそうです。
そうしてフリースクールへ行く道があるのを息子自身が感じ取ったんですね。」
「フリースクールもいろいろありますから、どこに行くか、ここでもまた悩みました。主旨は信頼できるのだけど、大学へ進学するほど高額のところもあり、また徹底した押し付けの体形をとってると感じるところもありましたし、選ぶのにも試行錯誤しましたね。」
<勇気付けられた言葉>
「迷いと悩みの中、こんな言葉に出あったんですよ。『先生は免許をもってるかどうかで決まるのではない。2歳の赤ちゃんから素晴らしいことを学ぶこともある』つまり、自分の心がけ、ということも含めて、学ぼうと思ったら全てが先生になり、学校になる、ということ。このことを胸におさめてから、私自身の不安もなくなり、息子の選択を全面的に応援できるようになりました。」
<息子さんのその後>
「自分に合ったフリースクールに通いながら、中学なってから、学校に部活に通いました。自分で将棋部を作ったのです。
学校で決められたこと通りにやるにも、個人差があります。生徒の多くは、そのカリキュラムに従ってできても、自分がやりたい、やれる、という時期がくるまで、他の生徒のように出来ない人間もいる。息子の場合も、そうだったんですね。」
「自分がやれると、自分で感じ取る時期が学校の決まりとずれて、そこの狭間で苦しむ。自分でやれる時期がくると、力を伸び伸び発揮する。・・・不登校になってから、このことに気付き、以後息子の特性を大切にしながら進んで来て、現在は18歳ですが、アルバイトをしながら自分がやりたいことを模索しているところです。」
<谷川さんから、不登校で苦しむ人に>
「学校に行かなくなった時、一番苦しいのは、『学校に行かなくちゃいけないのに自分は行けない』という強迫観念だと思います。そこで、『学校だけが全てではない』と思うことが大切です。」
「自分が学びたいと思った時に、思い切ってそれに向かう。そうして学ぶと学ぶ楽しみを知ることができる。それが重要。」
「不登校で転落人生を送った人はいない、ということ。」
「私の息子が、一編の詩を書いて、それが誰かの心をえぐったら・・・それだけでいいじゃないか・・・と、私は今、心底そう思っています。」
リポーターの独言
私が、「少し昔は、学校に行かないことをまるで犯罪のように大げさに言い立てる人もいたけど、今は行かない選択もある、と考える人が増えたのでは?」と訊ねると、谷川さんは、「どうでしょうね・・・むしろ、もっと昔の方が、学校に行かない子をそれほど特別視しないで、大らかに受け止めていたのではないか、と思いますよ。だから学校に行かないこと、行けないことの罪悪感を持たずに、自分を伸ばしやすかった気がします。
現在はちょっとした異なる生き方をする人を、多数の常識感覚で取り囲み、息苦しくさせている、という感じがします。」と言われました。
不登校に限らず、人間が一人一人の価値観や能力にあった生き方が出来るか否かの鍵は、こうした大勢の意識にかかっているのかもしれませんね。勿論、当事者本人が視野を広くする、重圧感をどう考えるかなどを前提にしてですが。
私は、谷川さんのお話を伺って、感じ入ることがたくさんありました。
(佐々木和恵)