朗読そのものは、福祉とはかけ離れたものだが、それでも私は、『与野朗読の会』と朗読を長く続けていらっしゃる根本由美子さん、板垣正義さんご夫妻に、福祉をテーマとしているここに一番目に登場していただきたいと思った。
それは表現全般にも言えることだが、”本を読む”ということは、さまざまなことを感じ、学び、遊び、体験することで、そこから深い想像力を培うからだ。
そう、本の好きな人はその培われた想像力の豊かさで、人の痛みを知り、他者を知る人が多いと私は感じているのだ。
『人の痛みを知り、他者を知る』・・・これこそ、福祉の原点ではないか。
というわけで、<与野朗読の会>と本に魅せられ、人に魅せられて、熱心に朗読活動をされる根本由美子さん板垣正義さんご夫妻をご紹介したい。
与野朗読の会
1982年夏に、根本さん、板垣さんたち五人が日本演劇教育連盟の全国大会朗読講座に参加され、その後独自に練習を始められたのが原点という。
この一年後の1983年の9月に、どのように続けていったらいいのか、東京朗読実技研に指導を仰ぎに行き、ここで巌金四郎さんと運命の出会いをされ、後、師と仰ぎ、指導を受けてこられた。
巖金四郎さん
1911年(明治44年)9月に東京都で生まれ、声優・俳優として活躍し、多くの人に影響を与えた。
明治大学商学部中退。NHK東京放送劇団、Kプロダクション、番衆プロ、プロダクション・タンクなどで、意欲的に芸能活動をする。
1994年(平成6年)12月30日に永眠。享年88歳。
『与野朗読の会』は毎年、さいたま芸術劇場で発表会を開催されている。
2006年6月17日の昨日は21回目の発表会であった。
詩三編 茨木のり子・作
ありがとうともだち 内田麟太郎・作
平家物語より「祇王」
茶色の朝 フランク・パヴロフ・作 藤本一勇・訳
へんろう宿 井伏鱒二・作
夢十夜より「第二夜」 夏目漱石・作
踊る手 藤沢周平・作
練習に練習を重ね、本番のこの日、魂をこめて、それぞれの作品が読まれた。
映画・ドラマや舞台のような動きはない。ではラジオドラマを聴くようか、と言うとそうではない。電波を通して伝わる世界にはない”息づかい”が、客席の私たちに、ひそやかにあるいは烈しくしみわたってくる。
まるで作品中の人物が立ち現れて、自分の悲しみをもって観客にすがってくるような、怒りの時は迫ってくるような、そんな臨場感と共有感を感じ、気づいたら、一緒に涙を流していたり、クスクス笑っていたりしていた。
朗読会には、ある程度の年齢以上の方が参加されているとお見受けする。
そして朗読をお聴きしていると、朗読者の深くあるいは重い人生経験が、作品の人物に肉付けや陰影になっているのを感じる。
若い時代を過ぎた人が、自分の人生体験などを重ねながら、朗読という形で別の人物になり、代弁者の役割をする。そんな説得性をも感じた。
機会があったら、根本さん、板垣さんたち朗読者の方々の、朗読に対する思いと、人生の原点などをお聴きしたいと思った。
<根本さんと板垣さんのご紹介は”続きを読む”にあります。クリック♪>
根本由美子さん
小学校の先生をされ、生徒への読書指導に熱意をもたれている。
私感だが、根本先生の読書指導には感激する。
生徒一人一人の感想文が生き生きしているのだ。
子供の読書感想というと、「面白かった」「よかった」というような書き方だけのことが多く、何が面白かったか、どこがよかったのか、ということは通り過ぎていることがある。何かを読んだり観たりして、それがその人に何らかのいい影響になるということは、面白かった、『何が』のこの何を考え、つかむところにあるのではないだろうか。
『何』を自分で考え、つかむことで、その子は、自分の思いや考えを成長させる。また他者への理解を深める力を自然に身につける。
ネモ船長さんの生徒の感想文を拝見すると、ここのところを、一人一人がきちんととらえている気がするのだ。
板垣正義さん
板垣さんは朗読だけではなく演劇の舞台にも立たれる。
観客として胸を打つのは、その篤実な人間性がとらえ、表現するところに立ち上がる存在が持つ説得力である。
今後このブログで、『与野朗読の会』とお二人の活動を随時お知らせするので、ぜひ直接観に行って欲しい。百聞は一見にしかず。私が百の説明をするなど虚しい。
リポーターの独言
冒頭の写真は、公演が終わって芸術劇場映像ホールの入り口で、ほっとされている根本由美子さんと板垣正義さん
根本由美子さんのホームページ『風信帖』はこちらです。
(佐々木 和恵)