世は物質主義がはびこり、老いも若きもお金の方向を向いて生きる人々ばかりと申しますが、なんのそんなものには執着も頓着もなく、猫ときのこの絵を描き、それでわずかに得るお金で、捨てられた猫たちを救いともに暮らし、日々を豪快に笑っておくる絵描きさんがいらっしゃいます。八ヶ岳の麓で一人で生きる「かじゅこ松島」さんです。
どんなに暮らしに押し迫られようと福祉に頼ることはなく、その生き様は仙人かはたまたもののけか、と思わせるものがあります。
今日は、そのかじゅこ松島さんをご紹介します。
まず、かじゅこさんの描いた猫を一匹お見せしましょう。

どうです!? 威風堂々見事な風格ではありませんか。
では、11月のある日の八ヶ岳に向かうところから順を追ってご覧下さい。写真をクリックすると大きく見えます。

JR中央線に乗って走っていると、三鷹の手前で富士山がくっきりと見えました。「おお〜、生富士山!」と感激しました。

久しぶりにお会いしたかじゅこさん。髪を剃ってまるで聖僧のよう。

膝に乗ってきた猫ちゃんと人間と話すように会話をされます。

高齢で目がちょっとショボショボしている猫ちゃん。
かじゅこさんのお宅には、このような猫ちゃんが全部で三十匹もいます。一匹一匹との出会いを聴いていると、いかに身勝手な人間が多いかと思い知らされ、その猫ちゃんの受難の様に胸がしめつけられました。
でもかじゅこさんは、笑ってこう言います。
「ね、こうして生きている猫たち、美しいでしょう。命って、美しいってことなのよ、ね」
リポーターの独言
新聞に、「捨てられる猫があまりに哀れで、近所の捨て猫を拾ったら、後、アパートの前に置いていく人があとを絶たず、とうとうアパートを追い出され、たくさんの猫たちと八ヶ岳の麓に引越しをした画家の個展」という記事が載りました。
私はその会場に駆けつけました。
あれからもう二十年以上が経ちました。ひたすら貧しく猫たちを救いつづけるかじゅこさん。誰にも行政にも何も求めず、命の美しさを謳歌して絵を描いて生きる。人間の中では不公平そのものと見えますが、天のもとでは公正に豊なものを与えられていらっしゃるのでしょう。
私はかじゅこさんは福祉も行政も頼らず、と書きましたが、何年か前、かじゅこさんに電話をしても通じず、当時体調が悪いときいていましたので心配のあまり、町の福祉課に電話をして様子を見てほしい、とお願いしました。
その時、福祉課の女性の方が、「お一人暮らしですので、私たちの方でも何かと気配りをしていますのでご安心下さい」と言われました。
また今回、私ははじめてかじゅこさんの庵のようなお宅に伺ったのですが、その折乗ったタクシーの運転手さんが、「身体が不自由なので、病院へ行かれる時などタクシーを呼んでもらっているので、困った時には声をかけてくださいね、と気をつけているんですよ」と言われました。
『
福祉の原点ってこういうことかな・・・』とほっとするものがありました。
(佐々木和恵)