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介護☆同行二人<病院で観客四人の朗読会>

2008-11-09 04:38:42

誤嚥性肺炎で8月中旬から9月いっぱい入院していた夫が、10月21日の夜からまた肺炎で入院。酸素吸入器、点滴、尿道カテーテルをつけて動けない夫のために、何か気持ちが晴れるようなことをしてあげたいなと思いました。日に日に無表情になっていく姿に、『生ける屍』という言葉さえよぎって胸がきりきり痛むのです。

そこで五日前のこと、たまたま持っていた人生論のような本を、夫の枕元で声に出して読んでみました。うっとうしいようだったら止めようと、表情を窺いながらです。
一章を読んで、「疲れる? 止めようか?」と訊きますと、なんと、「読んでいいよ」と返事がかえってきたのです。

次の日から、夫に童話の短編の読み聞かせをはじめました。
今日(8日)のことです。大声では四人部屋の病室の他の三人の患者さんに迷惑になるので、声を抑えながらある短編作品をひとつ読み終え、「もう一作読む? どうする?」と訊きました。
すると、「読んで下さい」というはっきりした返事が。でも夫ではありません。向かいのベッドの患者さんです。

私はその方の傍に行き、「ご迷惑じゃありませんか?」と言いますと、「面白いよ、もっと読んで下さい」と答えられたのです。「えー、いいんですかぁ」と言いながら、そのお隣りのベッドの方にも視線を向けますと、その方もにこっとして頷かれるではありませんか。あとの一人の方は眠っておられましたが、起きておられたらきっと「いいよ」と言って下さるに違いありません、ね♪

こうして、観客四人の朗読会がはじまりました。
終わると、向かいの方がにこにことして言われました。
「いやぁ、ありがとう。わしは本が好きでね、孫に読んでやってたんだ」
「そうですか。それじゃお孫さんが、おじいちゃんにまた本を読んでもらいたいと、退院されるのを待っておられるでしょうね」
「ああ、そうだね。・・・明日も読んで下さいね」
「ええ! 明日も明後日も読みます!」
お調子やの私は、武道館での公演が決まったかのように舞い上がってしまいました。

この日の出し物は「ムシの方舟」より「つばさ」です。よかったらのぞいてみてください。

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介護☆同行二人<劇:わたしら、食べてないよ〜>

2008-10-16 05:48:21

認知症の高齢者が多く入院している病院の食堂のお昼時

登場人物
明るくて、いつもハツラツとお話しをするみさこさん
身体の左半身が麻痺している、怒りっぽいけど笑顔が素敵なけんすけさん
むっつりとして殆どしゃべらないとみいちさん
要介護4で、歩行も食事をとるのもおぼつかなくなっているとしおさん
としおさんの妻のかずみさん
ヘルパーさん

みさこさん、けんすけさん、とみいちさん、としおさんの四人が、食堂のテーブルを囲んでいる。

としおさんだけが、おかゆをこぼしながらもくもくと食べており、他の三人は何もなく、それぞれ手持ち無沙汰の感じである。

そこに、かずみさんがやってきた。

みさこさん(かずみさんを見て)「あ、きたきた〜!」
けんすけさん「あ、きたきた〜!」
とみいちさん「・・・・・・・・」(むっつりしたまま)
としおさん「・・・・・・・・」(我関せずとただもくもくとごはんを食べている)
かずみさん「こんにちは〜」(夫のとしおさんの横に来る)

かずみさん「あれ?」
(みさこさん、けんすけさん、とみいちさんの前には何もないことに気がつく)
かずみさん「みなさんは、もうお食事終わったんですか?」
みさこさん「わたしら、ごはんもらってないのよ」
かずみさん「えー!? そんなはずないでしょ? もう食べ終わったんでしょ?」
みさこさん「ううん、わたしら三人、食べてないよ〜、もらってないよ〜、ね〜」

(みさこさんは、目を丸くし真剣な口調で、けんすけさんととみいちさんに同意を求める)

けんすけさん「そうだよ、食べてないよ〜、もらってないよ〜」
とみいちさん「・・・・・・・ん」(むっつりとしたままわずかに頷く)

かずみさん(困って)「そんなはずないですよ〜、食べたの忘れちゃったんでしょ〜」
みさこさん「そんなはずあるのよ、わたしら三人、もらってないの、ね〜」

(より真剣になり、再びけんすけさんととみいちさんに同意を求める)

けんいちさん「そうだよ、そんなはずあるよ」(むかついたって顔)
とみいちさん「・・・はずある・・・・・よ」

かずみさん(ますます困って、もくもくと食事中のとしおさんの顔をのぞくように見て)「みなさんは、もう食べ終わったのよね、そうでしょ?」

としおさん(周りの声を聞いていないように、ひたすらスプーンの流動食をこぼしながら口に運んでいる)

(みさこさん、けんすけさんは、としおさんの返事を聞こうと、じいっととしおさんの方を見る。とみいちさんも、表情はむっつりと変えないが、視線はとしおさんの方に向けている。漂う緊張)

かずみさん「ね、みなさんもごはんもらったんでしょ。あなただけもらったってことないわよね」

(としおさんの口元を、いよいよじいっと見つめる三人。高まる緊張感)

としおさん(おもむろに)「もらってないよ、ぼくだけもらった」

みさこさん(勝ち誇ったようにぱあっと晴れやかな表情になり)「ホラ! ホラ!! ホラ!!!」
けんすけさん(人なつっこい笑顔になり)「ホラ! ホラ!! ホラ!!!」
とみいちさん「・・・ラ! ラ!! ラ!!!」
三人「ね〜〜〜〜〜〜!!!!!」(大仰に頷きあう)

(そこにヘルパーさん、登場)

ヘルパーさん「なぁにいってんだ?! 食べたろ!」
みさこさん「食べた? わたしら、三人とも?」
ヘルパーさん「そう、パクパクと」
みさこさん「パクパクと? ああ、食べた食べた、パクパクと!」
けんすけさん「パクパクと!」
とみちさん「・・・ク・・・ク!!!」
みさこさん、けんすけさん、とみいちさん「アーハハハ、食べた食べた、ハハハハハー」
かずみさん、ヘルパーさんも一緒に「アーハハハハハハハ」

(としおさん、我関せずとごはんを食べつづける)

笑い声が温かくひびくなか幕

リポーターの独言
夫が入院中はこういう日が何度もあり、こうやって絆ができていく温かみ、親しみを感じました。夫が退院した今も、食堂で会ったみなさんのことをよく思い出します。
いつまでもお元気でありますように、平安でありますようにと。

(佐々木和恵)

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介護☆同行二人<ある死>

2008-09-29 07:02:06

私の夫は、ある時期、Aというグループホームに、ディサービスを受けるため週に五日通っていました。

そこは、入所施設と通所施設の棟があり、道路に面した駐車場の横に入所施設、その奥に通所施設がありました。私が送り迎えをしていましたから、私と夫は、駐車場に車を止めると、入所施設の入り口の前を通り過ぎて、奥のディの建物に向かって歩いて行くのです。

入所施設の入り口はいつも開いていました。真冬の風が吹き荒ぶ日でもそうでした。
それは、M子さんという、60代後半か70代前半と思われる女性が、玄関の椅子に腰掛けて、外を見るためにそうなっていたのでした。

ある特に寒い日、私は思わず入り口に近寄り、「寒くありませんか?」と訊きました。するとM子さんは、にこっと笑い、廊下の方を指差されました。そこにはファンストーブがM子さんに向けて置いてあって、ふぁ〜ふぁ〜と暖かい風を送っていました。

ある時、職員さんに、「M子さんは外を見るのが好きなんですね」と言いますと、「トラックを見ているの。ホラ、道路の向こうが工場でトラックの出入りがあるでしょ。M子さんは、トラックを見ると歓声をあげて喜ぶのよ。おうちが運送やさんらしいわ」という答えでした。

それから大分経ったある時期から、入所施設の入り口は閉まるようになり、M子さんの姿を見ることはなくなりました。『M子さん、どうされたんだろう・・・』と気になりましたが、『トラックを見るより、他の何かに楽しみを持たれるようになられたんだ・・・』と勝手にそんな納得をしていました。

その後、Aグループホームの経営者の方から、「全部の施設の職員が集まって、介護についての発表会があるから、家族代表として参加して下さい」と言われました。私は、『代表というのはおこがましいけど、勉強をさせてもらうつもりで参加しよう』と思い、発表会の当日会場に出かけました。

Aグループホームはあちこちに施設があり、介護に就いている職員さんの数は多く、この日、それぞれの施設から次々に、介護の事例が発表されていきました。

M子さんが入所されている施設の職員さんの順番が来ました。
私はお話の途中から、心臓の鼓動が激しくなっていくのを覚えました。そこで話されているのはM子さんのことだ、とわかったからです。
それは、体調を崩されたM子さんは、以後、自室で寝込み、食べ物も診療も拒否しつづけて亡くなった、というものでした。

息が止まるのではないかと思うほど高まってくる心臓の鼓動を抑えながら、私は思っていました。
『M子さんは、トラックを見ていたのではなかったのだ、家族が迎えに来るのを待ち続けておられたのだ』と。

そしてある記憶をたぐっていました。M子さんをAホームで見るようになったそれより以前に、別のホームで、私はM子さんを見ていたのです。
当時、私は父親の看病で、三日間夫をそのホームにショートスティをお願いし父の病院で寝泊りし、三日経ったら帰って夫を迎えに行き自宅で三日を過ごし、また三日間ショートスティをお願いして父の病院に行く、という繰り返しの生活をしていました。

それでたびたびそのホームに行っていたのですが、そこで三度M子さんを見かけているのです。
二度は、入り口のところで男性の職員さんに抑えられ、「帰りたい、帰りたい」と声を振り絞っておられるところ。一度は、昼食時に夫をともなってホームの食堂に入っていったら、数人の入所者の方がテーブルについて食事をされていたのですが、一人の女性は、離れたベンチに一人腰掛け、見るからに頑なな表情をされていました。その方の前を、「失礼します」と言いつつ通ったのですが、にこっと笑顔になられて会釈して下さったのです。

この時のにこっとされた顔を思い出し、M子さんであったことを、私は悟ったのです。
後に親しい職員さんに訊き、M子さんが、別のホームになじめず、Aホームに来られたこと、Aホームではすんなり慣れられたが、いつも玄関の椅子に腰掛けトラックを見ておられたことを確かめました。

あの、玄関の戸口から、毎日毎日、朝から夜まで、ひたすら道路を見続けておられた時、そして、医療を受けるのも食事も拒絶され続けておられたという間、ついに命が尽きる瞬間・・・・・M子さんの思い、気持ちがどうであったかなどを想像することは冒涜であるでしょう。

だけど、凡人の私はその冒涜を犯し、どうしても浅はかな想像におちるのです。
“M子さんの、家と家族が恋しくてならなかった思い、ついに叶えられず、生につながる一切を拒絶することで、捨てられた思いを耐えておられたのだろう、その孤独、落胆、失意、寂しさはいかばかりであったろうか”と。

リポーターの独言
私はこれを書くことをずうっとためらっていました。M子さんのご家族を責めているようにとられるのではないかと思うからです。実際、これを読まれた方は、私が暗にご家族を責めている、と思われるでしょう。

でも言い訳でも何でもなく、真実、私はご家族を責める気持ちなどない。絶対にない。
ただ、哀しいのです。いいえ、M子さんの人生が哀しいというのではない。誰がM子さんの生と死を哀しいなど思うでしょう。これほどの壮絶な生死を選択できる人がほかにいるでしょうか。

では何が哀しいのか。それは、命あるものが背負った宿命がです。
死そのものは、自身の生き方、考え方、感受などで、もしかしたら、“こわくない”ものに到達し得るかもしれません。でも、生から死への“時刻”を待つ、あるいは受け入れる、この時刻を私は哀しく思えてならないのです。

この哀しみと、その時刻をひとりでのりこえて往ったM子さんへの敬意を書きたかったのです。

(佐々木和恵)

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介護☆同行二人<アエイウエオアオ>

2008-07-23 03:07:39

ここのところ、夕方になると、車椅子に乗った夫と散歩にでます。
車椅子を使い始めるとたちまち歩けなくなる、と何かで聞き、安易に車椅子は使わないゾ、と決心していたのですが、今年のはじめに、夫にある事態が起こり十日間の入院をし、以後歩行が一気におぼつかなくなってしまったのです。そしてこの最近の肺炎での入院で、車椅子はなくてはならぬものとなりました。

dougyouninin_kurumaisu1.jpg何とも不機嫌そうな顔に見えますが、「ハイ、笑ってぇ〜」と言ったらこの表情になりましたから、本人はニッコリのつもりです♪ 「なんだか、ゴルゴダの丘にひかれていくイエスのような顔だねぇ」と言ったら、その時はほんとに可笑しそうに表情をほころばせてくれましたヨ。

余談ですが、今年のはじめに入院するほどになった事態というのを暴露しちゃいましょう。
実は、私がうっかり自分のおやつの甘栗を食卓に置きっぱなしにして、それを見つけた夫が食べてしまった、らしい、のです。らしい、というのは、夜、どうも様子がおかしいと気づき、口を強引に開かせ、喉に指をつっこんで吐かせたら、甘栗がポコンと出て、はじめてこととしだいがわかったのです。その後、栗で気道が傷つき、高熱が出て病院に駆け込む仕儀となりましたから、まったく、恥ずべき至らぬ介護人です。


散歩の続きに戻りましょう。
夫は最近熱が続いていますから毎日は行けないのですが、体調のいい日は必ず田園の道を夕刻の涼風を受けながらゆっくり歩きます。
そして、表題の、<アエイウエオアオ>と一語一語はっきりと、声を出して言わせるのです。これが散歩の狙いです。

<アエイウエオアオ>というのは、皆さんお気づきでしょう。演劇など声を出す人が、カツゼツをよくする訓練のためのものです。それを夫にさせるのです。夫の場合は、カツゼツをよくする、なんて贅沢なことは露も考えておりませぬ。ひたすら喉の筋力をつけるためです。喉の筋力が強くなると、嚥下がしやすくなります。

しばらく前から、夫は食べ物を飲み込めずぷわっと噴き出したり、いつまでも口中に含んでいたりするのです。医師は胃ろうをすすめるようになり、<アエイウエオアオ>は、何としても自力で食事・栄養が摂れるようにしておきたい、至らぬ介護人が考えたささやかな抵抗のようなことと言えます。

本当は、大声で歌など唄えばいいのですが、もともとそういう趣味のない夫はどんなに説得しても、歌となると声を出しません。そこで思いついたのが<アエイウエオアオ>で・・・歌はだめで、これなら声を出して言う、というのもよくわかりませんが、とにかくこれはやるのです。そして、数日たった今、『そういえばここのところ、食べ物をすんなりと飲み込んでいるではないか!』と思えるようになりました。

dougyouninin_kurumaisu2.jpgたまに一休みして、こうしてトラクターの作業を眺めたりします。

というわけで、<アエイウエオアオ><カケキクケコカコ><サセシスセソサソ>と、われらどうぎょうににん、せいいっぱい声を張り上げて歩いております。たまに猫がついてきたりして・・・。

(佐々木和恵)

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介護☆同行二人<ダイジョウブか、介護人の頭>

2008-07-21 01:50:16

夫の微熱が三日ほど続いた後の夜高熱になり、翌朝、あたふたとかかりつけの病院に駆けつけました。認知症の夫は、週に一度しか診察がない神経内科で受診すると決まっているのですが、この日は、その神経内科の先生がいらっしゃらない日なので、カルテを内科に回していただきました。

結果、夫は肺炎に罹っていて入院したのですが、このエントリーで書こうとしていることはそのことではありません。介護人たる私のことです。

さて、この日、廊下のベンチに腰掛けて順番を待っておりますと、ほどなく、「ささきさーん」と名前を呼ばれました。「はーい!」と夫の車椅子(普段は車椅子は使わないのですが、熱のために歩行がおぼつかなくなり)を押して、内科の診察室に入りました。
こちらに顔を向けて待っておられた先生の顔を見て、『やや、Wさん、医師もされていたんですか』と言いそうになりました。Wさんにそっくりの先生だったのです。Wさんというのは、当セカンドリーグのんびるの編集をされている、私たちリポーターの上司にあたる方です。

この時の、『やや、Wさん』と思ったことが私の頭にこびりついてしまい、以後、八日間の入院の間中、その先生はFさんと言われるのに関わらず私は一度もF先生とお呼びすることなく、『W先生』と言いつづけたのです。

一度ならず何回か、ナースステーションの窓口で、「あのう、W先生こっちにいらっしゃいます?」「だからぁ、F先生だって言ったでしょ」と看護師さんに呆れられました。
当のご本人から、「ぼく、Wじゃないよ、Fだよ」とも何度も言われました。そのつど、「は・ははぁ、失礼しました!」と平身低頭謝るのですが、次に会うと、また、「W先生」と言ってしまうのです。

しまいには、「W先生」と呼ぶと、「はい」と答えて下さるようになりました。
これ、恥ずかしながら本当の話です。
私の頭はこんな始末になってしまっているのです。いやはや、どうしよう・・・と、マジで心配です。

何ヶ月か前にも自分の頭が心配になることがあり、大きな病院に行って脳のあらゆる検査をしたのですが、特に異常はなく、「介護による疲労とストレスが原因でしょう。ま、気をつけて下さい」とあっさりしたものでした。

ご家族の介護をされている皆様、お互いのんびりやっていけるように致しましょう。(ナンテ、簡単に言われる正論ほど介護人を追い詰めるものはありませぬが、ノンビリヤロウ、ノンビリヤロウと自分にジュモンをかけてみようかな、と)sinkaoi_fc_ninmari.gif

(佐々木和恵)

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介護☆同行二人<ぼく、知ってたヨ>

2008-03-08 03:07:18

夫の部屋かつ寝室は、我が家の中では一番、夏は涼しく冬は温かい部屋です。そして夫に観やすいように大きなテレビも備えてあります。
それでいつしか、この部屋が私たち夫婦二人のくつろぐ茶の間にもなっているのです。

そのくつろぎの部屋の、電気の照明をつけたり消したりするひもが切れたのは、何月だったかは忘れましたが昨年のことです。足がおぼつかなくなっている夫がふらついた拍子に、ひもにつかまったのでした。

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介護☆同行二人< おーい、おーい>

2008-02-06 00:53:20

これまでの<介護☆同行二人 我が家の場合>に書きました通り、夫は二度の脳梗塞、一度の脳内出血をおこしていますから、入院は長く、またディサービスなど介護施設に通うことも何年も続いています。
その間、喜びにつながる人との出会いや親切や温かさをいっぱい体験しましたが、それに輪をかけて体験したのは悲しみに近いものでした。病気、というもの自体が悲しみになりますから、それは当然といえば当然かも知れませんね。

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介護☆同行二人< パジャマのポケットに、湯のみやら歯磨きやら>

2008-01-31 00:10:39

前のエントリーで、病院での爆笑版を書きましたから、今度は“エレジー版”を書いてみようと思います。

夫は1989年、55歳の時に職場で最初の脳梗塞を起こし、信濃町のK病院の脳梗塞の権威と言われている医師の診療を二ヶ月近く受けました。
この時のことは、周りの人の様子を見る余裕もなく、今考えても私はただあたふたしていただけの記憶です。

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介護☆同行二人<てめぇ、どろぼう>

2008-01-30 01:15:05

認知症というのは、本当にさまざまに思いも寄らないその人の姿を映し出すものです。その様は悲喜こもごも。思わず、「あっとおどろくタメゴロー」なぞ口走ってのけぞってしまうことがあります。

今日は、そのうちのお笑い版ともいうべき夫の行状を暴露しちゃいましょう。

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介護☆同行二人<Kinariの取材を受けて>

2007-11-15 13:39:32

パルシステム生協の食品や生活用品を注文するカタログは、年代や家族構成によって選べるようにいくつか種類がありますが、認知症の夫と二人暮らしの私は、Kinariを利用しています。

週に一回配布されてくるKinariの表紙には、毎回それぞれのテーマの情報記事が掲載されていますが、私はそれをとても楽しみにしています。安全性を第一にするパルシステムならではの野菜、米、添加物など食品に関する内容を中心に、「人」にまつわるあらゆる問題を追い、コンパクトにまとめられた記事は、いぶし銀のような確かな存在感を放っていると感じるのです。

なんと! そのKinariの表紙に、私が登場しました! 

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介護☆同行二人<幻視・・・母>

2007-10-30 14:52:06

■幻視・・・母■
夫が夜間に眠らなかった頃、いわゆる『幻視』という症状もよくあらわれました。幻視というのは読んで字の如し、「いないものが見える」症状です。認知症にはつきものの症状だといわれています。

私のある知人から聞いた話ですが、知人のお母様は知人の隣りに視線を向けて、「今日はおさむうございますね」「おつかれになったでしょう」など言われたことがあったそうです。知人が、「誰に言ってるの?」と訊くと、「あなた失礼ね、○○さんがいらしてるのに」と激怒されということです。○○さんという方は、知人には覚えのない方だそうで、「おそらく、母が若い頃の知り合いでしょう」と、苦笑していました。

夫の場合ですが、夫が決まって言うのは、食事の支度ができて、これらか食べようという時でした。
「とんとつんを呼んでやらなくていいの?」と言うのです。とんとつんと言うのは、我が家の息子の愛称です。息子たちは高校生の頃から愛称で呼ばれるのを嫌がるので、使わなくなって大分経っていたのですが、夫は脳出血の後、愛称で呼ぶようになっていました。
「二人とも家にいないでしょ。だから二階にはいないのよ」
「いるよ。さっき、二階にあがって行ったよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
このような会話が頻繁にありました。夫には息子が学校から帰って二階に上がって行くのが実際に見えていたのでしょう。

自分の母を幻視することは日常的にありました。やはり食事になると、「二階におっかさんがいるから呼んでこよう」と言うのです。『おっかさん』というのは、夫の口癖の呼び方でした。
夫の母親はとっくに亡くなっていましたが、こういう時、私は二階にあがって、降りてくると、「お母様は今はおなかが空いてないから、二人でいっぱい食べなさいって」と言うようにしていました。夫は安心したような雰囲気を見せて、食が進みました。

幻視ではなく、母に似ている人を母と思い込むこともよくありました。
ある時、ホームセンターに二人で買い物に行った時のことです。
外のベンチで待っているはずの夫がいません。店内をくまなく探しましたがいません。駐車場の全体を走り回って探しましたがいません。
私は不安でいっぱいになりました。店の前の通りは車の多い国道です。その道をふらふらしていたら危険です。大急ぎで国道の方に向かいました。
すると、二人の高齢の女性に付き添われるようにした夫の姿が見えました。駆け寄ると、夫は鷹揚に笑って、「おっかさんと歩いていたんだ」と言いました。
おっかさんと言われた人が、困惑を滲ませた笑顔で、「最初は帰る道が同じ方向なんだと思って気にしなかったんですが、どうも・・・・・・」と言いながら、もう一人の人と顔を見合わせました。

事情を聞くと、夫はホームセンターからお二人の後ろについてきたのだそうです。そしてまるで知り合いのようにお二人の話に何かと合いの手を入れるのだそうです。最初は家の近所の人かと思ったものの、どうも話がおかしいし、また「おっかさん」「おっかさん」と言うので、これはホームセンターに送って行った方がいいということになり戻りかけた、ということでした。

夫に「おっかさん」と呼ばれた方は、髪がシルバー色に輝いている方でした。夫の母は、美しい白髪でした。夫は白髪の人を自分の母だと思っていたのです。【つづく】


(佐々木和恵)

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介護☆同行二人<ゾンビ来たる>

2007-10-19 09:23:34

突然ですが、リポーターの私自身のボヤキを不定期に連載することに致しました。介護に限らず、知っている人や身近な人間の実感のこもったあれこれって、読んだり見たりさせられる方はちょっとひきたくなるものですが・・・そこは、ま、しんぼうして下さいませ♪

maobl_hutaride.jpg


■ゾンビ来たる■
私が夫を介護する生活は、「2007年の現在で8年になります」と、言っているのですが、実際は、夫が一回目の脳梗塞で倒れた1989年から始まっています。
でも、この時は夫は半年ぐらいで驚異的な回復(医師の言葉)をし、普段の生活は全部自分でこなせるほどになりましたから、仕事は退職し、形としては家で療養という生活になっていましたが、『介護生活』の実感はあまりありませんでした。
その後、1999年に今度は脳出血で倒れ、一気に認知症の症状になり、本格的な介護生活が始まったのでした。

最初に、「これは大変だ! 介護というのものは生易しくはないゾ!」と不安になったのは、夫の『不眠』でした。とにかく眠ってくれない。なんとか布団に横にして、寝息が立ち始め、「やれやれ・・・」と思ったとたんひょいと起き上がるのです。そして歩き回ろうとする。この時の表情は無表情のようでいながら妙にひたむきで、力で抑えようとしても抑えられるものではありません。
「水を飲みたい?」と関心をこちらにむけさせるとふいに落ち着くのです。ふいに落ち着く、という表現はおかしく感じられるかも知れませんが、例えば、お菓子をもらえないで泣き喚いていた幼児が、お菓子をもらったとたん、ケロリとおさまるような、そんな感じなのです。
そうして水を飲むと、また横になって眠りに入ってくれるのですが、15分ぐらいでまたひょこと起きてしまう。・・・このような状態が一晩中続くという時期が三ヶ月ぐらいありました。

この頃、私は、夫をひそかに『ゾンビ』と呼んでおりました。映画の中で、ゾンビが殺されても殺されても、ひょこと立ち上がる様を連想したからです。実際、眠りを奪われ続けて神経が疲れ果てていく私自身には、眠ったと思うとすぐに起き上がる夫はほんとにゾンビそのままに思えました。【つづく】

(佐々木和恵)

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