ごみの減量はいまや持続可能な社会の共通認識といってよい。
当然ながら、ごみは最初からごみではない。
生ごみは、元は食料品である。
「暮らしの手帖」23号の記事によれば、生ごみ(厨芥)の中身を調査したところ、食べ残しが38.8%手つかずの食品が11.1%という結果が出た。
(京都市の家庭ごみの厨芥組成調査・2002年)
半分が本来食べられるべき食物だったのだ。
「飽食」を通り過ぎて「放食」(食品をそのまま捨てる)まで日本の状況は往ってしまったのか。
今、食料の供給量と、摂取量に30%もの差があるという。つまり、30%の食料が無駄に捨てられているということなのだ。
「モッタイナイ」どころではない。もっと危機的状況であることは明らかであろう。
今朝の(8月30日)朝日新聞によれば、今までジャパンマネーで買い漁っていた海外の食料が最近は思うような値で買えなくなっているという。近い将来、食料の確保に困難な時が来るのではないだろうか。
私たちに出来ることはあるのだろうか。
当たり前で、小さなことかもしれないが、
食への感謝を忘れないこと、そして食品・食材を大事にすること。
野菜でも、魚や肉でも、食材にいとおしさを感じることが出来れば、
それを、どう料して美味しく頂くことが出来るのかを考える。
「手軽に手に入れて、手軽に捨てる」そんな生活スタイルを見直す時が来ている。
前回書いたジャガイモに気をよくして、今度はかぼちゃの種を埋めてみ た。きれいな黄色い花は見事に咲いたものの、実のなる気配はなし。
かぼちゃの収穫は夢で終わったようだ。
無精者には野菜を作るのは難しいと納得したしだいである。
(浅越 美枝)