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北沢川文化遺産保存の会

2007-03-25 17:54:28

情報化が進み、家庭にいながらにして必要な情報を得られる時代です。子育て世代でも家の中に閉じこもらず積極的にそれらを活用し、子育てができるようになりました。
また子どもと共に出掛けられる居場所(子育て広場等)もあちこちで見受けられるようになり、同世代の人たちとのつながりを持つこともできるようになりました。
しかし、「居場所」を必要とするのは子育て世代だけではありません。

■誰でも気軽に立ち寄れる「居場所」
都市地域では誰でも気軽に立ち寄れる「居場所」が少ない、と作家であり「北沢川文化遺産保存の会」会員のきむらけんさんは言います。
世田谷区地域コミュニティ活性化支援事業報告交流会で、きむらさんは下記の報告をされました。

「 現今の我々の社会、とくに都市地域は個別化の様相を深めている。個々人が個々に生活を営んで他との繋がりをいっそうに希薄にしている。都市住宅は単なる居住地域と化しつつある。むしろそれを好むというのも都市人である。けれどもそれによって地域の活力が失われているとも言える。むすびつきが希薄な分、紐帯感がなく、孤立的である。けれども個々の人物に出会ってインタビューしてみると、それぞれが地域に思い出を残して生活をしている。自分とてそうである。家の前の遊歩道の桜には愛着がある。
 現今の地域コミュニティはなお一層連帯性を薄めつつある。それが安全安心というものを脅かしつつある。互いに知らないというところの隙を衝いて犯罪が起こっている。小学生の登下校の安全すら脅かされている。都市近代が抱える大きな問題だ。
 参加者の多くは年齢の高い人が多かった。活動に若い人が入って来ないという悩みが述べられた。世代間格差の大きさも課題である。それでも報告から見えてくることは都会人の苦悩である。若い母親の子育ての悩み、また、生きる上での悩みを都市人が抱えている。また、インターネットテレビを運営している人は地域のどこに行ったら情報が得られるのか分からないとも洩らしていた。我々の住む都会には「場」がないということだ。 そこに行けば、誰かがいて気軽に話せるという場、くつろげる空間がない。地域コミュニティというとどうしても形が先に来てしまう。なんらかの会とか、団体となる。するとそこには入りにくい。なんらかの目的を持っていればいいが、たいがいはそんなはっきりとしたものは持っていない。 都市には面白い話がいくつもいくつも転がっている。そういうことに目を向ければ生活も面白くなる。ちょっとした話をする、そんな気楽に集まれる、気楽に誰もが過ごせる空間ができるとベストだ。」
(2006年5月 世田谷区地域コミュニティ活性化支援事業報告交流会において)
邪宗門
代田一丁目、住宅街のなかにある喫茶店「邪宗門」。かつて森鴎外の娘、小説家・随筆家である「森 茉莉」が日頃通っていたということです。昭和40年12月23日開店、珈琲の心地よい香りが漂う喫茶店。「北沢川文化遺産保存の会」の事務局であり、マスターの作道明さんはもちろんこの会の会員でもあります。そして何よりもここは「ちょっとした話をする、気楽に集まれる、気楽に誰でもが過せる空間」であり、出会いを楽しめる「居場所」なのです。

きむらさんは「地域コミュニティというとどうしても形が先に来てしまう。なんらかの会とか、団体となる。するとそこには入りにくい。なんらかの目的を持っていればいいが、たいがいはそんなはっきりとしたものは持っていない」といいます。
しかし「 都市には面白い話がいくつもいくつも転がっている。そういうことに目を向ければ生活も面白くなる」ともいいます。

地域文化に目を向けそれらを後世へと語り継ぐ・・・シニア世代の生活を豊かにする、面白くする一手段としてこのような活動も意義のあることと思います。

遊歩道
※ きむらけんブログ「東京荏原都市物語」資料館
■「北沢川文化遺産保存の会」について
・活動趣旨
◎北沢川文化は地域遺産であると同時に日本の文化遺産である。
◎北沢川文化遺産を文学碑という形に表現して地域と全国に発信する。
◎北沢川文化の存在認識を通して緑道への愛着を一層深めるものとする。
・ 世田谷区 地域コミュニティ支援事業が求めているつぎの点に当会は当てはまる。
   ・住んでいるまちを魅力的にしていこう
   ・まちのことを知らせていこう

○ねらい 
町の再認識と町の文化価値の発信。
居住している町の魅力を発見し全国に発信するというもの。
 会の調査によって代田、代沢が昭和文学が凝縮している地点であることを発見した。
 質の高い、レベルの高い文学者が密集して北沢川沿いに大勢住んでいた。
例を挙げると、歌聖と言われた斉藤茂吉 詩聖と言われた萩原朔太郎、小説の神様とも言われた横光利一が居住していた。
彼らの多くが北沢川沿いを散策していた。
それだけではなく相互の交流があった。

○支援事業を受けて行ったこと
地元地区住民に対しての講演、広報活動 昨年暮れ 12月
文学散歩の実施 本年度1月

○印刷物の発行
 パンフレットを作製した
地図上に文学者の住まいをマークした、それのみならず近隣のあらゆる文化財を網羅した。お稲荷様、庚申様、教会仏閣神社など。それは「下北沢周辺地域の文化地図」となっている。これを作製し地域に発信した。大きな反響があった。
*エピソード
・当会発行の地図は区で発行しているのかと思った人がいて、実際に区の地域センターに地図をもらいに行った人もいた。
・地図を作製しての発信、これによって地域の住民から、地図に載っていない情報が多数寄せられた。 一枚の地図が地域を活性化しつつある。そういう手ごたえをつかんでいる。

○しめくくり
  痛感していることは地域の文化が次第に記憶から薄れつつあることだ。これを記録しておくことは近現代の文化史にとっても重要であると考える。これからは広報活動としての講演、また、連続的な地域講座としての公開授業、これらの開催を予定している。さしあたっては来月13日、代沢小学校家庭学級主催による「北沢川文学の小路」についての講演と文学散歩を行う。
(同上報告会より)

■北沢川文化遺産保存の会 会長長井邦雄さん「北沢川文学の小路」物語発行によせて より

地元に文化遺産がある、それは思いがけないことでした。私にとってそれは発見でした。勉強するきっかけともなりました。かつては慣れ親しんでいた北沢川でしたけれども暗渠化されなじみが薄くなっていた点もあります。格別の驚きはこの周辺に有名な文士の方たちが住んでおられたということです。
私はこの川っぷちをよく散策していました。このあたりに住んでいた多くの文士たちも私と同じことをしていたのだと思うと感慨深いものがあります。私自身この地に根をおろして仕事をやってきましたが、改めて地域を知ると、いっそうここに愛着が湧いてくるように思えてきます。文化というのは地域に存在する独特のものをいうと聞きました。他へ知らせて恥ずかしくない文学や文化がこの地で育まれていた、そのことはこれから後の世に伝えていく必要があると思います。
(山崎礼子)

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