明日はエイプリルフール・・・四月馬鹿の由来もいろいろあるようですが、「バカ」について、あれこれ思いを巡らしてみました。
まずバカの語源を調べてみますと、諸説あるようですが、サンスクリット語の[無知]「迷妄」を意味するBaka Moha から転じた言葉だというのが有力なようです。「馬鹿」と書くのはなぜ?当て字という説と、古代中国で「馬」が「鹿」だと言って献じられたことに由来するというのもあるそうです。他にもいくつかの説があるようですが、いずれにせよ、オリジナルでは仏教の言葉だったとのことです。
ということは、普段私たちが使う「バカ」と、本来の意味でのサンスクリット語での「Baka」とはずいぶん異なるのですね。オリジナルの意味からすると、五感と、「私」という自我意識に支配されている現在の私たちは、すべからく「Baka」ということになりそうです。そしてそれを覚ることが本当の英知ということらしいです。
バカを調べているうちに、特定非営利活動法人 「
アフリック・アフリカ」のHPページのサイト「アフリカ便り」の中で、面白いアフリカの民話をみつけました。「
バカとゴンゴとコシキダイカー」というおはなしですが、バカとは、カメルーンの熱帯雨林に暮らす狩猟採集民で、歌と踊りの民として知られています。カメルーンの先住民族だそうですが、「バカ」というその名前の由来はわかりません。ウィキペディアによると、カメルーンの歴史は古く、遺跡からたどると約8000年前まで遡ることができるそうです。
この「バカとゴンゴとコシキダイカー」のお話しをどう解釈するのか、思いめぐらすと面白いです。
「アフリカ便り」によると、バカ族の民話では人間が動物へ変身するお話がたくさんあるそうです。想像の世界で、バカ族と動物、植物の境界はありません。バカ族は、人間や動物、植物がごちゃごちゃになって暮らしている森の世界を、想像力の翼で飛びまわりながら、森の民としての人生を紡いでいるのだそうです。(HPからの抜粋)
これを読み、20年くらい前に見た「エメラルド フォレスト」という映画を思い出しました。たしか、アマゾンの森林を切り開いて開発を進める技師である父親に連れられて家族と一緒に現地を訪れた少年が、アマゾンの奥地に住むインディオに連れ去られ、そこで幻の民と呼ばれているインディオの酋長の息子として育てられ成長するお話しだったと思います。
息子は他の部族との戦いの他にも押し寄せる近代文明とも戦わねばなりませんでした。残酷な話の中にも、インディオに伝わる手法で超意識状態となり、トラになって森の中を疾走し、鷹になって谷の上を悠然と飛びます。今この映画をもう一度見たらどう感じるかわかりませんが、この動物になったシーンがとても印象深く、そのシーンだけをよくおぼえています。
動物が人間になったり、人間が動物になる話はアイヌの「熊送り」の儀式の背景にもあります。あの世では熊も人間の姿をしている。この世に熊として現れているのは、人間の食料になるために、あの世の人間が熊になってこの世に戻ってきている姿である。ゆえにこの世の人間は小熊を大切に育て、大きくなったら丁寧な儀式をして熊の魂をあの世に送り、その後で肉や毛皮をありがたく頂くということが実際に行われていたそうです。
このような意味深いお話しや儀式は、物質的豊かさが文明だと信じている私たちが「Baka」から目覚めるためにとても大切な、語り継いでいくべきものではないかと感じました。 (鈴木 由利子)