わたしたちが支える東ティモール
〜緊急帰国報告:コーヒー生産国での避難支援〜
東ティモールの現状と
ピースウインズが支えるフェアトレードコーヒーについての報告会に参加した。
東ティモールの騒乱が激化し、ピースウインズ現地スタッフも国外退去となり、フェアトレードコーヒーの収穫が危ぶまれた中、6月1日から収穫が始まった。
その 1 東ティモールの騒乱の経緯
1975年、東ティモールがインドネシアからの独立を宣言した直後、インドネシアが再び侵攻し、インドネシアに併合された。その後、インドネシアの民主化運動を経て、1999年国連監視のもと住民投票が行われ、事実上独立が決定した。
しかしこれに反発するインドネシアは武装民兵を送り激しい破壊と虐殺を行った。(東ティモール紛争)この時、東ティモール内の東部出身者(約3割)と西部出身者(約7割)は共にインドネシアを相手に戦ったが、その時のインドネシアの攻撃による破壊は、西ティモール(インドネシア)に近い西部の方が東部に較べ大きかった。一方東ティモール軍のリーダーには東部出身者が多く、独立後政府要人についたのは、東部出身者だった。このことが西部出身者の中に不満を残し、その感情的なくすぶりが、今回2006年4月〜6月の軍人のストライキに始まった騒乱の大きな要因だったと推測される。
しかし、これがこのように大きな騒乱となったのは、この対立する感情のしこりに乗じて混乱をあおる思惑や陰謀などが複雑にからんでいるとのこと。
西部出身者と東部出身者の違いは宗教でもなく、民族でもなく、おおよそ性格の違いなのだそうだ。
7月4日から8月5日まで東ティモール東部への避難民に米を送る緊急支援活動をしていたスタッフの報告によると、ディリ市内、郊外は、放火や破壊によりその爪痕は惨憺たるもので(放火されている家の多くは、東チモール紛争の時に、もとは西部出身者の家で、疎開して空き屋になっていた所に東部から移り住んだ東部出身者の家である)国連が緊急準備したキャンプ、使われていない建物、東部の村での避難生活が現在も続いている。しかしディリ市内の市場は再開し始め、落ち着きを取り戻しつつあるとのこと。
(鈴木由利子)