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映画 「ディック子ども達は海を見る」タイの子ども達の輝きに溢れています

2007-11-29 19:08:51

前回からの続きです。
この山岳民族の村のメートー校が舞台となった映画「ディク子ども達は海を見る」が12月22日から渋谷の映画館「Q-AXシネマ」で上映されます。すでに昨年から全国各地での自主上映が始まっており、素晴らしい反響が寄せられています。予告編はこちらから見られます。

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この映画のアリヤー・チュムサイ監督は、30代前半の、生まれも育ちも米国の女性。女優であり、ジャーナリスト、コラムニスト、大学の講師を務めるかたわら、ベストセラーを含む4冊の本を執筆し、社会貢献と指導力を評価され、タイ人女性として初めて「トウキョウ・クリエーション・アワード」を受賞している方でもあります。その上、美人コンテストでも優勝したという、いくつもの天分に恵まれた才色兼備の方。タイでは美人女優としても大変有名な方だそうです。その監督が映画封切りの22日と23日に舞台挨拶に来られるとのことです。

2000年、2月のある日、アリヤーさんが女優として海でロケをしていたときの事、彼女は、撮影現場のそばで、服を着たまま海の中に飛び込み、我を忘れて飛び回って喜んでいる子ども達の集団に出会いました。子ども達の驚きと感動に満ちたその喜びようは、一種異様でもあり、彼女はその光景に唖然とし,それは、そのまま彼女の喜びとなりました。「これが本当の人生の姿なのではないか・・・」と、彼女はその光景に満ち足りた幸せを感じました。

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彼女は、彼らが誰であるかを尋ね、それが山岳民族の子ども達で、中学の卒業記念に20時間もバスにゆられて初めて海を見に来た子ども達であることを知り、近くのレストランで子ども達にシーフードチャーハンをごちそうしました。できればそのチャーハンを親にもって帰ってあげたい、といった様子で丁寧に礼儀がよく食べる子ども達の様子にアリヤーさんは更に心を動かされ、「この子ども達のかけがえのない、この輝きの一瞬を映画にしたい!」と強く感じました。そして山岳民族のことを深く知るようになると、貧困、麻薬、エイズ、学校に行けないといった、タイ社会の抱える問題が、山岳民族の抱える問題に凝縮していると分かり、この子たちの学校を映画にすると決め、ニューヨークに渡り、学校で映画シナリオを学びました。

NYからタイに帰国後、一緒に山に入る女性のカメラマンを探していたところ、広告代理店で仕事をしていたけれど、その仕事に嫌気がさしていたニサ・コンスリを紹介されました。しかしニサは、「女優のお遊びなんかに興味はない」と大女優の申し出をあっさり蹴ったのです。ところが、アリヤーはニサのそんなところが気に入り、「あなたのような方と是非組みたい」と食い下がり、二人の完全ボランティアの映画作りが始まりました。今では二人は大の親友とのこと。二人は2004年からメートー校に入り、一年間をかけて撮影しました。

その間TPAKの近田さんも何回かメートー校に行っていました。近田さんも映画の中で映っています。近田さんが、「彼女達は何をしているの?」と先生に聞くと、「物好きな方が撮影しているんだよ」といった具合で、何回かアリヤーに会っているけれど、近田さんはどのような映画になるかは知らなかったとのこと。映画は三人の生徒に焦点をあてながら、一人一人の夢と希望を描き、一年間のメートー校での生徒達の生活を追ったドキュメンタリーです。

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地球市民ACTかながわ TPAK

2007-11-23 02:05:20

のんびる12月号で紹介する特定非営利活動法人 地球市民ACTかながわ TPAK (Terra People Act Kanagawa)の代表近田さんにタイの山岳民族の子ども達を支援するようになったいきさつをお聞きしました。

TPAKはタイ、ミャンマーの山岳民族、少数民族、インドの貧農村地区の子ども達の教育支援を行っていますが、1991年に代表の近田さんがアユタヤの孤児院を視察するスタディツアーに参加したのがきっかけでした。

その孤児院とは当時、名ばかりの施設に2000人ほどの孤児達がいて、大人に面倒をみてもらうこともなく、よい子とは限らない年上の子が小さい子の面倒をみている?という悲惨な状況でした。近田さんが、「どうして政府はこの子たちを放っておくの?この国には福祉はないの?」と尋ねると、「この子どもたちは山岳民族の子だからタイの国民ではない。だからタイの税金を使って救うことはできないのだ」という答えが返ってきました。

その悲惨さに衝撃を受けた近田さんは帰国後、友人とともに三人で各1万円を出し合い、計3万円を持って半年後、三人で再びタイに渡りました。山岳民族のことをもっと知ろうとして情報を集める内、チェンマイの奥にある小学校に熱心な先生がいると聞き、ミャンマーとの国境近くの山岳民族の村に入り、そこのメートー校を訪ねました。

そこで出会った山岳民族の村の子ども達もまた、食事も満足に与えてもらえず、学校にも行けない。将来の希望など何もないという極貧の状況の中にありました。親たちの中には、子どもはお寺に捨てた方が食事にありつけるだろうと考える親が少なくありませんでした。教育にしても、自分たちが受けなかったのだから子どもにも必要ないと考えるのが普通でした。また、親たちは遠くの畑で仕事をするため、家に戻ることなく畑で寝泊まりするため、家で老人の世話をするのは子ども達の仕事でもありました。学校に行ってしまうと困るという親達に、「子ども達にせめて初等教育を」と説得する熱心な先生のぐちを聞くことが、最初に近田さんたちにできることでした。

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オーガニックレストラン in 高麗

2007-11-05 19:19:50

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前回ブログのつづきです。高麗に行った時、お昼ご飯を食べに、阿里山(アリサン)カフェにに行って来ました。お天気もよく、高麗川を眺めながらのデッキでの食事は、“ほぼベジタリアン”の私にはとっても満足でした。

ここはレストランだけではなく、フェアトレード商品を含むオーガニック食品の販売(通販も含め)も行っているほか、20年前からオーガニック、ベジタリアンをもっと広く知ってもらおうと、多くのイベントや勉強会が開かれています。英語と日本語で書かれた「Tengu Times」という、ニュースレターも発行されています。なぜ英語版?と思ってお尋ねすると、お店のオーナーがアメリカ人でお客にも外国の方が多いからとのことでした。

中身を読んでみると、「アリサン」のイベントの様子や他のオーガニックレストランの紹介などの他に、農業の礎となる、「種」の問題にも触れてありました。

少なくとも毎月1回のペースでイベントが企画されているとのことですが、
味覚の秋、11月も楽しそうなイベントがたくさん用意されています。

他ではちょっと味わえないお料理教室:(以下HPとチラシから抜粋転載)
ヨーロッパ、南米、アジア・・・世界各地を旅し、それぞれの食文化を吸収して独自のスタイルを築き上げた米国出身のドリュー・ジャクソン氏が、「アリサン」の料理教室の為に来日しているとのこと。「世界の台所シリーズ」第4弾となる今回の教室は、「デモンストレーション料理教室」に加えて、「製造見学ツアー&実習」、そしてドリュー氏が腕をふるってくれる「ワンデー シェフの日」という3つのイベントが企画されています。

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"難民が作った郷”高麗郡を訪ねて

2007-11-01 11:32:20

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埼玉県日高市に用事があり、行ったついでに周辺を散策しようと、高麗郡を訪ねました。

その日は、まず用事を済ませてから市役所へ、玄関で観光案内地図をもらい、それから産業振興課へ。持ってくるのを忘れたレストランの場所をお聞きするためでした。関係のない建築課の方が気前よく、そのレストランのHPをダーと印刷してくださり、いろいろ親切に教えてくださいました。

まず高麗神社(こま神社とよみます)に直行。それから聖天院へ足を伸ばしました。古い道を歩いると、おそらく当時とあまり変わっていないのではないかと思えるほど、のどかで心が安らぎます。

日本人のルーツには諸説あるようですが、縄文系と、何回かにわたって異なるルートで大陸から移動してきた異なる民族の渡来系とに大別され、それらの混血により現在に至っているようです。

668年、半島では、唐と新羅の連合軍に高句麗が滅ぼされ、亡命の民が日本列島へ逃れ、関東各地に散らばって暮らすようになりました。高麗郡は、716年、朝廷が関東7ヶ国に居住していた旧高句麗の移民1799人を武蔵国に移したことにより設置されたのが最初とのこと。高麗郡は“高句麗からの難民”の開拓した土地だったのですね。

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高麗神社は、高句麗王族とされる若光が、当時の朝廷によって武蔵国内に新設されたこの高麗郷の首長として就任し、関東各地から呼び集めた高句麗からの移民とともに当時未開だったこの地を開拓した、その偉功をたたえ、若光の没後その御霊を祀った神社です。湘南の大磯町にも高麗山があり、高来神社(もとは高麗神社と呼ばれていた)があることからすると、きっと関東全域に現在もたくさんの足跡があるのでしょう。

この時の亡命移住の前にも、長野には5世紀から6世紀にかけての高句麗式積石塚が多数分布し、狛、巨麻などの古代地名が日本各地にたくさんあります。交流はもっと古くからあったのですね。聖徳太子の師となった恵慈、紙と墨の製法を伝えたとされる曇徴らの高句麗のお坊さんも有名です。若光も高句麗が滅ぶ少し前に日本にきていて、既に朝廷から高い位を授けられていたとの説もあります。

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