前回の「100人の村の未来を語ろう」〜ダグラス・スミスさんのお話しから〜のつづきです。
ダグラスさんは、「100人村」の読んだ方の反応は3つあるとおっしゃいます。
1.「ひどいところに生まれなくてよかったね〜!」という自己満足で終わる。
2.「ショックを受ける」そこから「何かしなくては、生き方を変えなくては」と、考える過程が始まる。
3.「自分たちの貧しさが豊かな国の中でたくさん読まれてベストセラーになっていることを、貧しい国の貧しい人たちが知ったらどう思うだろう?」といった疑問をもつ。
この文は、どうして世界がこういう状況になったか、どうしてこの状況が維持されているのか、どうすれば解決につながるかには一切ふれず、その部分は読者に任されています。
どうして世界がこういう状況になったかを考える時、「貧しいのは、経済発展が遅れているからよ」「豊かなのは産業革命が早く始まったからだ」と考えてしまうおそれがありますが、そもそもこの考え方がいつ始まったかというと、画期的なシナリオがあったのです。
1949年1月21日、アメリカ大統領トルーマン氏が演説の中で、初めて「underdeveloped countries」という言葉を使い、「未開発国家」という新しい定義が付けられたことから始まりました。これを境に、学問的に「発展経済学」が爆発的に力を持っていくことになったそうです。それまでは”underdeveloped”と言えば、カメラのフィルムについてしか使用されなかったそうです。(現像されていないという意味)。
近年「発展途上国」「後進国」という言葉を使うと、「開発されていないから遅れている」ということになり、それがそのまま、その国の定義に使われてしまっていますが、もとを辿るとこの演説で起きたパラダイムの転換にあったわけです。
世界を把握する言葉として、第二次世界大戦前までは、「植民者」と「植民地」が使われていました。その解決策は植民者からの独立でした。大戦後、世界の分け方が前述の演説を境に経済中心の言葉になり、「先進国」と「後進国」に代わり、「貧しいのは、植民地で搾取されているから」ではなく、「開発が遅れているから」となってきましたが、言葉を換えても、行われていることは同じです。搾取の状況は変わっていません。
植民地主義からグローバリゼーションに代わりました。結果として貧富の差は縮まっていません。グローバリゼーションで新たな貧困が生まれ、「貧困の近代化」という矛盾が起きています。例えば経済発展によって作られた町の構造は高層ビルの近くにはスラムがあり、そこにはビルの掃除などで働く人々が暮らしています。
5000語くらいの言語が存在する多様な社会が「発展」「開発」という言葉を使うことによって、「ヨーロッパのもつ経済制度を持っているか」、「ヨーロッパのもつ経済制度を持っていないか」と単純に2つに分けられているのが現状です。しかも「持っている」ほうが少数派なのです。「開発」という言葉は思考を停止させるとダグラスさんはおっしゃいます。
「経済発展に頼らない豊かさとは何だろう?」すでに多くの方が頭を悩ませている難問ですが、ダグラスさんは、少なくとも、このようなことを悩む人を増やす教育がなされ、こういうことを公に議論する人が増え、たくさんの人が議論するようにならないと、答えは見えてこない、とおっしゃいます。
これを考える時、自分と結びつけて身近にあることから考えていくことができます。例えば100ショップでは時計が100円で売られています。作った人にはおそらく5〜7円、なぜ?と考えるのです。
またフェアトレード運動は、まだ小さな小さな種ではあるけれど、消費者が「できるだけ安いモノを買う」という、経済構造を破り、労働に見合う、正当な値段を第3者が決めるという、資本主義以前のヨーロッパ中世の考えかたを取り入れています。この運動に参加することは、経済だけではなく、プラス「倫理」を基本にすえる動きに参加することになります。
以上 ダグラス・スミスさんのお話しからでした。
ダグラスさんのお話しの後、席の近い人同士がグループになり、「自分達に出来ることは何か?」といったことを話し合う短い時間がもたれました。「とりあえず、夜更かしをやめて、電気の消費を控えることにします!」とおっしゃった方がいました。「そうだな・・ウチも全員宵っ張りだし・・・」大きなことでなくても、身近なことから何かを始める感性と考える力を養いたい感じました。 (鈴木由利子)