町田市の「地域通貨 花」を広めるグループ「
まちだ大福帳」の主催する、映画「
懐かしい未来へ」の上映会とワークショップに参加しました。
この映画は、インドのラダック地方がグローバル化によりどのような問題を抱えることになったかを描いたドキュメンタリーです。
ラダックはインドの最北に位置するジャンムー・カシミール州に属する州最大の地方。ヒマラヤ山脈西部の3000mを越えた砂漠の広がる山岳・高原地帯に位置し、ガンジス川源流地域です。空気はうすく、きわめて乾燥し、雨はほとんど降りません。冬は長く、6〜7ヶ月雪に閉ざされます。チベット文化圏に属し、小チベットとも呼ばれ、古いチベット文化が一番よく受け継がれている所だそうです。
そのような過酷な環境のなか、人々は砂漠を切り開き、畑を作って麦を育て、家畜を育て、1000年以上もの間、チベット仏教に基づいた、自給自足の豊かで独特な文化と知恵を営々と受け継いできました。
映画では、豊かに広がった緑の麦畑と白い大きな家々が、夏の抜けるように澄んだ青空に美しく映し出され、目を奪われました。
ラダックが外国人に開放されたのは1974年。スウェーデンの女性言語学者ヘレナ・ノバーク・ホッジ氏は、この年、ドキュメンタリー映画の撮影メンバーとしてこの地域に入り、以後30年にわたってこの地方の伝統的な文化や自然、経済活動を守る活動を続けてきました。
彼女は、「先進国においては、現在の歪んだ社会になるまでに、どのような変遷をたどったのか、その原因を探るにも月日が経ちすぎて分からなくなってしまっているが、ラダックでは、その変化の月日がほんの20年間のこと。開発のスピードが速く進んだ結果、豊かで平和だった人々の暮らしがどのように壊され、精神的にも、物質的も貧しくなったかを見ることができる。そこから先進国の現在の複雑化した閉塞状況をどのように脱することができるか、私たちはそのヒントを学ぶことができる」と述べています。(映画の中で語られるそのままのせりふではありません)
ラダックの人々が代々伝えてきた知恵とは、映画の中でラダックの哲学者の方が語っておられた、「ラダック人は真の経済学者です」という言葉に表現されています。真ではない経済学者の唱える経済学とは、西洋的価値観での経済学のことを指し、それは結局私たちに“安心感”をもたらしてはくれませんでした。“物”を得て安心するとするなら、同時に、それが無くなった時の不安を常に感じることになります。西洋的価値観の経済学者によると、“お金のやりとりの必要のない人=貧しい人”と規定しているわけですから、“豊かさ”をかなり薄っぺらなものに規定してしていることになります。
ラダック人が「真の経済学者」である所以は、日々の生活において、人間と大地は密接に結びつき、自給自足をして、お金のやりとりの必要がない、小規模な経済であるということ。コミュニティの絆が強い、宗教が生活の全てに浸透しているということが挙げられます。
お金のかからない暮らしとはどんな暮らしなのでしょうか?私たちがここに住んでいては想像がつきにくいのですが、仮に数日間でもお店で物が手に入らなくなったとしたら、私たちはパニックになり、人生もこれで終わりか・・・、あるいは、どこからか奪い取ることを考えたりすることさえあるかもしれません。しかし、ラダックの人だったらいっこうに平気なのではないでしょうか。 周りにある自然の資源を有効に使う知識が何世代にも渡り伝えられており、皆が様々な技術を持っていて、自分たちで作り出すことができるからです。
家も道路も自分たちで協力して作ります。互いに助け合うことが当たり前の社会、助けてもらったお礼にお金が行き来することはなく、食べ物をふるまうくらいだそうです。農具、家畜は共同で使い、家畜の世話は村人が交代で世話します。そこから競争意識は生まれないし、貧富の差もありません。安心して互いを信頼し、だれもが自尊心をもって暮らしています。なんと豊かで力強い社会でしょう!
長い冬の間は生産活動ができないので、編み物をしたり、宗教的行事をしたりして過ごすとのこと。決して暮らしやすい環境ではないのですが、自然と共にのんびり、豊かに暮らし、自立しています。「政治が悪い、社会が悪い」といった声はおそらく聞かれなかったのではないでしょうか。ヘレナ・ノバーク・ホッジ氏がかつて「村で一番貧しい人の家に案内してくれ」と言った時、村人は「貧しい人はいない」という返事が返ってきたそうです。
ところがこういった、何世紀も受け継がれてきた素晴らしいコミュニティの絆、価値観、心のあり方は、この地域が外国人に開かれ、西洋的な発展の概念が持ち込まれたことにより、急ピッチに破壊されています。映画に映ったラダックの首都レーは、暴力的な映画、セクシーな映画の看板が街を汚し、影響されやすい子供達を意図的に汚しているとさえ感じました。
開発によってもたらされた学校では、受け継がれてきた伝統的な知恵ではなく、都市での消費生活に適応する知識や技術、チベット仏教から離れた西洋的な考え方が教えられます。教科書は開発の良さばかりがアピールされ、英語の習得が強要されます。経験から学んできた知恵は奪われ、子供たちの価値観を変えさせています。「これは、組織的に意図的に行われている文化の破壊である」とホッジ氏は述べています。
また、農業離れも深刻な問題になってきました。補助金をかけられた農作物がトラックによりヒマラヤを越えて排気ガスをまき散らしながらラダックに持ち込まれるようになり、これはラダックで生産されたものより安いため、農業は非経済的なものとされ、人々は自給自足の村を離れ、賃金労働を求めて首都レーに出稼ぎに行くようになりました。これは環境問題だけではなく、これまでのコミュニティの機能を破壊しています。また、人々の尊厳をも奪っています。
手伝ってもらうにもお金を支払わなければならなくなりました。人々の間に競争意識も生まれてきたとのことです。また、主人の留守を預かる女性の労働の負担も大きくなり、女性達は不安を感じるようになりました。英語ができないため都市部で働けず、かといって農業の経験がないため農村にも戻れない若者の混乱も増えているとのこと。人々はなぜこんな社会になったのか、途方にくれ嘆き悲しんでいます。
ここまでグローバル化が進んでしまうと、ラダックも20年前に戻ることは出来ませんし、開発がもたらしたものがすべて悪いわけでもなく、農業の重労働を軽減させてくれるものなどありがたい変化も当然あります。どのようにバランスをとるべきなのでしょうか?
私たちの暮らしの中でも、明るいニュースのない今日、どうにかこの閉塞状況から脱したいと皆が感じています。この映画を通して学んだことを、どのように考え、日々の暮らしの中に活かすことができるのでしょうか?短い時間の中、参加者がグループに分かれて、考える時間がもたれました。また、日本に滞在する数少ないラダックの方がこのワークショップに参加してくださり、お話しを聞くチャンスがありました。次回に続きます。
(鈴木由利子)