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ドキュメンタリー映画 「ガ−タ パレスチナの詩」鑑賞と古居みずえ監督のお話しを聞く会に参加して〜
作品紹介とストーリーはこちらから見られます。
http://ghada.jp/
この映画はパレスチナ ガザ地区難民キャンプで生まれ育った「ガータ」という名の一人の女性が結婚、出産、混乱の中にありながらも新しい女性の生き方を貫いていく過程を12年にわたって追いかけたものですが、パレスチナという、日本では「ちょっと怖いところ」という地域のなかで、私たちと同じように感じ、同じように普通に暮らす、人なつっこいおおらかな人々が描かれています。
また、監督である古居さんとガータとの出会が二人の人生にそれぞれどのように関わっていくのか、古居さんのお話を聞くことが出来、作品はもうひとつの「二人の出会い」としての側面からも、更に興味深いものになりました。
古居さんの転機
この映画の監督である古居みずえさんは、もともとジャ−ナリストになろうとしていたわけではありませんでした。37歳の時、原因不明の関節リウマチに襲われ、それまでOLとして勤めていた翻訳会社を辞め、入院先が決まるまでの一ヶ月間、家での絶望的な日々を送ることになったことが転機の始まりでした。否応なしにそれまでの人生を振り返ることとなり、納得のいく生き方をしていなかったことに向き合わざるをえませんでした。悔いても動かない体。入院してしばらくしてのこと、「もうだめだ・・・」と諦めかかった時、薬が奇跡的に効を発し、体が軽くなって動けるようになりました。すると不思議なくらい勇気がわいてきて、どんどん希望が膨らみました。「一度だけの人生、思いっきり生きていこう」このとき、OLだった普通の女性からジャ−ナリストへとシフトしたのです。
入院中にカメラを始め、一年後に「パレスチナの子供の写真展」に行き、ひどい状況の中でめげていない子供の姿を見て感動。それがパレスチナ行きのきっかけとなりました。ボランティアなどに参加し、1988年7月、40歳の時、初めてパレスチナに渡りました。
古居さんは地元の人とつながりを求め、大学のサマースクールに入り、寮生活。昼間はもっぱら出歩いてカメラを回す日々。難民キャンプに行きたくて学生達に頼んでみたりもしたが、うまくいきませんでした。9月、抵抗運動を目にした古居さんは(第一次抵抗運動は1987年に発し、暴力は1991年頃に下火となる)イスラエル側と、パレスチナ側からの両方からカメラを回しました。
ガ−タとの出会い
パレスチナ人は旅人を大切にするとのこと。通りを歩いていると、「お茶を飲んでいけ」「ご飯を食べていけ」そして「泊まっていけ」と言われるようになり、古居さんは「ここで一緒に暮らしたいな」とう気持ちになりました。ある日、外出禁止令にあい、一緒にいた家族とその家に閉じこめられることになりなりました。封建的慣習の残る地域で、実は女性が家族の中心となっているのを見て、その強さに惹かれました。それまでは、抵抗運動で石を投げる子供を記録したいとい思っていたのですが、ここで女性を撮りたいと思うようになりました。そんな折、ガザ地区難民キャンプで生まれ育ったガータを紹介してもらえるチャンスを得ました。当時23歳で結婚を目前にしたガータとの出会いは、ガータの婚約式数日前のことでした。ガ−タは古居さんには娘ほどの年齢でしたが、出会った時から、互いに強く親近感を覚えました。
婚約パーティをカメラで撮ってと頼まれたのがきっかけで、ガータの家族達を知り、家族の一員のように親しくなっていきました。しかし封建的な地域のなかで自立心の強いガータは、伝統的な結婚式を拒否して、母や、友人、婚約者の母親とぶつかっていました。(この辺りの母親達の言い分は、現在の日本でも地方に行けば同じでしょう。私の故郷でも今でも聞こえて来そうな会話だと思いました)それに屈することなく、結婚式をせず、新婚旅行にエジプトに行きを決行してしまいます。
ガータの夫は最初、古居さんの目には、「自立心の強い華やかな感じのガータが選んだ男性にしては・・・」と感じたそうですが、しだいにガータをおおらかに支えてくれる魅力がじわじわ分かってきたとのこと。映画の中でも料理が苦手なガータに変わって夫が料理をしていました。これもこの辺りではとても珍しいこと。(日本でもまだまだ珍しいですが)「パンが上手に焼けない女性なんて・・・」という中で、実際ガータは本当にヘタなのです。(これには古居さんも驚いたそうですが、ガ−タに親しみを感じたところでもありました)
ガ−タの転機
ガ−タは向学心の強い人でしたが、大学に行こうとする頃、第一次抵抗運動のため、大学が封鎖され、大学行きを諦めざると得ませんでした。そのことがショックで家に閉じこもった時期もあったそうですが、結婚して最初の子供を96年に出産、その後大学に行き、女性として新しい生き方を貫いていきます。
ガ−タはもともと政治的な女性ではなく、平和運動をするような人でもありませんでしたが、大学ではイスラエルの言語であるヘブライ語をならいます。そのことで友人もできず悩みも多かったとのこと。しかし次第にイスラエルの学生とも話ができるようになり、このあたりから、ガ−タの意識が平和を求める方向に変わっていきました。そして2000年、第二次抵抗運動が起こり、(イスラエルのシャロン首相が1,000名の武装した側近と共にアル・アクサモスクに入場したのがきっかけ)親戚の子供が後ろから頭を銃でうたれ死亡。そのショックでガ−タはパレスチナ人としてのアイデンティティに目覚めていきます。
そしてパレスチナ人の老人達から、1948年のイスラエル建国によって、ある日突然土地を奪われ、放り出され、故郷を失った、その時の体験と1948年以前の緑豊かな平和だったころの暮らしを聞き始めるようになりました。
どん底の苦しみを味わっても懸命に生きている人々が、ガータによるインタビューに応えて、素朴な詩や踊りと共におおらかにたくましく描かれています。ここのところは、失われた故郷を掘り起こし、ドキュメンタリーとして残そうとするガータを通して古居さんがカメラを回すという二重のドキュメンタリーとなっています。
たくましい人々・・・もし私たちが同じ目にあったとしたら、果たしてこんな風に生きていけるだろうか・・と思いました。
古居さんは最後に
私たちにできることとして、まずは「
知ってください」とのこと。
「パレスチナの人々の素朴で自然な姿は報道されません。自然に生きたいのに生きられない状況にあることを知ってください。その上で出来る方は、自分のやり方で支援してください」
この映画を広めるのも一つの支援です。上映情報はHPにあります。5月から一般公開も予定されています。
また、パレスチナ人々を支えるのにパレスチナのオリーブオイル、石けんなどがフェアトレードとして販売されています。以下のサイトをご覧下さい。
オルター・トレード・ジャパンhttp://altertrade.jp/02/poo/poo_01.html
パレスチナ・オリーブ http://www5a.biglobe.ne.jp/~polive/
(鈴木由利子)