のんびる12月号で紹介する特定非営利活動法人
地球市民ACTかながわ TPAK (Terra People Act Kanagawa)の代表近田さんにタイの山岳民族の子ども達を支援するようになったいきさつをお聞きしました。
TPAKはタイ、ミャンマーの山岳民族、少数民族、インドの貧農村地区の子ども達の教育支援を行っていますが、1991年に代表の近田さんがアユタヤの孤児院を視察するスタディツアーに参加したのがきっかけでした。
その孤児院とは当時、名ばかりの施設に2000人ほどの孤児達がいて、大人に面倒をみてもらうこともなく、よい子とは限らない年上の子が小さい子の面倒をみている?という悲惨な状況でした。近田さんが、「どうして政府はこの子たちを放っておくの?この国には福祉はないの?」と尋ねると、「この子どもたちは山岳民族の子だからタイの国民ではない。だからタイの税金を使って救うことはできないのだ」という答えが返ってきました。
その悲惨さに衝撃を受けた近田さんは帰国後、友人とともに三人で各1万円を出し合い、計3万円を持って半年後、三人で再びタイに渡りました。山岳民族のことをもっと知ろうとして情報を集める内、チェンマイの奥にある小学校に熱心な先生がいると聞き、ミャンマーとの国境近くの山岳民族の村に入り、そこのメートー校を訪ねました。
そこで出会った山岳民族の村の子ども達もまた、食事も満足に与えてもらえず、学校にも行けない。将来の希望など何もないという極貧の状況の中にありました。親たちの中には、子どもはお寺に捨てた方が食事にありつけるだろうと考える親が少なくありませんでした。教育にしても、自分たちが受けなかったのだから子どもにも必要ないと考えるのが普通でした。また、親たちは遠くの畑で仕事をするため、家に戻ることなく畑で寝泊まりするため、家で老人の世話をするのは子ども達の仕事でもありました。学校に行ってしまうと困るという親達に、「子ども達にせめて初等教育を」と説得する熱心な先生のぐちを聞くことが、最初に近田さんたちにできることでした。
校長先生に「何か自分たちにできることはないですか?」と聞くと、「校舎がほしい」ということでした。そのころのメートー小学校といえば屋根のない青空教室。近田さん達たちに校舎をたてる資金などありませんでした。しかしちょうどそのとき、日本大使館に申請をすれば校舎を建てる資金が得られるプロジェクトがあるから申請すれば資金が出るかもしれないという情報がタイミングよく近田さんに入りました。さっそく学校に資金提供の申請をしてもらい、立派な校舎が建ちました。
子どもを学校に行かせることを拒んだ親達のところには校長が一軒一軒足を運び説得しました。切り札は給食でした。学校に行けば3食もらえることが分かると親たちは積極的に子どもを出すようになりました。
子ども達は近くても数キロの道のりを通ってきます。通えないほど遠くの子もいます。寮が出来るまでは、昼には教室だったところが、夜はゴザを敷いて寝る場所になりました。
そうなると、次の課題は、食べ物の確保と屎尿処理の問題でした。メート校には、農業や養鶏、養豚を指導できる先生がいたので、学校農園を作り、養鶏、養豚も行始め、近田さん達は鍬や鋤といった道具の支援をし、子ども達に自給自足の道を付けました。
学校で生活するようになった子ども達は、それまでノミやシラミだらけで、トイレも使わす、洗面もしない、歯も磨かないという生活でしたが、血色もよくなり、身ぎれいで、賢くなって、見違えるようになりました。そして寮生活で徹底的にたたき込まれた衛生教育を家に帰って親たちに教えるようになると、親達もまた変化しました。「子どもには百姓をさせたくない、職業を自由に選べる子になってほしい」と思うようになったのです。
近田さんたちは日本に帰るたびに、個人からの寄付を集めると同時に、タイ料理教室開いたり、タイから持ち帰ったグッズを売るなどして、資金集めに奔走しました。そうして集まったお金をせっせとメートー校に運びました。食べ物では、子ども達の髪が赤いので、ヨード成分のあるワカメや海草類もせっせと運んだそうです。
タイ料理教室はとても人気があり、当時1ヶ月に10クラスもあり、300人もの生徒がいたとのこと。またタイのグッズもよく売れたそうです。(現在は、タイ料理教室は休んでいますが、バザーは頻繁に行われています。)
小学校が軌道に乗り、次に村に中学校を作りました。その次は中学を卒業した子どもたちを町の高校・大学に送ることです。しかし、町で使われている言葉は山岳民族の子どもにとっては知らない言葉です。言葉も違い、頼れる親戚などいない子どもにとって、町で暮らすには同郷の子ども達と暮らす寮が欠かせません。寮を借り上げないと子ども達は高校にも大学も行けないのです。TPAKの支援により、メートー校は町に寮を借り上げ、子ども達を高校、大学に送ることができるようになりました。14年間の支援が実り、昨年では83%の中学卒業生が高校と専門学校に進学しました。そして今年は大学卒業生がメート学校に先生として戻ってきたという嬉しいニュースが入りました。
次回に続きます。
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次回のブログは、この山岳民族の村のメート校が舞台となった映画「ディク子ども達は海を見る」ができるまでの裏話です。(鈴木由利子)