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世界エイズ孤児デー 写真展

2008-05-07 15:22:29

今日、5月7日は世界エイズ孤児デーです。2002年5月7日、ニューヨークで開催された 「国連子ども特別総会」 にてエイズ孤児の支援を訴える請願書と200万人の署名がアナン国連事務総長へ提出され、これを受け手世界エイズ孤児デーが国際的に制定されたとのことです。この日に合わせて世界各国でエイズ孤児の支援を求める活動が展開されています。

日本ではエイズ孤児支援NGO・PLAS が主導となって世界エイズ孤児デーキャンペーン「Pieces for Peace2008 あなたにもできることが、ここにある」を展開しています。キャンペーンの一環として開かれている写真展「アフリカのエイズ孤児」を広尾にある JICA地球ひろばで見てきました。

写真家の相川美穂さんが2006年にエイズ孤児支援NGO・PLASの支援先、ウガンダのスラムにあるBlessed Nursery and Primary School とその地域を撮影した写真展です。

エイズというと私たちは大人のイメージしてしまうのですが、エイズで苦しむのは大人だけではなく、親をエイズで亡くしたエイズ孤児達も大きな問題となっています。エイズ孤児は全世界で1500万人いると言われ、内1230万人はサハラ以南のアフリカです。14秒に一人の割で子どもがエイズによって親を亡くしています。2010年には2000万人から2500万人にふくれ上がると予想されています。

ウガンダ共和国は、エイズ対策に成功した国とされています。確かに妊婦のHIV感染率は1992年に30%だったのが、2002年には8.3%までになっているそうです。しかし2010年には人口が増加するにもかかわらず平均寿命は54歳から45歳になると言われています。

親をエイズで亡くした子ども達は、祖父母・親戚・地域住民に預けられるか(労働力と見なされ学校に行かせてもらえない。医療、衣食住すべての点で家庭の中でさえ差別や、偏見を受けます)、ストリートチルドレンになる子、子供だけで生活するエイズ孤児の家で暮らす子もいます。また、騙されて人身売買の被害にあう子、誘拐されて少年兵や児童労働、売春を課せられる子もいます。教育が受けられませんから、エイズの知識もなく、自分もエイズに感染する。差別されて仕事にも就けない、麻薬、アルコール依存症になる。そしてこれが更なるエイズ孤児を生むことになるという悪循環となってます。

しかしそのような過酷な状況を経験してきた子どもたちの中にも学校に行けるようになった子どもたちがいます。相川さんの作品にはその子どもたちの輝く笑顔があふれています。子どもたちは教育を受けることで誇りを取り戻したようで、「何より学ぶことが楽しい」と言っています。

会場では相川さんの作品やエイズ孤児についての映像、パネル展示が行われています。

写真の展示は5月11日(日)まで
<会場> JICA地球ひろば 1階 企画展示スペース
<対象>興味・関心をお持ちの方ならどなたでも
<入場料>無料
会場アクセスはこちら

世界エイズ孤児デーキャンペーン世界をうごかす7つのストーリーはこちらから

キャンペーンムービーはこちらから

ご寄付はこちらから
                    (鈴木由利子)

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写真展へのお誘い

2008-04-28 15:10:53

「写真は私たちの想像力を引き出し、考えるきっかけとなる媒体です」と写真家の大石芳野さんが言っておられました。まずは知ることから始めませんか?外を歩くのも気持ちのよい季節、ヨルダンに暮らすイラク避難民の物語とケニアでのエイズ治療の現状を写真を通して学んでみませんか?

”友情のフォトグラファー”写真展2008
イラク避難民家族の物語」〜ヨルダンで願う平和〜
2003年3月19日、イラクに最初の空爆が行われてから、はや5年の月日が経過しました。「イラクの自由作戦」と命名された戦渦の中で、国外へ避難したイラク人の数は200万を超えるといわれています。中でも隣国ヨルダンにおける避難民は約75万人とされていますが、多くの人々が難民と認められておらず正確な数は把握されていません。また、避難生活の様子が伝えられることも少ないのです。イラク避難民の姿や、彼らが抱く、母国での戦渦の記憶と美しい思い出、ヨルダンでの避難生活がもたらす安堵と苦悩、そして、将来への希望と不安が交錯する家族の物語に、KnKと共に耳を傾けてみてください

主催: 国境なき子どもたち(KnK
時: 2008年5月07日(水)〜5月14日(水)午前10:00〜午後6:00  
   最終日は午後3:00まで
場所:アイデムフォトギャラリー シリウス 
   (地下鉄丸の内線新宿御苑前駅すぐ)
地図はこちらから

写真家:谷本 美加 (たにもと みか)さんの 詳しい経歴・著作などはこちら

5月10日(土)は14:00〜より、会場にて写真家によるギャラリートーク(KnK10周年記念公開講座『シリーズ アジア』最終回:ヨルダン)が行われます。申し込みは件名を 『ギャラリートーク参加希望』 として、1.所属、2.名前、3.メールアドレス、4.参加人数、を記入の上 kodomo@knk.or.jp 宛にお送りください。
(締切:5月9日18時)  (以上KnKのHPより抜粋転載)


国境なき医師団日本写真展:TUMAINI (トゥマイニ=hope) 命をつなぐ

HIV/エイズの蔓延が深刻な国のひとつであるケニア。国境なき医師団(MSF)はこれまで10年以上に渡って、ケニアでエイズ治療プログラムを行ってきました。感染がとりわけ深刻な首都ナイロビのスラム地区と西部の町ホマベイにおけるプログラムを、ドイツ人写真家のマティアス・シュタインバッハが2006年と2007年の2度に渡って撮影しました。HIVと結核に二重感染した患者、小児病棟に入院する子どもたち、母子感染予防治療を受ける母親の肖像など、78点の作品を通じてエイズ治療の現場を紹介します
現在、世界のHIV感染者数は推定3300万人。MSFはアフリカを中心とする30ヵ国以上で、10万人以上の患者にエイズ治療を提供しています。

主催:国境なき医師団(MSF)日本
時:2008年4月19日(土)より6月1日(日) 11:00〜20:00
場所:東京・表参道GYRE(ジャイル)  東京都渋谷区神宮前5-10-1 GYRE 2F 
入場料:無料
問い合わせ:特定非営利活動法人 国境なき医師団日本
TEL: 03-5337-1502 (土日祝を除く 10:00〜18:00)

写真家:マティアス・シュタインバッハ
1969年生まれ、ドイツ、ベルリン在住。ドキュメンタリー写真家として主に社会問題に焦点を当てた写真を撮り続けている。
(以上国境なき医師団日本のHPより抜粋転載)

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映画「懐かしい未来へ」―2

2008-04-21 21:35:39

日本にラダックからの方が何人滞在しておられるか分かりませんが、おそらく10人もいないのではないかとのことです。この日、数ヶ月間日本に滞在しているラダックの方が、偶然このワークショップに参加して下さり、直接お話しを窺えたのは有りがたいことでした。さわやかな笑顔と澄んだ目をもった好青年でした。

日本に来て驚いたことは、エスカレーターに乗っているのに歩いている人や、次の電車を待たずに無理やり電車に乗る人達。「時間を早送りしているようだ」と感じたそうです。「ラダックに来たら、時間を味わうことができますよ」とのこと。「日本人はあまりopen mind ではなく、控えめなところがラダックの人たちと似ている」のだそうです。

食べ物については、ラダックにも餃子やうどんがあるとのこと。野菜はあまり食べず、肉を食べる割合が多いそうです。日本人は30品目食べるのが良いと言われていますが、ラダックは冬が長いため野菜の種類が少ないのですが、家畜が薬草や栄養価の高い牧草を放牧でたっぷり食べているので、そのミルクや肉は日本ものとは栄養分が異なり、それを食する人間は野菜を取らなくても栄養のバランスが取れているそうです。主食はもともと麦ですが、最近は1日の内1食は米になったそうです。しかしお年寄りはやはり麦を好むそうです。

西洋的な経済システムが入るまでは、他人と自分を較べることなどあまりなかったのですが、収穫の早さ、車の善し悪しなどに競争意識が生まれ、人々は他の人の行っていることを気にするようになったとのことです。また開発によるテクノロジーを導入することで、重労働から解放されたのは良いことだけど、短縮して出来た時間を使って何をするかといえば、他のことをして忙しくしている、と時間に追われて生活することになったことを嘆いているようでした。

日本人は休みが多くなっても過ごし方が分からず、忙しくしている方が安心だという人が多いと聞きます。ラダック人は生産活動のない冬は冬眠のような生活をし、糸を紡ぎ、靴を作り、編み物をしたり、また暖かい所に巡礼に行ったり、何日も続く祭りや結婚式、僧侶の説法を聞いたりしてのんびり、ゆったり過ごすそうです。

忙しいということは、人生を根本的に見直すとか考えるという時間をなくさせているということにもなります。限られた時間の中でできるだけたくさんのことを詰め込むことができるのが良いという、今日の私たちの考え方は、やはりどこかで狂ったのですね。

不幸になるための仕組みにはまっているとさえ感じることがあります。コマーシャルは「○○が足りない」と足りないものを煽り、私たちは常に何かが足りないと思わされています。そこで参加者が5〜6人ずつの6つのグループに分かれ「幸せって何?私たちが今からできることは何?」というテーマで話し合がもたれました。私のグループにはラダックの青年と通訳の方が入りました。

ラダックの青年は「心の平安」が得られていることが幸せであり、今からできることは「瞑想」ということでした。「過去が良かった、と過去に執着しても意味がないし、すべての物ごとは留まることなく常に変化している。変化を元に戻すことはできない」とその青年は言います。宗教が生活の中にしっかり根を下ろしている文化に育っている方のお答えでした。きっと日常的に瞑想する人たちは「することがなくて暇だ〜」と感じることはないのでしょうね。

ラダックの方々の「足りる」ことを知り、自然の摂理に沿って生活していく暮らし方がどこか懐かしくまぶしく感じられました。 (鈴木由利子)

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映画 「懐かしい未来へ」

2008-04-16 15:32:00

町田市の「地域通貨 花」を広めるグループ「まちだ大福帳」の主催する、映画「懐かしい未来へ」の上映会とワークショップに参加しました。

この映画は、インドのラダック地方がグローバル化によりどのような問題を抱えることになったかを描いたドキュメンタリーです。

ラダックはインドの最北に位置するジャンムー・カシミール州に属する州最大の地方。ヒマラヤ山脈西部の3000mを越えた砂漠の広がる山岳・高原地帯に位置し、ガンジス川源流地域です。空気はうすく、きわめて乾燥し、雨はほとんど降りません。冬は長く、6〜7ヶ月雪に閉ざされます。チベット文化圏に属し、小チベットとも呼ばれ、古いチベット文化が一番よく受け継がれている所だそうです。

そのような過酷な環境のなか、人々は砂漠を切り開き、畑を作って麦を育て、家畜を育て、1000年以上もの間、チベット仏教に基づいた、自給自足の豊かで独特な文化と知恵を営々と受け継いできました。
映画では、豊かに広がった緑の麦畑と白い大きな家々が、夏の抜けるように澄んだ青空に美しく映し出され、目を奪われました。

ラダックが外国人に開放されたのは1974年。スウェーデンの女性言語学者ヘレナ・ノバーク・ホッジ氏は、この年、ドキュメンタリー映画の撮影メンバーとしてこの地域に入り、以後30年にわたってこの地方の伝統的な文化や自然、経済活動を守る活動を続けてきました。

彼女は、「先進国においては、現在の歪んだ社会になるまでに、どのような変遷をたどったのか、その原因を探るにも月日が経ちすぎて分からなくなってしまっているが、ラダックでは、その変化の月日がほんの20年間のこと。開発のスピードが速く進んだ結果、豊かで平和だった人々の暮らしがどのように壊され、精神的にも、物質的も貧しくなったかを見ることができる。そこから先進国の現在の複雑化した閉塞状況をどのように脱することができるか、私たちはそのヒントを学ぶことができる」と述べています。(映画の中で語られるそのままのせりふではありません)

ラダックの人々が代々伝えてきた知恵とは、映画の中でラダックの哲学者の方が語っておられた、「ラダック人は真の経済学者です」という言葉に表現されています。真ではない経済学者の唱える経済学とは、西洋的価値観での経済学のことを指し、それは結局私たちに“安心感”をもたらしてはくれませんでした。“物”を得て安心するとするなら、同時に、それが無くなった時の不安を常に感じることになります。西洋的価値観の経済学者によると、“お金のやりとりの必要のない人=貧しい人”と規定しているわけですから、“豊かさ”をかなり薄っぺらなものに規定してしていることになります。

ラダック人が「真の経済学者」である所以は、日々の生活において、人間と大地は密接に結びつき、自給自足をして、お金のやりとりの必要がない、小規模な経済であるということ。コミュニティの絆が強い、宗教が生活の全てに浸透しているということが挙げられます。

お金のかからない暮らしとはどんな暮らしなのでしょうか?私たちがここに住んでいては想像がつきにくいのですが、仮に数日間でもお店で物が手に入らなくなったとしたら、私たちはパニックになり、人生もこれで終わりか・・・、あるいは、どこからか奪い取ることを考えたりすることさえあるかもしれません。しかし、ラダックの人だったらいっこうに平気なのではないでしょうか。 周りにある自然の資源を有効に使う知識が何世代にも渡り伝えられており、皆が様々な技術を持っていて、自分たちで作り出すことができるからです。

家も道路も自分たちで協力して作ります。互いに助け合うことが当たり前の社会、助けてもらったお礼にお金が行き来することはなく、食べ物をふるまうくらいだそうです。農具、家畜は共同で使い、家畜の世話は村人が交代で世話します。そこから競争意識は生まれないし、貧富の差もありません。安心して互いを信頼し、だれもが自尊心をもって暮らしています。なんと豊かで力強い社会でしょう!

長い冬の間は生産活動ができないので、編み物をしたり、宗教的行事をしたりして過ごすとのこと。決して暮らしやすい環境ではないのですが、自然と共にのんびり、豊かに暮らし、自立しています。「政治が悪い、社会が悪い」といった声はおそらく聞かれなかったのではないでしょうか。ヘレナ・ノバーク・ホッジ氏がかつて「村で一番貧しい人の家に案内してくれ」と言った時、村人は「貧しい人はいない」という返事が返ってきたそうです。

ところがこういった、何世紀も受け継がれてきた素晴らしいコミュニティの絆、価値観、心のあり方は、この地域が外国人に開かれ、西洋的な発展の概念が持ち込まれたことにより、急ピッチに破壊されています。映画に映ったラダックの首都レーは、暴力的な映画、セクシーな映画の看板が街を汚し、影響されやすい子供達を意図的に汚しているとさえ感じました。

開発によってもたらされた学校では、受け継がれてきた伝統的な知恵ではなく、都市での消費生活に適応する知識や技術、チベット仏教から離れた西洋的な考え方が教えられます。教科書は開発の良さばかりがアピールされ、英語の習得が強要されます。経験から学んできた知恵は奪われ、子供たちの価値観を変えさせています。「これは、組織的に意図的に行われている文化の破壊である」とホッジ氏は述べています。

また、農業離れも深刻な問題になってきました。補助金をかけられた農作物がトラックによりヒマラヤを越えて排気ガスをまき散らしながらラダックに持ち込まれるようになり、これはラダックで生産されたものより安いため、農業は非経済的なものとされ、人々は自給自足の村を離れ、賃金労働を求めて首都レーに出稼ぎに行くようになりました。これは環境問題だけではなく、これまでのコミュニティの機能を破壊しています。また、人々の尊厳をも奪っています。

手伝ってもらうにもお金を支払わなければならなくなりました。人々の間に競争意識も生まれてきたとのことです。また、主人の留守を預かる女性の労働の負担も大きくなり、女性達は不安を感じるようになりました。英語ができないため都市部で働けず、かといって農業の経験がないため農村にも戻れない若者の混乱も増えているとのこと。人々はなぜこんな社会になったのか、途方にくれ嘆き悲しんでいます。

ここまでグローバル化が進んでしまうと、ラダックも20年前に戻ることは出来ませんし、開発がもたらしたものがすべて悪いわけでもなく、農業の重労働を軽減させてくれるものなどありがたい変化も当然あります。どのようにバランスをとるべきなのでしょうか?

私たちの暮らしの中でも、明るいニュースのない今日、どうにかこの閉塞状況から脱したいと皆が感じています。この映画を通して学んだことを、どのように考え、日々の暮らしの中に活かすことができるのでしょうか?短い時間の中、参加者がグループに分かれて、考える時間がもたれました。また、日本に滞在する数少ないラダックの方がこのワークショップに参加してくださり、お話しを聞くチャンスがありました。次回に続きます。
             (鈴木由利子)

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バカ、Baka についてあれこれ

2008-03-31 12:58:08

明日はエイプリルフール・・・四月馬鹿の由来もいろいろあるようですが、「バカ」について、あれこれ思いを巡らしてみました。

まずバカの語源を調べてみますと、諸説あるようですが、サンスクリット語の[無知]「迷妄」を意味するBaka Moha から転じた言葉だというのが有力なようです。「馬鹿」と書くのはなぜ?当て字という説と、古代中国で「馬」が「鹿」だと言って献じられたことに由来するというのもあるそうです。他にもいくつかの説があるようですが、いずれにせよ、オリジナルでは仏教の言葉だったとのことです。

ということは、普段私たちが使う「バカ」と、本来の意味でのサンスクリット語での「Baka」とはずいぶん異なるのですね。オリジナルの意味からすると、五感と、「私」という自我意識に支配されている現在の私たちは、すべからく「Baka」ということになりそうです。そしてそれを覚ることが本当の英知ということらしいです。

バカを調べているうちに、特定非営利活動法人 「アフリック・アフリカ」のHPページのサイト「アフリカ便り」の中で、面白いアフリカの民話をみつけました。「バカとゴンゴとコシキダイカー」というおはなしですが、バカとは、カメルーンの熱帯雨林に暮らす狩猟採集民で、歌と踊りの民として知られています。カメルーンの先住民族だそうですが、「バカ」というその名前の由来はわかりません。ウィキペディアによると、カメルーンの歴史は古く、遺跡からたどると約8000年前まで遡ることができるそうです。

この「バカとゴンゴとコシキダイカー」のお話しをどう解釈するのか、思いめぐらすと面白いです。

「アフリカ便り」によると、バカ族の民話では人間が動物へ変身するお話がたくさんあるそうです。想像の世界で、バカ族と動物、植物の境界はありません。バカ族は、人間や動物、植物がごちゃごちゃになって暮らしている森の世界を、想像力の翼で飛びまわりながら、森の民としての人生を紡いでいるのだそうです。(HPからの抜粋)

これを読み、20年くらい前に見た「エメラルド フォレスト」という映画を思い出しました。たしか、アマゾンの森林を切り開いて開発を進める技師である父親に連れられて家族と一緒に現地を訪れた少年が、アマゾンの奥地に住むインディオに連れ去られ、そこで幻の民と呼ばれているインディオの酋長の息子として育てられ成長するお話しだったと思います。

息子は他の部族との戦いの他にも押し寄せる近代文明とも戦わねばなりませんでした。残酷な話の中にも、インディオに伝わる手法で超意識状態となり、トラになって森の中を疾走し、鷹になって谷の上を悠然と飛びます。今この映画をもう一度見たらどう感じるかわかりませんが、この動物になったシーンがとても印象深く、そのシーンだけをよくおぼえています。

動物が人間になったり、人間が動物になる話はアイヌの「熊送り」の儀式の背景にもあります。あの世では熊も人間の姿をしている。この世に熊として現れているのは、人間の食料になるために、あの世の人間が熊になってこの世に戻ってきている姿である。ゆえにこの世の人間は小熊を大切に育て、大きくなったら丁寧な儀式をして熊の魂をあの世に送り、その後で肉や毛皮をありがたく頂くということが実際に行われていたそうです。

このような意味深いお話しや儀式は、物質的豊かさが文明だと信じている私たちが「Baka」から目覚めるためにとても大切な、語り継いでいくべきものではないかと感じました。  (鈴木 由利子)

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元気なばあさまの野草料理教室

2008-03-27 18:38:22

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先週、友人に誘われて、若杉友子さんの本「若杉友子の野草料理教室」の出版記念の会に出席しました。時間をまちがえてしまい、残念ながら講演は聴けませんでしたが、パーティでは若杉さんの自然食をいただくことができました。翌日は自分の体はこんなに単純だったの?と思うほど、普段は冷たい足が一日中ぽかぽか温かかったです。会には様々な方面からの方が出版のお祝いにかけつけておられ、皆様のお話を窺うだけでも部外者の私には新鮮でした。

若杉友子さんは、現代ではほとんど忘れられた、昔の人々の膨大な知恵を軽々と実践しておられる、とってもオープンな方。
以下、若杉さんと協働している、「NPO法人メダカのがっこう」HPから若杉さんのプロフィールを転載します。

「1960年頃から大豆、トウモロコシ、小麦に始まり、現在ほとんどの栽培野菜が一代限りの命をつながない種(F1種という)に変わってしまっているのをご存知ですか?
若杉さんは、この種の存在に命の危機を感じ、自分の力で種を落とし命をつなぐ力を持っている野草に注目、体を壊さない正しくておいしい食べ方を研究してきました。
 現在は、京都の綾部で山を掃除し薪と炭で煮炊きし、田んぼと畑を持ち、野草を採って、ものすごくパワフルは自給自足生活をしておられます。
70歳になっても、山に入ると誰も追いつけず、スクワットを100回もできる体力の持ち主です。
 米、塩、命ある草を、醤油やみそ、本物の調味料で料理して食べることや、医者がない時代から受け継いでいるおばあちゃんの知恵を教えながら、日本人の食の建て直しを始めておられます」

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私も会場でこの本を手に入れ、早速読んでみました。背筋が伸びてくるような本で、参加者のどなたかが、「知識が、バイブレーションとともに細胞に入って行く感じ」とおっしゃっていましたが、単純な私は、読むだけで体が反応しているようでした。

この本は単なるお料理の本ではなく、辞書のように使いたい本で、種の話、エネルギーの話、陰陽の話、環境の話などなど多義にわたって、他では例のない貴重な情報がお料理と結びついて語られています。

例えば、「・・・・今の米はコンバインで刈られているでしょ。これはね。摂氏80度あるの。これで収穫するだけでもう、種にならないっていうことよ。さらに乾燥機に2日間かけるんだよ。これで灯油・重油をどれだけ使うとおもうの??それで又精米機にかけて、ここでまた火の先礼よ。だからね、いくら無農薬だなんだって言っても、ご飯にする前にすでに全身やけど状態の物を食べてるわけよ。それをまた圧力鍋でたくでしょ。だから私は土鍋を使いなさいって言うの・・・」(「若杉友子の野草料理教室」より抜粋転載)

こんな調子でお料理教室で教えながら語っておられるように書かれています。我が身の食生活を振り返ると冷や汗です。実際に20年間ひどいアトピーに苦しんだ方が、若杉さんの食事に関する注意を忠実に守ったところ半年でキレイに治ったとのこと、スピーチで実際に聞くと、このような食事をすれば私も元気な「ばあさん」になれそう!と思いました。

アマゾンでも購入できるそうです。値段は1500円です。また、発行元の「ふーよよ企画」FAX 0797−88−8629又は、「メダカのがっこう」事務局に名前、住所、電話番号、ファックス番号を書いてファックスすると代引きで送られるそうです。代引き手数料と送料がかかります。
「メダカのがっこう」の電話:0422−70−6647  ファックスは 0422−70−6648

さてそのパーティ上でスピーチなさった方の中に、途上国の農業開発、環境保全、人材育成などを行っているNGO法人 OISCA の岡本さんがおられ、途上国の人からの「教育以前に食べさせてくれ」という願いを受けて、現地に行き、農業を指導することになった話を短い時間の中で話してくださいました。

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ツバルの映画 へのお誘い

2008-02-12 01:17:31

ツバルという国を御存知ですか?
フィジーの少し北に位置し、品川区くらいの面積に人口は1万人ほど。バチカンを除くと、独立国の中で最も人口の少ない国だそうです。9つの珊瑚島からなる小さな島国は、環礁といわれ、幅の狭い土地が輪のような形で、美しい海面に浮かんでいます。1978年にイギリスの植民地から独立した時、8つの島にしか人が住んでいなかったので、国名は、ツ(TU)=立ち上がる、バル(VALU) =8 となったそうです。

ツバルは今温暖化の影響で海面下に沈みつつあり、住民に深刻な不安を引き起こしています。海抜が1メートルのこの国は、すでに満潮時で50センチの海面上昇があり、それに加えて温暖化の影響を受け、常時浸水する面積が広がっているとのことです。また砂浜も高くなった波にさらわれ、その面積は減少しています。砂浜にあった椰子の木は根元から倒れています。また、これも温暖化の影響で、飲み水として頼っていた雨が降らなくなり、それも深刻な死活問題となっています。かつて使われていた井戸は海面上昇により、井戸に海水が入り使えなくなったそうです。

このツバルの状況をNPO法人宇宙船地球号の事務局長山本敏晴氏が視察して映画になっています。この映画は、今週末にはJICA地球広場で上映会があります。ただし今回はほぼ予約で満席状態とのこと。ですが、これからいくつか上映会が予定されています。(一般公開は、5月4日はJICA横浜)、また自主上映主宰者も募集されています。興味のある方は、こちらで詳細をご覧下さい。

山本氏がこのツバルのこと、温暖化についてOur Planet-TV の番組”Contact”の中で語っておられます。この番組の中で、日本も他国事ではなく、このまま温暖化が進み最悪のケースを考えると、例えば東京では、東京湾沿いのかなりの多くの地域が沈没するといる怖い予想が立てられています。

二酸化炭素排出量を国別で見ると、一位はこれまで米国でしたが、2008年には中国になるとのこと。1人当たりの排出量一位はやはり米国、日本は8位で、中国の一人当たりの3倍出していることになるとのことです。

「私たちが個人レベルでできるエコライフは?」という質問に山本氏は「モノを買うとき、それが本当にどうしても必要なものかどうかを考えるということ。余計なものを買わなければ企業も作らなくなる。工場から排出される二酸化炭素が減るようになる・・・」と提案なさっています。衝動買いはどのみち良くないですね〜

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映画 「ディック子ども達は海を見る」タイの子ども達の輝きに溢れています

2007-11-29 19:08:51

前回からの続きです。
この山岳民族の村のメートー校が舞台となった映画「ディク子ども達は海を見る」が12月22日から渋谷の映画館「Q-AXシネマ」で上映されます。すでに昨年から全国各地での自主上映が始まっており、素晴らしい反響が寄せられています。予告編はこちらから見られます。

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この映画のアリヤー・チュムサイ監督は、30代前半の、生まれも育ちも米国の女性。女優であり、ジャーナリスト、コラムニスト、大学の講師を務めるかたわら、ベストセラーを含む4冊の本を執筆し、社会貢献と指導力を評価され、タイ人女性として初めて「トウキョウ・クリエーション・アワード」を受賞している方でもあります。その上、美人コンテストでも優勝したという、いくつもの天分に恵まれた才色兼備の方。タイでは美人女優としても大変有名な方だそうです。その監督が映画封切りの22日と23日に舞台挨拶に来られるとのことです。

2000年、2月のある日、アリヤーさんが女優として海でロケをしていたときの事、彼女は、撮影現場のそばで、服を着たまま海の中に飛び込み、我を忘れて飛び回って喜んでいる子ども達の集団に出会いました。子ども達の驚きと感動に満ちたその喜びようは、一種異様でもあり、彼女はその光景に唖然とし,それは、そのまま彼女の喜びとなりました。「これが本当の人生の姿なのではないか・・・」と、彼女はその光景に満ち足りた幸せを感じました。

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彼女は、彼らが誰であるかを尋ね、それが山岳民族の子ども達で、中学の卒業記念に20時間もバスにゆられて初めて海を見に来た子ども達であることを知り、近くのレストランで子ども達にシーフードチャーハンをごちそうしました。できればそのチャーハンを親にもって帰ってあげたい、といった様子で丁寧に礼儀がよく食べる子ども達の様子にアリヤーさんは更に心を動かされ、「この子ども達のかけがえのない、この輝きの一瞬を映画にしたい!」と強く感じました。そして山岳民族のことを深く知るようになると、貧困、麻薬、エイズ、学校に行けないといった、タイ社会の抱える問題が、山岳民族の抱える問題に凝縮していると分かり、この子たちの学校を映画にすると決め、ニューヨークに渡り、学校で映画シナリオを学びました。

NYからタイに帰国後、一緒に山に入る女性のカメラマンを探していたところ、広告代理店で仕事をしていたけれど、その仕事に嫌気がさしていたニサ・コンスリを紹介されました。しかしニサは、「女優のお遊びなんかに興味はない」と大女優の申し出をあっさり蹴ったのです。ところが、アリヤーはニサのそんなところが気に入り、「あなたのような方と是非組みたい」と食い下がり、二人の完全ボランティアの映画作りが始まりました。今では二人は大の親友とのこと。二人は2004年からメートー校に入り、一年間をかけて撮影しました。

その間TPAKの近田さんも何回かメートー校に行っていました。近田さんも映画の中で映っています。近田さんが、「彼女達は何をしているの?」と先生に聞くと、「物好きな方が撮影しているんだよ」といった具合で、何回かアリヤーに会っているけれど、近田さんはどのような映画になるかは知らなかったとのこと。映画は三人の生徒に焦点をあてながら、一人一人の夢と希望を描き、一年間のメートー校での生徒達の生活を追ったドキュメンタリーです。

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とっても気前のいい「国際有機農業映画祭2007」へのお誘い

2007-10-25 11:13:51

とっても気前のいい映画祭を紹介します。
11月24日「国際有機農業映画祭2007」では、朝から夜までの11時間、有機農業をメインテーマに14本が一挙・連続上映されます。会場は、東京・御茶ノ水の明治大学リバティタワー
プログラムとスケジュールはこちらからです。

 ・「自然農−川口由一の世界」(1996年/日本)
 ・「食の未来」(2004年/米)
 ・「種子をまもれ!」(1994年/インド)
 ・「農民ジョンの真実」(2005年/米)
 ・「あぶない野菜」(2002年/日本)
 ・「農薬禍」(1967年/日本)
 ・「石おじさんの蓮池」(2005年/台湾)
 ・「死の季節よ、さらば」(2006年/フィリピン)
 ・「危険なオレンジ」(2005年/タイ)
 ・「根の国」(1981年/日本)
 ・「日本の公害経験 農薬その光と影」(2007年/日本)
 ・「懐かしい未来:ラダックから学ぶこと」(1992年/英国)
 ・「地域から始まる未来:グローバル経済を越えて」(1998年/英国)
・「サルーハバナ」(2006年/日本)

*「自然農−川口由一の世界」の上映後、自然農を実践している生産者を含む有機生産者との交流会が行われるそうです。

*「自然農−川口由一の世界」が153分、「食の未来」と「農民ジョンの真実」が90分くらい。「懐かしい未来:ラダックから学ぶこと」が55分、そのほかの作品はだいたい30分前後ですから、かなりたくさんみられますね。

そうは言っても見られる本数は限られています。どの映画を選ぶかに当たって、そのポイントを映画祭実行委員の方に窺いました。いただいたお返事をそのまま転記します。

●誰でもわかる作品

・『農薬禍』
1967年の作品。長野県佐久市の佐久総合病院の農薬被害への取り組みを描いたドキュメンタリー。農薬被害は消費者より、それを使わざるを得ない農民自身が一番の被害者になることを如実に示している作品。散布中に転倒し入院するも死亡。あるいは、水銀系の農薬散布の結果、体重が半減しガリガリとなって死亡する女性。かなりショッキングなシーンが多い。消費者のエゴを気づかせる。こ作品の持つ意味は、今もあせてはいない。

・『石おじさんの蓮池』
絶滅危惧種の保護と農業の共生、両立が成り立つことを示した作品。品質のよいハスの花の栽培には農薬が欠かせない。しかし、その蓮池には絶滅の恐れのある台北カエルが生息している。この“危機”に台湾の有機農業団体が関わり、農薬を使わない蓮の栽培と販路を確保する。蓮池の主「石おじさん」は、名刺に徐々に増えてきた台北カエルを印刷するまでになっている。

・『根の国』
土の中の土壌微生物をテーマとした作品。こちらも農薬使用がもう一つのテーマとなっている。

・『サルー! ハバナ キューバ都市農業リポート』
有機農業で“復活”したキューバの都市農業を描いた作品。農薬も化学肥料も使わない。しかし、亜熱帯のキューバでも立派なキャベツやレタスができる。大都市のあちこちに直売所のある幸せ。希望が見えてくる秀作。

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映画 「パラダイスナウ」と「ミュンヘン」

2007-08-18 10:56:32

先回のブログで紹介しました 「JICA 地球ひろば 企画展示「見たい、聞きたい、おしえて!中東のこと」のイベントのひとつ、映画「パラダイスナウ」http://www.jica.go.jp/hiroba/event/200708.html#a04-84-01
(無料)を見てきました。

この映画の舞台はイスラエル占領地、ヨルダン川西岸地区の町ナブルス。イスラエルに対する抵抗運動が最も激しく、外国人が容易に入ることのできないこの町で、二人の若者が自爆攻撃へ向かう48時間を描いています。なぜパレスチナの若者が自爆攻撃という行動を起こすのかという複雑な状況や、今まで語られることがなかった自爆攻撃者の葛藤と選択を観る者に問いかけます。(HPより抜粋)

数々の賞に輝くこの映画は、世界中で上映され、好意的、批判的両方の意見を強く引き起こしているとのことですが、とにかく「知る」という観点からすると、ドキュメンタリーのようにリアルに感じられ、(リアルといっても実際のことは知らないわけなのですが・・・)日にちがたってからも、様々なシーンがはっきり思い出される、心に残る作品でした。

このパラダイスと同じ年に配給された、ユダヤ人監督スピルバーグによる「ミュンヘン」http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6328も、パレスチナ側にもイスラエル側にも不満のある映画とのことですが、ミュンヘンオリンピックでパレスチナゲリラ により、イスラエル選手団11名が人質となり、全員暗殺されたことが映画制作の発端となり、その事件後が映画のストーリーとなっています。映画はサスペンス映画として仕立てられていることもあり、「パラダイスナウ」と比較する映画ではないのかもしれませんが、この二つの映画を見て感じたことを書いてみます。

「パラダイスナウ」で描かれている自爆テロリスト候補の二人は、家族思いの普通の若者です。楽しみといえば、丘の上の自動車修理工場での仕事の合間に、二人で町を見おろす丘の斜面にボーっと座って水パイプを吹かすことくらい。彼ら曰く「何の希望のない毎日」をそれでもなんとかつましく普通にくらしています。

そんなある日、志願していた自爆テロに二人が共に指名される日がやってきます。決行は2日後です。

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「アズールとアスマール」と「鉄コン筋クリート」を見て

2007-08-02 13:12:32

渋谷 シネマ・アンジェリカhttp://www.gojyu.com/で放映されているジブリ美術館推薦の「アズールとアスマール」http://www.ghibli-museum.jp/azur/を見ました。とても気高く気品のあるアニメ映画でした。まず美術背景の一枚一枚が、美術的作品のようで目を奪われます。それだけでも十分楽しめました。

物語は、伝説に語られている、囚われの身である「ジンの妖精」を救い出す冒険物語ですが、物語が語るのは単純な童話ではありません。二人の異なる人種の主人公アズールとアスマールを中心に、二つの異なるものの「対比」がふんだんに仕組まれています。青い目で母のいない領主の息子のアズールと、黒い目で父のいない他国者の貧しい乳母の子のアスマール、異父兄弟のように仲良く暮らしていた二人でしたが・・・物語はHP http://www.ghibli-museum.jp/azur/に美しい絵と一緒に楽しむことができます。

オスロ監督は、インタビューのなかで、作品のアイデアがどのように生まれたかについて、「国や人種の違いによってお互いが憎み合い―そのように育てられたわけですが―争ってしまう人々がいる。片や、それぞれ人種の違いや周囲の反対にかかわらず、互いに尊敬し仲良くできる個人がいる。そこに一番関心があります。国どうしの戦争ではなく、人々の根深い憎しみが日常的にあり、古い人間と新しい人間との確執、また西洋と中東の間に起こる争いなどが私のテーマでした! 厳しい現実をおとぎ話の形で表現するのです。争いの元には、嘆かわしくまた腹立たしいことに、人工的に作り上げられた誤解があります」と語っておられます。(HPより抜粋)


ジンの妖精を救い出すには、偏見と憎しみを越えて互いが互いをみとめ、「自分」を主張するのではなく、共に力を合わせることができなければなりませんでした。仕組まれた「対比」が最後には、一つになるということが豊かな描写の中に何重にも織り込まれ、監督のユーモアと気高さに触れる作品でした。

少し前に見た日本のアニメ映画「鉄コン筋クリート」http://www.tekkon.net/は、「アズール」とはまったく趣の異なる作品で、美術的というより、完成度の高いアニメ描写ですが、ここにも異質な2つの統合というテーマがありました。「鉄コン筋クリート」の舞台は、大阪辺りの架空の町、宝町です。そのなんともレトロで雑多な町の見事な描写にもまず目を奪われます。

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OurPlanet-TV 「電磁波が見えてきた」

2007-07-29 10:09:08

OurPlanet-TV制作のニュース番組「Contact」で、「電磁波が見えてきた」という番組を見ました。

電磁波が身体に与える影響が一時期話題になり、私も「テレビやパソコンの電磁波をカットします」といったグッズを買ったことがありました。カットするもしないも電磁波は目に見えないですから、半信半疑のまま、安くもないマジナイを買って一応安心していたわけです。しかしそれらのグッズも今はどこにあるのかわからない状態で、周りでもあまり騒がなくなりました。でもやっぱり騒いだ方がよさそうです。

見えなかった電磁波が小さな機械で数字として現れることで、番組ではスタジオ内の電気製品に近づけ、それぞれの電気製品がどれくらいの電磁波を出し、距離を離すことで影響が少なくなることを検証していきます。電気製品から1mほど離れていれば過剰な心配は必要ないことですが、電子レンジの電磁波はケタが違いました。使用するときは傍に立たない方がよいとのことです。

また、電磁波とは、磁波と電波が合わさったもので、電磁波カットグッズが防げるのは電波だけで、磁波は防げないこと。電波を防ぐのは別に特殊なエプロンやグッズはいらないこと。磁波の方が身体への影響が大きいとのこと。かつてのおマジナイは意味がなかったようです。

IHクッキングヒーターは電磁波を出して熱を出す機械なので、電磁波を出すようにつくられているとのこと。ちょっとショックですよね。業務で長くIHヒーターを使う方は、気をつけた方がよいとのことです。

他にも興味深い、そして知っておくべきことが18分の番組の中に詰まっています。ホームページから見ることができますが、毎週一回メールマガジンでも配信してくださいます。ホームページは、http://www.ourplanet-tv.org/ ここからメルマガを申し込むことができます。ホームページからは過去に配信された番組も見ることができます。少し前の「カルチャージャミングしてみる?」という番組も面白かったです。

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正木高志さん「空とぶブッダ」の出版記念イベントに参加して

2007-07-20 14:18:58

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16日 海の日に「カフェスロー」http://www.cafeslow.com/cafeindex_1.htmで行われた、正木高志さんの著作「空とぶブッダ」の出版記念イベントに参加しました。

著者の正木さんは、1945年生まれで、60年代半ばからインドを遍歴、ヴェーダーンタ哲学を学び、80年に帰農。お茶を有機栽培するアンナプルナ農園を営むかたわら、地球環境問題やオルタナティブな生き方についての講演、執筆を行なっておられます。また、森林ボランティアグループ<森の声>を主宰し、地元で植林・森の再生活動を行い、ご家族と共に阿蘇で自給自足なさっておられるそうです。

トークのあと、早速この本を買って帰りの電車の中で読み始めました。いつもは電車の中では眠ってしまうのですが、本に引き込まれて眠るところではありませんでした。この本は、「木を植えると、どうしてこんなにうれしくなるのだろう?」「それは、自然という神は人間の意識の母体であり、木を植えると、どうやらこの自然の母なる意識が喜ぶからなのだ」というところから始まります。

そこから、大自然の神(God)と八百万の神々(gods)、グローバル化と地球意識、日本神話、神社、太陽信仰、山岳信仰、ちょっと仏教、ちょっとインド哲学、ちょっと手塚治虫などがパズルのようにはまり一つの方向、環境問題、原発、九条、「Walk 9」と繋がっています。とても興味深い展開でした。

正木さんは木を植えることで自然の神々を親しく(リアルに)感じるようになり、誘われるがごとく、たくさんの神社や盤座を訪れたそうです。しかし、行く先々、山々は削られ、浦は埋め立てられ、森、山、川、海に宿る神々が力なく瀕死の状態なのを目のあたりにします。神社では、神々が大切にされている気持ちのよい神社がある一方、神社にまで自然破壊が及び、鎮守の杜にはもはや神々はいない、という深刻な環境問題に出会い、神々の嘆きと悲しみを感じとります。

私たちは、自然破壊を目にしたとき、「日本人は自然を大切にする民ではなかったの?」「なぜ、どうしてこれほどまでに環境破壊が起こっているの?」とは考えますが、・・・「なぜ神々がかくも貶められたのか・・・」という考えに至ることはあまりありません。環境が破壊されると、海や川の恵みが食べられない。自然の景色が台無しになるとか、そういったことはすぐに想像できますが、神々の嘆きをリアルに想像することはできません。

正木さんは、自然を愛しながらも破壊するという精神構造の根幹を伊勢神宮に見つけました。

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日本初!ブログ募金に参加して〜映画「約束の旅路」

2007-05-13 23:18:09

岩波ホールで6月1日まで上映されている「約束の旅路」を見てきました。
http://yakusoku.cinemacafe.net/

難民の問題は、日本では「分からない、知らない」と、ほとんど理解されていないのが現状です。その難しい難民問題、特に、知る機会もほとんどないのが難民の精神面での苦悩ですが、主人公の少年から青年に成長する過程でその苦しみがリアルに描かれています。

物語の舞台は、エチオピアとイスラエル。84年エチオピアは干魃に襲われ、多くが苦難の末、スーダンの難民キャンプに逃れます。エチオピアには「ファラシャ」と呼ばれる、エチオピア系ユダヤ達が北部の山地で暮らしていましたが、そのエチオピア難民達の中から「ファラシャ」だけをイスラエルに帰還させようという作戦が始まります。主人公の少年と母親はキリスト教者でした。ユダヤ人であると偽らないとキャンプから脱出できないと知った母親は、幼い主人公の少年を「行きなさい。生きて、何かになるまでは帰ってくるな」と命じて少年を突き放します。少年は「ファラシャ」の女性に助けられ、彼女の偽りの息子としてイスラエルに入ることに成功しますが、その母になってくれた女性もまもなく病気で死んでしまいます。ここから少年の苦悩が始まります。イスラエルの中では、「真のユダヤ人は白人で、黒人は真のユダヤ人ではない」と見なされ、数々の差別を受けますが、「ユダヤ人ではない」とも告白できない、偽り続けねばならない苦しみ。やり場のない怒りと失望、本当の母親に会えない悲しみ、・・・・

「アフリカの難民問題をひとりでも多くの人に知ってもらいたい」と、この映画と国連難民高等弁務官(UNHCR)が協力して行っている募金キャンペーンは、劇場における募金とともに、日本初の試みとなるブログ募金を実施しています。わたしもこのブログを書いて募金します。現在1718ブログとのこと。先週の金曜日岩波ホールで、井戸1本の掘削にあたる1,600ブログを達成を記念して募金贈呈式が行われたそうです。

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対談 大石芳野VSイーデス・ハンソン

2007-03-07 13:42:31

大石芳野さんの写真展:「眼差しの向こうにあるもの〜アジアの子どもたちと戦争・平和・未来」を見たあと、大石さんとエファ・ジャパン理事長イーデス・ハンソンさんとの対談を聞きました。

写真展から
ベトナム・ラオス・カンボジアなどのアジア地域を中心に、戦禍に生きる子どもたちを撮った写真展には、カンボジア ポルポト政権による大虐殺の爪痕、地中から出てくる頭蓋骨がずらりと並ぶすぐ後ろでしゃがみ、発掘の様子を見ている子どもたち。反ポルポト戦力として銃を持つ子どもたち、ベトナムの写真では、枯れ葉剤により重い病気を背負った子たち、近年になっても埋められていた爆発物で大けがをした子、深い闇からこちらを見据えている目、この子たちは今どうなっているのだろうか・・・と見進めていくと、そんな中でも上手に遊びを見つけている子たち、まっすぐな明るい笑顔がありました。

以下のサイトでは、大石さんの写真とともに、ドキュメンタリー写真を撮るようになったきっかけ、写真を撮るとはどういうことか、などなど興味深い文が添えられています。
http://www.fujifilm.co.jp/photographer/2001_05oishi/index.html

こちらのサイトでは今回の写真展にあった作品も多く紹介されています。
http://www.janjan.jp/photo-msg/oishi/kodomo_senyo/kodomo.php

対談から
イーデス・ハンソンさんは、女優さんとして知られていることが多く、最近ではNHKの朝の連ドラの「たこ芳」のおかみさん役がはまっておられますが、私の若いころは、人権活動家としての活躍もよく知られていました。「タコ芳」のおかみさんのような優しい語り口で、大石さんにいろいろなエピソードを聞いておられました。その中から「私たちができることは何か」という観点から、いくつかのキーワードで概要をまとめてみました。

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「不都合な真実」「ダーウィンの悪夢」

2007-02-28 00:33:10

〜最近見た映画から〜

アメリカの元副大統領アル・ゴア氏の不都合な真実が昨日第79回アカデミー賞「最優秀長編ドキュメンタリー賞」「最優秀歌曲賞」の2部門を受賞しましたね。
ご覧になった方も多いのではと思いますが、豊富なデータと、実際の映像を使い、アル・ゴア氏によって、とてもわかりやすく地球環境の危機が説かれています。
「昔も日照りはあったし、飢饉もあった。洪水もあったし、竜巻もあった。そんなに騒ぎ立てることもないよ」とおっしゃる人もいますが、この映画を見ると、昔の自然災害と最近の災害では、その大きさがケタはずれに違うことが、示されるデータから理解できます。そしてなぜ、ケタ違いにその威力が最近大きくなってきているのか、小学校理科のレベルでわかりやすく説明されています。
熱いお湯に入れられたカエルはすぐ飛びだすけれど、水から入っていて徐々に暖められるとカエルはなかなか危険を感じず、そこを出ない。しかし、徐々に暖められ、ついに・・・・というアニメが挿入されています。

ところが、現在の環境の悪化は、徐々にという段階は過ぎ、もうほんの数十年でカエルが死んでしまうところに現在急速に向かっているということをこの映画は伝えています。氷を求めて100キロも泳いで溺死したシロクマ、砂漠化により、ほとんどなくなった湖、世界の最高峰の山々の変化、そのうち雪景色の富士山を見ることもなくなるのだろうか・・・

いい湯加減だ〜とのんびりお湯につかっているカエルをしている場合じゃない!とこの映画は教えてくれています。そして他の国と戦争している場合じゃないと言っているように感じました。

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映画「ガ−タ パレスチナの詩」

2007-01-16 11:40:06

ドキュメンタリー映画 「ガ−タ パレスチナの詩」鑑賞と古居みずえ監督のお話しを聞く会に参加して

作品紹介とストーリーはこちらから見られます。http://ghada.jp/

この映画はパレスチナ ガザ地区難民キャンプで生まれ育った「ガータ」という名の一人の女性が結婚、出産、混乱の中にありながらも新しい女性の生き方を貫いていく過程を12年にわたって追いかけたものですが、パレスチナという、日本では「ちょっと怖いところ」という地域のなかで、私たちと同じように感じ、同じように普通に暮らす、人なつっこいおおらかな人々が描かれています。
また、監督である古居さんとガータとの出会が二人の人生にそれぞれどのように関わっていくのか、古居さんのお話を聞くことが出来、作品はもうひとつの「二人の出会い」としての側面からも、更に興味深いものになりました。

古居さんの転機
この映画の監督である古居みずえさんは、もともとジャ−ナリストになろうとしていたわけではありませんでした。37歳の時、原因不明の関節リウマチに襲われ、それまでOLとして勤めていた翻訳会社を辞め、入院先が決まるまでの一ヶ月間、家での絶望的な日々を送ることになったことが転機の始まりでした。否応なしにそれまでの人生を振り返ることとなり、納得のいく生き方をしていなかったことに向き合わざるをえませんでした。悔いても動かない体。入院してしばらくしてのこと、「もうだめだ・・・」と諦めかかった時、薬が奇跡的に効を発し、体が軽くなって動けるようになりました。すると不思議なくらい勇気がわいてきて、どんどん希望が膨らみました。「一度だけの人生、思いっきり生きていこう」このとき、OLだった普通の女性からジャ−ナリストへとシフトしたのです。
入院中にカメラを始め、一年後に「パレスチナの子供の写真展」に行き、ひどい状況の中でめげていない子供の姿を見て感動。それがパレスチナ行きのきっかけとなりました。ボランティアなどに参加し、1988年7月、40歳の時、初めてパレスチナに渡りました。

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