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なぜ今海外協力?
2008-01-04 19:57:00
前回はボランティアを始めるに当たってのポイントをシャプラニール=市民による海外協力の会事務局長坂口さんに窺いましたが、では「なぜ今海外協力でのボランティアなのか?」についても窺いました。
「情報のグローバル化」「経済のグローバル化」・・・よく耳にする言葉ですが、海外協力活動に関しては、これまで「遠いところで起きていること」といったハードルのような壁がありましたが、それが近年あっさり崩れ、途上国との距離感はグンと縮まりました。情報のグローバル化による携帯電話の普及です。
例えばバングラデシュの農村を例にとると、ほんの数年前までは、農村と都会、都会と日本という情報経路で、農村との直接情報の入手は困難でした。しかし近年農村地帯は有線電話の時代を経ることなく、いきなり携帯電話の時代に入ったわけです。有線電話から携帯電話へのシフトに苦心することもなく、初めての電話が携帯電話なのです。
時差を除けば国内で話をするのと変わらない感覚で、日本と途上国の農村が直接個人同士でリアルタイムに連絡を取り合うことができるようになり、ユヌス氏のグラミン銀行からの融資で農村でも携帯電話を使った起業が始まっています。
経済のグローバル化は、途上国との関係に限らず、特定の国が風邪をひくと、他の国々が広く感染することは、実際近年のアメリカの低所得者向け住宅ローンの問題が、日本の株式にも影響を及ぼすなど世界的に波及していることからもわかります。
このように狭くなった地球の中で、これまで見えていなかった問題が見えてくるようにもなりました。例えばバングラデシュも日本の同じ社会問題を抱えていることが見えてきます。バングラデシュの農村の主は町に出て働くようになり、農村には子どもと母親だけが残り、コミュニティ崩壊の危機となっています。日本でもコミュニティが果たしてきた役割が崩壊し、地域での人間関係が薄っぺらになっていることが、子どもの成長過程に影響を与えているなど様々な問題に波及しています。現在両国ともコミュニティの再構築が課題となっています。
また共通点だけではなく、これまでの「援助のあり方」がズレていたことも分かってきます。マスコミで報道される途上国といえば、悲惨な状況ばかりがクローズアップされがちで、「可愛そう」と思って募金をした方が大勢いらっしゃると思います。途上国=貧しく気の毒な国という見方ができ上がっていました。しかし、実際の交流が増えてくるにつれ、そうではない、日本では失われた「モノに頼らない豊かさ」が途上国には有り、そこからこちらが学ぶべきことが多くあることも分かってきました。
また、金持ちに見られる外国人が途上国の現地に入ることで、現地で受け継がれてきた権力構造が崩れてしまったり、相手国のニーズの調査をすることなしに「不要なモノを施した」など様々な失敗の積み重ねから学んだことから、海外協力のあり方もこれまでの、「援助側」が「施す」といった上下関係の姿勢から「相手国と同じ目線で、共に学び合う」というように変化してきています。援助国が主役になるのではなく、援助国は「黒衣」に徹し、相手国を尊重し、同じ目線で付き合うことが国際協力の成功に結びつくというように変わってきています。これは日本国内での援助の仕方にも通じるところです。
一昔前までは情報不足でちょっと敷居が高かった海外協力活動もその気になればいくらでも情報を入手できる時代になり、どこかの団体に参加することも、自分で何か始めることも可能な時代になっています。
一応豊かな日本国内では接することの難しい「貧しいけれど、少しも惨めではない、生きる力のある子ども達」にも出会え、私たちは自分たちの暮らしを見つめ直したり、生き方を軌道修正したり、学びを得ることで「自分が変わることができます」。
それは国内での経験よりインパクトが強い分、気づきが大きく、「互いに学び合い」、「支え合う」、「与え合う」、「生かし合う」ということが実体験として得られる。それが国際協力活動に参加することの素晴らしいところです。
以上、シャプラニール=市民による海外協力の会事務局長坂口さんに窺いました。
(鈴木 由利子)
「情報のグローバル化」「経済のグローバル化」・・・よく耳にする言葉ですが、海外協力活動に関しては、これまで「遠いところで起きていること」といったハードルのような壁がありましたが、それが近年あっさり崩れ、途上国との距離感はグンと縮まりました。情報のグローバル化による携帯電話の普及です。
例えばバングラデシュの農村を例にとると、ほんの数年前までは、農村と都会、都会と日本という情報経路で、農村との直接情報の入手は困難でした。しかし近年農村地帯は有線電話の時代を経ることなく、いきなり携帯電話の時代に入ったわけです。有線電話から携帯電話へのシフトに苦心することもなく、初めての電話が携帯電話なのです。
時差を除けば国内で話をするのと変わらない感覚で、日本と途上国の農村が直接個人同士でリアルタイムに連絡を取り合うことができるようになり、ユヌス氏のグラミン銀行からの融資で農村でも携帯電話を使った起業が始まっています。
経済のグローバル化は、途上国との関係に限らず、特定の国が風邪をひくと、他の国々が広く感染することは、実際近年のアメリカの低所得者向け住宅ローンの問題が、日本の株式にも影響を及ぼすなど世界的に波及していることからもわかります。
このように狭くなった地球の中で、これまで見えていなかった問題が見えてくるようにもなりました。例えばバングラデシュも日本の同じ社会問題を抱えていることが見えてきます。バングラデシュの農村の主は町に出て働くようになり、農村には子どもと母親だけが残り、コミュニティ崩壊の危機となっています。日本でもコミュニティが果たしてきた役割が崩壊し、地域での人間関係が薄っぺらになっていることが、子どもの成長過程に影響を与えているなど様々な問題に波及しています。現在両国ともコミュニティの再構築が課題となっています。
また共通点だけではなく、これまでの「援助のあり方」がズレていたことも分かってきます。マスコミで報道される途上国といえば、悲惨な状況ばかりがクローズアップされがちで、「可愛そう」と思って募金をした方が大勢いらっしゃると思います。途上国=貧しく気の毒な国という見方ができ上がっていました。しかし、実際の交流が増えてくるにつれ、そうではない、日本では失われた「モノに頼らない豊かさ」が途上国には有り、そこからこちらが学ぶべきことが多くあることも分かってきました。
また、金持ちに見られる外国人が途上国の現地に入ることで、現地で受け継がれてきた権力構造が崩れてしまったり、相手国のニーズの調査をすることなしに「不要なモノを施した」など様々な失敗の積み重ねから学んだことから、海外協力のあり方もこれまでの、「援助側」が「施す」といった上下関係の姿勢から「相手国と同じ目線で、共に学び合う」というように変化してきています。援助国が主役になるのではなく、援助国は「黒衣」に徹し、相手国を尊重し、同じ目線で付き合うことが国際協力の成功に結びつくというように変わってきています。これは日本国内での援助の仕方にも通じるところです。
一昔前までは情報不足でちょっと敷居が高かった海外協力活動もその気になればいくらでも情報を入手できる時代になり、どこかの団体に参加することも、自分で何か始めることも可能な時代になっています。
一応豊かな日本国内では接することの難しい「貧しいけれど、少しも惨めではない、生きる力のある子ども達」にも出会え、私たちは自分たちの暮らしを見つめ直したり、生き方を軌道修正したり、学びを得ることで「自分が変わることができます」。
それは国内での経験よりインパクトが強い分、気づきが大きく、「互いに学び合い」、「支え合う」、「与え合う」、「生かし合う」ということが実体験として得られる。それが国際協力活動に参加することの素晴らしいところです。
以上、シャプラニール=市民による海外協力の会事務局長坂口さんに窺いました。
(鈴木 由利子)
ボランティア 事始め
2008-01-02 11:05:50
あけましておめでとうございます。
今年はどんな年になるのでしょうか・・・「今の瞬間の中に未来がある」といったことを最近よく耳にします。なるほど・・・。ということは、今何かを決意し、何かに踏み出せば未来はそのような方向に向かって行くということですね。今年は何かボランティアを始めてみようと考えておられる方も多くいらっしゃると思います。
昨年暮れ、シャプラニール=市民による海外協力の会の事務局長坂口さんに、ボランティア活動を始めるに当たってのポイントなどを窺いました。
その1.まずは「チョイボラのすすめ」
どのNGO・NPOも団体によって活動内容も方法も雰囲気も全然ちがうため、できるだけたくさんの団体に実際に参加して信頼できる団体を探して見極めることが大切。「1回限りのボランティアでもだれも咎めたりしません」とのこと。まず地域の国際交流団体に行き、情報を集めることから始めるのもよいかもしれません。団体との「お見合い」、「お味見」を繰り返すことが重要だそうです。若い方は「お見合い」の練習??? シニアの方で「お見合い」が少なかった方はこの際もう一度チャレンジ???
その2.「理想に燃えないで!」
「あまり理想を描いて参加しないほうがいいですよ」とのこと。善意、チャリティ、正義といったキレイ事、絵空ごとで入ると、夢やぶれてうちひしがれて去るということにもなりかねない。「実際よくあるんですよ」とのこと。人間同士が集まっているのだからいろいろ問題があるのは当たり前。失敗もたくさんある。燃えさかったままでは出かけない方がよいかもしれません。
その3.「one step ずつ、最初は一から」
チョイボラをしてみてここにしようと決まっても「、少しずつ上がって行く方が良いです」とのこと。チョイボラから会員に、徐徐に参加の時間を増やし、経験を重ねてから役員に・・というステップを踏んだほうが、団体の中の人間関係がスムーズにいくからとのことです。いきなり「僕の机はあそこがいい」と言われてもね・・・とのこと。
では、信頼できる団体を見極めるポイントは?
1.情報が公開されているかどうか
2.組織が透明であるかどうか
3.民主的に意志決定がなされているかどうか
4.特定の財源に依存していないかどうか
5.ミッションを理解しているかどうか
自分に合った団体かどうかのポイントは?
1.ミッションが自分のしたいことと合っているか
2.年齢層はどれくらいか
3.宗教が関係しているかどうか
4.これが一番大切:実感・共感がもてるかどうか。
これまでテレビなどで海外の悲惨な状況が映し出され募金をしたけれど、そのお金がどう使われたのか、どのように改善されたか、いまひとつ実感がない・・・私もそうですが、そういう方がたくさんおられると思います。自分が関わることで、実際の状況ももっとリアルに身近に理解でき、共感することができますが、そのように感じられる活動をしている団体を見つけることが大切とのことです。
次回は「なぜいま国際協力なのか?」坂口さんのお話しの続きです。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(鈴木由利子)
今年はどんな年になるのでしょうか・・・「今の瞬間の中に未来がある」といったことを最近よく耳にします。なるほど・・・。ということは、今何かを決意し、何かに踏み出せば未来はそのような方向に向かって行くということですね。今年は何かボランティアを始めてみようと考えておられる方も多くいらっしゃると思います。
昨年暮れ、シャプラニール=市民による海外協力の会の事務局長坂口さんに、ボランティア活動を始めるに当たってのポイントなどを窺いました。
その1.まずは「チョイボラのすすめ」
どのNGO・NPOも団体によって活動内容も方法も雰囲気も全然ちがうため、できるだけたくさんの団体に実際に参加して信頼できる団体を探して見極めることが大切。「1回限りのボランティアでもだれも咎めたりしません」とのこと。まず地域の国際交流団体に行き、情報を集めることから始めるのもよいかもしれません。団体との「お見合い」、「お味見」を繰り返すことが重要だそうです。若い方は「お見合い」の練習??? シニアの方で「お見合い」が少なかった方はこの際もう一度チャレンジ???
その2.「理想に燃えないで!」
「あまり理想を描いて参加しないほうがいいですよ」とのこと。善意、チャリティ、正義といったキレイ事、絵空ごとで入ると、夢やぶれてうちひしがれて去るということにもなりかねない。「実際よくあるんですよ」とのこと。人間同士が集まっているのだからいろいろ問題があるのは当たり前。失敗もたくさんある。燃えさかったままでは出かけない方がよいかもしれません。
その3.「one step ずつ、最初は一から」
チョイボラをしてみてここにしようと決まっても「、少しずつ上がって行く方が良いです」とのこと。チョイボラから会員に、徐徐に参加の時間を増やし、経験を重ねてから役員に・・というステップを踏んだほうが、団体の中の人間関係がスムーズにいくからとのことです。いきなり「僕の机はあそこがいい」と言われてもね・・・とのこと。
では、信頼できる団体を見極めるポイントは?
1.情報が公開されているかどうか
2.組織が透明であるかどうか
3.民主的に意志決定がなされているかどうか
4.特定の財源に依存していないかどうか
5.ミッションを理解しているかどうか
自分に合った団体かどうかのポイントは?
1.ミッションが自分のしたいことと合っているか
2.年齢層はどれくらいか
3.宗教が関係しているかどうか
4.これが一番大切:実感・共感がもてるかどうか。
これまでテレビなどで海外の悲惨な状況が映し出され募金をしたけれど、そのお金がどう使われたのか、どのように改善されたか、いまひとつ実感がない・・・私もそうですが、そういう方がたくさんおられると思います。自分が関わることで、実際の状況ももっとリアルに身近に理解でき、共感することができますが、そのように感じられる活動をしている団体を見つけることが大切とのことです。
次回は「なぜいま国際協力なのか?」坂口さんのお話しの続きです。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(鈴木由利子)
「ウガンダを食べよう」に参加して
2007-12-23 11:29:46
のんびる」の取材でハンガー・フリー・ワールド ウガンダチームによるイベント「ウガンダを食べよう」に参加しました。
まず「ウガンダ」という国名、名前は知っていても正確な位置となると、あやしい人がほとんどですよね。映画「ダーウィンの悪夢」の舞台となったビクトリア湖(ナイル川がここから始まっています)に接し、ケニア、スーダン、コンゴ民主共和国、ルワンダ、タンザニアに隣接する内陸の国です。
1971年クーデターにより政権を握ったアミン大統領は、1979年に失脚するまで恐怖政治を続け、その間30万人もの反体制派を虐殺しました。80年には新政権がスタートしましたが、その後も混乱が続き、現在でも反政府勢力が北部と西部の一部でゲリラ戦が繰り広げられています。
アミン政権が残した爪痕からの復興もようやく軌道に乗り始め、首都カンパラは携帯電話やインターネットカフェも普及する都会とのことです。しかしその近代化に伴い、新たなる貧困も生まれ、農村部においてもその貧しさは変わっていないようです。平均寿命が48歳。農村部の貧しい方の食事はほとんど芋ばかり、都市部の貧しい方の昼食はサモサ1個だけだそうです。これは春巻き1個と同じくらいです。
ハンガー・フリー・ワールド ウガンダチームによる「ウガンダを食べよう」は2〜3ヶ月に1回のイベントで、「在日ウガンダの方と一緒にウガンダ料理を作って食べ、ウガンダの貧困について知ろう」というイベントです。毎回17人前後の外部参加者があり、ウガンダの方と日本人スタッフがそれぞれ5人くらいずつ加わります。この日の参加者は、22人の外部参加者にスタッフ6人、ウガンダ人男性のみ5人、全部で33名と盛況でした。
まず「ウガンダ」という国名、名前は知っていても正確な位置となると、あやしい人がほとんどですよね。映画「ダーウィンの悪夢」の舞台となったビクトリア湖(ナイル川がここから始まっています)に接し、ケニア、スーダン、コンゴ民主共和国、ルワンダ、タンザニアに隣接する内陸の国です。
1971年クーデターにより政権を握ったアミン大統領は、1979年に失脚するまで恐怖政治を続け、その間30万人もの反体制派を虐殺しました。80年には新政権がスタートしましたが、その後も混乱が続き、現在でも反政府勢力が北部と西部の一部でゲリラ戦が繰り広げられています。
アミン政権が残した爪痕からの復興もようやく軌道に乗り始め、首都カンパラは携帯電話やインターネットカフェも普及する都会とのことです。しかしその近代化に伴い、新たなる貧困も生まれ、農村部においてもその貧しさは変わっていないようです。平均寿命が48歳。農村部の貧しい方の食事はほとんど芋ばかり、都市部の貧しい方の昼食はサモサ1個だけだそうです。これは春巻き1個と同じくらいです。
ハンガー・フリー・ワールド ウガンダチームによる「ウガンダを食べよう」は2〜3ヶ月に1回のイベントで、「在日ウガンダの方と一緒にウガンダ料理を作って食べ、ウガンダの貧困について知ろう」というイベントです。毎回17人前後の外部参加者があり、ウガンダの方と日本人スタッフがそれぞれ5人くらいずつ加わります。この日の参加者は、22人の外部参加者にスタッフ6人、ウガンダ人男性のみ5人、全部で33名と盛況でした。
鎌倉で見つけた国際協力 / ジュンコ・アソシエーション
2007-12-17 12:56:20
晩秋の鎌倉を散歩しました。
鶴ヶ岡八幡宮から荏柄天神社に向かう途中で滑川のほうに細道を下り、錦鯉が泳ぐ川沿いを報国寺に向かいました。紅葉も終わりかけの山々を見ながら歩いていると、突然目の前を大きな鷲?が翼を広げて飛び立ち、悠然と民家のほうに飛んでいきました。
観光シーズンが終わったこともあり、報国寺(竹の寺)も釈迦堂切り通しも訪れる人はまばら。切り通しまでの短い山道では台湾リスの大きな鳴き声がこだましていました。釈迦堂の切通しはトンネル状で、鎌倉市内の生活路として作られたとのこと、防御の観点から重要とされる七つの切り通しには数えられていませんが、他の切り通しにはない当時の雰囲気が残っているように思われ、若い時に「チゴイネルワイゼン」(映画)を見て、以来ずっと「切り通し」に憧れを抱いていた私は満足でした。(「通り抜けできない」という立て札が雰囲気をぶち壊しているのが残念でしたが・・・)
切り通しからの帰り道で、お店の入り口に並んでいる野趣のある陶器に惹かれ、和食器のお店「楽」に立ち寄りました。中に入ると、気の利いた塗り物や陶器、布ものがカラフルに並べられていてどれもお手頃な値段。親しみやすいお店でした。一角に山岳民族の織りもののバックがあったので、お尋ねすると、モン族(タイとミャンマーの国境辺に暮らす山岳民族)の製品とのこと。明治学院大学内 NPO団体ジュンコ・アソシエーションの協力で置いているとのことでした。他には、インドの職人さんによる手作りのビーズを日本の障がい者の地域作業所の方々が仕上げたネックレス、ベトナムからは貝の箸置き、水牛の角で出来た箸置きなどがありました。
JUNKO Associationを調べますと、このグループは、「世界の恵まれない子どもたちのために…」という、ある一人の女性の想いから成立したとのことです。
以下JUNKO AssociationのHPからの抜粋です。
*********************
明治学院大学国際学部3年生だった高橋淳子さんはゼミで東南アジアの経済発展について研究中でした。夏に旅行でベトナムを訪れた彼女は現地の人々の優しさを感じるとともに、途上国の貧しさに直面し、「ベトナムの貧しい子どもたちのために何か役に立ちたい」という強い想いを胸に帰国します。
その想いをレポートにまとめ再びベトナムへ赴こうと思っていた矢先の12月、交通事故に遭いこの世を去りました。彼女の遺志を生かそうとご両親は淳子さんの積み立て貯金や集まった香典を提供します。
難民の方にもあなたからのXmasプレゼントを!
2007-12-05 20:11:42
12月に入り、今年も街はクリスマスのイルミネーションで飾られ、道行く人たちにも浮き立つような華やかさと、年の瀬の空気が感じられます。しかしこの時期は、独りでクリスマスを迎える人にとってはいっそう寂しさが身にしみ、人恋しい季節でもあります。
独り寂しいクリスマスを迎えたことのある人は私たちの中にもたくさんいます。それでも日本国内にいれば言葉は通じます。ほとんどの人にはヒーターのある家があり、食べる物もぜいたくをいわなければ困ることもありません。友達や家族が居なくても、その気になれば話す人も探せば見つかります。
しかし祖国の迫害から逃れて避難して日本にたどり着いた人たちの中には、日本の言葉はわからない、法律も分からない、友達も身内もいない、住むところ、食べ物さえ十分ではない、持ってきたお金も底をつき、絶望の中、寒空の下でひっそり独りで過ごす人達がいます。周りが華やぐほど、人のぬくもりが恋しく、寒さがいっそう身に応え、それは私たちが経験したことのない、想像をはるかに越えた辛さでしょう。
祖国の迫害により日本に逃れてきた人は、その時点で「難民」であり、どの方も国際法で守られなければならない方達です。
「難民支援協会」はこの方達がこの冬を無事に乗り切れるよう、「冬のキャンペーン」を行っています。私たちが自分の国で差し迫った身の危険を感じることなく寝られる幸せを、どうぞ難民の方達におすそ分けしてください。
寄付の申し込みは以下からできます。
・クレジットカード
以下のページのクレジットカードのところをクリックして進んでくださ い。
http://ww w.refugee.or.jp/kifu/
オンライン決済サービス会社"PayPal"社のサイトに移動します。そちらで ご寄付金額と、その他必要事項を記入してください。
※PayPalのアカウントをお持ちでなくてもご寄付は可能です。移動後の画 面で金額ご記入の上、左下にある「続行」という文字をクリックすること で詳細情報入力画面に進みます。
※途中電話番号の入力を求められる場合がありますが、この情報は難民支 援協会には通知されません。
• 郵便振替
郵便振替口座 00100−0−132625
加入者名:難民支援協会
• 銀行振込
みずほ銀行 飯田橋支店
普通口座 8043319
• 現金書留:
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-7-2第二鹿倉ビル4F
難民支援協会「冬の寄付」係宛
※ 郵便振替もしくは銀行振込の場合、通信欄に「冬の寄付」とご明記くだ さい。
また、書き損じハガキや切手のご寄付も随時募っています。年賀状の書き損じなどどうぞこちらにお送り下さいますようお願いいたします。
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-7-2 第二鹿倉ビル4階
難民支援協会 鹿島・加藤宛
***************************
以下は「難民支援協会」のHP「冬のキャンペーン」からの抜粋です。
独り寂しいクリスマスを迎えたことのある人は私たちの中にもたくさんいます。それでも日本国内にいれば言葉は通じます。ほとんどの人にはヒーターのある家があり、食べる物もぜいたくをいわなければ困ることもありません。友達や家族が居なくても、その気になれば話す人も探せば見つかります。
しかし祖国の迫害から逃れて避難して日本にたどり着いた人たちの中には、日本の言葉はわからない、法律も分からない、友達も身内もいない、住むところ、食べ物さえ十分ではない、持ってきたお金も底をつき、絶望の中、寒空の下でひっそり独りで過ごす人達がいます。周りが華やぐほど、人のぬくもりが恋しく、寒さがいっそう身に応え、それは私たちが経験したことのない、想像をはるかに越えた辛さでしょう。
祖国の迫害により日本に逃れてきた人は、その時点で「難民」であり、どの方も国際法で守られなければならない方達です。
「難民支援協会」はこの方達がこの冬を無事に乗り切れるよう、「冬のキャンペーン」を行っています。私たちが自分の国で差し迫った身の危険を感じることなく寝られる幸せを、どうぞ難民の方達におすそ分けしてください。
寄付の申し込みは以下からできます。
・クレジットカード
以下のページのクレジットカードのところをクリックして進んでくださ い。
http://ww w.refugee.or.jp/kifu/
オンライン決済サービス会社"PayPal"社のサイトに移動します。そちらで ご寄付金額と、その他必要事項を記入してください。
※PayPalのアカウントをお持ちでなくてもご寄付は可能です。移動後の画 面で金額ご記入の上、左下にある「続行」という文字をクリックすること で詳細情報入力画面に進みます。
※途中電話番号の入力を求められる場合がありますが、この情報は難民支 援協会には通知されません。
• 郵便振替
郵便振替口座 00100−0−132625
加入者名:難民支援協会
• 銀行振込
みずほ銀行 飯田橋支店
普通口座 8043319
• 現金書留:
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-7-2第二鹿倉ビル4F
難民支援協会「冬の寄付」係宛
※ 郵便振替もしくは銀行振込の場合、通信欄に「冬の寄付」とご明記くだ さい。
また、書き損じハガキや切手のご寄付も随時募っています。年賀状の書き損じなどどうぞこちらにお送り下さいますようお願いいたします。
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-7-2 第二鹿倉ビル4階
難民支援協会 鹿島・加藤宛
***************************
以下は「難民支援協会」のHP「冬のキャンペーン」からの抜粋です。
映画 「ディック子ども達は海を見る」タイの子ども達の輝きに溢れています
2007-11-29 19:08:51
前回からの続きです。
この山岳民族の村のメートー校が舞台となった映画「ディク子ども達は海を見る」が12月22日から渋谷の映画館「Q-AXシネマ」で上映されます。すでに昨年から全国各地での自主上映が始まっており、素晴らしい反響が寄せられています。予告編はこちらから見られます。
この映画のアリヤー・チュムサイ監督は、30代前半の、生まれも育ちも米国の女性。女優であり、ジャーナリスト、コラムニスト、大学の講師を務めるかたわら、ベストセラーを含む4冊の本を執筆し、社会貢献と指導力を評価され、タイ人女性として初めて「トウキョウ・クリエーション・アワード」を受賞している方でもあります。その上、美人コンテストでも優勝したという、いくつもの天分に恵まれた才色兼備の方。タイでは美人女優としても大変有名な方だそうです。その監督が映画封切りの22日と23日に舞台挨拶に来られるとのことです。
2000年、2月のある日、アリヤーさんが女優として海でロケをしていたときの事、彼女は、撮影現場のそばで、服を着たまま海の中に飛び込み、我を忘れて飛び回って喜んでいる子ども達の集団に出会いました。子ども達の驚きと感動に満ちたその喜びようは、一種異様でもあり、彼女はその光景に唖然とし,それは、そのまま彼女の喜びとなりました。「これが本当の人生の姿なのではないか・・・」と、彼女はその光景に満ち足りた幸せを感じました。
彼女は、彼らが誰であるかを尋ね、それが山岳民族の子ども達で、中学の卒業記念に20時間もバスにゆられて初めて海を見に来た子ども達であることを知り、近くのレストランで子ども達にシーフードチャーハンをごちそうしました。できればそのチャーハンを親にもって帰ってあげたい、といった様子で丁寧に礼儀がよく食べる子ども達の様子にアリヤーさんは更に心を動かされ、「この子ども達のかけがえのない、この輝きの一瞬を映画にしたい!」と強く感じました。そして山岳民族のことを深く知るようになると、貧困、麻薬、エイズ、学校に行けないといった、タイ社会の抱える問題が、山岳民族の抱える問題に凝縮していると分かり、この子たちの学校を映画にすると決め、ニューヨークに渡り、学校で映画シナリオを学びました。
NYからタイに帰国後、一緒に山に入る女性のカメラマンを探していたところ、広告代理店で仕事をしていたけれど、その仕事に嫌気がさしていたニサ・コンスリを紹介されました。しかしニサは、「女優のお遊びなんかに興味はない」と大女優の申し出をあっさり蹴ったのです。ところが、アリヤーはニサのそんなところが気に入り、「あなたのような方と是非組みたい」と食い下がり、二人の完全ボランティアの映画作りが始まりました。今では二人は大の親友とのこと。二人は2004年からメートー校に入り、一年間をかけて撮影しました。
その間TPAKの近田さんも何回かメートー校に行っていました。近田さんも映画の中で映っています。近田さんが、「彼女達は何をしているの?」と先生に聞くと、「物好きな方が撮影しているんだよ」といった具合で、何回かアリヤーに会っているけれど、近田さんはどのような映画になるかは知らなかったとのこと。映画は三人の生徒に焦点をあてながら、一人一人の夢と希望を描き、一年間のメートー校での生徒達の生活を追ったドキュメンタリーです。
この山岳民族の村のメートー校が舞台となった映画「ディク子ども達は海を見る」が12月22日から渋谷の映画館「Q-AXシネマ」で上映されます。すでに昨年から全国各地での自主上映が始まっており、素晴らしい反響が寄せられています。予告編はこちらから見られます。
この映画のアリヤー・チュムサイ監督は、30代前半の、生まれも育ちも米国の女性。女優であり、ジャーナリスト、コラムニスト、大学の講師を務めるかたわら、ベストセラーを含む4冊の本を執筆し、社会貢献と指導力を評価され、タイ人女性として初めて「トウキョウ・クリエーション・アワード」を受賞している方でもあります。その上、美人コンテストでも優勝したという、いくつもの天分に恵まれた才色兼備の方。タイでは美人女優としても大変有名な方だそうです。その監督が映画封切りの22日と23日に舞台挨拶に来られるとのことです。
2000年、2月のある日、アリヤーさんが女優として海でロケをしていたときの事、彼女は、撮影現場のそばで、服を着たまま海の中に飛び込み、我を忘れて飛び回って喜んでいる子ども達の集団に出会いました。子ども達の驚きと感動に満ちたその喜びようは、一種異様でもあり、彼女はその光景に唖然とし,それは、そのまま彼女の喜びとなりました。「これが本当の人生の姿なのではないか・・・」と、彼女はその光景に満ち足りた幸せを感じました。
彼女は、彼らが誰であるかを尋ね、それが山岳民族の子ども達で、中学の卒業記念に20時間もバスにゆられて初めて海を見に来た子ども達であることを知り、近くのレストランで子ども達にシーフードチャーハンをごちそうしました。できればそのチャーハンを親にもって帰ってあげたい、といった様子で丁寧に礼儀がよく食べる子ども達の様子にアリヤーさんは更に心を動かされ、「この子ども達のかけがえのない、この輝きの一瞬を映画にしたい!」と強く感じました。そして山岳民族のことを深く知るようになると、貧困、麻薬、エイズ、学校に行けないといった、タイ社会の抱える問題が、山岳民族の抱える問題に凝縮していると分かり、この子たちの学校を映画にすると決め、ニューヨークに渡り、学校で映画シナリオを学びました。
NYからタイに帰国後、一緒に山に入る女性のカメラマンを探していたところ、広告代理店で仕事をしていたけれど、その仕事に嫌気がさしていたニサ・コンスリを紹介されました。しかしニサは、「女優のお遊びなんかに興味はない」と大女優の申し出をあっさり蹴ったのです。ところが、アリヤーはニサのそんなところが気に入り、「あなたのような方と是非組みたい」と食い下がり、二人の完全ボランティアの映画作りが始まりました。今では二人は大の親友とのこと。二人は2004年からメートー校に入り、一年間をかけて撮影しました。
その間TPAKの近田さんも何回かメートー校に行っていました。近田さんも映画の中で映っています。近田さんが、「彼女達は何をしているの?」と先生に聞くと、「物好きな方が撮影しているんだよ」といった具合で、何回かアリヤーに会っているけれど、近田さんはどのような映画になるかは知らなかったとのこと。映画は三人の生徒に焦点をあてながら、一人一人の夢と希望を描き、一年間のメートー校での生徒達の生活を追ったドキュメンタリーです。
地球市民ACTかながわ TPAK
2007-11-23 02:05:20
のんびる12月号で紹介する特定非営利活動法人 地球市民ACTかながわ TPAK (Terra People Act Kanagawa)の代表近田さんにタイの山岳民族の子ども達を支援するようになったいきさつをお聞きしました。
TPAKはタイ、ミャンマーの山岳民族、少数民族、インドの貧農村地区の子ども達の教育支援を行っていますが、1991年に代表の近田さんがアユタヤの孤児院を視察するスタディツアーに参加したのがきっかけでした。
その孤児院とは当時、名ばかりの施設に2000人ほどの孤児達がいて、大人に面倒をみてもらうこともなく、よい子とは限らない年上の子が小さい子の面倒をみている?という悲惨な状況でした。近田さんが、「どうして政府はこの子たちを放っておくの?この国には福祉はないの?」と尋ねると、「この子どもたちは山岳民族の子だからタイの国民ではない。だからタイの税金を使って救うことはできないのだ」という答えが返ってきました。
その悲惨さに衝撃を受けた近田さんは帰国後、友人とともに三人で各1万円を出し合い、計3万円を持って半年後、三人で再びタイに渡りました。山岳民族のことをもっと知ろうとして情報を集める内、チェンマイの奥にある小学校に熱心な先生がいると聞き、ミャンマーとの国境近くの山岳民族の村に入り、そこのメートー校を訪ねました。
そこで出会った山岳民族の村の子ども達もまた、食事も満足に与えてもらえず、学校にも行けない。将来の希望など何もないという極貧の状況の中にありました。親たちの中には、子どもはお寺に捨てた方が食事にありつけるだろうと考える親が少なくありませんでした。教育にしても、自分たちが受けなかったのだから子どもにも必要ないと考えるのが普通でした。また、親たちは遠くの畑で仕事をするため、家に戻ることなく畑で寝泊まりするため、家で老人の世話をするのは子ども達の仕事でもありました。学校に行ってしまうと困るという親達に、「子ども達にせめて初等教育を」と説得する熱心な先生のぐちを聞くことが、最初に近田さんたちにできることでした。
TPAKはタイ、ミャンマーの山岳民族、少数民族、インドの貧農村地区の子ども達の教育支援を行っていますが、1991年に代表の近田さんがアユタヤの孤児院を視察するスタディツアーに参加したのがきっかけでした。
その孤児院とは当時、名ばかりの施設に2000人ほどの孤児達がいて、大人に面倒をみてもらうこともなく、よい子とは限らない年上の子が小さい子の面倒をみている?という悲惨な状況でした。近田さんが、「どうして政府はこの子たちを放っておくの?この国には福祉はないの?」と尋ねると、「この子どもたちは山岳民族の子だからタイの国民ではない。だからタイの税金を使って救うことはできないのだ」という答えが返ってきました。
その悲惨さに衝撃を受けた近田さんは帰国後、友人とともに三人で各1万円を出し合い、計3万円を持って半年後、三人で再びタイに渡りました。山岳民族のことをもっと知ろうとして情報を集める内、チェンマイの奥にある小学校に熱心な先生がいると聞き、ミャンマーとの国境近くの山岳民族の村に入り、そこのメートー校を訪ねました。
そこで出会った山岳民族の村の子ども達もまた、食事も満足に与えてもらえず、学校にも行けない。将来の希望など何もないという極貧の状況の中にありました。親たちの中には、子どもはお寺に捨てた方が食事にありつけるだろうと考える親が少なくありませんでした。教育にしても、自分たちが受けなかったのだから子どもにも必要ないと考えるのが普通でした。また、親たちは遠くの畑で仕事をするため、家に戻ることなく畑で寝泊まりするため、家で老人の世話をするのは子ども達の仕事でもありました。学校に行ってしまうと困るという親達に、「子ども達にせめて初等教育を」と説得する熱心な先生のぐちを聞くことが、最初に近田さんたちにできることでした。
オーガニックレストラン in 高麗
2007-11-05 19:19:50

前回ブログのつづきです。高麗に行った時、お昼ご飯を食べに、阿里山(アリサン)カフェにに行って来ました。お天気もよく、高麗川を眺めながらのデッキでの食事は、“ほぼベジタリアン”の私にはとっても満足でした。
ここはレストランだけではなく、フェアトレード商品を含むオーガニック食品の販売(通販も含め)も行っているほか、20年前からオーガニック、ベジタリアンをもっと広く知ってもらおうと、多くのイベントや勉強会が開かれています。英語と日本語で書かれた「Tengu Times」という、ニュースレターも発行されています。なぜ英語版?と思ってお尋ねすると、お店のオーナーがアメリカ人でお客にも外国の方が多いからとのことでした。
中身を読んでみると、「アリサン」のイベントの様子や他のオーガニックレストランの紹介などの他に、農業の礎となる、「種」の問題にも触れてありました。
少なくとも毎月1回のペースでイベントが企画されているとのことですが、
味覚の秋、11月も楽しそうなイベントがたくさん用意されています。
他ではちょっと味わえないお料理教室:(以下HPとチラシから抜粋転載)
ヨーロッパ、南米、アジア・・・世界各地を旅し、それぞれの食文化を吸収して独自のスタイルを築き上げた米国出身のドリュー・ジャクソン氏が、「アリサン」の料理教室の為に来日しているとのこと。「世界の台所シリーズ」第4弾となる今回の教室は、「デモンストレーション料理教室」に加えて、「製造見学ツアー&実習」、そしてドリュー氏が腕をふるってくれる「ワンデー シェフの日」という3つのイベントが企画されています。
"難民が作った郷”高麗郡を訪ねて
2007-11-01 11:32:20

埼玉県日高市に用事があり、行ったついでに周辺を散策しようと、高麗郡を訪ねました。
その日は、まず用事を済ませてから市役所へ、玄関で観光案内地図をもらい、それから産業振興課へ。持ってくるのを忘れたレストランの場所をお聞きするためでした。関係のない建築課の方が気前よく、そのレストランのHPをダーと印刷してくださり、いろいろ親切に教えてくださいました。
まず高麗神社(こま神社とよみます)に直行。それから聖天院へ足を伸ばしました。古い道を歩いると、おそらく当時とあまり変わっていないのではないかと思えるほど、のどかで心が安らぎます。
日本人のルーツには諸説あるようですが、縄文系と、何回かにわたって異なるルートで大陸から移動してきた異なる民族の渡来系とに大別され、それらの混血により現在に至っているようです。
668年、半島では、唐と新羅の連合軍に高句麗が滅ぼされ、亡命の民が日本列島へ逃れ、関東各地に散らばって暮らすようになりました。高麗郡は、716年、朝廷が関東7ヶ国に居住していた旧高句麗の移民1799人を武蔵国に移したことにより設置されたのが最初とのこと。高麗郡は“高句麗からの難民”の開拓した土地だったのですね。

高麗神社は、高句麗王族とされる若光が、当時の朝廷によって武蔵国内に新設されたこの高麗郷の首長として就任し、関東各地から呼び集めた高句麗からの移民とともに当時未開だったこの地を開拓した、その偉功をたたえ、若光の没後その御霊を祀った神社です。湘南の大磯町にも高麗山があり、高来神社(もとは高麗神社と呼ばれていた)があることからすると、きっと関東全域に現在もたくさんの足跡があるのでしょう。
この時の亡命移住の前にも、長野には5世紀から6世紀にかけての高句麗式積石塚が多数分布し、狛、巨麻などの古代地名が日本各地にたくさんあります。交流はもっと古くからあったのですね。聖徳太子の師となった恵慈、紙と墨の製法を伝えたとされる曇徴らの高句麗のお坊さんも有名です。若光も高句麗が滅ぶ少し前に日本にきていて、既に朝廷から高い位を授けられていたとの説もあります。
とっても気前のいい「国際有機農業映画祭2007」へのお誘い
2007-10-25 11:13:51
とっても気前のいい映画祭を紹介します。
11月24日「国際有機農業映画祭2007」では、朝から夜までの11時間、有機農業をメインテーマに14本が一挙・連続上映されます。会場は、東京・御茶ノ水の明治大学リバティタワー。
プログラムとスケジュールはこちらからです。
・「自然農−川口由一の世界」(1996年/日本)
・「食の未来」(2004年/米)
・「種子をまもれ!」(1994年/インド)
・「農民ジョンの真実」(2005年/米)
・「あぶない野菜」(2002年/日本)
・「農薬禍」(1967年/日本)
・「石おじさんの蓮池」(2005年/台湾)
・「死の季節よ、さらば」(2006年/フィリピン)
・「危険なオレンジ」(2005年/タイ)
・「根の国」(1981年/日本)
・「日本の公害経験 農薬その光と影」(2007年/日本)
・「懐かしい未来:ラダックから学ぶこと」(1992年/英国)
・「地域から始まる未来:グローバル経済を越えて」(1998年/英国)
・「サルーハバナ」(2006年/日本)
*「自然農−川口由一の世界」の上映後、自然農を実践している生産者を含む有機生産者との交流会が行われるそうです。
*「自然農−川口由一の世界」が153分、「食の未来」と「農民ジョンの真実」が90分くらい。「懐かしい未来:ラダックから学ぶこと」が55分、そのほかの作品はだいたい30分前後ですから、かなりたくさんみられますね。
そうは言っても見られる本数は限られています。どの映画を選ぶかに当たって、そのポイントを映画祭実行委員の方に窺いました。いただいたお返事をそのまま転記します。
●誰でもわかる作品
・『農薬禍』
1967年の作品。長野県佐久市の佐久総合病院の農薬被害への取り組みを描いたドキュメンタリー。農薬被害は消費者より、それを使わざるを得ない農民自身が一番の被害者になることを如実に示している作品。散布中に転倒し入院するも死亡。あるいは、水銀系の農薬散布の結果、体重が半減しガリガリとなって死亡する女性。かなりショッキングなシーンが多い。消費者のエゴを気づかせる。こ作品の持つ意味は、今もあせてはいない。
・『石おじさんの蓮池』
絶滅危惧種の保護と農業の共生、両立が成り立つことを示した作品。品質のよいハスの花の栽培には農薬が欠かせない。しかし、その蓮池には絶滅の恐れのある台北カエルが生息している。この“危機”に台湾の有機農業団体が関わり、農薬を使わない蓮の栽培と販路を確保する。蓮池の主「石おじさん」は、名刺に徐々に増えてきた台北カエルを印刷するまでになっている。
・『根の国』
土の中の土壌微生物をテーマとした作品。こちらも農薬使用がもう一つのテーマとなっている。
・『サルー! ハバナ キューバ都市農業リポート』
有機農業で“復活”したキューバの都市農業を描いた作品。農薬も化学肥料も使わない。しかし、亜熱帯のキューバでも立派なキャベツやレタスができる。大都市のあちこちに直売所のある幸せ。希望が見えてくる秀作。
11月24日「国際有機農業映画祭2007」では、朝から夜までの11時間、有機農業をメインテーマに14本が一挙・連続上映されます。会場は、東京・御茶ノ水の明治大学リバティタワー。
プログラムとスケジュールはこちらからです。
・「自然農−川口由一の世界」(1996年/日本)
・「食の未来」(2004年/米)
・「種子をまもれ!」(1994年/インド)
・「農民ジョンの真実」(2005年/米)
・「あぶない野菜」(2002年/日本)
・「農薬禍」(1967年/日本)
・「石おじさんの蓮池」(2005年/台湾)
・「死の季節よ、さらば」(2006年/フィリピン)
・「危険なオレンジ」(2005年/タイ)
・「根の国」(1981年/日本)
・「日本の公害経験 農薬その光と影」(2007年/日本)
・「懐かしい未来:ラダックから学ぶこと」(1992年/英国)
・「地域から始まる未来:グローバル経済を越えて」(1998年/英国)
・「サルーハバナ」(2006年/日本)
*「自然農−川口由一の世界」の上映後、自然農を実践している生産者を含む有機生産者との交流会が行われるそうです。
*「自然農−川口由一の世界」が153分、「食の未来」と「農民ジョンの真実」が90分くらい。「懐かしい未来:ラダックから学ぶこと」が55分、そのほかの作品はだいたい30分前後ですから、かなりたくさんみられますね。
そうは言っても見られる本数は限られています。どの映画を選ぶかに当たって、そのポイントを映画祭実行委員の方に窺いました。いただいたお返事をそのまま転記します。
●誰でもわかる作品
・『農薬禍』
1967年の作品。長野県佐久市の佐久総合病院の農薬被害への取り組みを描いたドキュメンタリー。農薬被害は消費者より、それを使わざるを得ない農民自身が一番の被害者になることを如実に示している作品。散布中に転倒し入院するも死亡。あるいは、水銀系の農薬散布の結果、体重が半減しガリガリとなって死亡する女性。かなりショッキングなシーンが多い。消費者のエゴを気づかせる。こ作品の持つ意味は、今もあせてはいない。
・『石おじさんの蓮池』
絶滅危惧種の保護と農業の共生、両立が成り立つことを示した作品。品質のよいハスの花の栽培には農薬が欠かせない。しかし、その蓮池には絶滅の恐れのある台北カエルが生息している。この“危機”に台湾の有機農業団体が関わり、農薬を使わない蓮の栽培と販路を確保する。蓮池の主「石おじさん」は、名刺に徐々に増えてきた台北カエルを印刷するまでになっている。
・『根の国』
土の中の土壌微生物をテーマとした作品。こちらも農薬使用がもう一つのテーマとなっている。
・『サルー! ハバナ キューバ都市農業リポート』
有機農業で“復活”したキューバの都市農業を描いた作品。農薬も化学肥料も使わない。しかし、亜熱帯のキューバでも立派なキャベツやレタスができる。大都市のあちこちに直売所のある幸せ。希望が見えてくる秀作。
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プロフィール
| 名前 | リポーター: 鈴木 由利子 |
|---|---|
| 自己紹介 | 南北の格差から生じる、人権、貧しさなど今なお残る深刻な問題・・・、難しい話ではなく、フェアトレードの輸入品を買うなどセカンドリーグ会員が簡単に学び、参加できる国際協力の方法を伝えます。 |






