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ほぐし織りの産地富士吉田in山梨

2007-09-21 07:00:20

パルシステムの情報カタログ「Kinari(きなり)」2007年9月4回号に載っていた「モンブランヤマグチ」の傘が目にとまりました。「ほぐし織り傘」なのだそうです。「ほぐし織り?」・・・なんなのでしょう。「Kinari」のページに載っている文から引用します。

ーーー仮の横糸を用いて織り上げた生地に、捺染で絵柄を染め、その後、仮の横糸を抜いて(ほぐし)、改めて本織り用の横糸で織り上げます。柄が縦糸だけに染められているので、本織りの際に生じる微妙なずれにより、柔らかな絵柄に織りあがるのが特徴です。模様のずれはその都度異なりますので、まったく同じものがないのも、ほぐし織りならではの楽しみです。ーーー
なんか、複雑な工程のようですね。でも「まったく同じものがない」というのは魅力です。まさしく「マイ傘」!
カタログに載っている傘の絵柄も「フランス的」というか洒落ていて、まるでカシニョールかラウル・デュフィの絵のよう。傘の柄も木で出来ていてアールヌーボーの曲線を彷彿させます。
こんな素敵な傘を持っていたら雨の日もきっと楽しみになるでしょうね。

「モンブランヤマグチ」というお店、なんだかお菓子やさんみたいなネーミングですけれど傘の専門店なのでしょうか。東京は錦糸町にあるみたい。
ホームページを探してみました。「モンブランヤマグチ」さんのホームページだけではないようですが(いくつかの傘屋さんが載っています)、このページから入って行く「ほぐし織り」の製造行程を織った「ほぐし織り〜富士吉田〜探訪」というページに出会いました。このページで「ほぐし織り」というのがどういうものか大変よくわかりました。

ブログでも触れました「ワイルドシルクフェスタ」をきっかけに、このところ俄かにシルク(絹)熱にうかされている私ですから、「ほぐし織り」の産地が富士吉田と聞いてすぐ「甲斐絹(かいき)」を連想しました。
雨傘の生地はシルクではなくポリエステルであるとわかっていますが、生地の織り方が「富士吉田をはじめとする山梨県の郡内地方でかつて栄えた郡内織物の伝統を受け継いでいるのではないか!?」と思ったのです。

そこでまず、ネットで「甲斐絹」を検索してみました。
ありました!「山梨県富士工業技術センター」で作っているホームページが。「甲斐絹ミュージアム」のページに出会いました。
なるほど、「Kinari」のカタログに載っている西洋傘の絵柄とは違って日本の伝統的な絵柄が「甲斐絹ミュージアム」には展示されていますが、絵の微妙なカスレ具合は同じ。
「ほぐし織り」は紛れもなく「甲斐絹」の伝統の織り方だったのです。
伝統が今も脈々と受け継がれていることに意を強くした私。早速富士吉田にある「山梨県富士工業技術センター」に出かけていきました。

9月19日(水)。この日、ふらりと出かけたので、「山梨県富士工業技術センター」の「甲斐絹ミュージアム」HP作りに携わった五十嵐さんにはお目にかかれませんでした。でも、代わりに応対してくださった職員の方からいろいろお話を聞くことが出来ました。

■まず甲斐絹とは?
先染めの糸を織ります。糸に縒りをかけないので薄い生地になります。高密度に織るため、昔、戦前ごろまで手織りでやっていた時分はなかなか生地一枚の完成までに時間がかかったということで、今は機械織りです。

■手織りの後継者は?
現在手織りでやっている人はいないだろう。

私注)郡内は織物が盛んで、今の80歳から上の世代の女性たちの多くが「機や(はたや)で奉公に出て働いた」という言葉をよく耳にしますが、その「機や」とは機械織りの、いわば工場であって、手織りをしていたわけではないので、「甲斐絹」の全工程を一人の人がこなすということはないのだそうです。つまり「甲斐絹」は一人で織る織物ではないということ。

■でも郡内あちこちで「手織りの会」があるようですが・・・?
甲斐絹の手織りの会ではないでしょう。

私注)郡内の女性たちが今でも伝統を受け継いで次世代に残すために、あちこちで「手織りの会」を作っているのを知っており、そこが「甲斐絹」の伝統を残すことと同義なのかと思っていましたら、説明によりますと「手織りの会」は「大石紬」(河口湖の大石地区で受け継がれた)などに代表される、つむぎで、甲斐絹ではないということでした。大月市の市歌などに出てくる「筬(おさ)の響き」が町のあちこちから聞こえていたという戦前当事の様子は、「機織工場(はたおりこうば)」の機械音だったのですね。私はそれこそ、昔話「うりこ姫とあまんじゃく」の世界にワープしていて、近代という時代が抜け落ちていたのでした。
「トントンカラリ、トンカラリ」と、うりこ姫が織るような機(はた)音が、町中のあちこちの家から聞こえていたのだ、なんてのんびりした光景を夢見ていたのでした。

■甲斐絹はたまた郡内織物の現況は?後継者は?
特に問題はなく受け継がれてきていますよ。

私注)気を取り直して(現実に戻って)、伝統産業「甲斐絹」の今について少し伺いました。「後継者は大丈夫」とのことでした。昔から続いている甲斐絹の工場が、三代目、四代目という形で今の工場主に受け継がれているのだそうです。
「甲斐絹」は分業体制で出来上がります。そのため、行程で専門分野それぞれが連携しあわないといけません。(工場)家で受け継ぐという縦糸と部門それぞれで連携しあうという横糸で織られた産業。一箇所欠くわけにはいきません。

■団塊世代のセカンドステージとして、そこに(行程に)関わることは出来るのかな?
う〜ん・・・・。
私注)聞かれてちょっと首をかしげていました。「熟練を要する仕事なのでそう簡単には・・・」。なのだそうです。

■若い人なら、受け継いだ家の出でない人が志した場合、就職できるのですか?
そういうケースもありますが・・・。でも収入が少ないですから、あまり希望者はいないでしょう。

■では「甲斐絹」は儲からない産業なのですね?
儲かっているところ(会社)もあると思いますよ。市場のニーズをつかみ、そこに応じているところは・・・。つまりブランド化に成功しているところは。

ーーーと、以上のような職員の方のお話で改めて「ブランド化」の大切さを思ったようなわけです。「ブランド」と聞いて、すぐに「モンブランヤマグチ」の雨傘が思い浮かびました。ここの雨傘は市場のニーズに応えているし、ニーズを作り出すことも出来る!そう確信しました。

さて、「甲斐絹」の製造工程探訪は、モンブランヤマグチさんのホームページで素晴らしい探訪のページ写真があるため、私などのブログで写真を物すこともないでしょう。
でも、私はどうしても「ほぐし織り」を自分の目で見、機織りの機械音を耳で聞きたく思います。次は是非、工場見学をしてリポートをお届けしたいと考えています。お楽しみに。(山本豊美)

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続・ワイルドシルクフェスタ

2007-09-17 22:16:33

9月12日にお伝えしました「ワイルドシルクフェスタ」のリポート続編です。今回は文章ばかりになりますが。

9月9日の会場で農学博士長島孝行さんと出会いました。言葉を交わすチャンスもあったのですが、会場内の展示物の面白さに頭がいっぱいになっていた私は、博士にワイルドシルクについての学術的なお話を伺うなどの余裕はなく、傍らに置かれていた博士の著書を買って帰りました。その本を読んでの感想です。

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まず長島先生の本から引用させていただきます。

ーーー「シルクのふるさとが世界遺産になる!?」
2007年の1月、文化庁は世界遺産として「富岡製糸場と絹産業遺産群」を追加申請しました。富岡製糸場(1872年〜1987年)は、明治のはじめに政府が近代化のために設置した最初の工場で、日本の養蚕・絹織物の発展に欠かせない存在でした。そして最盛期には1000人もの女工を抱える大工場であり、「殖産工業」を謳った近代日本の産業遺産であったのです。
常々、私は「日本の養蚕をなくしてしまったら、世界に誇れるものがまたひとつなくなってしまう。群馬ならでは、富岡ならではのものを押し出すべき」と訴えてきたのですが、今こそがまさにそのタイミングだと思っています。では「富岡ならではのもの」とは何か?やはりそれはシルクをおいて他にはない。第5章の「食」のページにてもお話しますが、シルクは食品としても非常に優秀です。富岡産の繭を絹たんぱく液にし、飲むこんにゃくゼリーやまんじゅう、うどん、せんべい、パンなどに混ぜたものを「富岡ブランド」として発信し、どんどんアピールしていけたら、と考えています。−−−

長島孝行博士は2007年6月の「富岡のシルク産業を考えるシンポジウム」にパネリストとして参加し、そのとき富岡市長さんにも提言を出していらっしゃいます。

この文章を読んで私が考えたのは、まず「富岡製糸場が世界遺産になるなら、長野県岡谷市だって世界遺産だろう!?」ということです。
長島先生の文章の主旨とズレますが・・・。

大竹しのぶの名演が涙を誘った映画「ああ野麦峠」の原作本「女工哀史」に出てくるうら若い糸取りの女工たちは、岡谷の製糸工場で働いていたのですから・・・。私が長野県岡谷市と近い諏訪市の生まれ育ちということもあり、地元びいきでしょうが、私は「製糸といえば岡谷だ!」とこの数十年信じて生きてきたのです。

「富岡製糸場」は確かに政府が最初に作ったものだし、私の小さい頃の社会科の教科書にも写真が載っていた記憶があります。ですから、日本の国の位置づけとしては、「製糸で栄えた近代日本の基礎は、富岡にあり」で正しいでしょう。そこで富岡を文化庁が世界遺産にしたいと思ったのは無理からぬことでしょう。

でも私が言いたいのは「製糸工場が明治政府の繁栄を支えた、ひいては日本のその後の運命を決めた」というわけで重要というのなら、製糸工場及び製糸関連のもの、場所すべてを日本の遺産、宝物として位置づければよい!ということです。

まずは富岡で、長島博士の提言したことを取り入れていろんなブランドを発信してくだされば素敵です。
日本の宝物、シルクを(昔のような製糸一辺倒でなく、食品とか医療品とマルチな分野で)見直し、活用していこうよ!と。

次にそれを、日本中の養蚕の盛んだった地域が参考にして取り入れていけばいいのに、と思うのです。地域ブランド開発もいいけれど、日本の国の規模でシルクの復興を図る!というのはどうでしょう。

群馬県富岡で、長野県で、そうそう、山梨県でも、天蚕の盛んだった市川三郷町、郡内織物の栄えた富士吉田市、都留市といった郡内地域!まだまだありますよね!日本中にシルクの遺産の地域と言える場所は。

9月15日だったかしら、NHKの朝のニュースで福島県の川俣町が登場しました。福島県もかつて養蚕が盛んな地域だったそうです。
今でも160軒が養蚕を続けているという話。(もしかしたら日本で一番養蚕が残っている地域ではないでしょうか?)
昔と違いほとんど機械化されているそうです。
その一軒、佐藤さん宅では30万匹の蚕を飼い、したがって30万個の繭を作る!
その数字を聞いて、びっくりしました!昔の家内生産現場と違い30万という数字は、工場の規模ではないでしょうか!?やはり機械化の強みですね。

でもそんなことより何より、今でも養蚕農家が健在であるというニュースが素直に嬉しかった。

テレビ画面に映った蚕の繭作りの様子やその音は、「手作業」から「機械作業」へという人間の側の事情の移り変わりにに関係なく、太古からの人と昆虫の共生の営みが思われて、感動をがわきました。
養蚕農家の佐藤さんの奥さん、洋子さんの、蚕を見るまなざしも昔の養蚕農家の主婦が「お蚕様(おかいこさま)」に注いだまなざしと同じだと感じました。日本の誇る世界遺産を守る人がここにもいる!と思いつつテレビ画面に釘付けになってしまいました。

従来の人と蚕の共同作業から出来上がるシルク(家蚕)と、育つフィールドが山となる山繭のシルク(天蚕)。そして、今回「ワイルドシルクフェスタ」で紹介された蚕の吐く絹糸にとどまらない多種の昆虫の吐く糸、シルク(野蚕)。こんなにシルクのフィールドは広いのです。

長島孝行博士の本を読むと、「日本は資源のない国」なんかじゃあない!と希望がわきましたし、多くの人がこれからシルク産業の復興に加わっても決して持て余しにならない需要が望めると思います。

再び長島博士の著書から引用を。

ーーー本書はシルクについて大きく取り上げています。それは私が10年以上かけて観察して来たことですが、天然繊維の時代が再びやってくることを想定してのことでもあります。
日本では「食」の自給率が40%と低く、大きな問題になっていますが、衣食住の「衣」の部分に関しても、そういった問題がこれから出てくるでしょう。
実際、日本では綿や毛などもほとんど作られていません。世界に誇ってきた絹産業をここまで衰退させてしまった問題は非常に大きいのです。日本の科学技術の中で、シルク生産に関した桑の研究実績、蚕の研究実績、そして絹糸の研究実績は紛れもなくトップです。
だから今からでも間に合う。養蚕業を復活させたいという思いがあります。ーーー
長島孝行著「蚊が脳梗塞を治す!昆虫能力の驚異」というご著書で、世界中のいろんな昆虫のパワーについていろいろ書かれていますが、蚕について多くのページを使われています。
この本は「ワイルドシルクフェスタ」会場でも売っていますのでお出かけの折には是非手にとって見てください。定価800円。

長島孝行博士のプロフィール・・・0955年、埼玉県に生まれる。東京農業大学を卒業後、同大学院農学研究課博士後期過程終了。農学博士。専門は昆虫発生学・解剖学で昆虫機能を研究し、社会に役立てようとする「陰線とテクノロジー」を提唱。2005年の名古屋万博、愛地球博では中部千年共生村の生物力を監修。

今まで一般には「衣食住」の「衣」の部分だけで着目されてきたシルク。「食」の分野でも「住」の分野でも研究が進み、研究結果も活用されていて、「天然繊維野時代が再びやってくる!」と断言する研究者もいるのですね。わくわくしてきました。しばらくシルクから目を離せそうにありません。(山本豊美)

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ワイルドシルクフェスタに行ってきました

2007-09-12 03:07:30

9月4日(火)から東京都世田谷区にある東京農業大学「食と農の博物館」で開催されている「ワイルドシルクフェスタ」に行ってきました。
「ワイルドシルク」とは野生のシルクのこと。野生のシルクとして以前このブログでも取り上げました「天蚕(てんさん)」は知っていましたが、この展覧会場に来て見て「ワイルドシルク」野蚕の奥の深さを知り、まさに目からウロコの心境になりました。
世界中に多種多様な「繭を作る」昆虫がいてそれらを一まとめに「ワイルドシルク」と呼ぶのですね。
また、天蚕の取材時、日本の絹糸の産業の衰退、後継者不足の一端を見たことから抱いていた心細さがここで払拭されました。「絹糸=高級着物」という単一な思い込みに縛られていたのです。蚕のつくり出すシルクには、見た目の美しさのほかに、紫外線をカットする力、抗菌性などがあり、吸脂性もあることなどから、美容品、介護用品、医薬品に至るまで様々な分野に用途が考えられ研究されているのです。会場にはそれらの製品もたくさん展示されていました。これからの日本の絹糸産業の新たな地平を見せていただいた気持ちでいっぱいになりました。

今回の「ワイルドシルクフェスタ」を紹介してくださったのは、「野蚕広報センター」の中塚さんです。会場でお会いすることが出来、展示の解説をしていただきました。このブログを借りて御礼申し上げます。

今回の「食と農」の博物館を会場にしたフェスタは私にとって、スケールも手ごろと言いますか、じっくり見て楽しむには適当な規模でした。
9日は特別講演「ワイルドシルク繭からの糸紡ぎ」が開催され、加藤幸子さんによる講演と糸紡ぎの実演、そして参加者による糸紡ぎ体験がありました。
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糸紡ぎの機械は長野県の農村の女性たちが使っていたものを加藤さんが譲り受けたものだそうです。
60年ぐらい前まで、日本の養蚕の盛んな農村では、田んぼの作業が休みとなる農閑期に、女性たちがこの機械を使って夜なべ仕事で糸を紡いでいたという事です。

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長野県生まれの私ですが、はじめてみる機械でした。

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加藤さんの作品。野蚕の繭を貼り付けて作られたバッグ。繭そのままを使うというアイデアが新鮮ですね。

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多孔性の茶色の繭も暖簾のフリンジにぶら下げるとこんなに面白いインテリアに。

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奥にあるのは野蚕の繭。その繭の糸を紡いで作られた織物の数々。

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ざっくりした風合いが素敵なバッグ。いわゆる「クズ繭」からこんなに美しい製品が生まれるのです。

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タサール蚕(インド産)の繭。これで作ったベッド用シーツは抗菌性が高く、肌に優しいため、床づれなどしにくいため介護用にも良いそうです。

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ムガ蚕(インド産)の繭から紡いだ糸。繭を先ほどのような糸紡ぎ機械で手で紡いだものです。

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ウスタビ蛾の作る緑色の繭。この繭は硬くて手で紡いで糸にすることは出来ません。でも濃い緑色の繭は魅力ありますね。ただ今用途を研究中だということです。

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会場の一角で、シルクのコースター作りの実演をしていました。誰でも参加でき、簡単です。シルクの土台に草花を置きその上に薄くシルクを被せて、水を吹きかけます。そして当て布(手ぬぐい)をし、アイロンで押し付け乾かすだけ。

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子どもたちもこうした体験参加が出来るのでこの展覧会は家族で楽しめますね。私も一枚作って見ました。家に帰り使ってみますとわりあい水をはじくコースターで紙で作られたコースターとの違いを感じました。改めて絹の特性のあれこれに思いを馳せました。

「ワイルドシルクフェスタ」は、シルク製品の美しさや感触のよさに魅入られている女性には必見。
そして昆虫に懐かしさを覚える(子どもの頃、蝶や他の昆虫の標本を作ったなあ・・・などという記憶のある)男性にも、昆虫と人間の親しい関わりを再発見出来る格好の展覧会です。

「食と農の博物館」にあるレストランで、期間中にメニューに載せているシルク入りのシフォンケーキも是非お試しあれ。
「ワイルドシルクフェスタ」期間は9月30日(日)まで。月曜休館。(山本豊美)

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