パルシステムの情報カタログ「Kinari(きなり)」2007年9月4回号に載っていた「モンブランヤマグチ」の傘が目にとまりました。「ほぐし織り傘」なのだそうです。「ほぐし織り?」・・・なんなのでしょう。「Kinari」のページに載っている文から引用します。
ーーー仮の横糸を用いて織り上げた生地に、捺染で絵柄を染め、その後、仮の横糸を抜いて(ほぐし)、改めて本織り用の横糸で織り上げます。柄が縦糸だけに染められているので、本織りの際に生じる微妙なずれにより、柔らかな絵柄に織りあがるのが特徴です。模様のずれはその都度異なりますので、まったく同じものがないのも、ほぐし織りならではの楽しみです。ーーー
なんか、複雑な工程のようですね。でも「まったく同じものがない」というのは魅力です。まさしく「マイ傘」!
カタログに載っている傘の絵柄も「フランス的」というか洒落ていて、まるでカシニョールかラウル・デュフィの絵のよう。傘の柄も木で出来ていてアールヌーボーの曲線を彷彿させます。
こんな素敵な傘を持っていたら雨の日もきっと楽しみになるでしょうね。
「モンブランヤマグチ」というお店、なんだかお菓子やさんみたいなネーミングですけれど傘の専門店なのでしょうか。東京は錦糸町にあるみたい。
ホームページを探してみました。「
モンブランヤマグチ」さんのホームページだけではないようですが(いくつかの傘屋さんが載っています)、このページから入って行く「ほぐし織り」の製造行程を織った「ほぐし織り〜富士吉田〜探訪」というページに出会いました。このページで「ほぐし織り」というのがどういうものか大変よくわかりました。
ブログでも触れました「ワイルドシルクフェスタ」をきっかけに、このところ俄かにシルク(絹)熱にうかされている私ですから、「ほぐし織り」の産地が富士吉田と聞いてすぐ「甲斐絹(かいき)」を連想しました。
雨傘の生地はシルクではなくポリエステルであるとわかっていますが、生地の織り方が「富士吉田をはじめとする山梨県の郡内地方でかつて栄えた郡内織物の伝統を受け継いでいるのではないか!?」と思ったのです。
そこでまず、ネットで「甲斐絹」を検索してみました。
ありました!「山梨県富士工業技術センター」で作っているホームページが。「
甲斐絹ミュージアム」のページに出会いました。
なるほど、「Kinari」のカタログに載っている西洋傘の絵柄とは違って日本の伝統的な絵柄が「甲斐絹ミュージアム」には展示されていますが、絵の微妙なカスレ具合は同じ。
「ほぐし織り」は紛れもなく「甲斐絹」の伝統の織り方だったのです。
伝統が今も脈々と受け継がれていることに意を強くした私。早速富士吉田にある「山梨県富士工業技術センター」に出かけていきました。
9月19日(水)。この日、ふらりと出かけたので、「山梨県富士工業技術センター」の「甲斐絹ミュージアム」HP作りに携わった五十嵐さんにはお目にかかれませんでした。でも、代わりに応対してくださった職員の方からいろいろお話を聞くことが出来ました。
■まず甲斐絹とは?
先染めの糸を織ります。糸に縒りをかけないので薄い生地になります。高密度に織るため、昔、戦前ごろまで手織りでやっていた時分はなかなか生地一枚の完成までに時間がかかったということで、今は機械織りです。
■手織りの後継者は?
現在手織りでやっている人はいないだろう。
私注)郡内は織物が盛んで、今の80歳から上の世代の女性たちの多くが「機や(はたや)で奉公に出て働いた」という言葉をよく耳にしますが、その「機や」とは機械織りの、いわば工場であって、手織りをしていたわけではないので、「甲斐絹」の全工程を一人の人がこなすということはないのだそうです。つまり「甲斐絹」は一人で織る織物ではないということ。
■でも郡内あちこちで「手織りの会」があるようですが・・・?
甲斐絹の手織りの会ではないでしょう。
私注)郡内の女性たちが今でも伝統を受け継いで次世代に残すために、あちこちで「手織りの会」を作っているのを知っており、そこが「甲斐絹」の伝統を残すことと同義なのかと思っていましたら、説明によりますと「手織りの会」は「大石紬」(河口湖の大石地区で受け継がれた)などに代表される、つむぎで、甲斐絹ではないということでした。大月市の市歌などに出てくる「筬(おさ)の響き」が町のあちこちから聞こえていたという戦前当事の様子は、「機織工場(はたおりこうば)」の機械音だったのですね。私はそれこそ、昔話「うりこ姫とあまんじゃく」の世界にワープしていて、近代という時代が抜け落ちていたのでした。
「トントンカラリ、トンカラリ」と、うりこ姫が織るような機(はた)音が、町中のあちこちの家から聞こえていたのだ、なんてのんびりした光景を夢見ていたのでした。
■甲斐絹はたまた郡内織物の現況は?後継者は?
特に問題はなく受け継がれてきていますよ。
私注)気を取り直して(現実に戻って)、伝統産業「甲斐絹」の今について少し伺いました。「後継者は大丈夫」とのことでした。昔から続いている甲斐絹の工場が、三代目、四代目という形で今の工場主に受け継がれているのだそうです。
「甲斐絹」は分業体制で出来上がります。そのため、行程で専門分野それぞれが連携しあわないといけません。(工場)家で受け継ぐという縦糸と部門それぞれで連携しあうという横糸で織られた産業。一箇所欠くわけにはいきません。
■団塊世代のセカンドステージとして、そこに(行程に)関わることは出来るのかな?
う〜ん・・・・。
私注)聞かれてちょっと首をかしげていました。「熟練を要する仕事なのでそう簡単には・・・」。なのだそうです。
■若い人なら、受け継いだ家の出でない人が志した場合、就職できるのですか?
そういうケースもありますが・・・。でも収入が少ないですから、あまり希望者はいないでしょう。
■では「甲斐絹」は儲からない産業なのですね?
儲かっているところ(会社)もあると思いますよ。市場のニーズをつかみ、そこに応じているところは・・・。つまりブランド化に成功しているところは。
ーーーと、以上のような職員の方のお話で改めて「ブランド化」の大切さを思ったようなわけです。「ブランド」と聞いて、すぐに「モンブランヤマグチ」の雨傘が思い浮かびました。ここの雨傘は市場のニーズに応えているし、ニーズを作り出すことも出来る!そう確信しました。
さて、「甲斐絹」の製造工程探訪は、モンブランヤマグチさんのホームページで素晴らしい探訪のページ写真があるため、私などのブログで写真を物すこともないでしょう。
でも、私はどうしても「ほぐし織り」を自分の目で見、機織りの機械音を耳で聞きたく思います。次は是非、工場見学をしてリポートをお届けしたいと考えています。お楽しみに。(山本豊美)