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日本の遺産。甲斐絹を追って。その一 手織りの浮世絵?

2007-11-14 06:08:45

以前このブログでも話題にしました「甲斐絹」。時々思い出したように「甲斐絹」の周囲を彷徨する私。今回思い立って富士吉田市に出かけ、「絵甲斐絹」の実物など見てきました。
「富士工業技術センター」の職員五十嵐哲也さんにお会いしてお話を伺いました。五十嵐さんは「富士工業技術センター」のホームページ中の「甲斐絹ミュージアム」作りを担当されました。

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資料室に保管されている甲斐絹を見せて説明してくださる五十嵐さん

五十嵐さんのお話から
「富士工業技術センター」の前身は「山梨県工業試験場」。明治38年に創設されました。現状、甲斐絹を約460点保存。古いものでは100年近く昔のものもあります。絹100パーセントの布ですから劣化を避けるため一般展示はしていません。ホームページで「甲斐絹ミュージアム」を作る以前はここに来て実物を見るしかありませんでした。

■「甲斐絹ミュージアム」を作った目的
甲斐絹のルーツを知って欲しい!
甲斐絹の産地で生まれ育った人でも、昔の甲斐絹の絵柄や風合いを知る人は少なくなりました。素晴らしい甲斐絹のルーツを忘れないで、多くの人に知ってもらいたい!そう思い「甲斐絹ミュージアム」を作りました。「古きを尋ねて新しきを知る」ことから、生産者も新しい技術・デザインを生み出して欲しいと思います。
■甲斐絹の歴史
江戸初期〜中期:甲州(今の山梨県)郡内地域で生産された「郡内縞(ぐん        ないじま)」が当事の洒落者たちの間に流行した。
○「絵甲斐絹」は19世紀初頭に発生したといわれる。
<山本注>
19世紀初頭の日本=化政文化時代の華やぎがあった
「化政文化」とは?
以下、ウィキペディアから引用
ーーー化政文化(かせいぶんか)とは、文化・文政期(1804〜1829年)を中心とする江戸時代後期に発展した町人文化である。政治・社会の出来事や日常の生活を風刺する川柳が流行した。また、文学では、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」のように、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽な作り話が好まれた。版画では、多彩な色彩を表現できる技術が向上し、そのような技術で作られた版画は錦絵と呼ばれた。江戸から発生し、商人などの全国的交流や、出版・教育の普及によって各地に伝えられていった。また、これに伴い、内容も多様化していき、庶民へと浸透していった。江戸時代前期に栄えた元禄文化は上方が文化の中心だったが、この頃から、文化の中心は江戸に移っていく。(以下略)ーーー

多彩な錦絵が庶民にまで浸透していった、というのであれば、当然着物や身の回りの小物にも、そういった多彩な華やかなものが出回ったに違いないと(山本は)考えます。

五十嵐さんのお話に戻ります。
絵甲斐絹の模様は何重にも違う絵の薄紙を重ねたように見えます。

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絵甲斐絹 格子柄の向こうに花が見えます。

生地も薄い。薄い生地にこれだけの奥行きある絵を表したところがスゴイ。究極の絵模様の織物だと思います。当事江戸では表立って華美に装えば幕府の取り締まりに引っかかります。そのため洒落者は羽織裏に凝った絵柄の裏地をつけておしゃれ心を満足させたのですね。絵甲斐絹の隆盛はそのような時代背景を表していたのだと思います。

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男物の羽織の裏に華やかな絵柄の裏地が使われています。

山本注:

五十嵐さんのお話を聞いて、絵甲斐絹を見ていて思い出したのが浮世絵版画。歌川広重(安藤広重)の「東海道五十三次」。特に「庄野」という題名の絵。


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歌川広重の「庄野」天保3年〜4年 1832〜1833頃発行

「遠近法が素晴らしい」と、かのゴッホなどの西洋画人たちに感銘を与え、以後の西洋絵画の技法に影響を与えた絵。近景に横殴りの雨。中景に山道を行く旅人の姿。遠景に風雨にしなう竹林のような木々の描かれている版画。
ちなみにネットで歌川広重を検索しますとウィキペディアの歌川広重のページに興味深い記述がありました。
「甲州日記」という目次があったのです。

歌川広重は天保12年(1841年)に甲州(甲府)に行き、滞在して「絵幕」を描いていたのです。広重と甲州の深いつながりを発見しました。私(山本)が考えるに、広重が甲州の人たちと交流し、「絵幕」を制作して、自身の絵画技術を伝えた。そのとき広重と交わり影響を受けた人々の中に郡内地域の織物作家たちがいたのではないでしょうか・・・。彼らが自分の織物作品の中に広重の絵の「奥行き」を表そうとした、と考えるのは難しいことではないでしょう。「絵甲斐絹」と「浮世絵」のつながりを発見し熱くなっている山本です!

私が五十嵐さんから伺ったお話の中の「甲斐絹の歴史」とか「甲斐絹の種類」などは五十嵐さんの作った「甲斐絹ミュージアム」を覗けばさらに詳しく語られています。是非覗いてみてください。

「浮世絵」と甲斐絹のつながりに着目したのは私、山本の慧眼か?と思いたいのですが、改めて「甲斐絹ミュージアム」をじっくり見てみましたら、江戸時代の文学の中に出てくる「甲斐絹」=「郡内縞」の記述について詳しく取り上げられているのを見つけました。
文学にこれだけ取り上げられたのだから、同じ時代の絵画の流行を繁栄した絵柄を織り込むことはある意味、当然の話なのですよね。
もしかしたら、浮世絵が織物に影響を与えたというより、織物が絵画に影響を与えたという言い方も出来るかも知れませんね。
まだまだ「甲斐絹」の世界は奥が深いです。
いずれにしても「浮世絵」は日本が世界に誇る遺産。「甲斐絹」も同様に素晴らしい遺産だと思うのです。
・・・で、ほんとに遺産?今も現役ではないの?という疑問がわきます。現役でいて欲しい「甲斐絹」。次回は五十嵐さんの案内で富士吉田市にある「甲斐絹」の伝統を今に伝える織物工場を見学しましたので、お伝えしたいと思います。乞うご期待。(山本豊美)

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