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牛久で図書館の本を修復する人たち

2008-10-19 20:09:14

今回は「のんびる11月号」に掲載されている「牛久製本同好会」のリポートをお届けします。

私は2年ほど前、「日本中の図書館で、近年本を借りる人のマナーが悪くなり、ページが破られたり落書きされたりした本が増え、困っている」という新聞記事を目にし、印象に残りました。『傷んだ本はどうなるのだろう・・・?』と常々思っていました。

そんな私に8月末、編集室から(ボランティアで図書館の本を修復する活動をしている)「牛久製本同好会」の取材依頼が届きまして、「これは日頃抱いていた疑問を解決するチャンス!」とばかり、喜んで私はその話に飛びつきました。

取材したのは9月3日の水曜日。毎週水曜日の午前中が会の活動日なのです。牛久市立中央図書館の1室で会員の皆さんが本の修復作業をしている現場にお邪魔しました。私が訪問したときは8人が修復作業をしていました。

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綴じがバラバラになった本の綴じ直しの作業をする会員さん。

代表の山川輝夫(やまかわ てるお)さんは、「いつもはもっと多いんです。うちはシャイな人が多くて、『取材で写真を撮られるのは恥ずかしい』と早々帰ってしまった人や、休んでしまった人もいるんですよ」と言いつつ笑顔で迎えてくださいました。

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ハサミを使ったり、糊をつけた筆を使ったり、黙々と各々の作業に没頭する会員さんたち。本の修復には神経の集中を要する。

山川さんは、本の修復の手を休めず、傷んだ本を見せながら私の質問に丁寧に答えてくださいました。
「近年の本の傷み方はひどいのですか?」との質問に、「そうですねえ。昔には考えられなかった汚し方を目にすることがありますねえ・・・」「例えば、これ」と山川さんが見せてくれた本。
「犬が齧ったあとです」と・・・。「はあ・・・つまり、家の床に放り出して置いたら、家の中で飼っている犬が・・・ということですよね」と私がつぶやくと「そうです」とうなづく山川さん。

本の扱い方も昔と変ってぞんざいになったし、ライフスタイル(犬を家の中で飼うなどの)も変ってきたから・・・という日本人のくらしの背景があるようです。

「クッキーなどの食べものの粉が折り挟まれた本も多いです」ともおっしゃっていました。

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「セロハンテープで自分で破損本を直す人もいるんですが、これも困ります。べたつきや黄変が起こりますからね」いろんな事例を話す山川さん。(右横顔)

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豪華本の修復もある。この本は裏表紙の扇の貼り絵が破れていた。

「それと・・・」と、山川さんが表情を改めておっしゃったのは「最近の本は綴じかたが安易に出来ているんですよ。製本が悪い。だからすぐに本の姿が崩れるのです」と。

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本の背を見せて綴じかたの説明をする山川さん。

・・・なるほど、最近は本を読む側の姿勢もぞんざいなら、製本する側も軽いのか・・・・。大量の出版物が毎日のように発刊され、機械化に便利な「無線綴じ」の廉価版が出回る現代。書籍は消耗品となる傾向にあります。

「良い書籍は消耗品ではない!」と「牛久製本同好会」の人たちは理念を掲げます。

山川さんは昔作られた本と、最近出回っている子供向けの本の綴じかたの違いを、実物を見せながら説明してくださいました。確かに昔の本は背を糸でしっかり綴じてありました。最近の本の多くは糊で貼り付けてあるものが多いことも目のあたりにしました。また、糸綴じの本でも、その糸が弱い糸で細い糸で綴じられている場合が多いそうです。

修理の方法は、いくつかあります。もちろん個々の本の真新しい状態に戻す修復ですから、その本の成り立ちに沿って修復が行われます。糊綴じの本であれば糊綴じに、糸綴じであれば糸で綴じます。犬が齧ったページはその部分を綺麗に切り、欠けた箇所に同質の紙を貼って修復されていました。

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「近代の本は紙質もいろいろですね。ビニールをコーティングしたような紙もありますね。そういう本が水に濡れてしまったものを修復するのはとても大変です」と山川さん。


作業机には糸・糊・アイロン・ハサミといった道具がたくさん置かれています。8人が8様にそれぞれの修復をしていらっしゃいます。別の机に載っている重石をする機械を動かしている人もいます。修復成った本は重石をかけて姿形を整えるのです。

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牛久市にお住まいの会員の皆さん。自分の書いた本を製本したりもしている。製本の学習会にも出たり、と自己研鑽に熱心。



図書館の蔵書修復に必要な道具類は皆図書館側で用意してくれるとのことです。毎週一度10名ほどが集まり修復作業を行ってもまだまだ修復を待つ本はたくさんあります。「悲しいのは、私達が修復して戻した本がまた修復に回ってきた時です」と、山川さん。

11月3日「文化の日」は牛久中央図書館の「図書館まつり」。「牛久製本同好会」はこの日図書館で、図書館利用者の持参した個人の毀れた本の修復をします。

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「図書館まつりには毎年参加していますが、修復成った本を手に瞳を輝かす子ども達や年配の人たち姿を見るのが嬉しいですね」と山川さん。

「牛久製本同好会」の皆さんは本をこよなく愛し、また、文化を伝える縁の下の力持ち的人たちなのだと感じました。

聞けば「牛久製本同好会」のような、図書館蔵書修復のボランティアは各地でいくつか誕生しているとのこと。それは嬉しい。全国の図書館に満遍なくそうした縁の下の力持ちがついて欲しい。そうしたらどんなに地域文化が活き活きすることでしょう!

山川さんの今後の夢は、個人の書籍の修理とその相談にも応じたいということ。今迄も、関東圏内の人たちから個人蔵書に関する相談を受けることは度々ありましたが、「遠方から足を運んでもらうのは大変だ」とお客様を思いやる山川さん。「デジタルカメラやメールを介してヒント助言をさせていただくシステムを構築したい」と夢見ておられるのです。興味のある方、趣旨に賛同される方は山川さんに是非連絡をして下さい。
山川さんのメールアドレスは
yamasan9@olive.ocn.ne.jp
(山本豊美)

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お葬式考

2008-08-31 23:54:20

発刊したばかりの「のんびる」9月号で特集しています「納得のいくお葬式を考える」は私にとって興味深い記事です。
3年前父を見送り、今年春には母を見送りました。しかし、わたしにとっての葬儀というものの印象や認識は、父や母の葬儀からは学べないことが多いような気がしています。父は跡取りでした。ですから父も母も先祖からの菩提寺の僧侶にて法要が執り行われましたし、家の近くの先祖代々の墓地に眠っています。

私の家族は今のところ菩提寺も墓地も持ちません。これから先必ず待っている事態に対しどう準備するのだ、と自問しても頭が思考停止状態で進めません。
そんな私に「のんびる9月号」は「まず知ることから見てみようよ」と優しく、私の前途に横たわる黒い不安の塊の糸をほぐして見せてくれるようなんです。

記事を読んでまず思ったのは、「家族葬」をこじんまりと行いたいと考える人は多いのだということ。それを知って気持ちが楽になりました。
私の夫は現在66歳ですが常日頃から、「自分が死んだら葬式なんかしないでいい。海にでも散骨してくれ」というばかりで葬儀の話などにまともに向き合おうともしません。
親戚付き合いもほとんど無く近隣や仕事関係の付き合いも挨拶程度。それを見ている私としては「夫が亡くなって葬式をやっても葬儀に来てくれる人は10名くらいかな」と思っています。夫は自身でそれを自覚しているため「葬儀なんてしないでいい」というようなことを言うのでしょう。でも今まで私のみてきた葬儀は皆、葬祭場で、あるいは家で、何十名も集めて執り行われたものでしたので、小さな葬儀というもののイメージが沸かなかったのです。

しかし「のんびる」特集記事では、アンケートのデータから多くの人が「こじんまりした家族葬は良いことだ」と思っていることが示されています。時代の趨勢というか、核家族化の流れで、私の夫のような持論を持つ人が特に変でないことがわかりました。

昭和の通念を引きずっている私としては、「密葬」とかいった内輪だけの葬儀は、なんだか世間に後ろめたいことがあって仕方なく行うのか・・・などというマイナーイメージを持っていたものです。ところが今では「密葬」だけというケースも増えてきたし、「家族葬」と呼ばれるものも人気が高まって来ているとか・・・。私も認識を新たにしました。

私が懸念することで最も大きいのは葬儀にかかる費用です。これは20年ほど昔の叔父の葬儀の時や、最近の父母の葬儀の時、耳に挟んだ周囲の会話からお坊さんへのお布施はすごく高額のものらしいという先入観が自分の中に出来てしまっていました。
叔父の時は、葬儀のあと、お坊さんに渡す謝礼(お布施)を、叔母が幾ら渡したら良いかお坊さんに尋ねたところ、指を3本立てて見せたので「3万円」だと思って差し出したら、「30万円ですよ!しっかりしてくださいよ!」とお坊さんに、常識のないことをなじられたという話でした。

次に、最近の父の葬儀の時耳に挟んだ、その地域の実例の話。
お坊さんは決して謝礼の金額を言わない。(それはその世界のしきたりであるらしい。)「お心で結構です」と言い張るらしい。Aさんの家では、20万円を封筒に入れてお坊さんに差し出した。するとお坊さんは受け取らない。日頃から一万円札の束を見慣れているお坊さんは封筒の厚さで中に幾ら入っているのかわかるらしい。封筒を取らずに黙って正座したままでいたという。仕方なく封筒を引っ込め、奥に行って一万円札を10枚足し入れて改めて差し出したら受け取ってもらえたそうな。

叔父のケースは今から30年くらい昔の話。神奈川県でのこと。Aさんの話は最近長野県でのこと。30年昔も今も葬儀の際お坊さんに渡す謝礼は最低30万円か?などと思ってしまう。地域性もあるのかな。神奈川県での最近の相場はもっと上がっているかも知れない。東京では、それより高いかしら・・・。
こんな世俗の悩みに、「のんびる」の記事は付き合ってくれる。「仏式の料金の目安」を載せてくれています。
「戒名」によっても違うのですね。うちの父母は戒名が信士・信女でしたから値段は最安ランクです。

生前父は「戒名なんて何の意味もない。森鴎外は戒名を拒否し、自分の墓に『森林太郎』という本名を彫らせた。そういうのが良い」と言っていたから戒名が安いランクでも何でも平気であの世で笑っていることでしょう。私はそういう父の影響下で育ちましたから、「戒名」に何の関心も無く来たのです。

でもそういう私でも、最近「戒名」というものにちょっと別な視点を持つようになりました。
私が少し前までホームヘルパーの仕事でよく訪問していた女性。84歳で、それは優しく賢く、私の憧れの女性でした。その女性が、ある日こんなことを言ったのです。
「昨日ね、民生委員の○○さんが久しぶりに家に来てくださいましてね。一緒にお仏壇の周りのお掃除したんです。私もいろいろ整理したく思うものですから・・・。ここの仏壇には、我が家の家系図も置いているんですの。古くて傷んでいるのですけれど・・・。そしたら○○さん、その家系図を見て、『まあ、院号の方が2人いらっしゃる』と驚かれました。そしてね、『院号というのは、菩提寺によほど貢献した方でないともらえない戒名なのですよ。たとえば寺を建て直す際に高額の寄進をしたとか、その他社会に貢献した人でないと。そういう方が先祖におられる家系図は大切にされたほうがいいですよ』といってくださいました。私、誇らしい気持ちでした。それで傷んでいる家系図を、専門の修理に出そうかと思っております。」と。

私は感心した風に相槌を打って聞いておりました。実際、感心したのです。あの時のあの女性の言葉で私の「戒名」考あるいは仏壇考が今までとは違う方向に向き始めました。自分のルーツを誇らしく思うことはいいことだ。家系図だって、次世代に誇りを伝えるものの一手段としては大事なものなのかもしれない。この女性は「院号」がお金さえ積めばもらえるもんだという皮肉な見方をせず、「お寺さんや社会に貢献したから」と素直に信じている。そして自分が亡くなって先のことをあれこれ考えては人生の整理をやることを生きがい、または課題にして今を生きている。

そうした女性の生き方を見て、私も襟を正すような気持ちで考えました。「自分の代で終わるのではない家系」のこと。「この家系の流れの中に生きた幸せ。次世代もさらに自分のように幸せな人生を送ってもらいたいの。よきものをたくさん子や孫たちに受け継いで欲しいと願います。ですから私は毎日こんなにして、家を磨き、家の思い出を磨いているのです」という女性の声が聞こえてくるようです。
人生の整理、葬儀への準備とは、同時に若いものへの教えでもあるのだから、「自分はこうしたい、と貫きとおしたね」「自分の代で終わりだよ。あとのことは知らないよといわんばかりだったね」と周囲の人が感じ取るような葬儀はどうかな・・・と思うようになったのです。

「こじんまりした家族葬」は今の社会の流れに合っている。と、まるで、マンションを選ぶ時の合言葉「家族形態に合った間取り」に似た語感の「家族形態に見合った家族葬」。現実そこへ至るのさえ精一杯のような我が家ですが・・・。
でも今から準備したら形はどうでも、ルーツを受け継いでいく場になるようなことが実現できるかも知れません。

「のんびる」記事で最後の方に碑文谷 創(ひもんや はじめ)さんの言葉があります。「自由な、それぞれに合ったお別れ、送り方ができるようになった反面、何が本当に大切かということも見えにくくなってきたように思います。これまでの根拠のない因習、しがらみからの開放という評価すべきことが多い一方、文化的には根無し草になる危険をはらんでいます」という言葉が私にはずっしりと重く感じられました。
引越しばかりしてきた我が家のことを私は自嘲気味に「根無し草」と表現したことがあるのですが、文化的にまで根無し草になりたくないな、と思います。「のんびる」9月号の記事に触発されて長々とつぶやいてしまいました。(山本豊美)

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絹の道をたどる

2008-06-26 11:26:29

先日、八王子教育委員会が「絹の道〜生糸の通った道〜」文化財見て歩きを主催しました。私は八王子市に住むようになり、八王子が好きになりつつあります。かつて「桑都(そうと)」と呼ばれた絹織物業や生糸生産の盛んだった八王子の昔を自分に引き寄せたく、参加しました。

6月7日朝JR片倉駅に集合。参加者のほとんどが団塊から上の世代だと見ました。でも皆さんいかにもウォーキングに慣れた格好。午前中のみの見て歩きですし、道のりは5キロ以内とか伺っていましたので、ウォーキング初心者の私でもついて行けるかな・・・。
幸い天候は曇り。歩くには最適な日ざし。

最初に訪れた文化財は絹の生産関係で財をなした八王子の「鑓水(やりみず)商人」が多く檀家になっている慈眼寺。山門は「鐘楼門」といって梵鐘が設置された珍しい門でした。

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この門の中にあった鐘は安政3年(1774)に鋳造されたものです。
今は門の中に鐘は置かれていません。
門の横に湧き水が流れていました。「この寺の裏山には一軒も家がないから綺麗な湧き水です」とは、ご住職の言葉。
JR片倉の駅からそんなに遠くないのに、もうそれほど自然が豊かなのだ、と八王子市の奥行きの深さに感心しました。

少し丘を登ったかまぬき公園で八王子市内の南西方面を見渡しました。

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東京工科大学のタワーが見え、その左方向に絹の道が伸びています。

はてさて、次の大塚山公園までの階段がきつかった。でも頂上について鳥の声が聞こえ静寂の中を歩くのは心身が清浄されていく思い。
しばし歩くと、出会いました。「絹の道」標です。
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石碑の足元には桑の葉と筬(おさ)と繭が彫られています。

大塚山公園にある「道了堂跡」。
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絹の道の終点という標ですね。

さて下りの道は、まさしく昭和初期、ここを馬や人力で絹の荷を運んだんだなあと感慨の湧く、昔ながらの道。雨でぬかるんだ後なので滑って歩きにくいのです。昔の人のわらじを履いた健脚を思いながら歩きました。
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「絹の道資料館」。やはりここでも目を引くのは、井戸のあと。
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鑓水の生糸商人の大きなお屋敷で、たくさんの人が暮らしていた当時が思い浮かびます。
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資料館には、日本の生糸産業の隆盛の頃、横浜港を通じて世界とどんな生糸つながりがあったか、様子がわかるパネル展示などがありました。
絹の道資料館から諏訪神社へ向かう道すがらには田んぼがあり、葦の原も広がっていてのどかでした。
道に沿って小川が流れ、小魚も泳いでいたようです。「鑓水とは良い地名だなあ」と思い、改めて豊富な水、桑畑の広がる豊かな自然に恵まれた昔の八王子。そこに隆盛した勤勉な生糸商人が絹の道を作ったのだなあ・・・と感慨に浸ります。
永泉寺には鑓水商人のお墓が多くあるそうです。松尾芭蕉の句碑とその彫像も端座していました。

文化財見て歩きツァーの最終目的地「小泉家屋敷」は茅葺屋根からして貴重だとうなずけるもの。
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多摩丘陵の典型的な養蚕農家だそうです。

12時半ごろそこで解散となりました。まずは、終わりまで脱落せず歩き徹せた自分にほっとしました。八王子市の歴史と自然の一端を体験しただけでなく、日本と世界との絹の交易の時代も知り、イメージを思い描くことが出来て面白かったです。次は八王子の現在の絹の生産者を訪問したいと思いました。
(山本豊美)

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文化財を楽しむ

2008-05-26 04:33:04

1ヶ月以上前のイベントのお話になりますが、4月19日に山梨県大月市でステキな催しがありました。「花咲本陣コンサート」です。毎年恒例のコンサートとして定着。11回目の今回も大月市内外から100人以上のファンが駆けつけました。「花咲本陣」は、中央自動車道大月ICを降りて大月市内に向かい、すぐ左にある旧家「星野家住宅」の呼び名です。
明治13年(1880年)明治天皇御巡幸の際に御小休所(おこやすみじょ)となった建物。大規模な本陣建築で当事の形態がよく保存されています。付属建築とともに宅地を含め、昭和51年に国の重要文化財に指定されました。
普段見学もできますが、年に一度、コンサートを開催して荘厳なたたずまいの日本建築の中で音楽や観劇等を楽しむという豊かな文化体験を提供してくれているのです。

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星野家の床の間に掛けられた掛け軸。漢詩「楓橋夜泊」です。江戸・明治時代の文化の香りがたっぷり。

今回は星野家所有のお雛様にちなんで、「人形」をテーマにしたコンサート&芝居でした。コンサートは地元の大月市民合唱団と、日本のクラシック畑で活躍中の若手演奏家の皆さん。お芝居は大月市の至宝、「笹子追分人形芝居」と山梨県北杜市から松村雅子さんの主催するパペットシアター。

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旧家の歴史を物語る歴代当主の写真が飾られた間に控えた笹子追分人形。

合唱を聞く、クラシック演奏を聞く、文楽の人形芝居を見る、西洋人形芝居を見る・・・それぞれ単体でも十分聞き応え、見ごたえがあるのに、それらが一同に会したものを堪能できるのです。それも荘厳なたたずまいの席で。スゴイ文化シャワーが降り注いでいる感じ。
さらに演奏会の休憩時間にティーコーナーが用意されて、この館の奥様の手になる手作りケーキやら大月市で作られたお酒などが供されます。

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余談ですが、大月市笹子にある「笹一」という酒造は笹子の山の湧き水を使ってお酒を作っています。甲州街道沿いの「笹一」の「酒遊館」に立ち寄る方は、湧き水をもらって帰られますよう、ポリタンク持参でどうぞ。

なんだか、昔の西洋貴族の文化サロンにタイムトリップしたような気分。いや元へ。ここは江戸時代からの名主の家。日本の豪族の文化サロンにタイムトリップした気分、というべきでした。お茶とお菓子で喉を潤し、星野家に代々伝わるお雛様を目近に鑑賞し、そして星野家当主、天野さんの説明に耳を傾けました。

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江戸時代からのお雛様。驚くほど傷んでいません。大切に保管されているのですね。

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奥の男性がご当主、天野さん。ブレていて、顔がわからない?!そうなんです。カメラの腕も悪いけど、天野さん、動きが活発で、静止画像が取りにくかったの・・・言い訳です。

天野さんがほんとに「この星野家を活用することで地元の文化発展に貢献できたら・・・」と思っておられるのが、その活き活きした表情から、声から伝わってきます。国の重要文化財の家を維持すること、現代に生かしていくことに対して、前向きに取り組んでおられる、星野家当主の天野さん、そして毎年「花咲本陣コンサート」を主体となって準備されている大月市民合唱団の人々・・・。この人々の奏でるハーモニーが大月の町の文化を、ひいては山梨県の文化を押し上げていくのだな・・・。と感じながらほぼ3時間にわたるコンサートを聞き終え、幸せな気持ちで会場をあとにした私でした。
来年のコンサートも是非参加したいものです。ちなみにコンサートは昼・夜の2回持たれます。今回は昼の部に大勢のお客様がつめかけ、座る場所がなくやむなく入場制限をしたとのこと。夜の部のほうが席に余裕があるかも知れません。来年いってみたいなあ・・・と思われた方、開始時間には余裕を持って来られたほうがいいでしょう。
(山本豊美)

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桑の木のオーナー制度・続編

2008-02-25 04:29:06

前回のブログ記事で紹介しました京都の「織道楽 塩野屋」さんから「桑の木オーナーズ倶楽部」についての資料が送られてきましたので、さらに詳しい情報をここにお伝えします。

「絹織物の原点は農業」
桑園を作る→蚕が飼育できる→繭から絹糸をとる。絹がこうした成り立ちである以上、明治以後、昭和の始めまでの日本の主要輸出品であった絹を支えたのは日本の養蚕農家でした。
1kgの糸を作るにはおよそ1000kgの桑の葉が必要です。蚕は4000頭近く飼育しなければなりません。
戦後の日本農業=農薬が普及。
農薬のついた葉を食べると蚕は死にます。よって養蚕は下火になりました。

■養蚕農家の現状(桑の木の現状)
現在、日本全国で養蚕農家は1300軒少し。群馬県や関東以北に固まっています。近畿圏内では兵庫県にわずかに残るのみとなりました。
京都府綾部一帯は明治大正時代、蚕都と呼ばれ、3万軒の養蚕農家を擁していました。しかし今では福知山に3軒の農家が残るのみ。

■現在の絹材料
中国・ブラジルなど外国から95%以上の絹糸が輸入されています(昭和34年から外国生糸が輸入されるようになって以来)。今、中国も国内が工業化を進めているため、毎年一割程度の生産減といいます。

■これからの日本農業と養蚕
農地の保全発展は国の基盤。農薬を使わない農業を!そのとき養蚕は欠くべからざる要素です。今後多様な農業のチャレンジが望まれてきます。大量生産より品質の特化が日本生糸の生き残る道です。
全齢桑・生繭・多様な品種がこれからの日本の養蚕発展のキーワードとなります。
○全齢桑・・・・桑の葉を十分に育成させる。
○生繭・・・・・生繭から糸を引き出すことで材料の品質向上が図れる。
○多様な品種・・蚕種のオリジナル化を図る。

「新規養蚕者育成と支援体制と」
「織道楽 塩野屋」さんは、京都市右京区京北下弓削町に農業モデルの土地を開設。養蚕を学びたい人々に指導を行い、そこで生産された繭とその他の生産物を優先的に買い上げる体制をつくりました。絹文化の前に繭文化を創出して、「一物全体・身土不二」を基本にした農業従事者を増やしていくこと。それが消費者との連携に繋がる道と考えています。賢い消費者に支えられた絹文化を日本で根付かすことを目標に努力しています。

■具体的には・・・・
平成18年(2006年)3月より福知山の農家3軒と5年契約を結んで繭を購入。安心できる品質の高い絹材料の生産に踏み込みました。2007年3月、下弓削町の土地確保。名づけて「塩野村」。桑の苗700本を植え育成中。同時に野菜も育てています。副産物も有効利用しようと考えているのです。
消費者にこの一環に加わっていただき、使い手の希望や夢を直接聞いて、物づくりを実践していく会社となります。
消費者にオーナーになっていただく。→「塩野村」の桑の木にオーナーさまの名をつけて、塩野村の管理者が育てる。→その桑から収穫できる商品をオーナーさまに届ける。
桑の木オーナーになるには・・・
桑の木1本・・・10,000円の年会費を納めていただく。
桑の木管理・蚕の飼育は「塩野村」に任せるが、時々見に行ってあげると喜ばれます。
特典
mark_015,000円相当の生繭タオルのプレゼント。(年間1本の桑の木から飼育した約100頭の蚕の繭で作れる50cmの長さ)尚、2007年収穫のものは「都浅黄色」。
mark_01「織道楽 塩野屋」のお店で直接購入の時、お店の全商品を1割引きにします。
mark_01「塩野村」で収穫した副産物から開発した新商品をモニターサンプルいたします。(繭水化粧水・桑の葉茶・蚕沙痛み止め丸剤など)

桑の木オーナーズ倶楽部 参加申し込み方法
「塩野屋」さんに申し込み書を送ってもらいます。

塩野屋」さんの住所
〒602−8285
京都市上京区千本通一条下ル西側西中筋町十三番地
電話075−461−1995
fax075−461−1997
E-mail ori@shiono-ya.co.jp

「小さな生産・長い消費・意味ある生き方」
ひとりひとりの生き方が集まって社会を形作るのです。まず一人が実行する。そんな姿勢の人が連携して、百人目の生産者と消費者が現れたとき、確かな生産・確かな品質・確かな消費が実現される、と「織道楽 塩野屋」さんは結んでいます。

リポーターの感想
「石炭発掘現場で工夫が、坑道に小鳥を入れた籠をもって入るのは、一酸化炭素中毒の危険をいち早く鳥が知らせてくれるため」と聞いた事があります。
日本農業の農薬漬けが広まるとともに生息できず姿を消した蚕はさながら、坑道の小鳥のようですね。日本の農業の健全な復興・発展は、農薬を使わない葉を食べて絹糸を生み出す健康な蚕の姿が多くみられるかどうかということと重なっているのですね。桑の木のオーナー制度、広げたいです。(山本豊美)

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いろいろあります木のオーナー

2008-02-16 14:49:47

農業の後継者不足の打開や、農村と都会の交流を増やすために全国各地でいろいろな試みが行われています。「木のオーナー制度」という試みについては、森を守るため、子どもたちを対象にした「どんぐりの木のオーナー制度」が都会のデパートで導入されたことがありました。両手にどんぐりの実をいっぱいのせて目を輝かせている子どもたちの写真が印象的でした。
・・・さてあれから数年。森のオーナー制度は定着したのかどうか。
それは今度調べてみることにして、今回は農園で行われている「木のオーナー制度」について取り上げてみました。

当ブログで過去に「桑の木のオーナー制度」のことをお伝えしましたが、その後、山梨日日新聞(1月29日付)で「桃の木のオーナー制度」が導入されたという記事を見ました。また、最近のネット検索で「りんごの木のオーナー募集!」というページにもいくつか出会いました。なにやら森の奥から人のいる農園に出てきましたという感のする「木のオーナー制度」です。農園でのオーナーと農園主との交流は森でのそれよりもさらに滞在しやすく、子どもたちにも大人にも魅力ですね。その内容を覗いてみましょう。

mark_01自分だけの蚕が吐いたシルク糸の肌触りが手に入ります!
○桑の木オーナーズ倶楽部
主催:織道楽 塩野屋(京都)
会費:年間一口10,000円
特典:一口で1本の桑の木のオーナーになれます。年2回換算100頭の蚕を所有。約100個の繭で作ることの出来るシルクハンドタオルが贈られます。倶楽部のいろんな催しに参加できます。
申し込み・問い合わせ:織道楽 塩野屋
〒602−8285京都市上京区千本通り一条通下ル西側西中筋町13番地
電話075−461−1995 fax075−−461−1997

mark_01自分だけの桃の木の下でお花見ができます!
○桃の木オーナー制度
主催:笛吹市(山梨県)
募集期間:2008年2月29日まで。
契約金:1本あたり50,000円
期間:3月〜12月
特典:1本から200〜250個の桃の収穫ができます。4月上旬、桃の花見ができます。摘果や袋掛けなど農作業に参加できます。
管理:桃の農家
申し込み・問い合わせ:笛吹市農林振興課 電話055(262)4111

mark_01自分の名前やメッセージの入った真っ赤なりんご!
○りんごの木のオーナーその1
主催:真田の郷アップル倶楽部(長野県上田市真田町)
りんごの品種:フジ
契約:10,000円コース 15,000円コース 19,000円コース
特典:
10,000円コース・・・最低保証25キログラム
15,000円コース・・・最低保証35キログラム
19,000円コース・・・最低保証50キログラム
りんごの木の選定と袋掛けの時期(7月5日〜19日)に「ブルーベリー」「ラズベリー」の摘み取りが楽しめます。「そば打ち体験」「お焼き作り体験」などに参加できます。その他、10月に「紅玉」のりんご狩りとジャム作り。12月にフジ100%のりんごジュース作りと販売があります。赤く色付く前にテープを貼って字を書くと収穫時、その字が赤いりんごに白く刻印されているようで感動ものですよ。
管理:りんごの農家
申し込み期日:収穫終了まで。それ以降は翌年分の契約となります。
申し込み・問い合わせ:真田の郷アップル倶楽部 
電話番号はわかりません。「真田の郷アップル」で検索するとホームページにたどり着きますので、是非そこから。

○りんごの木のオーナーその2
主催:ふれあい果樹園(岩手県)
契約:1本12,000円 1年ごと。
特典:「さんさ」「紅玉」「王林」「ふじ」「Mix」とりんごの種類が選べます。春のお花見、秋の収穫に参加できます。
*オーナー10人につき、1本のりんごの木を農園が施設の心身に障ガイを持つ子どもたちに開放。10人のオーナーのお名前で収穫を楽しんでいただきます。
申し込み・問い合わせ:ふれあい果樹園
〒020−0842岩手県盛岡市湯沢5−15 
電話019−638−4678

○りんごの木のオーナーその3
主催:安曇野市穂高総合支所内 安曇野市観光協会
募集期間:3月1日〜4月30日予定本数になり次第終了。
契約:年間にりんごの木1本20,000円 
特典:「サンふじ」150個保証。開園式(5月25日)に自分のりんごの木選定。収穫時ほか、年間を通じて農作業に参加できます。
申し込み・問い合わせ:安曇野市産業観光部商工観光課 観光振興係
〒395−8192安曇野市三郷明盛4810-1
電話0263−77−3111 fax0263−77−6060

以上は比較表ではないので、募集期間が書かれていないところなど、まちまちな記載になってしまいました。詳しく知りたい方は、末尾につけたお問い合わせ先へ。ネットで見ますとりんごの木のオーナーは各地にまだまだありそうな気配です。私としては桃の木も魅力ですが・・・。それと桑の木も・・・。どれも頑張って欲しい。木のオーナー様たちは頼もしい農園の助っ人ですね。(山本豊美)

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お膳に戻ろう

2008-01-30 05:16:39

以前このブログでご紹介しました「NPO法人えがおつなげて」が来る2月16日に「全国箱膳食育ネットワークシンポジウム」を開催します。

「箱膳て?」と首を傾げる人が多いのでは?私も見たことはありませんが、読んで名のとおり四角い箱型のお膳のことです。お膳といえば普通私たちは日本旅館でのお食事や、割烹で黒い足のついた会席膳に親しんでいますね。地域によっては持ち運びの必要から箱型のお膳にしたのかも知れません。お膳は、畳の広い部屋で大勢が会食する機会が日常的だった昔は家庭でも使われていたものですが、今家庭で使われることはまずないでしょう。「えがおつなげて」が箱膳に着目したのは、木箱を使うことで木の需要を増やそうということと、昔のお膳に盛り込まれた料理の中身です。メタボリックシンドロームが広がり、食の乱れは目を覆うばかりの今の日本。昔ながらの日本食のよさを見直そうというものです。

「一汁三菜」という言葉があります。昔の日本では普通、お膳に載るものは一汁三菜だったのです。味噌汁・野菜の煮物・漬物。そこにお魚があればご馳走でした。それでご飯をいただく。
お母さんが家族みんなのために、家族それぞれの体の状態を思い浮かべながら、それぞれのお膳に適量を盛り付けて供するもの。家庭でお膳を使った時代は、一家の主婦が家族の健康を把握し、管理していた時代であったともいえましょう。今、食育が叫ばれ、食育の学習現場で、3つのお皿が並べられ、栄養バランスに留意した食事の配膳が披露されるのも、もともと日本に当たり前にあったお膳の上の「一汁三菜」方式をなぞっていることなのではないでしょうか。
生活様式が西洋化し、普通の家は椅子に座ってテーブルで食事をするので、お膳を各自の目の前に並べる生活様式は復活しないにしても、3つづつお皿を並べて盛り付けて、お行儀よく食べ残さないようにするといった生活習慣は再び日本人の中に広がっていくとよいですね。

以下「NPO法人えがおつなげて」のホームページより抜粋
ーーすでに全国各地で箱膳体験イベントを重ね、一歩一歩ネットワーク化を図ってきましたが、今後より一層その輪を広げるため、この度「第一回全国箱膳食育ネットワークシンポジウム」を行うことになりました。箱膳の歴史や作法などについて、そして箱膳食育ネットワーク事業の活動内容やその目的を細かくご紹介していきます。この機会に地域で食育活動を行っている方、食に興味を持っている方はぜひふるってご参加ください。−−

「第一回箱膳食育ネットワークシンポジウム」
日時:2008年2月16日(土)13:00〜15:00
場所:明治神宮 参集殿
定員:300名
参加費:無料

「NPO法人えがおつなげて」が提唱する「日本に帰ろう」という言葉。いいですねえ。「箱膳食育ネットワーク」の取り組みでまた一歩、帰る日本の郷土が明るくなる気がします。
尚、「NPO法人えがおつなげて」のホームページに入るには「えがおつなげて」で検索すれば入ることが出来ます。(山本豊美)

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桑の木のオーナーになろう

2008-01-13 03:34:44

2008年の幕開けです。私は暖かなお正月を過ごしました。
お正月中、よく食べよく飲みました。メタボな体が気になり、少し運動をしようと、家の付近の街路を散歩しました。
真冬なのに、街路樹のメープルの葉が枯れて茶色になっていてもなかなか地面に落ちていません。キレイな風景には見えず悲しい気持ちになりました。地球温暖化のせいでしょうか・・・。
お正月のテレビ番組でも一番印象に残ったのは地球温暖化の深刻さを訴える番組でした。

地球温暖化の問題を語るのによく例え話としてもち出されるのが「茹で蛙」の話。
ーーーカエルを水に入れて茹でる。水が徐々に暖かくなっていくので、カエルは「まだ大丈夫かな・・・?」と思っていて飛び出す時期を迷っている。そのうちにほんとに熱くなってきたとき、そのときにはもう体が茹でられて飛び出す力も残っていない。ーーー
そんなかわいそうなカエルの話です。「まだ地球は大丈夫さ」と従来の大量生産・大量消費の慣習に胡坐をかいている人間への警告なのです。真冬なのに生ぬるい空気を吸っていると、茹でられていくカエルが自分なのだと思えて怖くなります。「生ぬるいのは怖い!」

さあ、今年は当ブログ「農業・地場産業の助っ人になろう」も今までの生ぬるさを吹っ切って地球を少しでも冷やす力を出すぞ!と決意しました。改めて、皆様どうぞ今年もよろしくお願いします。

さて今回、新たな幕開けの時にふさわしい、ステキな情報をお伝えします。「桑の樹のオーナー制度」の話題です。去年の暮れに「野蚕広報センター」の中塚広志さんから送られてきた情報です。中塚さんのお便りから引用しますと
ーーー「桑の木のオーナーズ倶楽部発足」1本10,000円でオーナーになってもらうと、成木1本で蚕100頭(年2回換算)を飼育でき、100個の繭が採集できるため、それでつくることができるシルクタオルをプレゼントする。ほかにもいろんな催しに参加できる。といった仕組みです。京都の塩野屋さんが取り組んでいるプロジェクトです。
同社は、シルク製品はこれから「農業的発想」が大事だと、桑の栽培からはじめ、製品作り、販売を一貫体制で推進しようと取り組んでいる模様です。桑畑の構想は07年3月にスタートし、すでに700本の桑の木が育っているそうです。この桑からの製品作りを拡充するため「オーナー制度」を採用した模様です。ーーー

中塚さんが塩野屋さんのホームページアドレスも載せてくれていたので、私ものぞいて見ました。件の「桑の木オーナーズ倶楽部」の箇所だけでなく、全体に大変ステキなホームページでしたので、皆さんも是非覗いてみてください。
塩野屋さん http://www.shiono-ya.co.jp

桑の木のオーナーになることも楽しいですが、私は塩野屋さんの催しに興味がわきます。お店は京都にありますが、東京のデパートなどでもいろいろな催しを行っているようで、着物や絹の愛好者には有名なお店なのですね。

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写真は私が2007年5月に市川三郷町で撮影した桑畑。(塩野屋さんの桑畑とは関係ありません)

シルクの話題で思い出したのが、1月10日のNHKの夕方の山梨版のニュース番組の中で「桑都 八王子」を取り上げていました。沢井栄一郎さんという87歳の手織りの名人が登場して驚きました。手織りをするのは女性が一般的だと思っていたので・・・。そういえば奄美大島に行ったとき、そこでの泥染めや手織りは男性も女性も携わっていたという話を聞きました。本土でも男性の織り手がいて不思議はないデスよね。その番組で、八王子にまだ養蚕業を営む人がいるということもわかり、うれしくなりました。37歳と若い長田誠一さん。長田さんの桑畑や作業風景。ご家族の横顔。そして奥さんの晶さんの作った桑の実ジャムや桑の葉茶も登場して、見ていてほんと、「桑の文化は消えていない」とつくづく思いました。

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写真は2007年5月市川三郷町で。桑の葉と桑の実。秋にはこの実も赤紫色に熟して食べられるようになるのです。

ニュースで、そんな様子を見ていたとき、ひらめきました!『養蚕農家でなくとも、1本の桑の木を自分が所有していたら・・・桑の実ジャムも桑の葉茶も自分で作れるのだ!』・・・う〜ん・・・『よ〜し!オーナーになろう!桑の木のオーナーに!』と決めた私です。

塩野屋さんがスタートさせた「桑の木のオーナー制度」。好評のようです。こうした取り組みが八王子や山梨県内の養蚕農家の人たちをさらに元気にしていく要素となればいいですね。
これからも「桑の木オーナー倶楽部」の活躍を追いながら、お伝えしていきたいと思います。(山本豊美)

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特別なクリスマスプレゼントin藤野町

2007-12-11 22:58:18

もうクリスマスプレゼントはお決まりですか?「今年はプレゼントにちょっとオリジナリティを加えたいな」と考えている人、神奈川県藤野町にある「シーゲル堂」で探してみませんか。
「シーゲル堂」は一風変ったお店。年間通して藤野町とその近辺の芸術家さんたちの作品を展示するギャラリーになっています。
ただ今「大こんにちは展」を開催中。芸術作品の展示と販売です。
12月7日(金)、お店を覗いてきました。
JR藤野駅を下りて、国道20号線(甲州街道)方向を見るとまっすぐ前方にありました。
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車の方、駐車場もありますよ。藤野町営の駐車場も近くにあるので利用して下さい。

お店の外観が、楽しくてのんびりして、なんだか懐かしい。
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「田舎町の”ALWAYS三丁目の夕陽”」って感じです。では中に入ってみましょう。

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日本の遺産。甲斐絹を追って。その二

2007-11-27 10:48:59

前回は「山梨県富士工業技術センター」の五十嵐哲也さんに甲斐絹の名品を見せていただきながらレクチャーを受けたことを報告いたしました。
今回は甲斐絹の真髄「ほぐし織り」の生産現場を見学させていただいた内容を報告します。
山梨県郡内(ぐんない)の甲斐絹産業は、甲斐絹の最盛期から現在に至るまでの歴史で、もともと都留が生産・流通の中心だったのが、しだいに富士吉田へと移っていったそうです。
五十嵐さんの案内で富士吉田市小明見にある「舟久保織物」さんの工場を見学しました。
舟久保勝さんはここの3代目のご主人。昔から織物工場は家族経営が主です。32年前からの機械も現役で活躍しています。

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柄を染め上げた経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を織り込んでいく。これは傘の生地を織る過程。

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柔らかな柄の輪郭線は「ほぐし織り」ならではの特徴です。



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舟久保さんの工場で織られた布が骨つけ専門の工場に送られ、出来上がった洋傘。

ここで作られるのは「ほぐし織り」の洋傘とネクタイ。ネクタイの図柄などはアイデアをパソコンのフロッピーに入れ込むと、30分で織りあがってしまうのだとか。


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「ほぐし織り」は「まだまだ工夫の余地があり面白い世界です」と語る舟久保さん。


五十嵐さんらとアイデアを出し合い、世界に売れる日本の洋傘を作り出そうとしています。
世界に売れる傘とは、伝統の絵柄を取り入れることももちろんですが、富士山を斬新にデザインしたものを作ったりしています。私はここに「浮世絵」の「東海道五十三次」の富士山の画を連想してわくわくしました。
でも「浮世絵」の絵柄そのままの富士山ではなかったようでした。企業秘密もあることから、アイデアをここに紹介することは出来ませんが。

工場は、昔と違って今は、特に忙しい時期というものはないのだそうです。政府が音頭を取った「クールビズ」の普及でネクタイの需要が減ったことも関係あるそうです。

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織り糸は傘に使われるポリエステルは国産。


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生糸は中国産が使われています。

甲斐絹にルーツをもつ昔からの製法を受け継ぎ、そこにどんどん新しいアイデアや製法を加えて生産の現場を守る舟久保さん。仲間の郡内の織物生産者たち。

最近起こっている動きとして、日本製の生糸(それも甲斐の国の)を使用した甲斐絹の製品を作ろうという動きがあることを、五十嵐さんのレクチャーから伺っていました。
舟久保さんたちの頭の中にあるいろんなアイデアがヒット商品を生み出し、それによって、それに喚起されて、日本の生糸の生産が復興する日がいつか必ずやってくる気がしました。

世界中に日本の遺産「甲斐絹」の素晴らしさを広めたい!まずは私たちから甲斐絹にルーツをもつ甲斐の国の織物を暮らしに取り入れていく贅沢をちょっとやることでその後押しになると思います。
パルシステムでも時々取り扱かう「モンブランヤマグチ」さんの「ほぐし織り洋傘」。以前このブログでもお伝えしましたね。
9月21日付けのブログ
。あのときは「モンブランヤマグチ」さんのブログに載っている傘があまりにきれいだったので、「素敵なマイ傘欲しいな!」ってただ夢中でした。でも今回自分で生産現場を取材してみて、複雑で丁寧な幾つもの行程を経て作られている事に驚嘆し、さらには、日本の誇る「浮世絵」の美を受け継いだものであること、日本人の美意識に感じ入りました。
美しいもの手にし、美しい伝統を守る。そんな暮らし方、していきたいですね。(山本豊美)

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日本の遺産。甲斐絹を追って。その一 手織りの浮世絵?

2007-11-14 06:08:45

以前このブログでも話題にしました「甲斐絹」。時々思い出したように「甲斐絹」の周囲を彷徨する私。今回思い立って富士吉田市に出かけ、「絵甲斐絹」の実物など見てきました。
「富士工業技術センター」の職員五十嵐哲也さんにお会いしてお話を伺いました。五十嵐さんは「富士工業技術センター」のホームページ中の「甲斐絹ミュージアム」作りを担当されました。

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資料室に保管されている甲斐絹を見せて説明してくださる五十嵐さん

五十嵐さんのお話から
「富士工業技術センター」の前身は「山梨県工業試験場」。明治38年に創設されました。現状、甲斐絹を約460点保存。古いものでは100年近く昔のものもあります。絹100パーセントの布ですから劣化を避けるため一般展示はしていません。ホームページで「甲斐絹ミュージアム」を作る以前はここに来て実物を見るしかありませんでした。

■「甲斐絹ミュージアム」を作った目的
甲斐絹のルーツを知って欲しい!
甲斐絹の産地で生まれ育った人でも、昔の甲斐絹の絵柄や風合いを知る人は少なくなりました。素晴らしい甲斐絹のルーツを忘れないで、多くの人に知ってもらいたい!そう思い「甲斐絹ミュージアム」を作りました。「古きを尋ねて新しきを知る」ことから、生産者も新しい技術・デザインを生み出して欲しいと思います。

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ほぐし織りの産地富士吉田in山梨

2007-09-21 07:00:20

パルシステムの情報カタログ「Kinari(きなり)」2007年9月4回号に載っていた「モンブランヤマグチ」の傘が目にとまりました。「ほぐし織り傘」なのだそうです。「ほぐし織り?」・・・なんなのでしょう。「Kinari」のページに載っている文から引用します。

ーーー仮の横糸を用いて織り上げた生地に、捺染で絵柄を染め、その後、仮の横糸を抜いて(ほぐし)、改めて本織り用の横糸で織り上げます。柄が縦糸だけに染められているので、本織りの際に生じる微妙なずれにより、柔らかな絵柄に織りあがるのが特徴です。模様のずれはその都度異なりますので、まったく同じものがないのも、ほぐし織りならではの楽しみです。ーーー
なんか、複雑な工程のようですね。でも「まったく同じものがない」というのは魅力です。まさしく「マイ傘」!
カタログに載っている傘の絵柄も「フランス的」というか洒落ていて、まるでカシニョールかラウル・デュフィの絵のよう。傘の柄も木で出来ていてアールヌーボーの曲線を彷彿させます。
こんな素敵な傘を持っていたら雨の日もきっと楽しみになるでしょうね。

「モンブランヤマグチ」というお店、なんだかお菓子やさんみたいなネーミングですけれど傘の専門店なのでしょうか。東京は錦糸町にあるみたい。
ホームページを探してみました。「モンブランヤマグチ」さんのホームページだけではないようですが(いくつかの傘屋さんが載っています)、このページから入って行く「ほぐし織り」の製造行程を織った「ほぐし織り〜富士吉田〜探訪」というページに出会いました。このページで「ほぐし織り」というのがどういうものか大変よくわかりました。

ブログでも触れました「ワイルドシルクフェスタ」をきっかけに、このところ俄かにシルク(絹)熱にうかされている私ですから、「ほぐし織り」の産地が富士吉田と聞いてすぐ「甲斐絹(かいき)」を連想しました。
雨傘の生地はシルクではなくポリエステルであるとわかっていますが、生地の織り方が「富士吉田をはじめとする山梨県の郡内地方でかつて栄えた郡内織物の伝統を受け継いでいるのではないか!?」と思ったのです。

そこでまず、ネットで「甲斐絹」を検索してみました。
ありました!「山梨県富士工業技術センター」で作っているホームページが。「甲斐絹ミュージアム」のページに出会いました。
なるほど、「Kinari」のカタログに載っている西洋傘の絵柄とは違って日本の伝統的な絵柄が「甲斐絹ミュージアム」には展示されていますが、絵の微妙なカスレ具合は同じ。
「ほぐし織り」は紛れもなく「甲斐絹」の伝統の織り方だったのです。
伝統が今も脈々と受け継がれていることに意を強くした私。早速富士吉田にある「山梨県富士工業技術センター」に出かけていきました。

9月19日(水)。この日、ふらりと出かけたので、「山梨県富士工業技術センター」の「甲斐絹ミュージアム」HP作りに携わった五十嵐さんにはお目にかかれませんでした。でも、代わりに応対してくださった職員の方からいろいろお話を聞くことが出来ました。

■まず甲斐絹とは?
先染めの糸を織ります。糸に縒りをかけないので薄い生地になります。高密度に織るため、昔、戦前ごろまで手織りでやっていた時分はなかなか生地一枚の完成までに時間がかかったということで、今は機械織りです。

■手織りの後継者は?
現在手織りでやっている人はいないだろう。

私注)郡内は織物が盛んで、今の80歳から上の世代の女性たちの多くが「機や(はたや)で奉公に出て働いた」という言葉をよく耳にしますが、その「機や」とは機械織りの、いわば工場であって、手織りをしていたわけではないので、「甲斐絹」の全工程を一人の人がこなすということはないのだそうです。つまり「甲斐絹」は一人で織る織物ではないということ。

■でも郡内あちこちで「手織りの会」があるようですが・・・?
甲斐絹の手織りの会ではないでしょう。

私注)郡内の女性たちが今でも伝統を受け継いで次世代に残すために、あちこちで「手織りの会」を作っているのを知っており、そこが「甲斐絹」の伝統を残すことと同義なのかと思っていましたら、説明によりますと「手織りの会」は「大石紬」(河口湖の大石地区で受け継がれた)などに代表される、つむぎで、甲斐絹ではないということでした。大月市の市歌などに出てくる「筬(おさ)の響き」が町のあちこちから聞こえていたという戦前当事の様子は、「機織工場(はたおりこうば)」の機械音だったのですね。私はそれこそ、昔話「うりこ姫とあまんじゃく」の世界にワープしていて、近代という時代が抜け落ちていたのでした。
「トントンカラリ、トンカラリ」と、うりこ姫が織るような機(はた)音が、町中のあちこちの家から聞こえていたのだ、なんてのんびりした光景を夢見ていたのでした。

■甲斐絹はたまた郡内織物の現況は?後継者は?
特に問題はなく受け継がれてきていますよ。

私注)気を取り直して(現実に戻って)、伝統産業「甲斐絹」の今について少し伺いました。「後継者は大丈夫」とのことでした。昔から続いている甲斐絹の工場が、三代目、四代目という形で今の工場主に受け継がれているのだそうです。
「甲斐絹」は分業体制で出来上がります。そのため、行程で専門分野それぞれが連携しあわないといけません。(工場)家で受け継ぐという縦糸と部門それぞれで連携しあうという横糸で織られた産業。一箇所欠くわけにはいきません。

■団塊世代のセカンドステージとして、そこに(行程に)関わることは出来るのかな?
う〜ん・・・・。
私注)聞かれてちょっと首をかしげていました。「熟練を要する仕事なのでそう簡単には・・・」。なのだそうです。

■若い人なら、受け継いだ家の出でない人が志した場合、就職できるのですか?
そういうケースもありますが・・・。でも収入が少ないですから、あまり希望者はいないでしょう。

■では「甲斐絹」は儲からない産業なのですね?
儲かっているところ(会社)もあると思いますよ。市場のニーズをつかみ、そこに応じているところは・・・。つまりブランド化に成功しているところは。

ーーーと、以上のような職員の方のお話で改めて「ブランド化」の大切さを思ったようなわけです。「ブランド」と聞いて、すぐに「モンブランヤマグチ」の雨傘が思い浮かびました。ここの雨傘は市場のニーズに応えているし、ニーズを作り出すことも出来る!そう確信しました。

さて、「甲斐絹」の製造工程探訪は、モンブランヤマグチさんのホームページで素晴らしい探訪のページ写真があるため、私などのブログで写真を物すこともないでしょう。
でも、私はどうしても「ほぐし織り」を自分の目で見、機織りの機械音を耳で聞きたく思います。次は是非、工場見学をしてリポートをお届けしたいと考えています。お楽しみに。(山本豊美)

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続・ワイルドシルクフェスタ

2007-09-17 22:16:33

9月12日にお伝えしました「ワイルドシルクフェスタ」のリポート続編です。今回は文章ばかりになりますが。

9月9日の会場で農学博士長島孝行さんと出会いました。言葉を交わすチャンスもあったのですが、会場内の展示物の面白さに頭がいっぱいになっていた私は、博士にワイルドシルクについての学術的なお話を伺うなどの余裕はなく、傍らに置かれていた博士の著書を買って帰りました。その本を読んでの感想です。

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まず長島先生の本から引用させていただきます。

ーーー「シルクのふるさとが世界遺産になる!?」
2007年の1月、文化庁は世界遺産として「富岡製糸場と絹産業遺産群」を追加申請しました。富岡製糸場(1872年〜1987年)は、明治のはじめに政府が近代化のために設置した最初の工場で、日本の養蚕・絹織物の発展に欠かせない存在でした。そして最盛期には1000人もの女工を抱える大工場であり、「殖産工業」を謳った近代日本の産業遺産であったのです。
常々、私は「日本の養蚕をなくしてしまったら、世界に誇れるものがまたひとつなくなってしまう。群馬ならでは、富岡ならではのものを押し出すべき」と訴えてきたのですが、今こそがまさにそのタイミングだと思っています。では「富岡ならではのもの」とは何か?やはりそれはシルクをおいて他にはない。第5章の「食」のページにてもお話しますが、シルクは食品としても非常に優秀です。富岡産の繭を絹たんぱく液にし、飲むこんにゃくゼリーやまんじゅう、うどん、せんべい、パンなどに混ぜたものを「富岡ブランド」として発信し、どんどんアピールしていけたら、と考えています。−−−

長島孝行博士は2007年6月の「富岡のシルク産業を考えるシンポジウム」にパネリストとして参加し、そのとき富岡市長さんにも提言を出していらっしゃいます。

この文章を読んで私が考えたのは、まず「富岡製糸場が世界遺産になるなら、長野県岡谷市だって世界遺産だろう!?」ということです。
長島先生の文章の主旨とズレますが・・・。

大竹しのぶの名演が涙を誘った映画「ああ野麦峠」の原作本「女工哀史」に出てくるうら若い糸取りの女工たちは、岡谷の製糸工場で働いていたのですから・・・。私が長野県岡谷市と近い諏訪市の生まれ育ちということもあり、地元びいきでしょうが、私は「製糸といえば岡谷だ!」とこの数十年信じて生きてきたのです。

「富岡製糸場」は確かに政府が最初に作ったものだし、私の小さい頃の社会科の教科書にも写真が載っていた記憶があります。ですから、日本の国の位置づけとしては、「製糸で栄えた近代日本の基礎は、富岡にあり」で正しいでしょう。そこで富岡を文化庁が世界遺産にしたいと思ったのは無理からぬことでしょう。

でも私が言いたいのは「製糸工場が明治政府の繁栄を支えた、ひいては日本のその後の運命を決めた」というわけで重要というのなら、製糸工場及び製糸関連のもの、場所すべてを日本の遺産、宝物として位置づければよい!ということです。

まずは富岡で、長島博士の提言したことを取り入れていろんなブランドを発信してくだされば素敵です。
日本の宝物、シルクを(昔のような製糸一辺倒でなく、食品とか医療品とマルチな分野で)見直し、活用していこうよ!と。

次にそれを、日本中の養蚕の盛んだった地域が参考にして取り入れていけばいいのに、と思うのです。地域ブランド開発もいいけれど、日本の国の規模でシルクの復興を図る!というのはどうでしょう。

群馬県富岡で、長野県で、そうそう、山梨県でも、天蚕の盛んだった市川三郷町、郡内織物の栄えた富士吉田市、都留市といった郡内地域!まだまだありますよね!日本中にシルクの遺産の地域と言える場所は。

9月15日だったかしら、NHKの朝のニュースで福島県の川俣町が登場しました。福島県もかつて養蚕が盛んな地域だったそうです。
今でも160軒が養蚕を続けているという話。(もしかしたら日本で一番養蚕が残っている地域ではないでしょうか?)
昔と違いほとんど機械化されているそうです。
その一軒、佐藤さん宅では30万匹の蚕を飼い、したがって30万個の繭を作る!
その数字を聞いて、びっくりしました!昔の家内生産現場と違い30万という数字は、工場の規模ではないでしょうか!?やはり機械化の強みですね。

でもそんなことより何より、今でも養蚕農家が健在であるというニュースが素直に嬉しかった。

テレビ画面に映った蚕の繭作りの様子やその音は、「手作業」から「機械作業」へという人間の側の事情の移り変わりにに関係なく、太古からの人と昆虫の共生の営みが思われて、感動をがわきました。
養蚕農家の佐藤さんの奥さん、洋子さんの、蚕を見るまなざしも昔の養蚕農家の主婦が「お蚕様(おかいこさま)」に注いだまなざしと同じだと感じました。日本の誇る世界遺産を守る人がここにもいる!と思いつつテレビ画面に釘付けになってしまいました。

従来の人と蚕の共同作業から出来上がるシルク(家蚕)と、育つフィールドが山となる山繭のシルク(天蚕)。そして、今回「ワイルドシルクフェスタ」で紹介された蚕の吐く絹糸にとどまらない多種の昆虫の吐く糸、シルク(野蚕)。こんなにシルクのフィールドは広いのです。

長島孝行博士の本を読むと、「日本は資源のない国」なんかじゃあない!と希望がわきましたし、多くの人がこれからシルク産業の復興に加わっても決して持て余しにならない需要が望めると思います。

再び長島博士の著書から引用を。

ーーー本書はシルクについて大きく取り上げています。それは私が10年以上かけて観察して来たことですが、天然繊維の時代が再びやってくることを想定してのことでもあります。
日本では「食」の自給率が40%と低く、大きな問題になっていますが、衣食住の「衣」の部分に関しても、そういった問題がこれから出てくるでしょう。
実際、日本では綿や毛などもほとんど作られていません。世界に誇ってきた絹産業をここまで衰退させてしまった問題は非常に大きいのです。日本の科学技術の中で、シルク生産に関した桑の研究実績、蚕の研究実績、そして絹糸の研究実績は紛れもなくトップです。
だから今からでも間に合う。養蚕業を復活させたいという思いがあります。ーーー
長島孝行著「蚊が脳梗塞を治す!昆虫能力の驚異」というご著書で、世界中のいろんな昆虫のパワーについていろいろ書かれていますが、蚕について多くのページを使われています。
この本は「ワイルドシルクフェスタ」会場でも売っていますのでお出かけの折には是非手にとって見てください。定価800円。

長島孝行博士のプロフィール・・・0955年、埼玉県に生まれる。東京農業大学を卒業後、同大学院農学研究課博士後期過程終了。農学博士。専門は昆虫発生学・解剖学で昆虫機能を研究し、社会に役立てようとする「陰線とテクノロジー」を提唱。2005年の名古屋万博、愛地球博では中部千年共生村の生物力を監修。

今まで一般には「衣食住」の「衣」の部分だけで着目されてきたシルク。「食」の分野でも「住」の分野でも研究が進み、研究結果も活用されていて、「天然繊維野時代が再びやってくる!」と断言する研究者もいるのですね。わくわくしてきました。しばらくシルクから目を離せそうにありません。(山本豊美)

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ワイルドシルクフェスタに行ってきました

2007-09-12 03:07:30

9月4日(火)から東京都世田谷区にある東京農業大学「食と農の博物館」で開催されている「ワイルドシルクフェスタ」に行ってきました。
「ワイルドシルク」とは野生のシルクのこと。野生のシルクとして以前このブログでも取り上げました「天蚕(てんさん)」は知っていましたが、この展覧会場に来て見て「ワイルドシルク」野蚕の奥の深さを知り、まさに目からウロコの心境になりました。
世界中に多種多様な「繭を作る」昆虫がいてそれらを一まとめに「ワイルドシルク」と呼ぶのですね。
また、天蚕の取材時、日本の絹糸の産業の衰退、後継者不足の一端を見たことから抱いていた心細さがここで払拭されました。「絹糸=高級着物」という単一な思い込みに縛られていたのです。蚕のつくり出すシルクには、見た目の美しさのほかに、紫外線をカットする力、抗菌性などがあり、吸脂性もあることなどから、美容品、介護用品、医薬品に至るまで様々な分野に用途が考えられ研究されているのです。会場にはそれらの製品もたくさん展示されていました。これからの日本の絹糸産業の新たな地平を見せていただいた気持ちでいっぱいになりました。

今回の「ワイルドシルクフェスタ」を紹介してくださったのは、「野蚕広報センター」の中塚さんです。会場でお会いすることが出来、展示の解説をしていただきました。このブログを借りて御礼申し上げます。

今回の「食と農」の博物館を会場にしたフェスタは私にとって、スケールも手ごろと言いますか、じっくり見て楽しむには適当な規模でした。
9日は特別講演「ワイルドシルク繭からの糸紡ぎ」が開催され、加藤幸子さんによる講演と糸紡ぎの実演、そして参加者による糸紡ぎ体験がありました。
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糸紡ぎの機械は長野県の農村の女性たちが使っていたものを加藤さんが譲り受けたものだそうです。
60年ぐらい前まで、日本の養蚕の盛んな農村では、田んぼの作業が休みとなる農閑期に、女性たちがこの機械を使って夜なべ仕事で糸を紡いでいたという事です。

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長野県生まれの私ですが、はじめてみる機械でした。

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加藤さんの作品。野蚕の繭を貼り付けて作られたバッグ。繭そのままを使うというアイデアが新鮮ですね。

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多孔性の茶色の繭も暖簾のフリンジにぶら下げるとこんなに面白いインテリアに。

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奥にあるのは野蚕の繭。その繭の糸を紡いで作られた織物の数々。

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ざっくりした風合いが素敵なバッグ。いわゆる「クズ繭」からこんなに美しい製品が生まれるのです。

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タサール蚕(インド産)の繭。これで作ったベッド用シーツは抗菌性が高く、肌に優しいため、床づれなどしにくいため介護用にも良いそうです。

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ムガ蚕(インド産)の繭から紡いだ糸。繭を先ほどのような糸紡ぎ機械で手で紡いだものです。

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ウスタビ蛾の作る緑色の繭。この繭は硬くて手で紡いで糸にすることは出来ません。でも濃い緑色の繭は魅力ありますね。ただ今用途を研究中だということです。

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会場の一角で、シルクのコースター作りの実演をしていました。誰でも参加でき、簡単です。シルクの土台に草花を置きその上に薄くシルクを被せて、水を吹きかけます。そして当て布(手ぬぐい)をし、アイロンで押し付け乾かすだけ。

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子どもたちもこうした体験参加が出来るのでこの展覧会は家族で楽しめますね。私も一枚作って見ました。家に帰り使ってみますとわりあい水をはじくコースターで紙で作られたコースターとの違いを感じました。改めて絹の特性のあれこれに思いを馳せました。

「ワイルドシルクフェスタ」は、シルク製品の美しさや感触のよさに魅入られている女性には必見。
そして昆虫に懐かしさを覚える(子どもの頃、蝶や他の昆虫の標本を作ったなあ・・・などという記憶のある)男性にも、昆虫と人間の親しい関わりを再発見出来る格好の展覧会です。

「食と農の博物館」にあるレストランで、期間中にメニューに載せているシルク入りのシフォンケーキも是非お試しあれ。
「ワイルドシルクフェスタ」期間は9月30日(日)まで。月曜休館。(山本豊美)

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人形劇の町飯田

2007-06-28 07:20:48

長野県飯田市は「人形劇の町」。市内にはつの人形座があります。
「黒田人形浄瑠璃伝承館」「今田人形の館」「竹田扇之助記念国際糸繰り人形館」の3つ。
そこにこの3月25日にオープンした「川本喜八郎人形美術館」が加わり、「人形劇の町飯田」のイメージを更に強めました。
私は昨年9月飯田市を訪れ「そばの町飯田」を取材しました。当ブログでお伝えし、「のんびる11月号」にもリポート記事を掲載しました。その折飯田市に人形劇の館が多いことを知ったのです。
飯田市には昔から「黒田人形浄瑠璃」が盛んでした。その伝統を残そうとした市や住民が伝承館を作ったりしたこと。また、飯田市内外の人形劇団を大切に保存しよう、交流しようとしてきた歴史があります。その結果、今のような「人形劇の町飯田」が出来たのです。
その飯田市の面目躍如の祭典があります。毎年夏8月に行われている「いいだ人形劇フェスタ」です。今年は8/2日〜5日に行われます。

「日本で最大の人形劇の祭典です。国内外から規模もジャンルも様々な人形劇団が集い、飯田市内の約100会場で250ステージ以上の人形劇が繰り広げられます」(飯田まちなか情報より)と読んだからには、人形劇好きならずとも飯田市へ足を運びたくなりますね。
5月に「いいだ人形劇フェスタ」のホームページを覗いていたら「観劇するボランティアスタッフ募集」という項がありました。それに申し込むと、市内の公民館などに安く宿泊でき、3日間人形劇をみて歩くのにいろいろと便宣を計ってもらえそうな文がありましたので、是非応募しようと思っていました。昨日6月27日、「確か締め切りが6月30日だった」と思いつつ改めてホームページを覗くと、もう申し込み打ち切ったのか、その文章がなくなっていました。もしかしたら見間違えだったのかも・・・。
私の早とちりはさておき、このフェスタに関心のある方、詳細は実行委員会のホームページを覗いてください。

「いいだ人形劇フェスタ」の歴史は古く前身は1979年に始まった「人形劇カーニバル」です。カーニバルを20年続けて、21年目から「いいだ人形劇フェスタ」と名称を変更して続いています。ホームページで年毎のワッペンを見るだけでも楽しいです。

「川本喜八郎人形美術館」もフェスタ期間中は大きなイベントを企画しているそうですので、「人形劇フェスタ」で人形劇上演見て周りだけではなく、既存の美術館に立ち寄る楽しみもありそう。8月2日〜5日が待ちきれない山本です。(山本豊美)

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天蚕に魅せられて・山梨その2

2007-05-24 23:32:12

5月16日に山梨県市川三郷町で小林貞雄さん(82歳)にお会いして「天蚕(てんさん)」の産業の現状について伺ったお話の続きです。「天蚕」の周辺についてのお話。

四尾連湖(しびれこ)の向こうの山。「蛾ヶ岳」という。

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そこに「蛾(が)」がいる。
「そう、天蚕の蛾だよ。蛾は標高800メートルになるといない。標高500メートルから600メートルの間が生息域だね。山保村は標高560メートルだよ」「自分の子供の頃は、あの山へ燃し木(薪)を取りにいくと、簡単に、枝についた葉の間に緑色の繭を引っ付けた小枝を取ってきたものだよ」「その緑色の繭が天蚕だよ。普通の蚕の繭より大きいよ。8月以降に繭をかけるんだ」。

小林さんは「5月10日に網張りをしてきた」とおっしゃる。先ほど「意欲もなくなったよ」と言いながらも、ちゃんとやっていたのですね。

「網張り」とは天蚕の種を入れること。5月に入れると、メスの産みつけた卵が孵る。木々が芽吹くとき、幼虫になる。幼虫はクヌギ・コナラの葉を食べて大きくなる。幼虫の何割かは小鳥のえさ。生き残るのは1割だろう。

20年前、灯りに寄ってくる蛾を捕獲。調べたがほとんど、ちがう蛾だった。次の年、蛾の王様のような蛾を捕獲した。それが「天蚕」の蛾だった。小林さんが家に保管しておいた「天蚕」の卵と、夜、灯りに集まってきた蛾とを交配させる。

「種は増やした」という小林さん。「でも飼う人がいない」と続ける。
「買う人がいない」の聞き間違えだったかも・・・。
昔は天蚕の繭は1個100円で買いに来た。やがて、「繭では買わない」となった。じゃあ、と糸にした。そうしたらまた買いに来た。が、そのうち糸にしても買いにきてはくれなくなった。

「『民俗産業』なんて言葉が言われたのさ、天蚕に!昭和30年ごろからだねえ・・・。もうあの頃から言われてたのさ。『民俗産業』だから絶やさないようにしよう!なんてね・・・」となんだか寂しい目をする小林さんだった。

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小林さんの家の庭で。

ここら辺で、家で繭を作る「養蚕」業の話から。

・・・・昔(1955年ごろ)の山保村・・・・・
どこの家も現金収入といったら、お蚕(オカイコ)様。競って養蚕業に精出した。したがって、あたり一面桑畑の風景だった。

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こんな桑畑が延々と続いていたのだろう。当時は。

東京から大手の「カネボウ」とか「グンゼ」といった会社が、山保村に直接繭を買いに来た。1貫目1000円〜1万円で売れた。どこの家も300〜400貫目収穫した。

つまり、1955年当時、養蚕業に従事していた農家は、多いところで年400万円も稼いだことになるんですね。当時のお金で!今だったらその10倍と見て4000万円ぐらい収入があつたことになるのでは?!

・・・山保村の現状・・・・・
過疎高齢化の進んでいる山梨県内の村々でも、山保地区はその数値が高い。山梨県内の高齢者の率が45%だとするなら、ここ山保は50%。
村の半数は空き家。あとは一人暮らしか年寄り夫婦が多い。
もとはここらあたりの8つの部落をまとめて山保村と呼んでいた。その頃、小林さんの家の近くにある小学校には400人の子どもたちが通っていたそうだが、今は18人ぐらいか・・・。

桑畑の他には畑で芋・大麦・小麦などを栽培した。現金収入は養蚕業でしか得られなかった。だから桑畑はお金を生み出す畑。
今は桑畑が残っている農家も、高齢で、畑に手を入れる力も残っていないし、また手を入れてみたところで、雀の涙ほどの現金収入にも結びつかない。

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「こんなもの、作るつもりはなかったんだが・・・」と言いながら小林さんが出してきて見せてくれた「天蚕のブローチ」「天蚕のイヤリング」。天蚕の繭を利用した商品。ヒットしなかったみたいだ。

小林さん、「村に若者がいない。出会うのはイノシシばかり」とおっしゃる。「猿は?」と聞くと、「サルの姿は見ない。ここは水が流れていないからね」とおっしゃる。猿は水の(川の)ある近くに集団で棲むのだそうな。やはり人間の祖先らしい生態ですね。

山保地区が昔から米を作ることが出来なかったのも水がなかったからでしょう。今は市川三郷町の町の水道を引いてきているから、生活用水に困ることはありません。

「昨日、山で見つけたよ」と子供のように目を輝かして指差してくれた先は、鳥かごに入れられた小動物。

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なんだかわからなかった。思いつきで、「山ウサギですか?」とつぶやく私に、「そうだよ。山ウサギ」といたずらっぽい目をぱちくりさせて応える小林さん。

山にはまだまだ「未知との遭遇」があるなあ。なんかわくわくしてきました。

「お盆過ぎに山に入って繭を見るから、またそのときおいで」と言われ、思わず強くうなづいていた私でした。

・・・小林さんの話で印象に残ったこと・・・・・
日本全体の養蚕業の衰退の理由は、前回に書いたようないくつかの理由があります。
中国からの安い絹が出回ったこと、後継者が育たなかったこと、などなどです。が、「山梨の養蚕業の衰退」理由には他所にない理由が一つあります。それは、「山梨の養蚕業者(農家)は皆、大手の会社と直につながっていたから、滅びた」という事。
小林さんは「群馬とか、他の県は養蚕生産者は組合を作っていた。『組合製糸』は残っているんだよ。組合はつぶすわけにはいかないからねえ」とおっしゃったのです。

「天蚕」のリポートをするつもりが、帰り道、小林さんの言ったその言葉だけ頭の中で残響を残していたのでした。

「養蚕業」の例から、農業の分野でいろいろな産業が生き残っていくためには、組合を作ったり、何か別の形でも、とにかく生産者が連帯して行くことが大切である。と言うことを示唆されたような気がしました。
最後に小林さんのお話にも出てきた安曇野市に天蚕関係の建物があるので、ホームページを紹介します。
穂高町のホームページも。
三重県いなべ市西藤原小学校では「カイコヤママユだより」を発信していました。
調べてみると結構「天蚕」につながっている人々はいたのです。うれしい限り。
私もこれから絹糸みたいに細いけれど長く途切れず天蚕のこれからをリポートしたいと思います。皆さん、天蚕を応援してくださいね。
(山本豊美)

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天蚕に魅せられて・山梨

2007-05-17 03:44:23

5月16日(水)晴れ。ドライブ日和。山梨県市川三郷町の「山保地区」に向かう。「天蚕(てんさん)に魅せられた人」小林さんに会うために。家を出発し国道20号をひた走ること2時間。甲府市内で市川大門線に入ります。「四尾連湖(しびれこ)」の道標を目標に30分。山保地区に到着しました。「耕して天に至る」という言葉がふっと浮かぶ風景。

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写真真ん中にある建物が小林貞雄さんの家の養蚕場。右の樹の陰に(見えませんが)生糸工場があります。

標高560メートル。山あいの斜面に張り付くようにして集落があります。めざす小林貞雄さんのお宅は山保地区の公民館のすぐ隣にありました。
家の玄関で挨拶すると、すぐに小林さんが出てきて、敷地の一角にある生糸工場に案内してくれました。

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小林さんが山梨県に頼みこみ、県からの助成金で建てたものだとか。現在は稼動していません。工場内を見学させていただきました。

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織機や糸繰り機が並んで置かれています。
奥の倉庫には繭を入れた袋や「てくず」の糸が入った袋がありました。
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一目見てみたいと願っていた「天蚕の糸」も保管の缶から出して見せてくださいました。

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小林さんと天蚕の糸。

緑色の糸。
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光沢が素晴らしい。天蚕の糸で織った布はなかなか染まらないそうです。糸が強いのです。そしてこの糸で刺繍すると他の刺繍糸の中では際立って目立ってしまうそうなのです。つまり輝きが違うということ。相場ではこの糸束一つで4万5千円ぐらいでしょうか・・・。

小林さんの話から〜天蚕の織り物の現状〜

○バイヤー側は「本物の天蚕である」というお墨付きを欲しがる。つまり消費者のブランド志向。(この糸の光沢を見たら一目りょうぜんなのに・・・と私なんかは思うが・・・)一反100万円以上する最高級の絹布なので宝石と同じで鑑定書がなくては・・・ということらしい。
○天蚕は山の中で生育する蛾の繭から作る出すもの。自然条件に左右され、一定した量産は不可能。
○天蚕の織ものは手織り。機械織りは出来ない。
○後継者がいない。昔小林さんのように天蚕の生産に携わっていた村人も高齢で次々にやめていきました。後継者は今のところ無し。小林さんも戦後からずっと60数年、農業を多角的に経営(鶏を飼ってブロイラーを売り、牛を飼って牛乳を売るなど)しながら、傍らで天蚕に携わって来ました。小林さん(82歳)は今でも意気盛んですが、如何せん、独力では・・・。

以上のような諸事情から、ここ山梨の山保地区のみならず今の日本では天蚕業が成り立っていません。ほんのわずかに天蚕を地域の記念物扱いにして学校で理科の学習で飼ったり、資料館で見せているといった形で残されているのです。
大変残念なことではないでしょうか。次回に続きます。(山本豊美)

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多摩源流まつり

2007-04-24 02:50:48

そろそろ、5月のゴールデンウィークの予定が気になりますね。
今回、ゴールデンウィークのお出かけにオススメしたいのが小菅村。
5月4日に「多摩源流まつり」が開催されます。「水と火と味の祭典」と銘打ってのお祭り。
「水」とは、言わずと知れた小菅村は東京都民の飲料水の水がめである多摩川の源流域。清流を使ったお茶やお酒などが体感できるのです。
「火」は、小菅村の伝統行事「お松焼き」が見られるというもの。で、「味」は、小菅村特産のやまめの塩焼きや、山菜炊き込みご飯が食べられるというものです。
当日のプログラムや会場へのアクセスは小菅村のホームページを覗いてみてください。毎年この時期に恒例の「多摩源流まつり」は今年で21回目を迎えるようです。
実は、私はまだ一度もこのお祭りに行ったことがありません。
当ブログ、3月5日付けで小菅村で味噌の仕込みを体験したことをお伝えしました。あの時の味噌作り参加者で「多摩源流まつり」のリピーターの方から情報を小耳に挟みました。「山菜炊き込みご飯」が美味しくて値段も安いというようなお話でした。山菜好きな私は是非食べてみたいと思いました。その後、小菅村と隣合う西原(さいはら)村に住む知人女性に「多摩源流まつりで売り出す山菜炊き込みご飯って美味しくて安いのですってね!知っている?行った事ある?」と聞くと、その人はうなずいて「でも、午後行ったから・・・売り切れちゃっていて・・・」とつまらなそうな顔。それに彼女の家の環境も小菅村とさして変わらず、山菜は手近に採れるので感動がないみたい。でも私には貴重な情報。『・・・そっかあ。午前中早くに行くべきなんだ・・・』山菜炊き込みご飯のゲットに向けた構えはしっかり!

ところで、小菅村の盛大な「多摩源流まつり」と並行して行われるのが「むらまつりキャンプ」。「NPO法人自然文化誌研究会」が主催します。5月3日〜5日開催。3月はじめに私の参加した味噌作りもこの研究会の主催した行事でした。この研究会主催のキャンプは去年の秋の「キノコ採りキャンプ」に参加した私、キャンプ地の様子とか、大体想像できるのです。焚き火を囲んで輪になってゆったりとした時間を過ごしたのが印象弐残っています。
湧き水を引いた水道で、キノコ鍋に入れる野菜を洗ったり、やまめの串焼き用のやまめの下ごしらえをしたりしました。自分が普段水道で蛇口をひねれば好きなだけ水が使えるのに比して、チョロチョロとしか来ない水にもどかしく、また、キャンプ地の端っこに設置された簡易トイレを使うのに(当然電気は引いてないから)周囲が暗いため、友達同士で行って、見張りに立ってもらった、などなど不便がありました。が、それを乗り越えたキャンプの醍醐味は十分味わいました!それと感心したのが、洗剤を一切使わなかったこと!このキャンプ地の流し場で使った水はすぐ下の川に流れるようになっています。その川の流れ下る少し先にヤマメの養魚場があると聞きました。だからヤマメを弱らせるようなものは流せないのです。キャンプの食事で使ったお皿で油モノが付着したお皿は集めておいて、翌日車で研究会の事務局にしている家に運んで洗っていました。環境にやさしいことを常に頭において行動することを学ぶキャンプでした。小菅村で「多摩源流まつり」に日帰りで体験したい人は5月4日。もっとじっくり小菅村体験したいむきには「むらまつりキャンプ」が是非オススメです。私はキャンプに参加する予定です。
さあ、今度のキャンプ、どんな体験が待っているでしょうか。(山本豊美)

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山梨の魅力発見!

2007-03-24 04:56:52

山梨の魅力発見!今回は人形芝居です。山梨県指定無形文化財の「笹子追分人形」を見て来ました。3月21日、山梨県生涯学習推進センター(甲府市丸の内1−6−1)が、「やまなし再発見講座」の一巻として行った講座「笹子追分人形 三番叟(さんばそう)の実演と講話」を聴講してきました。

追分人形芝居は、山梨県大月市の笹子追分新田地区に伝わる郷土芸能です。淡路島に伝わる諸派の人形芝居や、国立劇場で定期的に上演される文楽などと同じ、3人遣い様式の人形芝居です。

この追分人形については資料が少なくいつごろ発祥したのか明確ではありません。江戸時代には地域の若者によって維持・管理・演技とも受け継がれていました。でも明治維新の文明開化の風潮から急速に廃れ、その上、地域に起こった水害で人形衣装や小道具など大部分を流出し、廃絶の危機に陥ります。
これを惜しんだ、笹子追分に住む天野忠甫(あまの ちゅうすけ)氏が私財を投じて、日本各地から衣装や人形を買い求めました。また、天野氏は自ずから東京の西川伊三郎に入門。芸を磨き、西川伊久造の芸名をもらい、村に帰って、座を興しました。それが今に伝わる西川一座です。
それでは実演と人形の顔をゆっくり拝見。

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三番叟はひょうきんな踊りです。

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娘人形の顔。悲しい運命をたどることの多い文楽(追分人形)の娘人形。やさしくいたわってあげたい気持ちになります。。

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三番叟を踊った人形は、なんだか西欧の方のサーカスのピエロに共通するおかしみが漂います。

鳴り物(三味線)や語り(義太夫節)がないのがちょっとさみしかったですが。

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人形の操作方法も仔細に見せてくれました。

今回の講座には70名の参加者がつめかけ、熱心に保存会の人にお話を聴き、人形に触れて、人形の操作をして見るなどして、会場は熱気にあふれていました。

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人形の頭(かしら)の製作者、石黒一夫さん(右から2人目のメガネの男性)が、人形の目や口を動かすカラクリを説明。バネには鯨の歯を使っていることや、糸は三味線に使われている絹糸。それも合成の糸ではなく本当の絹糸、三味線で使い、ある程度古い糸でないとダメ、とか面白い話をいっぱい聞かせてくれました。


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人に操作され動き出すと、顔に生気が漂ってくる不思議な人形の魅力にすっかりはまりそう。

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人形を動かす黒子の皆さん。現在座員は15名(30〜60代)。毎週金曜日の夜7時半からと日曜日の午後1時から、追分にある人形会館で稽古を積んでおられます。

なぜこの「追分人形」が山梨県の指定無形文化財になっているのかというと、座の演目に文楽の世界でポピュラーな「菅原伝授手習鑑」「絵本太功記」「本朝二十四考」等の他、地方色豊かな「吉久保美人鑑(よしくぼびじんかがみ)」があるからです。

もうひとつ、この座には数多くのかしら(60体ほど)と衣装が残され、その中には、淡路の国の名匠「由良亀」や淡路徳島の「天狗久」作のものなど数点があり、県下のほかに類例を見ないからだそうです。


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4月1日(日)午後1時半より、大月市民会館で「奥州安達が原」の演目の公演が行われます。興味のわいた方、是非お出かけください。

お問い合わせは「笹子追分人形保存会」の斉藤さんまで。
電話0554−25−2339。

なお保存会では人形の修復や公演のお金を捻出するため、賛助会員(年額一口3000円)を募ったり、公演先で人形のポストカードや手ぬぐいなどのグッズを販売して資金を集めています。
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人形のポストカードには、今日お目にかかれなかった人形たちの顔があって、この次も公演に出かけて、今回会えなかった人形に会いたくなりました。(山本豊美)

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伝統業の人のこぼれ話

2007-03-20 05:01:42

今回は「暮らしの知恵」です。取材時の「こぼればなし」をいくつか。前回の「山梨のイチゴ」の記事に登場の荒川さんのお話から。
漆(ウルシ)にかぶれた時どうする?

先人から教わった対処法としては
1、海の塩を風呂に入れ、その湯に2回〜3回(2日〜3日ということ)浸る。
2、沢蟹を捕まえてつぶし、その汁をカブレタ患部に塗る。
というものだそうです。

「海の塩」と聞いて思いだしたのは次の話。

知人で皮膚に痒みの出るアレルギー症状に悩まされている人が言っていました。「夏は必ず1回は海水浴に行くことにしている。そうしないと冬、皮膚の痒さがひどくなるから」と。これもウルシのかぶれに利く「海の塩」の効能と共通するものがあるのかもしれませんね。

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写真は山本所有の海水を原料にした塩です。

「沢蟹をつぶして、その汁を塗る」については、簡単に沢蟹を捕まえられる環境にいないと出来ませんね。が、ウルシにかぶれるということは、山に入ってたまたまウルシの木に触ってしまったりした時の場合が多いから、そんな時には近くの渓流に行ってみて、沢蟹を見つけたら試して見る、という風に覚えておきましょう。

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写真は、山本所有の沢蟹の剥製。3ヶ月ほど前の宴会料理に出された沢蟹の姿焼きを持ち帰って飾っておいたもの。スケッチしようかな・・・と思って。なんか捨てがたくてね・・・。

漆は何代にもわたって伝わる。
ちなみに、荒川さんは、コープやまなしの組合員さんたちと、イチゴの生産者としての顔だけでなく、漆工芸の作家としての顔でも交流したいと思っているのです。組合員さんの親子向けに、漆ぬりのお箸作り教室でもひらきたいなあ・・・とか。「漆の器って代々続いていくモノなのですよ」と荒川さん。「お母さんが使っていたお椀を、お母さんが亡くなって、思い出に飾っておきたい、あるいは、自分が受け継いで使いたい、といった気持ちの時、漆職人さんの所に持って行ってください。塗りなおしてくれます。そうするとその器がまた美しくよみがえるのです」と目を輝かせておっしゃいました。

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写真は漆塗りの菓子鉢(これは荒川さんの作ではありません。山本所有のものです)

荒川さんの漆工房にも今度お邪魔してみようと思います。そのときをお楽しみに。(山本豊美)

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山梨県小菅村の伝統食づくり

2007-03-05 05:00:34

寒気がやわらいできた今の時期、味噌の仕込みの時期到来です。
3月3〜4日、山梨県小菅村で行われた味噌作りを体験してきました。小菅村で活動展開する「NPO法人自然文化誌研究会」主催事業で「小菅村郷土食連続講座4」と銘うってます。

味噌作り講座の講師は、小菅村で養魚場を営む木下さんの奥さん、純子さん。教室も木下さんの家の庭。
13:30 大豆を煮始めました。大豆10キロ。一晩水に漬けてあります。

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今年の小菅村では大豆が不作だったため、大豆は北海道産の豆。

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小菅村の多くの家庭では、味噌作りをするのに使う大豆は12キロ以上が普通とのことですが、木下さんの家は夫婦2人暮らしなので、10キロもあれば1年分足りるとの話。今回仕込んだ味噌は1年後、参加会員さんに分量渡されます。
天気に恵まれたこの日、屋外での火炊きには好条件でした。

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薪割りも体験したりして。

カマドに火をおこすのがなかなか大変。煙が目にしみる。

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2月末から3月にかけて味噌を仕込む理由は、「冷たい引き締まった水を使うと味が良いということや、暖かくなると蚊やハエのような昆虫類が活動し始めるから寒いうちにするのだと思う」(純子さんの談)ということです。

今回、味噌作りと並行して、こんにゃく作りにも挑戦しました。

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大豆が煮える間にもう一つのカマドで、こんにゃく芋を煮ました。
こんにゃく作りは、生芋をすりおろしてから水を加え火にかける方法と、芋を煮てからすりつぶして水を加える方法と2つあるようですが、今回は、後者のやり方で。

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1時間ほどして柔らかくなった芋を取り出し、皮をむきます。指先が熱いです!

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臼に芋を入れて杵でつぶします。差し水しながら。次にアルカリ性の液(炭酸ソーダ)を入れ混ぜます。
こんにゃくらしく、灰色で透き通った感じになります。

次に手でおむすび大に固めて、炭酸ソーダを塗った手の中で転がすと表面がつるつるになります。それを沸騰させたお湯の中にいれ20分ほど煮ます。そして、掬い上げて冷水の中に入れ、冷まします。

こんにゃくが出来上がりました。ねぎや鰹節、一味唐辛子などの薬味をかけ、お醤油で「いただきま〜す」。

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一方の大豆のお釜では、表面に泡が浮かんできました。丁寧に泡をすくって取り除きます。カマドに火をつけて3時間。

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この日は、豆の煮汁に浮いてくる泡をすくいとる段階で夕方に・・・。
近所のお母さんたちが通りがかりに声をかけてくれます。「いつから煮はじめた?ああ、じゃあまだだね。明日も煮なきゃアね」と。

翌4日も晴れ・木下さん家の庭に集まり、朝からまた火をおこして煮ました。味噌作りの豆の柔らかさは、煮た豆を親指と小指ではさんでつぶれるようになればОkです。昨日から通算6時間煮て、やっと良い柔らかさになりました。

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臼に煮豆を入れてつぶします。

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10キロの大豆でしたから、臼に入れてつぶして、つぶれた豆を容器に入れて、臼を空にしてから、また煮豆を入れて杵でつぶして・・・という繰り返しを10回ぐらい行いました。
杵も重くて、豆のつぶし残しも・・・ああ。暖かい陽射しに汗が・・・。つくづく「手作り味噌」の工程が手のかかるものだということを痛感した瞬間でした。

豆を煮た液(アメと呼んでいました)は捨てないでとって置きます。
純子さんはその液をバケツに移し、バケツごと冷水に漬けて冷やしていました。

豆が全部つぶれました。そこに麹(コオジ)を入れます。

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麹には米麹と麦麹の2種類がありますが、米麹を使うと、甘い味噌が出来るということです。

今回は麦麹を使います。小菅村で麹を手に入れることは難しいそうで、木下さんは青梅まで行き手に入れて来ました。
つぶし大豆と麦麹をよく混ぜてから、豆の煮汁(アメ)を少づつ加えます。適当なゆるさになったら(各家庭で好きな硬さがある)よく空気を抜いて平にならし、、容器の壁面は雑菌がつかないようによく拭いておきます。表面に塩を敷いて。

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ビニールでピッチリ覆い、空気に触れさせないようにします。中ブタをして、重石を載せ、上に蓋をして、冷暗所に保管。

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これで1年保管すればお味噌が出来ます(この秋には十分食べられる味噌になっているとのことですが1年待っても平気な私たち)。

途中、開けて、上下かき混ぜる「天地返し」をしなくてはなりません。木下さんは「年に1回やれば十分」だそうです。

さあ、1年後の味見が楽しみになりました。

小菅村に1泊2日しましたが、せせらぎの音が常時聞こえていて、山々で切り取られた空が近いです。夜空の満月を写真に残せなくて残念でした。リスも目撃したけど、映像に残せなかった。5月4日は「多摩源流まつり」があります。山菜おこわが安くて美味しいとの評判を耳にして、今から予定している山本でした。(山本豊美)

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気になる風景・春の山梨

2007-02-25 21:06:56

2月25日は都留のうぐいすホールで「うぐいすキネマ館」を鑑賞してから、都留市上谷にある「好浩」(よしひろ)(電話0554−43−6318)で昼食を取りました。ここの鍋焼きうどんが有名です。
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600円と安い上にボリュームたっぷりです。私が店内にいる間にも引きもきらずにお客さんが来ていました。法事の会食に利用するグループも来て、うどん屋だけでない「割烹」の「好浩」の面目も躍如でした。

食事が済むと、都留市の戸沢という地区を通って上野原市秋山村に出て、上野原を縦断するというドライブをしました。途中見かけた「気になる風景」を紹介します。
松木というバス停近く(盛里駐在所近く)で梅の花満開。遠景です。

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大きなお屋敷の一角に梅の木があり見事に花を咲かせていました。
少し行くと石船(いわぶね)神社がありました。ここの社殿の飾りが変わっていて面白かったです。

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石船神社に立て看板がありました。

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看板にはこう書かれています。

市指定有形文化財
石船神社には復顔首級があります。
首級とは、人の頭がい骨に箔(金や銀を非常にうすい板のようにしたもの)を押し付け、梵字(古代インドの文字・仏教遺物に多く使われている)を墨書きし、その上に小さな木片や漆と木屑を混ぜたような塑形材で肉付けして、生きている人の頭部のように仕上げられて入る。両眼には玉眼(水晶などで造ったもの)が用いられていたが、現在は左目にのみ認められている。
この復顔技術は我が国で最も古い時代に属するものとして高く評価されている。
なお、石船神社には、護良親王(1308〜0355)の御首級であるという伝えがあり、同神社の御神体として古くから地域の信仰を集めている。
                        昭和56年12月1日
                        都留市教育委員会

遠く昔、足利尊氏で有名な、南北朝の戦いの犠牲者として、護良親王の名前が思い出されますが、この地域の言い伝えによると、護良親王のお后、雛鶴姫が、護良親王の首級を持ってこの地に避難してきたそうな。で、雛鶴峠で赤ちゃんを産みました。でも肥立ちが悪くて命を落とした。とのことです。
この地には雛鶴姫にちなんだ地名がいくつか残っていますから、言い伝えは本当なのかも。そう知って、改めて石船神社の屋根の飾りの鬼の顔を見ると、不気味なのもわかるような気がしますね。怨念がこもっているんだよ、と示してあるような気がして・・・。

また、石船神社の境内の木にはムササビが生息していることで有名でした。十数年前は・・・今はどうなっているのでしょうか・・・。以前のうっそうとした林の印象がありませんが・・・。

また少し行くと、吉祥寺というお寺がありました。川のせせらぎの音が常時聞こえてきます。井戸もありましたが、今は使われていないような雰囲気。

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秋山村から、雛鶴トンネルと田野入りトンネルを通って上野原の町に近づきました。田野入り地区で面白い形の木がたくさんあるのを見つけました。

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何の木でしょう。

次に鶴島地区にある神明社です。

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ここのお清めの水場、手水鉢の石を洗うたわしが藁で出来ていました。

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以上、目にしたものを点点と並べただけのそっけない記事でごめんなさい。次にブログにアップするときは、「何でこういうものがあるの?」という謂れとか、理由を、関係者に聞いて、情報を載せますね。次回乞うご期待。(山本豊美)

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山梨県明野町

2007-02-20 01:27:38

日本で一番日照時間が長い明野町(あけのちょう)。山梨県北杜市(ほくとし)に在ります。2月17日(土)小さな旅をしてきました。
今回の旅では明野町で活動している「茅ヶ岳歴史文化研究所」の主催する「お神楽(かぐら)チャレンジ教室」にお邪魔しました。
「北杜市埋蔵文化財センター」を会場に「チャレンジ教室」が開かれていました

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写真は北杜市埋蔵文化財センター

「茅ヶ岳歴史文化研究所」が子供達に向けて「お神楽チャレンジ教室」を開くようになって、今年で4年目です。
毎年、明野町内の各地区の神社例大祭が4月中にありますが、そこで子供たちがお神楽を奉納するのです。練習は去年9月から始まり、10回以上の練習を積んで本番に臨みます。17日は通算7回目の練習日。10時から12時まで。練習に参加している子供たちは、地元明野町に住んでいる子供達ばかりでなく、隣あう武川町や大泉町からも参加しています。年齢も8歳から14歳までと幅広いです。初級1グループと上級2グループに別れて練習していました。上級者は剣を持った舞を練習したり内容が違うので、先生とほぼ1対1の指導を受けないとマスターできないのです。私は初級のクラスを見学しました。

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練習は2時間の間に3回繰り返して行われました。指導者は明野町に住む古老たちです。その中でも長老格の上野周茂(うえの ちかしげ)さん(89歳)は、自身がお神楽の舞・笛・太鼓の技能を体得した「お神楽の伝道者」でおられます。

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写真右が上野さん

上野さんにお話を伺いました。日本全国の神社にお神楽はあり、その舞や演奏の様式はわずかずつですが違っています。ここ明野に伝わるお神楽は「倭神楽(やまとかぐら)」と呼ばれ、このあたり一帯にしかない独特の様式を持っているそうです。上野さんは60年前に兵役を終えてふるさとに戻り、そこで、地元のお神楽の継承者がいなくなることに気がつき、自分で継承しようと思いました。「お神楽チャレンジ教室」は4年目ですが、その前から上野さんはお神楽を伝え残すため、本にあらわしたり、ビデオに残したりと活動して来ました。去年はお神楽保存の全国連絡会の関東ブロックの大会に参加して、「倭神楽」健在なりをアピールしてこられました。この地域では昔は神楽を舞うのは男児に限られたそうですが、今は、伝承の間口を広くするため女児も受け入れています。そうした、上野さんたちの前向きな努力に応えるように、年々参加する子供達が増えてきています。指導者の笛の音に合わせて足並みそろえて舞う子供たちの引き締まった表情が印象的でした。

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上野周茂さんの住む地域の三島神社の例大祭は4月8日(日)。装束をつけた子供達の晴れ姿、奉納の舞を見に行くのが今から楽しみな私です。(山本豊美)

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続・山梨県で一番賑わうお祭り

2007-02-13 06:54:04

山梨県南アルプス市の「十日市」リポートの続きです。
前回、この市場の賑わいは山梨県内では例を見ないほどのものだと申しました。なぜそんなに魅力のある市場なのか・・・?・・・食べ物の出店を除いた出店で、売られているものの値段がほとんど書かれていません。そこが魅力の一つであると思います。値段は売り手と買い手の交渉で決まるのです。これは近年珍しいことです。私が見て歩いている間にも、そこここで、値段をめぐって熱い攻防戦が展開されていました。失われたコミュニケーションが活発に展開されていく。それが面白いのです。

売り場を離れたところでは、慣れた顔の地元の人らしい男性2人がうっすら笑顔で「ほとんどが、明日、午後に買うのだよ」とひそひそ話してはうなづき合っている場面も見られました。

一日目は見て歩いて、「これ」と思うものにめぼしをつけておく。2日目の店じまい直前に買い叩いて安く買おうというわけなのかな・・・。ですから、2日間で「15万人の人出がある」と言っても、内実は2日目もほぼ同じ客が来ているので、半分の7万5千人の人出があるといった方が正しいかも・・・。木のちゃぶ台が売られていました。

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千葉県の業者が出店していました。思わず見惚れて立ち止まる人が続出の美しいちゃぶ台達。トチの木で出来ている38万円のか、花梨材の38万円のか、わたしはどちらも良いなあと迷いました。(お金無い為、買うと想像するのだけですが・・・)。私が南アルプス市近くに住んでいたなら、翌日も出てきて、市場の閉まる頃になっていくらに値段を下げるのか、はたまた下げないのか、観察したいと思いましたが、何しろ遠くなので、それが出来ず残念。
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十日市の「市神」の安養寺も大変な参詣者が。

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安養寺境内には「十日市」のいわれを書いた立て札が立っていました、その前でもだるま市が。

昔はこの時期の十日市では春に向けて農耕具を売ったそうです。でも今は農耕具はわずかです。どちらかというと、出店の通りを一歩外れた農家の庭先などに並べて農具や生活用品が売られていました。

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暖かい冬。

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農家の庭先の梅は早くも満開です。

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歩きつかれて、道端に座って一休みする家族の姿も。十日市は家族で楽しめる市場でした。

今回のリポートで興味をもたれた方、7月の十日市には行かれると良いですね。(山本豊美)

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山梨県で一番賑わうお祭り

2007-02-11 05:31:24

2月10日土曜日、山梨県南アルプス市で行われた十日市(とうかいち)を散策してきました。国道20号線を竜王で左折、釜無川に渡した信玄橋を渡って白根方面へ走ると国道52号線とぶつかります。そのまま52号を進むと「小笠原橋北詰」の交差点。左折するとまもなく南アルプス市消防署が見えてきます。ここから先の通りが出店の並ぶ市場になっているため通行止めです。

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車を駐車場に入れて、さあ歩こう。
人出がすごい。前日の新聞に「2月10日と11日の2日間に行われる十日市の人出は約15万人と予想されている」とありました。山梨県の人口が約88万人。人口の約6分の一が南アルプス市に集合ですか(?!)もちろん他県からもおいでになる人はいるでしょうけれど・・・。今まで山梨のいろんなイベントを覗いてきましたがそんなに多くの人を集めたイベントは見たことがありませんでした。
出店は5百軒ほど。続く続く・・・。大判焼き、たこ焼き、焼き蕎麦、焼き栗、焼きイカ、金魚すくい、果物に糖蜜をかけた飴売り、七味唐辛子、甘納豆などの出店の定番にシシカバブ、トッポッキなどのニューフェース(私にとってはこうした異国の食べ物の出店を見るのは初めて)もあり、それが延々と・・・。
こんなに店が出て大丈夫なのかと心配しましたが、昼時には人の波が、思い思いの出店の前で立ち止まっている。・・・大丈夫なのでした。

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車道をはさんで、向こうにも市の通りは続きます。確かに5百軒はありそうな出店たち。

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十日市の歴史は古く500年ぐらい昔からあるのだそうな。昔は年に6回開かれていたそうですが、今は年に2回。2月と7月に開催。
2月の十日市は春に向けて農耕具を、7月の十日市は盆の準備や木工製品を売っていたそうです。
私は今回、地元の山の木で作られた、農耕具・木工製品などに興味がありました。

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しかし、行けども行けども業者の出店ばかり。と、ありましたありました「うす」と「杵」が。そば打ちの台とか「こね鉢」なども。

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出店の通りから1歩裏に入った民家の庭先で売られていました。

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値札はついていません。売り手と交渉です。この十日市のお客の楽しみは、この「交渉」の末の、「良いものを納得の値段で手に入れた」実感にあるようです。植木市も、縁起物のだるま市も賑わっていました。

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植木市では春の花が咲き競っていました。

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梅の盆栽も満開。

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縁起物のだるまも10軒以上出てました。でも「甲州だるま」と書かれただるまを売っている店は1軒だったなあ。

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甲州だるまは他のだるまとひげや眉の描き方が違うのですね。上は我が家にやってきた甲州だるま。も一つ上の写真の、出店で売られていた一般のだるまと比べてみてください。私は、出店で並んでいた中では一番小さいサイズを買いました(1200円)。まだ目は入れられていません。

市場通り中ほどを入った安養寺は、「十日市の市神さま」ということで、人の波はここのお参りにも押し寄せています。行きかう人がお互い挨拶しあっているのを聞いて、集まってきた人はほとんど市内とその近郊から、一家総出でやってきているのだなあと思いました。11日の午後、市場が終わり近くなると、売り手、買い手の交渉も一層熱を帯びていることでしょう。(山本豊美)

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山梨の北西部の歴史を知る

2007-01-21 22:11:24

1月20日(土)、山梨県北杜市埋蔵文化財センターを訪問してきました。「NPO茅ヶ岳歴史文化研究所」略称「かやぶん」の取材をするためです。「かやぶん」スタッフで北杜市埋蔵文化財センター学芸員の内海美佳(うちうみ みか)さんにお話を伺いました。
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写真は内海美佳さんです。
12月16日に迎春飾りを作るイベントで、子供たちのお姉さんのように熱心に指導されていた内海さんですが、普段はここの学芸員として来館者の対応や文化財の保存、PR活動などに携わっておられます。

私が訪問したこの日、ここで午前中、「お神楽チャレンジ教室」がありました。訪問時刻とズレたため、今回はお伝え出来ませんが、4月の各地域での例大祭で舞いを披露する本番に向け、あと数回の練習が予定されています。伝統の舞を受け継ぐため一生懸命に練習を積む子供たちの姿を、後日お伝えしたいと思います。

内海さんにお話を伺って、「NPО茅ヶ岳歴史文化研究所」の子供向け活動が幅広いことに驚きました。主に参加する子供たちは明野(あけの)小学校に通っている明野地区の子供たちだといいますが、未来を開いていく子供たちに、明野の歴史や豊かな文化を受け継いでもらおうと、地域の人々の熱意が盛り込まれた結果、これだけのたくさんの活動メニューになったのだなと思いました。


以下ざっと並べますと、
・茶道教室
・山梨の方言を学ぼう!
・昔の遊びを体験しよう。
・遺跡のお仕事体験
・畑で種まき!
・美味しい野菜を育てよう。
・野菜収穫体験。
・ほうとう(山梨のと名物料理)つくり
・ミニチュア土器作り
・縄文人に変身だ!オリジナルTシャツ作り
・藁ぞうりつくり
・お正月飾りつくり
・囲碁教室
・食いしん坊隊
・お神楽チャレンジ教室
などなど。多いでしょう?!

これでは子供達の活動をサポートする大人も大勢必要になりますね。「かやぶん」ではボランティアで子供達の活動をサポートしてくれる大人を求めています。

ここでちょっと息抜き。「北杜市埋蔵文化財センター」の収蔵品の一部を紹介しますね。縄文土器です。土器の形や文様に、縄文人の力強さを感じませんか?

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一番下の写真は、縄文時代の住居に、土器がどのように置かれていたかを再現したものです。獣の皮などを屋根に張って雨露をしのいだテントみたいな3角錐の住居の真ん中につぼが置かれています。その周りに家族が座っていた。つぼの中には栗の実やトチの実を入れていたみたいです。

明野小学校も連携して、先生方も「かやぶん」の活動に子供たちの参加を誘ってくれているとか。囲碁教室などは参加する子供とそのお父さんが一緒に通ってくるとか・・・。いいですねえ。
学校と地域と家庭が連携して豊かな子育て環境を保持していく!

尚、子供達に人気があるイベントは、古代の食を作って食べる「食いしん坊隊」とか、「縄文人に変身だ!」のTシャツ作り、そしてミニチュア土器作りだそうです。
「お正月飾りを作ろう!」に参加したお子さんが、「お神楽チャレンジ教室」にも参加しているなど、年間を通して、いくつものイベントに参加できるのは、子供たちに生活リズムを湧かせますね。

内海さんにお話を伺った「北杜市埋蔵文化財センター」の館の窓から、雪の化粧をした南アルプスと、その下に3重4重にも連なる山々が見えました。こんな景色の良いところで、日当たりの良い広い土地で、豊かな文化伝承の環境に育つ子供たちがうらやましい。日本全国各地の村々が、こうであれば素敵だなあ。(山本豊美)

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山梨県西桂町の小正月

2007-01-14 20:10:12

1月14日(日)快晴の中、山梨県西桂町に行ってきました。富士山からの湧き水で有名な町。西桂町役場のホームページによると、西桂町の特産品は、「バナジウムを含んだミネラルウォーターです。」それしか紹介されていません。
しかし、西桂町はかつて、甲斐絹の織物の生産地として有名でした。今でも、絹は使われていないとはいえ、織物業は続けられています。
私は今日、そこを取材するつもりで西桂町を訪れたのでした。めざすは三ツ峠グリーンセンター。
そこで西桂町の特産品が売られているとの記事を読んだから(去年の12月23日の山梨日日新聞)です。

去年11月にオープンした、西桂町小沼の交流拠点「茶論(サロン)いろは」は高齢者による手作り品などの活動がが本格化している、と新聞にありました。また、「町特産の織物を使った手工芸品の制作に取り組んでいる」とも。
(えっ!あの甲斐絹の伝統が今も息づいているの?)と鼻息荒くした私。「団塊世代の生きがい作りの場としてPRし、参加を呼びかけたい」との、石田敏江代表の言葉も紹介されていて・・・。「団塊世代に呼びかけたい」と聞いてはなおさら見過ごせない私であります。早速石田代表に突撃インタビューをッ!と意気込んで出かけたのでした。

新聞に載っていた写真は三つ峠グリーンセンターで茶論(サロン)の会員が、会で作った手作りの特産品を売っている場面。写真下の解説には「サロンで作った製品は町のイベントでも販売される」と書かれていました。
「今日は日曜だし、きっと会員が売っていて、会って話が聞けるぞ!」「それに特産品の実物も手にとって感触がわかるし・・・」とルンルン気分で三つ峠に向いました。
しかし結論から言うと、石田代表にも会えなかったし、会員が販売している現場にも出会えなかった。
三つ峠グリーンセンターの係の人に聞くと、「イベントのある時に、来て販売するのです」とのこと。なあんだ、そうだったのかあ・・・残念!
出かける前に、新聞に載っていた「茶論(サロン)いろは」のお問い合わせ先という西桂町商工会に電話したのでしたが、留守でした・・・。そこで自重すればよかった。
「商工会、やっていないんだ・・・ということは、茶論も活動していないんだ」と理解すればよかったのです。
モノを売る団体でも、日曜日は活動しないところがあるんだってことに想像を広げるべきでした・・・。
「茶論(サロン)いろは」にはまた平日にアタックすることにして、ここで、三つ峠グリーンセンターに行く途中であったきれいなものを紹介します。

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三つ峠グリーンセンターに行く道の途中で出会いました。国道139号線を「西桂町役場前」信号で右折し三つ峠グリーンセンターに通じる村道を車で走っていたとき、左手に見えたので、通り過ぎて車を引き返し、カメラを向けました。近所の人に聞くと「道祖神」とのこと。西桂町は織物が盛んだったので、この道祖神にも「ヒイチ」ト呼ばれる三角の布袋を吊るす習慣になったのだそうな。

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「どんと焼きと同じ風習ですか?」と聞くと「そ
うだね」との答え。では15日の小正月には燃やしてしまうのだろう。なんだかもったいないような気がしました。近くに燃やすときに使うだろう薪が積まれていました。
三つ峠グリーンセンターにあるショップに売られているのは「西桂町織物」のネクタイや座布団カバーなど。私は座布団カバーを買いました。一枚472円と安いです。いろんな柄がありましたが、私の選んだのはこの柄。011403.jpg

家に帰って早速座布団を入れて見ました。

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布は丈夫そうだし、柄は華やかだし、で我が家に明るい光をもたらしました。三つ峠グリーンセンターにあったこの同一柄の色は青色と緑色の二色でしたが、他にもいろんな柄や色があり、迷いました。大きめだから、座布団カバーとしてもクッションカバーとしてもグー。どうですか?あなたの家のインテリアにも。(山本豊美)

追伸
1月16日に山梨日日新聞に載っている記事を読みました。西桂と同じ形の道祖神を立てている様子の写真とともに。「都留市十日市場自治会は13日、『ヒイチ』と呼ばれる三角形の布やバケツ、ロープなどで飾った杉の木を立て、厄除けなどを願った。ヒイチや飾りつけは17日以降に各家庭に配られる」という文が添えられていました。
私は14日に見たとき、「どんど焼きと同じようなもの」という近所の女性の説明で、あの道祖神の飾りつけは小正月が過ぎたらすべて焼いてしまうのだろうと早飲み込みしていました。が、そうではなさそうです。
(山本豊美)

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