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桑の木のオーナー制度・続編

2008-02-25 04:29:06

前回のブログ記事で紹介しました京都の「織道楽 塩野屋」さんから「桑の木オーナーズ倶楽部」についての資料が送られてきましたので、さらに詳しい情報をここにお伝えします。

「絹織物の原点は農業」
桑園を作る→蚕が飼育できる→繭から絹糸をとる。絹がこうした成り立ちである以上、明治以後、昭和の始めまでの日本の主要輸出品であった絹を支えたのは日本の養蚕農家でした。
1kgの糸を作るにはおよそ1000kgの桑の葉が必要です。蚕は4000頭近く飼育しなければなりません。
戦後の日本農業=農薬が普及。
農薬のついた葉を食べると蚕は死にます。よって養蚕は下火になりました。

■養蚕農家の現状(桑の木の現状)
現在、日本全国で養蚕農家は1300軒少し。群馬県や関東以北に固まっています。近畿圏内では兵庫県にわずかに残るのみとなりました。
京都府綾部一帯は明治大正時代、蚕都と呼ばれ、3万軒の養蚕農家を擁していました。しかし今では福知山に3軒の農家が残るのみ。

■現在の絹材料
中国・ブラジルなど外国から95%以上の絹糸が輸入されています(昭和34年から外国生糸が輸入されるようになって以来)。今、中国も国内が工業化を進めているため、毎年一割程度の生産減といいます。

■これからの日本農業と養蚕
農地の保全発展は国の基盤。農薬を使わない農業を!そのとき養蚕は欠くべからざる要素です。今後多様な農業のチャレンジが望まれてきます。大量生産より品質の特化が日本生糸の生き残る道です。
全齢桑・生繭・多様な品種がこれからの日本の養蚕発展のキーワードとなります。
○全齢桑・・・・桑の葉を十分に育成させる。
○生繭・・・・・生繭から糸を引き出すことで材料の品質向上が図れる。
○多様な品種・・蚕種のオリジナル化を図る。

「新規養蚕者育成と支援体制と」
「織道楽 塩野屋」さんは、京都市右京区京北下弓削町に農業モデルの土地を開設。養蚕を学びたい人々に指導を行い、そこで生産された繭とその他の生産物を優先的に買い上げる体制をつくりました。絹文化の前に繭文化を創出して、「一物全体・身土不二」を基本にした農業従事者を増やしていくこと。それが消費者との連携に繋がる道と考えています。賢い消費者に支えられた絹文化を日本で根付かすことを目標に努力しています。

■具体的には・・・・
平成18年(2006年)3月より福知山の農家3軒と5年契約を結んで繭を購入。安心できる品質の高い絹材料の生産に踏み込みました。2007年3月、下弓削町の土地確保。名づけて「塩野村」。桑の苗700本を植え育成中。同時に野菜も育てています。副産物も有効利用しようと考えているのです。
消費者にこの一環に加わっていただき、使い手の希望や夢を直接聞いて、物づくりを実践していく会社となります。
消費者にオーナーになっていただく。→「塩野村」の桑の木にオーナーさまの名をつけて、塩野村の管理者が育てる。→その桑から収穫できる商品をオーナーさまに届ける。
桑の木オーナーになるには・・・
桑の木1本・・・10,000円の年会費を納めていただく。
桑の木管理・蚕の飼育は「塩野村」に任せるが、時々見に行ってあげると喜ばれます。
特典
mark_015,000円相当の生繭タオルのプレゼント。(年間1本の桑の木から飼育した約100頭の蚕の繭で作れる50cmの長さ)尚、2007年収穫のものは「都浅黄色」。
mark_01「織道楽 塩野屋」のお店で直接購入の時、お店の全商品を1割引きにします。
mark_01「塩野村」で収穫した副産物から開発した新商品をモニターサンプルいたします。(繭水化粧水・桑の葉茶・蚕沙痛み止め丸剤など)

桑の木オーナーズ倶楽部 参加申し込み方法
「塩野屋」さんに申し込み書を送ってもらいます。

塩野屋」さんの住所
〒602−8285
京都市上京区千本通一条下ル西側西中筋町十三番地
電話075−461−1995
fax075−461−1997
E-mail ori@shiono-ya.co.jp

「小さな生産・長い消費・意味ある生き方」
ひとりひとりの生き方が集まって社会を形作るのです。まず一人が実行する。そんな姿勢の人が連携して、百人目の生産者と消費者が現れたとき、確かな生産・確かな品質・確かな消費が実現される、と「織道楽 塩野屋」さんは結んでいます。

リポーターの感想
「石炭発掘現場で工夫が、坑道に小鳥を入れた籠をもって入るのは、一酸化炭素中毒の危険をいち早く鳥が知らせてくれるため」と聞いた事があります。
日本農業の農薬漬けが広まるとともに生息できず姿を消した蚕はさながら、坑道の小鳥のようですね。日本の農業の健全な復興・発展は、農薬を使わない葉を食べて絹糸を生み出す健康な蚕の姿が多くみられるかどうかということと重なっているのですね。桑の木のオーナー制度、広げたいです。(山本豊美)

この記事のURLコメント(2) │農林業の助っ人

いろいろあります木のオーナー

2008-02-16 14:49:47

農業の後継者不足の打開や、農村と都会の交流を増やすために全国各地でいろいろな試みが行われています。「木のオーナー制度」という試みについては、森を守るため、子どもたちを対象にした「どんぐりの木のオーナー制度」が都会のデパートで導入されたことがありました。両手にどんぐりの実をいっぱいのせて目を輝かせている子どもたちの写真が印象的でした。
・・・さてあれから数年。森のオーナー制度は定着したのかどうか。
それは今度調べてみることにして、今回は農園で行われている「木のオーナー制度」について取り上げてみました。

当ブログで過去に「桑の木のオーナー制度」のことをお伝えしましたが、その後、山梨日日新聞(1月29日付)で「桃の木のオーナー制度」が導入されたという記事を見ました。また、最近のネット検索で「りんごの木のオーナー募集!」というページにもいくつか出会いました。なにやら森の奥から人のいる農園に出てきましたという感のする「木のオーナー制度」です。農園でのオーナーと農園主との交流は森でのそれよりもさらに滞在しやすく、子どもたちにも大人にも魅力ですね。その内容を覗いてみましょう。

mark_01自分だけの蚕が吐いたシルク糸の肌触りが手に入ります!
○桑の木オーナーズ倶楽部
主催:織道楽 塩野屋(京都)
会費:年間一口10,000円
特典:一口で1本の桑の木のオーナーになれます。年2回換算100頭の蚕を所有。約100個の繭で作ることの出来るシルクハンドタオルが贈られます。倶楽部のいろんな催しに参加できます。
申し込み・問い合わせ:織道楽 塩野屋
〒602−8285京都市上京区千本通り一条通下ル西側西中筋町13番地
電話075−461−1995 fax075−−461−1997

mark_01自分だけの桃の木の下でお花見ができます!
○桃の木オーナー制度
主催:笛吹市(山梨県)
募集期間:2008年2月29日まで。
契約金:1本あたり50,000円
期間:3月〜12月
特典:1本から200〜250個の桃の収穫ができます。4月上旬、桃の花見ができます。摘果や袋掛けなど農作業に参加できます。
管理:桃の農家
申し込み・問い合わせ:笛吹市農林振興課 電話055(262)4111

mark_01自分の名前やメッセージの入った真っ赤なりんご!
○りんごの木のオーナーその1
主催:真田の郷アップル倶楽部(長野県上田市真田町)
りんごの品種:フジ
契約:10,000円コース 15,000円コース 19,000円コース
特典:
10,000円コース・・・最低保証25キログラム
15,000円コース・・・最低保証35キログラム
19,000円コース・・・最低保証50キログラム
りんごの木の選定と袋掛けの時期(7月5日〜19日)に「ブルーベリー」「ラズベリー」の摘み取りが楽しめます。「そば打ち体験」「お焼き作り体験」などに参加できます。その他、10月に「紅玉」のりんご狩りとジャム作り。12月にフジ100%のりんごジュース作りと販売があります。赤く色付く前にテープを貼って字を書くと収穫時、その字が赤いりんごに白く刻印されているようで感動ものですよ。
管理:りんごの農家
申し込み期日:収穫終了まで。それ以降は翌年分の契約となります。
申し込み・問い合わせ:真田の郷アップル倶楽部 
電話番号はわかりません。「真田の郷アップル」で検索するとホームページにたどり着きますので、是非そこから。

○りんごの木のオーナーその2
主催:ふれあい果樹園(岩手県)
契約:1本12,000円 1年ごと。
特典:「さんさ」「紅玉」「王林」「ふじ」「Mix」とりんごの種類が選べます。春のお花見、秋の収穫に参加できます。
*オーナー10人につき、1本のりんごの木を農園が施設の心身に障ガイを持つ子どもたちに開放。10人のオーナーのお名前で収穫を楽しんでいただきます。
申し込み・問い合わせ:ふれあい果樹園
〒020−0842岩手県盛岡市湯沢5−15 
電話019−638−4678

○りんごの木のオーナーその3
主催:安曇野市穂高総合支所内 安曇野市観光協会
募集期間:3月1日〜4月30日予定本数になり次第終了。
契約:年間にりんごの木1本20,000円 
特典:「サンふじ」150個保証。開園式(5月25日)に自分のりんごの木選定。収穫時ほか、年間を通じて農作業に参加できます。
申し込み・問い合わせ:安曇野市産業観光部商工観光課 観光振興係
〒395−8192安曇野市三郷明盛4810-1
電話0263−77−3111 fax0263−77−6060

以上は比較表ではないので、募集期間が書かれていないところなど、まちまちな記載になってしまいました。詳しく知りたい方は、末尾につけたお問い合わせ先へ。ネットで見ますとりんごの木のオーナーは各地にまだまだありそうな気配です。私としては桃の木も魅力ですが・・・。それと桑の木も・・・。どれも頑張って欲しい。木のオーナー様たちは頼もしい農園の助っ人ですね。(山本豊美)

この記事のURLコメント(0) │農林業の助っ人

お膳に戻ろう

2008-01-30 05:16:39

以前このブログでご紹介しました「NPO法人えがおつなげて」が来る2月16日に「全国箱膳食育ネットワークシンポジウム」を開催します。

「箱膳て?」と首を傾げる人が多いのでは?私も見たことはありませんが、読んで名のとおり四角い箱型のお膳のことです。お膳といえば普通私たちは日本旅館でのお食事や、割烹で黒い足のついた会席膳に親しんでいますね。地域によっては持ち運びの必要から箱型のお膳にしたのかも知れません。お膳は、畳の広い部屋で大勢が会食する機会が日常的だった昔は家庭でも使われていたものですが、今家庭で使われることはまずないでしょう。「えがおつなげて」が箱膳に着目したのは、木箱を使うことで木の需要を増やそうということと、昔のお膳に盛り込まれた料理の中身です。メタボリックシンドロームが広がり、食の乱れは目を覆うばかりの今の日本。昔ながらの日本食のよさを見直そうというものです。

「一汁三菜」という言葉があります。昔の日本では普通、お膳に載るものは一汁三菜だったのです。味噌汁・野菜の煮物・漬物。そこにお魚があればご馳走でした。それでご飯をいただく。
お母さんが家族みんなのために、家族それぞれの体の状態を思い浮かべながら、それぞれのお膳に適量を盛り付けて供するもの。家庭でお膳を使った時代は、一家の主婦が家族の健康を把握し、管理していた時代であったともいえましょう。今、食育が叫ばれ、食育の学習現場で、3つのお皿が並べられ、栄養バランスに留意した食事の配膳が披露されるのも、もともと日本に当たり前にあったお膳の上の「一汁三菜」方式をなぞっていることなのではないでしょうか。
生活様式が西洋化し、普通の家は椅子に座ってテーブルで食事をするので、お膳を各自の目の前に並べる生活様式は復活しないにしても、3つづつお皿を並べて盛り付けて、お行儀よく食べ残さないようにするといった生活習慣は再び日本人の中に広がっていくとよいですね。

以下「NPO法人えがおつなげて」のホームページより抜粋
ーーすでに全国各地で箱膳体験イベントを重ね、一歩一歩ネットワーク化を図ってきましたが、今後より一層その輪を広げるため、この度「第一回全国箱膳食育ネットワークシンポジウム」を行うことになりました。箱膳の歴史や作法などについて、そして箱膳食育ネットワーク事業の活動内容やその目的を細かくご紹介していきます。この機会に地域で食育活動を行っている方、食に興味を持っている方はぜひふるってご参加ください。−−

「第一回箱膳食育ネットワークシンポジウム」
日時:2008年2月16日(土)13:00〜15:00
場所:明治神宮 参集殿
定員:300名
参加費:無料

「NPO法人えがおつなげて」が提唱する「日本に帰ろう」という言葉。いいですねえ。「箱膳食育ネットワーク」の取り組みでまた一歩、帰る日本の郷土が明るくなる気がします。
尚、「NPO法人えがおつなげて」のホームページに入るには「えがおつなげて」で検索すれば入ることが出来ます。(山本豊美)

この記事のURLコメント(4) │農林業の助っ人

桑の木のオーナーになろう

2008-01-13 03:34:44

2008年の幕開けです。私は暖かなお正月を過ごしました。
お正月中、よく食べよく飲みました。メタボな体が気になり、少し運動をしようと、家の付近の街路を散歩しました。
真冬なのに、街路樹のメープルの葉が枯れて茶色になっていてもなかなか地面に落ちていません。キレイな風景には見えず悲しい気持ちになりました。地球温暖化のせいでしょうか・・・。
お正月のテレビ番組でも一番印象に残ったのは地球温暖化の深刻さを訴える番組でした。

地球温暖化の問題を語るのによく例え話としてもち出されるのが「茹で蛙」の話。
ーーーカエルを水に入れて茹でる。水が徐々に暖かくなっていくので、カエルは「まだ大丈夫かな・・・?」と思っていて飛び出す時期を迷っている。そのうちにほんとに熱くなってきたとき、そのときにはもう体が茹でられて飛び出す力も残っていない。ーーー
そんなかわいそうなカエルの話です。「まだ地球は大丈夫さ」と従来の大量生産・大量消費の慣習に胡坐をかいている人間への警告なのです。真冬なのに生ぬるい空気を吸っていると、茹でられていくカエルが自分なのだと思えて怖くなります。「生ぬるいのは怖い!」

さあ、今年は当ブログ「農業・地場産業の助っ人になろう」も今までの生ぬるさを吹っ切って地球を少しでも冷やす力を出すぞ!と決意しました。改めて、皆様どうぞ今年もよろしくお願いします。

さて今回、新たな幕開けの時にふさわしい、ステキな情報をお伝えします。「桑の樹のオーナー制度」の話題です。去年の暮れに「野蚕広報センター」の中塚広志さんから送られてきた情報です。中塚さんのお便りから引用しますと
ーーー「桑の木のオーナーズ倶楽部発足」1本10,000円でオーナーになってもらうと、成木1本で蚕100頭(年2回換算)を飼育でき、100個の繭が採集できるため、それでつくることができるシルクタオルをプレゼントする。ほかにもいろんな催しに参加できる。といった仕組みです。京都の塩野屋さんが取り組んでいるプロジェクトです。
同社は、シルク製品はこれから「農業的発想」が大事だと、桑の栽培からはじめ、製品作り、販売を一貫体制で推進しようと取り組んでいる模様です。桑畑の構想は07年3月にスタートし、すでに700本の桑の木が育っているそうです。この桑からの製品作りを拡充するため「オーナー制度」を採用した模様です。ーーー

中塚さんが塩野屋さんのホームページアドレスも載せてくれていたので、私ものぞいて見ました。件の「桑の木オーナーズ倶楽部」の箇所だけでなく、全体に大変ステキなホームページでしたので、皆さんも是非覗いてみてください。
塩野屋さん http://www.shiono-ya.co.jp

桑の木のオーナーになることも楽しいですが、私は塩野屋さんの催しに興味がわきます。お店は京都にありますが、東京のデパートなどでもいろいろな催しを行っているようで、着物や絹の愛好者には有名なお店なのですね。

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写真は私が2007年5月に市川三郷町で撮影した桑畑。(塩野屋さんの桑畑とは関係ありません)

シルクの話題で思い出したのが、1月10日のNHKの夕方の山梨版のニュース番組の中で「桑都 八王子」を取り上げていました。沢井栄一郎さんという87歳の手織りの名人が登場して驚きました。手織りをするのは女性が一般的だと思っていたので・・・。そういえば奄美大島に行ったとき、そこでの泥染めや手織りは男性も女性も携わっていたという話を聞きました。本土でも男性の織り手がいて不思議はないデスよね。その番組で、八王子にまだ養蚕業を営む人がいるということもわかり、うれしくなりました。37歳と若い長田誠一さん。長田さんの桑畑や作業風景。ご家族の横顔。そして奥さんの晶さんの作った桑の実ジャムや桑の葉茶も登場して、見ていてほんと、「桑の文化は消えていない」とつくづく思いました。

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写真は2007年5月市川三郷町で。桑の葉と桑の実。秋にはこの実も赤紫色に熟して食べられるようになるのです。

ニュースで、そんな様子を見ていたとき、ひらめきました!『養蚕農家でなくとも、1本の桑の木を自分が所有していたら・・・桑の実ジャムも桑の葉茶も自分で作れるのだ!』・・・う〜ん・・・『よ〜し!オーナーになろう!桑の木のオーナーに!』と決めた私です。

塩野屋さんがスタートさせた「桑の木のオーナー制度」。好評のようです。こうした取り組みが八王子や山梨県内の養蚕農家の人たちをさらに元気にしていく要素となればいいですね。
これからも「桑の木オーナー倶楽部」の活躍を追いながら、お伝えしていきたいと思います。(山本豊美)

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日本の遺産。甲斐絹を追って。その二

2007-11-27 10:48:59

前回は「山梨県富士工業技術センター」の五十嵐哲也さんに甲斐絹の名品を見せていただきながらレクチャーを受けたことを報告いたしました。
今回は甲斐絹の真髄「ほぐし織り」の生産現場を見学させていただいた内容を報告します。
山梨県郡内(ぐんない)の甲斐絹産業は、甲斐絹の最盛期から現在に至るまでの歴史で、もともと都留が生産・流通の中心だったのが、しだいに富士吉田へと移っていったそうです。
五十嵐さんの案内で富士吉田市小明見にある「舟久保織物」さんの工場を見学しました。
舟久保勝さんはここの3代目のご主人。昔から織物工場は家族経営が主です。32年前からの機械も現役で活躍しています。

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柄を染め上げた経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を織り込んでいく。これは傘の生地を織る過程。

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柔らかな柄の輪郭線は「ほぐし織り」ならではの特徴です。



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舟久保さんの工場で織られた布が骨つけ専門の工場に送られ、出来上がった洋傘。

ここで作られるのは「ほぐし織り」の洋傘とネクタイ。ネクタイの図柄などはアイデアをパソコンのフロッピーに入れ込むと、30分で織りあがってしまうのだとか。


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「ほぐし織り」は「まだまだ工夫の余地があり面白い世界です」と語る舟久保さん。


五十嵐さんらとアイデアを出し合い、世界に売れる日本の洋傘を作り出そうとしています。
世界に売れる傘とは、伝統の絵柄を取り入れることももちろんですが、富士山を斬新にデザインしたものを作ったりしています。私はここに「浮世絵」の「東海道五十三次」の富士山の画を連想してわくわくしました。
でも「浮世絵」の絵柄そのままの富士山ではなかったようでした。企業秘密もあることから、アイデアをここに紹介することは出来ませんが。

工場は、昔と違って今は、特に忙しい時期というものはないのだそうです。政府が音頭を取った「クールビズ」の普及でネクタイの需要が減ったことも関係あるそうです。

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織り糸は傘に使われるポリエステルは国産。


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生糸は中国産が使われています。

甲斐絹にルーツをもつ昔からの製法を受け継ぎ、そこにどんどん新しいアイデアや製法を加えて生産の現場を守る舟久保さん。仲間の郡内の織物生産者たち。

最近起こっている動きとして、日本製の生糸(それも甲斐の国の)を使用した甲斐絹の製品を作ろうという動きがあることを、五十嵐さんのレクチャーから伺っていました。
舟久保さんたちの頭の中にあるいろんなアイデアがヒット商品を生み出し、それによって、それに喚起されて、日本の生糸の生産が復興する日がいつか必ずやってくる気がしました。

世界中に日本の遺産「甲斐絹」の素晴らしさを広めたい!まずは私たちから甲斐絹にルーツをもつ甲斐の国の織物を暮らしに取り入れていく贅沢をちょっとやることでその後押しになると思います。
パルシステムでも時々取り扱かう「モンブランヤマグチ」さんの「ほぐし織り洋傘」。以前このブログでもお伝えしましたね。
9月21日付けのブログ
。あのときは「モンブランヤマグチ」さんのブログに載っている傘があまりにきれいだったので、「素敵なマイ傘欲しいな!」ってただ夢中でした。でも今回自分で生産現場を取材してみて、複雑で丁寧な幾つもの行程を経て作られている事に驚嘆し、さらには、日本の誇る「浮世絵」の美を受け継いだものであること、日本人の美意識に感じ入りました。
美しいもの手にし、美しい伝統を守る。そんな暮らし方、していきたいですね。(山本豊美)

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雑穀づくりでふるさと再生

2007-10-23 01:55:34

10月14日、「第16回西原(さいはら)ふるさと祭り」で賑わっている上野原市西原(さいはら)に行って来ました。
ここに設けられた「体験広場」や「味の広場」「展示の広場」などでひときわ存在感を示している「森のココペリ」。帝京科学大学(上野原市)の学生さんたちを中心とした「森のココペリ」の活動を取材させていただくのが目的でした。「森のココペリ」は現在設立3年目。30名程が在籍し環境教育や森作り活動をしています。

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森のココペリの仲間が「おやき」を販売していました。元気な呼び込みの声もあって、好評。お昼12時頃には完売していました。

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クラフト作りのテントも親子連れで賑わっていました。
西原の森で拾ったどんぐりなどの木の実を使って自由に工作が出来ます。森のココペリのお姉さんやお兄さんがアドバイザーになってくれてます。

「西原ふるさと祭り」は地域おこし(都市と農村の交流)の拠点「羽置の里びりゅう館」を中心に今年は10月13日、14日と行われました。
13日は「前夜祭」で14日が「本祭」。
西原地区の人々だけでなく上野原市内外から大勢詰め掛けるのはなんといっても美味しい「山の幸」を味わえるから。

私がお祭会場入りした11時半ごろには、「ふるさと味の広場」の目玉のひとつ「山菜めし(五目めし)」が早くも完売になっていて、これを目当てに来たらしい、私とほぼ同時に会場に入った女性2人連れが「ああ〜っ、売り切れだってさぁ〜」とがっかりした声をあげていました。
14日一日のお祭りで3000人ぐらいの人が西原に詰めかけ、そろそろ紅葉の始まった山あいの里は年に一度の賑わいを見せたのでした。

さて、私は「展示の広場」に行き、そこで「森のココペリ」の活動のひとつである「西原地区の川の水質検査」の展示や、「地域との交流」の様子などの紹介ビデオ上映コーナーに立って説明をしていた井上雅人君にお会いして、井上君の案内で森のココペリの畑や活動フィールドを見せていただくことになりました。

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「ココペリ畑」西原(さいはら)地区の、原(はら)という部落に「森のココペリ」が借りている畑があります。
地元の農家から遊休農地を借りて、昔ながらの農法で農薬を使わずに野菜を育てています。西原(さいはら)地区一帯で昔から作られてきた雑穀を、地元農家に指導を受けながら作っています。

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秋蕎麦の花が満開でした。他に小豆と枝豆も実っていました。

「雑穀栽培」といっても、ヒエやアワ・トウモロコシなどのいわゆる「五穀」だけでなく、私たちが普段親しんでいる野菜も栽培されていました。かぼちゃなども作り、収穫された野菜は西原の「野菜直売所」で売ったり、仲間で分け合ったりしているのだそうです。
井上君もたまに直売所の売り場で村の農家の人たちと一緒に立って売り子をしている、という話。学生さんたちがボランティアで耕している畑で「売れる野菜が出来ている」という事実に感動。遊び半分でなく本格的に取り組んでいるのですね。

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豊かな実りに欠かせないのが堆肥。「ココペリ畑」の中には堆肥作りのコーナーもちゃんと作られていました。

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堆肥コーナーの柔らかい土を踏む井上君。堆肥は落ち葉とか栽培した野菜クズを土と混ぜ合わせたもの。ここら辺の土は太古に山が崩れて出来た傾斜地ですから耕すと握りこぶし大の石がごろごろ出てくるそうです。
傾斜地の耕し方にもまずは下から耕すなどの作法があるとの話。傾斜地ですので雨や風で土はどんどん下に流れてしまうので、畝を作るときに下から上に向かって畝を作ると土が下へ行かなくなる。との事。

この畑の1キロ上方にイノシシ防御の柵が設けられていますが、あまり効果はないみたいです。ココペリ畑にもイノシシの足跡が畑に残され、掘り返された跡も・・・。村人と交流する中で、イノシシ対策も協議されますが今のところ「村の人たちは半分諦めていますね」ですと。そういう、村人と共通の痛みを分かち合うところも「森のココペリ」の活動が地についていることの現われでしょう。

「夏場、農作業の合間に畑脇の草地に寝転んで空を見上げていると山鳥の声や風の音など普段耳に入れない音が聞こえて心が澄んでいく感じがします」という井上君の言葉に、「ココペリ畑」に対する思い入れの深さを感じました。

畑から下って民家の並ぶ細道をたどりました。

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方屋川の川べりにある水車小屋。村の人々はこの水車を使って雑穀を粉に加工します。ここで挽いたそば粉で蕎麦を打って提供するお店もあります。また方屋川は、森のココペリが毎月「水質検査」をしている川でもあります。

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西原(さいはら)の方屋川沿い(原の部落)には現在稼動出来る水車が2つ。昔は5機ありましたが今は需要が減って2機になりました。昔は、集落単位で各戸の粉引きの順番を決めて使っていたそうです。

「自給自足で家族数も多かった昔のことですから、粉引きの時期には家族を養う分の粉を挽くには夜っぴて水車を回したらしいです」などというお話が次から次と、若い都会育ちの学生さんの口から出てくるのに驚きをもって聞き入りました。井上君はよほど、村の古老の話をじっくり聞く機会を持ったのでしょう。

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「森のココペリ」代表の夏目暁子(あきこ)さん。帝京科学大学「アニマルサイエンス科」を去年卒業。故郷の埼玉に戻らず、ここ西原に住み着いてしまいました。北都留森林組合に職を得、自身の暮らしが「森をフィールドにした活動」そのまんまな人。

「ココペリ」とはインディアンの神話に出てくる精霊。“幸せを呼ぶ使者”。「私たちもみんなを笑顔にするような存在になりたい」から「森のココペリ」というネーミングにしたのだそうです。

「地域活性」「環境保全」「環境教育」を活動の3本柱に、「農山村と都市」「人と自然」をつなぐ架け橋となっていきたい「森のココペリ」。

夏目さんは、「来年は獣害について重点的に取り組もうと思います。他の活動も継続しながら・・・。」と豊富を語りました。「今、学生たちが主体的に活動を継続していく組織形体を模索中です」と、課題の多いところも率直に話してくださいました。

今回のふるさと祭リの準備・運営の一翼を担ったように、普段から村の活性化の大きな役割を担い、期待されている「森のココペリ」。
どうぞこれから「ココペリ畑」の雑穀が豊かに実り、収入アップにつながり、この努力が結実しますことを。(山本豊美)

この記事のURLコメント(0) │農林業の助っ人

過疎の村で結婚式

2007-10-04 04:15:59

大多摩の紅葉もこれからが本番ですね。JRの「大多摩紅葉まつり」パンフを見ると、小菅村は大多摩のひとつに組み込まれています。JR青梅・五日市線電車で終点「奥多摩駅」まで。そこからバスで「小菅の湯」まで約1時間。小菅村は山梨県にありますが、村の生活圏は東京に親しいといいます。「東京の奥座敷」多摩にあるという意識が強いみたいです。人口1000人に満たない小菅村。

先日、9月29日。小菅村でひとつの結婚式がありました。結婚した二人は小菅村に住みます。
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ちょうど、村の特産の秋蕎麦の花が満開でした。

日本の農村の抱える問題「高齢化と過疎化」を象徴するような村、小菅村に久しぶりの結婚式と、若者の定着。喜びにわくこの日の小菅村をリポートします。

結婚した二人は小菅村で「NPO自然文化誌研究会」事務局長をしている黒澤友彦さんと、栄養士の森田東江(はるえ)さん。
ふたりを結びつけたのは、自然豊かな小菅村での野外教育活動キャンプでした。

友彦さんの出身地は神奈川県海老名市。実家はサラリーマン家庭。農村とは程遠い環境に育ちました。
一方の東江(はるえ)さんは埼玉県大里郡の生まれ育ち。お父さんは公務員の仕事を持ちながら休日は農業を営み、お母さんは老人ホームで介護の仕事に携わっている家庭環境に育ちました。

仕事で小菅村に定住して6年。野外教育キャンプ活動や、雑穀の栽培などに同じNPO仲間や村人と取り組む友彦君の、生まれ育ちは都会でも、今はすっかり「野人」と化した「たくましさ」に東江さんは魅かれたといいます。

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パレード用の着物で。

披露宴に先立ち、13時半から軽トラックに乗って村内パレードして村人に挨拶して回る予定だった新郎新婦。あいにくの雨模様でパレードは中止となりましたが、披露宴会場にふたりを励ましに訪れる村人らは引きもきりません。

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新郎新婦親族顔合わせの会場で、やや緊張の面持ちのふたり。

15時から始まった披露宴。
小菅村の公民館「YLО会館」3階の広間での結婚披露宴が開催されるのは20年ぶりとか。この建物が出来た当事は(約50年前)、幾つもの結婚披露宴が行われていたことでしょうね。村一番の大きな建物として人々が集まった屈指の場所だったそうです。

高齢者から赤ん坊まで、村人120名近くが披露宴に参加してくれました。新郎新婦共通の知人若者らが裏方に回って宴を盛り上げます。
お祝いのご馳走は、前日、新婦の栄養士仲間が中心となって手作りしたものが並んでいました。村の郷土料理もお目見えし、村外からの参加者を喜ばせていました。
乾杯の音頭に引き続き料理紹介。小菅村の郷土料理「かまぼこ」と呼ばれているもの。海のない村ですので、海の魚は使われておりません。麩をベースに山菜が入っているようです。でも食感は確かにかまぼこでした。
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郷土料理「かまぼこ」を紹介する、井村さん。
新郎の大学の恩師で、小菅村の「植物と人々の博物館」の設立運営にも深く関わっています。

司会者や、仲新郎新婦の介添え役も皆新郎新婦の共通の仲間でした。

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村の古老の採ってきた山の幸、アケビもテーブルを彩り、山奥の村ならではの宴席ですね。

この結婚披露宴に先立つ8月1日に、ふたりは結婚の届けを役場に出しました。それからふたりの小菅村定着の準備が徐々に進められてきました。小菅村の村営住宅に空き家があり、入居することが決まったそうです。また小菅村には定住する若者を応援する「小菅村若者定住促進の奨励制度」があります。その中には「結婚祝金」や「出産祝金」など、定住する2人にうれしい措置が含まれています。

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笑顔の2人を村が応援しています。

小菅村村長の広瀬さんが新郎新婦に祝辞を述べ「村の活性化に一役買ってもらいたい」と言い添えたのが印象的でした。

東京都民の飲み水の源流域、小菅村。他所から来た若者が村に定住し、結婚をした。この事例が、これからますます小菅村への若者の流入を招く呼び水となってくれると良いですね。(山本豊美)

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続・ワイルドシルクフェスタ

2007-09-17 22:16:33

9月12日にお伝えしました「ワイルドシルクフェスタ」のリポート続編です。今回は文章ばかりになりますが。

9月9日の会場で農学博士長島孝行さんと出会いました。言葉を交わすチャンスもあったのですが、会場内の展示物の面白さに頭がいっぱいになっていた私は、博士にワイルドシルクについての学術的なお話を伺うなどの余裕はなく、傍らに置かれていた博士の著書を買って帰りました。その本を読んでの感想です。

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まず長島先生の本から引用させていただきます。

ーーー「シルクのふるさとが世界遺産になる!?」
2007年の1月、文化庁は世界遺産として「富岡製糸場と絹産業遺産群」を追加申請しました。富岡製糸場(1872年〜1987年)は、明治のはじめに政府が近代化のために設置した最初の工場で、日本の養蚕・絹織物の発展に欠かせない存在でした。そして最盛期には1000人もの女工を抱える大工場であり、「殖産工業」を謳った近代日本の産業遺産であったのです。
常々、私は「日本の養蚕をなくしてしまったら、世界に誇れるものがまたひとつなくなってしまう。群馬ならでは、富岡ならではのものを押し出すべき」と訴えてきたのですが、今こそがまさにそのタイミングだと思っています。では「富岡ならではのもの」とは何か?やはりそれはシルクをおいて他にはない。第5章の「食」のページにてもお話しますが、シルクは食品としても非常に優秀です。富岡産の繭を絹たんぱく液にし、飲むこんにゃくゼリーやまんじゅう、うどん、せんべい、パンなどに混ぜたものを「富岡ブランド」として発信し、どんどんアピールしていけたら、と考えています。−−−

長島孝行博士は2007年6月の「富岡のシルク産業を考えるシンポジウム」にパネリストとして参加し、そのとき富岡市長さんにも提言を出していらっしゃいます。

この文章を読んで私が考えたのは、まず「富岡製糸場が世界遺産になるなら、長野県岡谷市だって世界遺産だろう!?」ということです。
長島先生の文章の主旨とズレますが・・・。

大竹しのぶの名演が涙を誘った映画「ああ野麦峠」の原作本「女工哀史」に出てくるうら若い糸取りの女工たちは、岡谷の製糸工場で働いていたのですから・・・。私が長野県岡谷市と近い諏訪市の生まれ育ちということもあり、地元びいきでしょうが、私は「製糸といえば岡谷だ!」とこの数十年信じて生きてきたのです。

「富岡製糸場」は確かに政府が最初に作ったものだし、私の小さい頃の社会科の教科書にも写真が載っていた記憶があります。ですから、日本の国の位置づけとしては、「製糸で栄えた近代日本の基礎は、富岡にあり」で正しいでしょう。そこで富岡を文化庁が世界遺産にしたいと思ったのは無理からぬことでしょう。

でも私が言いたいのは「製糸工場が明治政府の繁栄を支えた、ひいては日本のその後の運命を決めた」というわけで重要というのなら、製糸工場及び製糸関連のもの、場所すべてを日本の遺産、宝物として位置づければよい!ということです。

まずは富岡で、長島博士の提言したことを取り入れていろんなブランドを発信してくだされば素敵です。
日本の宝物、シルクを(昔のような製糸一辺倒でなく、食品とか医療品とマルチな分野で)見直し、活用していこうよ!と。

次にそれを、日本中の養蚕の盛んだった地域が参考にして取り入れていけばいいのに、と思うのです。地域ブランド開発もいいけれど、日本の国の規模でシルクの復興を図る!というのはどうでしょう。

群馬県富岡で、長野県で、そうそう、山梨県でも、天蚕の盛んだった市川三郷町、郡内織物の栄えた富士吉田市、都留市といった郡内地域!まだまだありますよね!日本中にシルクの遺産の地域と言える場所は。

9月15日だったかしら、NHKの朝のニュースで福島県の川俣町が登場しました。福島県もかつて養蚕が盛んな地域だったそうです。
今でも160軒が養蚕を続けているという話。(もしかしたら日本で一番養蚕が残っている地域ではないでしょうか?)
昔と違いほとんど機械化されているそうです。
その一軒、佐藤さん宅では30万匹の蚕を飼い、したがって30万個の繭を作る!
その数字を聞いて、びっくりしました!昔の家内生産現場と違い30万という数字は、工場の規模ではないでしょうか!?やはり機械化の強みですね。

でもそんなことより何より、今でも養蚕農家が健在であるというニュースが素直に嬉しかった。

テレビ画面に映った蚕の繭作りの様子やその音は、「手作業」から「機械作業」へという人間の側の事情の移り変わりにに関係なく、太古からの人と昆虫の共生の営みが思われて、感動をがわきました。
養蚕農家の佐藤さんの奥さん、洋子さんの、蚕を見るまなざしも昔の養蚕農家の主婦が「お蚕様(おかいこさま)」に注いだまなざしと同じだと感じました。日本の誇る世界遺産を守る人がここにもいる!と思いつつテレビ画面に釘付けになってしまいました。

従来の人と蚕の共同作業から出来上がるシルク(家蚕)と、育つフィールドが山となる山繭のシルク(天蚕)。そして、今回「ワイルドシルクフェスタ」で紹介された蚕の吐く絹糸にとどまらない多種の昆虫の吐く糸、シルク(野蚕)。こんなにシルクのフィールドは広いのです。

長島孝行博士の本を読むと、「日本は資源のない国」なんかじゃあない!と希望がわきましたし、多くの人がこれからシルク産業の復興に加わっても決して持て余しにならない需要が望めると思います。

再び長島博士の著書から引用を。

ーーー本書はシルクについて大きく取り上げています。それは私が10年以上かけて観察して来たことですが、天然繊維の時代が再びやってくることを想定してのことでもあります。
日本では「食」の自給率が40%と低く、大きな問題になっていますが、衣食住の「衣」の部分に関しても、そういった問題がこれから出てくるでしょう。
実際、日本では綿や毛などもほとんど作られていません。世界に誇ってきた絹産業をここまで衰退させてしまった問題は非常に大きいのです。日本の科学技術の中で、シルク生産に関した桑の研究実績、蚕の研究実績、そして絹糸の研究実績は紛れもなくトップです。
だから今からでも間に合う。養蚕業を復活させたいという思いがあります。ーーー
長島孝行著「蚊が脳梗塞を治す!昆虫能力の驚異」というご著書で、世界中のいろんな昆虫のパワーについていろいろ書かれていますが、蚕について多くのページを使われています。
この本は「ワイルドシルクフェスタ」会場でも売っていますのでお出かけの折には是非手にとって見てください。定価800円。

長島孝行博士のプロフィール・・・0955年、埼玉県に生まれる。東京農業大学を卒業後、同大学院農学研究課博士後期過程終了。農学博士。専門は昆虫発生学・解剖学で昆虫機能を研究し、社会に役立てようとする「陰線とテクノロジー」を提唱。2005年の名古屋万博、愛地球博では中部千年共生村の生物力を監修。

今まで一般には「衣食住」の「衣」の部分だけで着目されてきたシルク。「食」の分野でも「住」の分野でも研究が進み、研究結果も活用されていて、「天然繊維野時代が再びやってくる!」と断言する研究者もいるのですね。わくわくしてきました。しばらくシルクから目を離せそうにありません。(山本豊美)

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農は面白いin山梨

2007-06-20 06:27:22

日本の本州が梅雨入り宣言した中、晴天に恵まれた6月17日、山梨県長坂町に「農のいろは塾」取材に出かけてきました。「緑のネットワーク21」の主催する、農の初心者対象に野菜育てのノウハウを始めの一歩から教える「農のいろは塾」。今回は「夏野菜の手入れ」講座です。
場所は長坂町小荒間にある畑。

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ぐるりを見回すと、東に富士山、南に南アルプス、北に八ヶ岳と名だたる名峰が連なる景勝地。耕作放棄地であった畑を「緑のネットワーク21」が借りて耕作しています。200坪の広さの中にいろいろな野菜が植えられています。
当日の講習の手入れや育て方で見て触れた順に挙げると、ジャガイモ・ねぎ・ブロッコリー・カリフラワー・レタス・サニーレタス・ビーツ・ルッコラ・トウモロコシ・トマト・ピーマン・春菊・スイカ・スナックえんどうなど等。まさに百果園です。

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おなじみのサラダ菜。

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珍しい野菜「コールラビ」。コールラビはキャベツの仲間。食べ方は外側を大胆に切り落としてから、ぬか漬けや、スープの具に入れて煮込むと美味しいそうです。

男性17名女性13名合わせて30名の参加者が集まりました。
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今回の参加者は皆さん、長坂町やその近隣の住人ですが、受講生の中には東京・横浜在住の、また同じ山梨県でも車で2時間はかかる富士吉田に住んでいる人もいるということです。

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講師は地元の農家、早川とし子さん。黒いエプロンがけの女性。栽培方法や、害虫の話をしつつ、農作業に手を動かし、矢継ぎ早に飛んでくる質問にも率直に要点抑えた答えを返していました。

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今回の授業は盛りだくさん。ジャガイモの芽カキから始まり、ブロッコリーにかけてある寒冷紗の用い方の説明、トマトの芽カキ、支柱立て、ねぎの土寄せ、サツマイモの苗植え付け。白いんげん豆・とら豆の種まきと続きます。途中休憩があり、ティータームで、ハーブティーや収穫した野菜のサラダ・漬物・煮物などスタッフ手作りの野菜料理を味わうことが出来ます。美味しかった!

ここで学ぶ醍醐味は園芸の手引き本に書かれていないような細かな情報が手に入ること。たとえばトマトの支柱を立てるとき、支柱使う竹の扱い方。

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竹は地面に生えていたとき同様に、根元を下にして立てること。土に差し込む先は斜めに切っておくと刺し易い。
支柱を上で交差させたとき縛る、縛り方等等。アブラムシの駆除方法もスタッフが試みたり、聞いてきたりした方法いくつかを紹介されました。
ほんとに、畑で野菜を目の当たりにして、そこについている虫や病気の状態を見て学べるのが一番です。
「農のいろは塾」は月一回ぐらいのペースで開かれています。どなたもいつでも参加歓迎しています。詳しくは「緑のネットワーク21」のホームページで。畑に興味のある方、是非足を運んでみてはいかがでしょう。(山本豊美)

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天蚕に魅せられて・山梨その2

2007-05-24 23:32:12

5月16日に山梨県市川三郷町で小林貞雄さん(82歳)にお会いして「天蚕(てんさん)」の産業の現状について伺ったお話の続きです。「天蚕」の周辺についてのお話。

四尾連湖(しびれこ)の向こうの山。「蛾ヶ岳」という。

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そこに「蛾(が)」がいる。
「そう、天蚕の蛾だよ。蛾は標高800メートルになるといない。標高500メートルから600メートルの間が生息域だね。山保村は標高560メートルだよ」「自分の子供の頃は、あの山へ燃し木(薪)を取りにいくと、簡単に、枝についた葉の間に緑色の繭を引っ付けた小枝を取ってきたものだよ」「その緑色の繭が天蚕だよ。普通の蚕の繭より大きいよ。8月以降に繭をかけるんだ」。

小林さんは「5月10日に網張りをしてきた」とおっしゃる。先ほど「意欲もなくなったよ」と言いながらも、ちゃんとやっていたのですね。

「網張り」とは天蚕の種を入れること。5月に入れると、メスの産みつけた卵が孵る。木々が芽吹くとき、幼虫になる。幼虫はクヌギ・コナラの葉を食べて大きくなる。幼虫の何割かは小鳥のえさ。生き残るのは1割だろう。

20年前、灯りに寄ってくる蛾を捕獲。調べたがほとんど、ちがう蛾だった。次の年、蛾の王様のような蛾を捕獲した。それが「天蚕」の蛾だった。小林さんが家に保管しておいた「天蚕」の卵と、夜、灯りに集まってきた蛾とを交配させる。

「種は増やした」という小林さん。「でも飼う人がいない」と続ける。
「買う人がいない」の聞き間違えだったかも・・・。
昔は天蚕の繭は1個100円で買いに来た。やがて、「繭では買わない」となった。じゃあ、と糸にした。そうしたらまた買いに来た。が、そのうち糸にしても買いにきてはくれなくなった。

「『民俗産業』なんて言葉が言われたのさ、天蚕に!昭和30年ごろからだねえ・・・。もうあの頃から言われてたのさ。『民俗産業』だから絶やさないようにしよう!なんてね・・・」となんだか寂しい目をする小林さんだった。

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小林さんの家の庭で。

ここら辺で、家で繭を作る「養蚕」業の話から。

・・・・昔(1955年ごろ)の山保村・・・・・
どこの家も現金収入といったら、お蚕(オカイコ)様。競って養蚕業に精出した。したがって、あたり一面桑畑の風景だった。

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こんな桑畑が延々と続いていたのだろう。当時は。

東京から大手の「カネボウ」とか「グンゼ」といった会社が、山保村に直接繭を買いに来た。1貫目1000円〜1万円で売れた。どこの家も300〜400貫目収穫した。

つまり、1955年当時、養蚕業に従事していた農家は、多いところで年400万円も稼いだことになるんですね。当時のお金で!今だったらその10倍と見て4000万円ぐらい収入があつたことになるのでは?!

・・・山保村の現状・・・・・
過疎高齢化の進んでいる山梨県内の村々でも、山保地区はその数値が高い。山梨県内の高齢者の率が45%だとするなら、ここ山保は50%。
村の半数は空き家。あとは一人暮らしか年寄り夫婦が多い。
もとはここらあたりの8つの部落をまとめて山保村と呼んでいた。その頃、小林さんの家の近くにある小学校には400人の子どもたちが通っていたそうだが、今は18人ぐらいか・・・。

桑畑の他には畑で芋・大麦・小麦などを栽培した。現金収入は養蚕業でしか得られなかった。だから桑畑はお金を生み出す畑。
今は桑畑が残っている農家も、高齢で、畑に手を入れる力も残っていないし、また手を入れてみたところで、雀の涙ほどの現金収入にも結びつかない。

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「こんなもの、作るつもりはなかったんだが・・・」と言いながら小林さんが出してきて見せてくれた「天蚕のブローチ」「天蚕のイヤリング」。天蚕の繭を利用した商品。ヒットしなかったみたいだ。

小林さん、「村に若者がいない。出会うのはイノシシばかり」とおっしゃる。「猿は?」と聞くと、「サルの姿は見ない。ここは水が流れていないからね」とおっしゃる。猿は水の(川の)ある近くに集団で棲むのだそうな。やはり人間の祖先らしい生態ですね。

山保地区が昔から米を作ることが出来なかったのも水がなかったからでしょう。今は市川三郷町の町の水道を引いてきているから、生活用水に困ることはありません。

「昨日、山で見つけたよ」と子供のように目を輝かして指差してくれた先は、鳥かごに入れられた小動物。

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なんだかわからなかった。思いつきで、「山ウサギですか?」とつぶやく私に、「そうだよ。山ウサギ」といたずらっぽい目をぱちくりさせて応える小林さん。

山にはまだまだ「未知との遭遇」があるなあ。なんかわくわくしてきました。

「お盆過ぎに山に入って繭を見るから、またそのときおいで」と言われ、思わず強くうなづいていた私でした。

・・・小林さんの話で印象に残ったこと・・・・・
日本全体の養蚕業の衰退の理由は、前回に書いたようないくつかの理由があります。
中国からの安い絹が出回ったこと、後継者が育たなかったこと、などなどです。が、「山梨の養蚕業の衰退」理由には他所にない理由が一つあります。それは、「山梨の養蚕業者(農家)は皆、大手の会社と直につながっていたから、滅びた」という事。
小林さんは「群馬とか、他の県は養蚕生産者は組合を作っていた。『組合製糸』は残っているんだよ。組合はつぶすわけにはいかないからねえ」とおっしゃったのです。

「天蚕」のリポートをするつもりが、帰り道、小林さんの言ったその言葉だけ頭の中で残響を残していたのでした。

「養蚕業」の例から、農業の分野でいろいろな産業が生き残っていくためには、組合を作ったり、何か別の形でも、とにかく生産者が連帯して行くことが大切である。と言うことを示唆されたような気がしました。
最後に小林さんのお話にも出てきた安曇野市に天蚕関係の建物があるので、ホームページを紹介します。
穂高町のホームページも。
三重県いなべ市西藤原小学校では「カイコヤママユだより」を発信していました。
調べてみると結構「天蚕」につながっている人々はいたのです。うれしい限り。
私もこれから絹糸みたいに細いけれど長く途切れず天蚕のこれからをリポートしたいと思います。皆さん、天蚕を応援してくださいね。
(山本豊美)

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天蚕に魅せられて・山梨

2007-05-17 03:44:23

5月16日(水)晴れ。ドライブ日和。山梨県市川三郷町の「山保地区」に向かう。「天蚕(てんさん)に魅せられた人」小林さんに会うために。家を出発し国道20号をひた走ること2時間。甲府市内で市川大門線に入ります。「四尾連湖(しびれこ)」の道標を目標に30分。山保地区に到着しました。「耕して天に至る」という言葉がふっと浮かぶ風景。

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写真真ん中にある建物が小林貞雄さんの家の養蚕場。右の樹の陰に(見えませんが)生糸工場があります。

標高560メートル。山あいの斜面に張り付くようにして集落があります。めざす小林貞雄さんのお宅は山保地区の公民館のすぐ隣にありました。
家の玄関で挨拶すると、すぐに小林さんが出てきて、敷地の一角にある生糸工場に案内してくれました。

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小林さんが山梨県に頼みこみ、県からの助成金で建てたものだとか。現在は稼動していません。工場内を見学させていただきました。

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織機や糸繰り機が並んで置かれています。
奥の倉庫には繭を入れた袋や「てくず」の糸が入った袋がありました。
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一目見てみたいと願っていた「天蚕の糸」も保管の缶から出して見せてくださいました。

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小林さんと天蚕の糸。

緑色の糸。
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光沢が素晴らしい。天蚕の糸で織った布はなかなか染まらないそうです。糸が強いのです。そしてこの糸で刺繍すると他の刺繍糸の中では際立って目立ってしまうそうなのです。つまり輝きが違うということ。相場ではこの糸束一つで4万5千円ぐらいでしょうか・・・。

小林さんの話から〜天蚕の織り物の現状〜

○バイヤー側は「本物の天蚕である」というお墨付きを欲しがる。つまり消費者のブランド志向。(この糸の光沢を見たら一目りょうぜんなのに・・・と私なんかは思うが・・・)一反100万円以上する最高級の絹布なので宝石と同じで鑑定書がなくては・・・ということらしい。
○天蚕は山の中で生育する蛾の繭から作る出すもの。自然条件に左右され、一定した量産は不可能。
○天蚕の織ものは手織り。機械織りは出来ない。
○後継者がいない。昔小林さんのように天蚕の生産に携わっていた村人も高齢で次々にやめていきました。後継者は今のところ無し。小林さんも戦後からずっと60数年、農業を多角的に経営(鶏を飼ってブロイラーを売り、牛を飼って牛乳を売るなど)しながら、傍らで天蚕に携わって来ました。小林さん(82歳)は今でも意気盛んですが、如何せん、独力では・・・。

以上のような諸事情から、ここ山梨の山保地区のみならず今の日本では天蚕業が成り立っていません。ほんのわずかに天蚕を地域の記念物扱いにして学校で理科の学習で飼ったり、資料館で見せているといった形で残されているのです。
大変残念なことではないでしょうか。次回に続きます。(山本豊美)

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多摩源流でキャンプ

2007-05-07 00:25:03

5月3日〜5日に小菅村で行われた「むらまつりキャンプ」に参加してきました。キャンプの中び、5月4日の小菅村の村をあげての大きな行事「多摩源流まつり」に合流するため、「むらまつりキャンプ」と呼ぶのです。3日間ともお天気に恵まれて、新緑の小菅村をとことん楽しむことが出来ました。

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3日午後2時ごろキャンプ場に到着しました。もうテントの設営が始まっていました。

キャンプは「NPO法人自然文化誌研究会」が毎年行っているものです。参加対象は小中学生ですが、大人も歓迎です。今回参加した子供は20名。スタッフはなんと30名!驚きではありませんか!子供一人につき、1.5人のスタッフがつくのです。でもつくといっても常時付き添うわけではありません。それだけの目が注がれている体制がとられているということです。

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キャンプ開会式。「村長」の挨拶も至極あっさり。左の人がキャンプ村「村長」の鈴木さん、もの静かな人です。

このキャンプは基本的に自由。食事の時間も食べたいときに食べればいいし、朝いつまで寝ていても構わない。一日のプログラムはかっちりと組んではありません。お祭りだって、行きたくなければ行かなくて良いのです。

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参加社の連れてきた愛犬ともたっぷりふれあえます。

私はキャンプは子供の頃一度体験して以来何十年ぶりなので緊張しました。子供たちのほうが、リピーターが多いこともあって自然体でした。
私はリポーターとしてというより、ある部分スタッフ、ある部分お客さん(子供たちと同じ立場)、残る部分は小菅村と同じ山梨県の住人であると言うことから、地元のおばさん的感覚でキャンプ地をウロチョロしていました。カメラだけは常に首からぶら下げて。キャンプの素晴らしさを写真でお伝えするほうが確実ですもの。あまりたくさんの写真は載せられませんが。みてください。

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川辺でドラム缶風呂を沸かしていました。水遊びをして冷えた子供たちが体を温めるためでもあり、露天風呂に入りたい人にも、ね。


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木はたくさんあります。なんでも作りたいものを思うままに作る参加者。普段眠っている創意工夫の力全開!


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釣りを始める子もいました。でも釣り針は?えさは?・・・いいよね。釣りの気分だけでも・・・。

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この青い淵を見ていたらどうしたって飛び込みたくなりますよ。でも冷たい水の予感。体がためらっちゃうね。

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楽しみな食事。食べ終わった食器(コッヘル)は、水を入れて洗ってその水を飲む。そしてトイレットペーパーでふき取ってから片付けます。清流につながるキャンプの流し場なので、汚水は流せないから。キャンプの流儀を皆さん心得てました。

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「NPO法人自然文化誌研究会」事務局長のクロちゃんは明日の行程の説明をしたり、子供たちに花札などの昔あそびを教えたり、大忙し。


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夜、笛の音が聞こえてきました。村の家並みから少し離れたキャンプ地に横笛の練習に来た古老2人。明日のお祭りで披露するのですって。リハーサルをそばで聞くことが出来て幸せ。人々が古老を取り巻いて座って、村の伝統についてのお話など、古老の物語をじっと聞き入ったひと時でした。

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子供たち、大学生のお兄さん・お姉さんスタッフが入り混じり熱いトランプゲームが続きます。こんなにたくさんのメンバーでトランプに興じる光景も懐かしい。

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山村でなければちょっと味わえないイノシシ肉のあぶり焼き。思ったより柔らかでした。味付けもグー。

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ここでなければ味わえないものに「やまめの串焼き(塩焼き)」があります。5月4日の「多摩源流まつり」会場では、なんと、2000匹もの串焼きを売ったのです。キャンプのスタッフたち、ここでも村の人たちと交流しながら、やまめ売りの呼び込みしたりして活躍してました。

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2000匹の中身は正確には山女(ヤマメ)と岩魚(イワナ)です。似た大きさなのでどちらがどちらなんだか・・・。でも美味しかったです。お酒があったら最高!

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小菅村は普段人口1000人にも満たない小さな村。「多摩源流まつり」の日には1万人以上もの観光客で賑わいます。だから、村人あげてサービスに余念がありません。お祭り広場に休憩する人々は、あちこちの出店で美味しいものを食べて満足げでした。

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「多摩源流まつり」の夜には勇壮な火の祭典がありました。「山伏参上と日本一のお松焼き」です。この「お松焼き」をみていたら、体の中に蓄積されていたストレスが消えていく。昇華していくのです。ああ、火ってスゴイ!太鼓を打ち鳴らして、気持ちの高揚を更に乗せる演出、噴水もありました。噴水にはライトを当てて色の違う噴水にしてみせるなど、この祭典にはいろいろな工夫が盛り込まれています。そして最後に、打ち上げ花火!ああ、もう言うことはない!このお祭りのとりこです。「来年もきっと来るからね!」

キャンプは翌5日も続きました。昼過ぎ、小菅の温泉に入ってリフレッシュしてから、銘々帰途に着きました。

さて、どうですか?「小菅村のキャンプ、面白そう・・・」と思ったら、夏に同じ場所で予定されているキャンプに是非出かけて見てください。
2つありますよ。

○こすげ冒険学校7/31〜8/5
参加費¥40000ぐらい。
5泊6日の長期キャンプで心身共に野生にかえる!?
○やまめキャンプ8/11〜8/12
参加費¥20000ぐらい。
上記2つのキャンプ、費用は奥多摩駅からの交通費・宿泊費・食費・教材費・保険などが含まれています。お問い合わせは「NPO法人自然文化誌研究会」まで。
(山本豊美)

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山中湖村でエコツーリズム

2007-04-08 00:00:06

3月25日(日)行ってきました山中湖!「山中湖交流プラザきらら」で行われたクラフト教室の取材です。去年7月オープンしたこの施設。山中湖畔の広い公園の中にシアターや、スポーツ施設など含んだ建物が点在しています。広いんです!
クラフト教室は「交流プラザきらら」の管理棟「ハルニレ」で開催していました。

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「きらら」とはいいネーミング!管理棟「ハルニレ」の木造の建物も周囲と溶け合って落ち着きを感じさせます。



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「山中湖交流プラザきらら」は山中湖村が経営。今までにない山中湖村の観光スタイル、エコツーリズムを具現した施設です。
晴れたらアウトドアで楽しめ、雨の日は屋内で手工芸の教室で楽しめます。「・・・せっかくここまで来たのに・・・雨でがっかり」ということがないのです。それに季節も。
どちらかといえば山中湖は夏の避暑地、でした。それが、これからは「♪冬も楽しい山中湖♪」に変わったのです。この「山中湖交流プラザきらら」を拠点にした様々なイベントで。

どんなイベントなのか・・・はあとでゆっくり。
まずは管理棟「ハルニレ」の中で行われている「クラフト教室」を覗いてみましょう。

「山中湖交流プラザきらら」の自然体験部門のイベントを企画運営しているのは「NPO富士山自然学校」にボランティアで働く人々です。「クラフト教室」も彼らが主催しています。

今日は、昨夜山中湖村のペンションに泊まったカナダの学生さんたちが教室に参加していました。

工作の素材は皆、「NPO富士山自然学校」の人たちが山中湖村の森の中から拾い集めてきた木の実や小枝です。あたたかな自然素材。

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外は雨で寒くても「ハルニレ」の中は暖かでした。木のチップを燃やすストーブが燃えて、大きな窓から光が入ってきます。

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「ハルニレ」館をやさしく暖める木のチップを燃やすストーブです。

クラフト教室の生徒たちは黙々とマイ・アート作りに挑戦中。

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机の上には見本作品が置かれていました。題して「森の音楽隊」。でも、生徒さんたちは見本に縛られず、それぞれ自由に造形してました。

「ハルニレ」の建物の中には販売コーナーもあって、体験教室で使うような素材や、製品が売られています。

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このような森の製品のほか、手作り石鹸、皿やお箸などの木工品が展示販売されていました。

1時間でそれぞれの作品が出来上がりました。生徒さんたちの作品が並べられ、鑑賞しあって、笑い声や感嘆の声が響いてます。建物の中を、私はちょっと探訪してみました。

機織(はたおり)体験もできるのですね。

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大きな織機がありました。その傍に小さめの織機が3台並んでいました。
お父さんと子供たちが「クラフト教室」体験している傍らでお母さんが「機織り」体験するなんていいですねえ。
経験したこと無くっても平気!親切に指導してくれるインストラクターの皆さんが揃っています。

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「NPO富士山自然学校」のインストラクターの人たち。皆山中湖村の住人だそうです。

「NPO富士山自然学校」の渡辺代表のお話によると、この「山中湖交流プラザきらら」は3年間の構想・下準備の末に出来上がったもので、山中湖村の動植物(蝶や虫などの昆虫を含め)を一同に集めてある場所なのです。
ここで山中湖村の自然観察がとくと出来るというわけです。

「ハルニレ」の廊下の壁に「植栽図」が飾ってありました。

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はじめ、「何かなあ・・・刺繍した布?」と思って見たら、なんと「きらら」公園内に植えられている木や草花の名前が固有名詞としてその位置にピンで貼り付けられている地図でした。
スゴイ!このようにして公園内の植栽を管理し、育成しているわけですね。

「自然と共生し、循環を作り出す施設にしたかった」と渡辺代表が言った言葉を象徴するかのようなモニュメントが管理棟「ハルニレ」の隣に。
山中湖の水を地下80メートルからくみ上げ循環させている噴水です。豊かな水量です。巨大な蛇口といった感じですね。

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「山中湖交流プラザきらら」で、山中湖村で楽しむエコツーリズムの、全天候型レジャーの一端を紹介しましたが、四季を通じて一年中楽しめるエコツーリズムもすすめていました。

今回私の写真ではご紹介できませんでしたが、冬の「ダイヤモンド富士」と「アイスキャンドル点灯」の組み合わせ。
富士の山頂に乗っかるように太陽が沈む光景を目におさめて、しばらくすると、夕闇の湖岸にキャンドルが星のようにきらきらと輝く光景が現れる、という仕掛け。去年の冬はこの景色を見るツァーに例年の3倍ものお客さんが山中湖村を訪れました。
春は若葉の山の観察や山菜とり、秋はキノコ観察やキノコ汁のご馳走ツァーなど、メニューがいっぱい。あなたも是非、今年は魅力いっぱいの山中湖村でエコツーリズムを体験してみて!

直近のイベント
4月28日:コブシの花と春の自然食材を味わう。
5月:(日時は未定)富士山「幻の滝」
詳細はこちら。
NPO富士山自然学校・BLOGみんなの広場
http://cant.air-nifty.com
またはここまで。
さあ、春から夏へ!みんな、自然の中に出かけよう!!(山本豊美)

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山梨でキューバの都市農業を学ぶ

2007-04-03 20:46:26

3月25日、山梨県北杜市高根町にある古民家「輿水邸」で開催された「シネマ&トーク2007」を取材してきました。

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道の駅南清里に近い住宅地にある輿水邸。豪壮な農家です。

この催しは北杜市で環境にやさしい農的ライフスタイルを追求しているボランティア団体「緑のネットワーク21」が毎年行っているもの。
今年は「ほくと未来ネットワーク」との共催で行われました。「キューバ有機農業の現場から」と題して第1部に映画「Salud!ハバナ」上映。第2部にお話と意見交換の時間ということで、知見邦彦さんの講演と参加者の意見交換が行われました。
映画「Salud!ハバナ」はキューバ都市農業レポートで、井坂泰成さんの監督・撮影・編集によるものです。

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参加者25名ほど。風通しの良い古民家の座敷は寒いのですが、皆じっと座って熱心に学んでいます。

映画は、小林卓也さん、原田寛子さんという日本人の若者がキューバに出かけ、ハバナとその近郊の農業の様子を見聞し、農業を体験している様子を現地の人のインタビューも交えながら記録したものです。
日本にはあまり社会主義国キューバのことは知られていません。でも、10年ほど前から日本で農業に携わっている人々の中に「有機農業大国キューバ」に熱い視線を注ぐ人たちが増えてきました。

不肖私、リポーター山本も10年前、1999年に生協の仕事でキューバに出かけ、首都ハバナを中心に国内あちこち見聞し、特にコーヒー農園を訪問し農業者たちと交流してきました。
そのツァーの途上、首都ハバナの町の一角で、たまたま日本の農業者たちのグループとばったり出会ったことがありました。彼らは、私たちの生協で取引させていただいている、日本でも有数のパワーのある農業者たちだったので、私たちは異国の土地で、見知った顔に出会った喜びもあり、彼らにしばし合流し、日本人同士で盛り上がった時間を過ごしたのでした。

話が横道にそれましたが、そんなことで、日本の農業者がなぜキューバに熱い視線を注ぎ、何を学ぼうとしているのか、10年前のおぼろげな自分の記憶をつなぎ合わせながら、その問いの答えを今回の映画の中に、また続く講演のお話の中に見出そうと思いました。

なぜ日本人が(農業者だけでない)キューバに熱い視線を送るのか?
答え=いくつかありますが、まず、キューバは世界で1、2位を争う食料自給国であるということがあげられます。
亜熱帯で土地が痩せている。砂糖きびやタバコ栽培が主な産業で、長いことスペインやアメリカの植民地で、自国の農業で自国の人が食いつなぐなどの歴史が無かったのに、いまや世界に冠たる食料自給国になったことはスゴイ!と思われるのです。
また、50年近く大国アメリカの経済封鎖などの制裁に耐え続け、世界で独自の路線を貫いている国の強さに感動をおぼえる人もいます。

日本の農業者はキューバ農業の何を学びたいのか?

答え=いくつかあるようですが、まず、キューバでは農業者が他の職業と比較して、豊かな収入が得られるからです。
社会主義国キューバですから、どの職業についても、それほど収入に隔たりはないようですが・・・。
日本ではまず「専業農家で食っていくのは大変」というのが常識ですから。日本の農業者から見れば安定した暮らしの保証されるキューバ農業、キューバの国策に関心が行くのは当然ですね。

それと、キューバは自然農薬の研究開発の先進国であること。自然農法に関心のある人には逃せませんね。

10年前にキューバを訪問したときに現地で出会った日本のりんご生産者の方も「“ニーム”という防虫自然農薬に関心が沸いた」と言っていました。有機堆肥もキューバではミミズの糞を主に、いろいろ開発されているようです。

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熱い国キューバの学習会なのに、私の寒い体は、横の部屋に燃えている囲炉裏の火を恋しがっていました。


知見邦彦さん(農林業環境問題研究会理事)のお話は、前段に上映された映画の補足説明にとどまらず「キューバとネパールで持続的農業を考える」という地球的規模のテーマでのお話でした。

お話の中で何回も出てきた言葉は「オルガノポ二コ」。
キューバの都市農業では、土が雨などで流れてしまわないように、板やスレートなどで囲った畑を作ります。日本でも自宅ベランダや庭に魚屋さんからもらってきた発泡スチロールの四角い箱を置いてそこに土を入れて野菜や花を栽培している光景を良く見かけますね。それをもっと大きな規模にしたものと考えればいいでしょう。
「オルガノポニコ」はこれから、日本でも定年後、趣味で農業をしたいとお考えの方に参考になるキーワードかもしれません。

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輿水邸の土間から上がりはなにある浴室。レトロな外装に私はうっとり。「何でこんな上がりはなに浴室を作ったのか不思議でねえ・・・」とは、現当主輿水順彦(こしみず よしひこ)さんの話。

参加者の意見交換の時間には、高根町で農業を営んでいる生産者何人かが発言しました。
日本の「有機認証制度」の問題点・・・日本農業の実態との乖離・・・など、厳しい現場からの声が聞こえてきます。
自分と同じ時期に、農業への志をもってはじめた農業者仲間が、「農では食べていけない」と次々離農していく姿を見てきたという農業者の発言もありました。

でも、最後に司会の角野さん(高根町の農業者)が〆た言葉が印象的でした。「農業で食っていくのはギリギリだ。だけど、自分の体、家族の体を守るために、『日本の土に変なもの(化学農薬など)は入れられない!』という思いで作っている」「日本の土で作る事に意味があるんだ!」という言葉!
素晴らしい農業者です!熱い感動に満たされて高根町をあとにしました。(山本豊美)

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伝統業の人のこぼれ話

2007-03-20 05:01:42

今回は「暮らしの知恵」です。取材時の「こぼればなし」をいくつか。前回の「山梨のイチゴ」の記事に登場の荒川さんのお話から。
漆(ウルシ)にかぶれた時どうする?

先人から教わった対処法としては
1、海の塩を風呂に入れ、その湯に2回〜3回(2日〜3日ということ)浸る。
2、沢蟹を捕まえてつぶし、その汁をカブレタ患部に塗る。
というものだそうです。

「海の塩」と聞いて思いだしたのは次の話。

知人で皮膚に痒みの出るアレルギー症状に悩まされている人が言っていました。「夏は必ず1回は海水浴に行くことにしている。そうしないと冬、皮膚の痒さがひどくなるから」と。これもウルシのかぶれに利く「海の塩」の効能と共通するものがあるのかもしれませんね。

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写真は山本所有の海水を原料にした塩です。

「沢蟹をつぶして、その汁を塗る」については、簡単に沢蟹を捕まえられる環境にいないと出来ませんね。が、ウルシにかぶれるということは、山に入ってたまたまウルシの木に触ってしまったりした時の場合が多いから、そんな時には近くの渓流に行ってみて、沢蟹を見つけたら試して見る、という風に覚えておきましょう。

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写真は、山本所有の沢蟹の剥製。3ヶ月ほど前の宴会料理に出された沢蟹の姿焼きを持ち帰って飾っておいたもの。スケッチしようかな・・・と思って。なんか捨てがたくてね・・・。

漆は何代にもわたって伝わる。
ちなみに、荒川さんは、コープやまなしの組合員さんたちと、イチゴの生産者としての顔だけでなく、漆工芸の作家としての顔でも交流したいと思っているのです。組合員さんの親子向けに、漆ぬりのお箸作り教室でもひらきたいなあ・・・とか。「漆の器って代々続いていくモノなのですよ」と荒川さん。「お母さんが使っていたお椀を、お母さんが亡くなって、思い出に飾っておきたい、あるいは、自分が受け継いで使いたい、といった気持ちの時、漆職人さんの所に持って行ってください。塗りなおしてくれます。そうするとその器がまた美しくよみがえるのです」と目を輝かせておっしゃいました。

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写真は漆塗りの菓子鉢(これは荒川さんの作ではありません。山本所有のものです)

荒川さんの漆工房にも今度お邪魔してみようと思います。そのときをお楽しみに。(山本豊美)

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山梨のいちご

2007-03-12 00:01:42

3月8日山梨県韮崎市でイチゴ生産者の荒川さんと交流する集まりを取材してきました。生活協同組合コープやまなし組合員で、荒川さんのイチゴのファンが集まって、生産者のお話を聞き、質疑応答をしてイチゴについての知識を深めました。

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その後イチゴのロールケーキを作って試食しました。イチゴの香り漂う中、荒川さんととてもスウィートな時間を持つことができ、参加者みんなしあわせムード。

荒川さんは東京出身。

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山梨県に転居してきて漆職人として働く傍ら、ある日、わが子がイチゴを食べるときの幸せそうな顔を見て「安心安全で美味しいイチゴを作ってやろう」と決心!試行錯誤で、イチゴ栽培に取り組み6年経ちました。

コープやまなし組合員の粕川さんとの出会いが、コープやまなしを通してイチゴを産直販売するようになったきっかけでした。たまたま荒川さんのイチゴを食べた粕川さんはその美味しさに感動して、仲間に教えました。そうして荒川さんのイチゴファンは増えて行き、生協コープやまなしで取り扱いを求める声につながったのです。

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写真右が粕川さん。

「最近山梨のイチゴ狩りに大勢来るけど何で山梨なの?」という質問に、
「生産者がうまく輪になったから」と荒川さん。生産者有志が連携して、大勢のイチゴ狩り客に対応出来る体制を作ったからだといいます。

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ちなみに荒川さんの農園ではイチゴ狩りをしていません。イチゴ狩り客に対応するためには「アキヒメ」という品種が広さにして1反歩以上栽培されていないとダメ。荒川さんの所では、今900坪で、半分は「トチオトメ」という品種を栽培しているからだそうです。

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さて、イチゴの試食。
<イチゴの美味しい食べ方>
その一、買ってきたら平温で保管。食べる1時間前に冷蔵庫で冷やす。

その二、イチゴについているヘタ(葉っぱ)を取ったら、そちらから口に入れる。イチゴは先端に甘味が凝縮しているので、甘くないヘタから食べると最後に甘味を味わえてグー!

イチゴの品種。一見しただけでわかる人は少ないでしょう。

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写真のイチゴたち。ヘタを上に向けている3個とも「アキヒメ」です。
ヘタを下にしている3個のうち、右2個が「トヨヒメ」で、左のが「トチオトメ」です。味は・・・どれも美味しいとしか・・・私には・・・。

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イチゴ苗もプランターに入れて持ってきて展示してくれました。最近、水耕栽培とか、イチゴ狩りをしやすくするため高い場所にイチゴ苗を並べて育てているなどの農法があります。が、「なるべく土に近く、地べたで育ててやるのがイチゴにとってはうれしいのではないかなあ・・・」と荒川さんは言います。

質疑応答の後、イチゴのロールケーキ作りに挑戦。

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スポンジも上手に焼けています。
後は生クリームにイチゴを入れてスポンジで巻くだけ!出来上がりました。

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思わず笑顔こぼれる試食タイム。

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荒川さんは学習会の終わりに、「この地球温暖化が一番身に応えているのは農業者です」と真剣な顔で訴えました。
果物や野菜の生育に異変が生じている。生産者は収穫した野菜等を売って生計を立てている。その野菜等が、気候の変動によって作れなくなってしまう。
地球温暖化をすぐには食い止められなくても、皆で力を合わせれば、足踏み状態にとどめ置くことは出来るかも知れない。
「どうか、そんなことも念頭において、私たち生産者を見守ってください」とお願いしました。

組合員の皆さん、しっかりうなづいてましたよ。生産者の思いは届くでしょう。

イチゴ狩りはやっていない荒川さんですが、サクランボ農園の方ではサクランボ狩りok とのこと。サクランボの時期(5月後半)には、是非山梨へ。

ちなみに荒川さんの農園に問い合わせるには、まず、コープやまなしへ電話してからにしてね。お問い合わせ先:055−243−6340コープやまなし組合員活動事務局まで。
(山本豊美)

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山梨で農林業の今を見る

2007-03-05 20:30:38

山梨県の農林業、地場産業を知りたいあなたに、県内の元気な活動団体を紹介します。

まずは山梨県東部から
小菅村NPO法人自然文化誌研究会

小菅村エコセラピー研究所

北都留森林組合

大月森つくり会
ここはまだホームページやブログは出来ていません。桂川・相模川流域協議会の活動と連動しているところがありますので、そちらを参照に。
桂川・相模川流域協議会

山梨県中央部には
サラダボウル

山梨県北西部には
えがおつなげて
緑のネットワーク

などがあります。(山本豊美)

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山梨県小菅村の伝統食づくり

2007-03-05 05:00:34

寒気がやわらいできた今の時期、味噌の仕込みの時期到来です。
3月3〜4日、山梨県小菅村で行われた味噌作りを体験してきました。小菅村で活動展開する「NPO法人自然文化誌研究会」主催事業で「小菅村郷土食連続講座4」と銘うってます。

味噌作り講座の講師は、小菅村で養魚場を営む木下さんの奥さん、純子さん。教室も木下さんの家の庭。
13:30 大豆を煮始めました。大豆10キロ。一晩水に漬けてあります。

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今年の小菅村では大豆が不作だったため、大豆は北海道産の豆。

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小菅村の多くの家庭では、味噌作りをするのに使う大豆は12キロ以上が普通とのことですが、木下さんの家は夫婦2人暮らしなので、10キロもあれば1年分足りるとの話。今回仕込んだ味噌は1年後、参加会員さんに分量渡されます。
天気に恵まれたこの日、屋外での火炊きには好条件でした。

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薪割りも体験したりして。

カマドに火をおこすのがなかなか大変。煙が目にしみる。

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2月末から3月にかけて味噌を仕込む理由は、「冷たい引き締まった水を使うと味が良いということや、暖かくなると蚊やハエのような昆虫類が活動し始めるから寒いうちにするのだと思う」(純子さんの談)ということです。

今回、味噌作りと並行して、こんにゃく作りにも挑戦しました。

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大豆が煮える間にもう一つのカマドで、こんにゃく芋を煮ました。
こんにゃく作りは、生芋をすりおろしてから水を加え火にかける方法と、芋を煮てからすりつぶして水を加える方法と2つあるようですが、今回は、後者のやり方で。

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1時間ほどして柔らかくなった芋を取り出し、皮をむきます。指先が熱いです!

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臼に芋を入れて杵でつぶします。差し水しながら。次にアルカリ性の液(炭酸ソーダ)を入れ混ぜます。
こんにゃくらしく、灰色で透き通った感じになります。

次に手でおむすび大に固めて、炭酸ソーダを塗った手の中で転がすと表面がつるつるになります。それを沸騰させたお湯の中にいれ20分ほど煮ます。そして、掬い上げて冷水の中に入れ、冷まします。

こんにゃくが出来上がりました。ねぎや鰹節、一味唐辛子などの薬味をかけ、お醤油で「いただきま〜す」。

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一方の大豆のお釜では、表面に泡が浮かんできました。丁寧に泡をすくって取り除きます。カマドに火をつけて3時間。

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この日は、豆の煮汁に浮いてくる泡をすくいとる段階で夕方に・・・。
近所のお母さんたちが通りがかりに声をかけてくれます。「いつから煮はじめた?ああ、じゃあまだだね。明日も煮なきゃアね」と。

翌4日も晴れ・木下さん家の庭に集まり、朝からまた火をおこして煮ました。味噌作りの豆の柔らかさは、煮た豆を親指と小指ではさんでつぶれるようになればОkです。昨日から通算6時間煮て、やっと良い柔らかさになりました。

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臼に煮豆を入れてつぶします。

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10キロの大豆でしたから、臼に入れてつぶして、つぶれた豆を容器に入れて、臼を空にしてから、また煮豆を入れて杵でつぶして・・・という繰り返しを10回ぐらい行いました。
杵も重くて、豆のつぶし残しも・・・ああ。暖かい陽射しに汗が・・・。つくづく「手作り味噌」の工程が手のかかるものだということを痛感した瞬間でした。

豆を煮た液(アメと呼んでいました)は捨てないでとって置きます。
純子さんはその液をバケツに移し、バケツごと冷水に漬けて冷やしていました。

豆が全部つぶれました。そこに麹(コオジ)を入れます。

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麹には米麹と麦麹の2種類がありますが、米麹を使うと、甘い味噌が出来るということです。

今回は麦麹を使います。小菅村で麹を手に入れることは難しいそうで、木下さんは青梅まで行き手に入れて来ました。
つぶし大豆と麦麹をよく混ぜてから、豆の煮汁(アメ)を少づつ加えます。適当なゆるさになったら(各家庭で好きな硬さがある)よく空気を抜いて平にならし、、容器の壁面は雑菌がつかないようによく拭いておきます。表面に塩を敷いて。

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ビニールでピッチリ覆い、空気に触れさせないようにします。中ブタをして、重石を載せ、上に蓋をして、冷暗所に保管。

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これで1年保管すればお味噌が出来ます(この秋には十分食べられる味噌になっているとのことですが1年待っても平気な私たち)。

途中、開けて、上下かき混ぜる「天地返し」をしなくてはなりません。木下さんは「年に1回やれば十分」だそうです。

さあ、1年後の味見が楽しみになりました。

小菅村に1泊2日しましたが、せせらぎの音が常時聞こえていて、山々で切り取られた空が近いです。夜空の満月を写真に残せなくて残念でした。リスも目撃したけど、映像に残せなかった。5月4日は「多摩源流まつり」があります。山菜おこわが安くて美味しいとの評判を耳にして、今から予定している山本でした。(山本豊美)

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山梨の森作り

2006-12-25 19:49:21

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「大月森つくり会」では間伐材の商品化を推進しています。写真は、笹子・森のラウンジ「大きな桐の木の下で」のログハウスの軒下に積んであった薪。売り物です。値段は聞きそびれました。自分が薪ストーブを持たないもので・・・。リポーターとして失格ですね。

薪の欲しい方、そしてベンチや椅子・コンポストなどの商品のお問い合わせは「大月森つくり会」事務局 山崎さんまで 
電話番号0554−22−1406
(近いうちホームページもつくるとのこと)

森のラウンジ「大きな桐の木の下で」は笹子の森の木を使って建てた小屋と、デッキがあります。デッキは見晴らしがよく、周囲に桜の木が植わっています。4月にはここでお花見会をするそうです。美味しい水を使ってのお茶会も計画されていました。
森のラウンジの庭では、シイタケやナメタケなどのきのこが栽培されていました。秋には紅葉を眺めながらきのこ汁パーティーなども素敵です。

「大月森つくり会」は一緒に活動できる仲間を募集中です。月に2回のペースで里山の再生に関連したいろいろな活動をしています。参加してみたい方は、上記、事務局山崎さんまでご連絡を。

12月24日に取材した「大月森つくり会」を5回に分けてお伝えしました。最後に、この笹子に関する情報をもう一つ。

「大月市」の「大月」という地名の由来が、「大きな月が見える土地であるから」との説があるとか・・・。その確証は、一年ほど前の私の体験を一つ。
季節は秋から冬に移行する頃。その夜、国道20号線を東京方面に向かって車を走らせていた私は、山梨県一宮町に入ったあたりで、前方左の上空に、すごく大きな満月が出ているのに気がつきました。「あんな大きなお月様は生れてはじめて見るわ!」と興奮しました。月を追うように前方の空を見上げ、見上げ、車を走らせました。
やがて私の車は大和村に入り、笹子トンネルに。長い長〜い笹子トンネル。そしてトンネルを抜けました。
大月市に入ったのです。そのとき!ぱっと左の夜空に真っ白な輝くまん丸がっ!見えました。月です。一宮で見た月より小さい月でした。ところが・・・色の冴え方がぜんぜん違う!それこそ、「白金の輝き」でした。あたりが森ばかりだから余計光が冴え冴えとして見えたのでしょう。
トンネルを出てしばらくは急カーブで下りが続くので、月の姿ばかり追い求めてはいられません。が、さっき一瞬、目に飛び込んだ月の残像は消えませんでした。
「・・・なるほど・・・だからこの土地を大月と呼んだのか!」と一人で合点した私です。大きさでは一宮町で見た月に負けるが、存在感というか、詩に歌いたいような風情のある、いかにも月月しい月!それが大月の月なのです。

笹子峠で見る事の出来る「白金の月」をドライブ中の一瞬に限らないで、心行くまで味わいたい。
そんな贅沢な希望が、この「笹子・森のラウンジ」のデッキでなら叶う!きっと叶うに違いない!と思って熱くなった私。2007年秋が楽しみです。(山本豊美)

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山梨の森作り

2006-12-25 19:15:54

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写真は「大月森つくり会」の看板です。これは伐採作業をした裏山の林道沿いに立っていました。とても素朴な素直な感じの看板なのに林道沿いではあまり目にする人はいないのでは・・・?と残念。
「大月森つくり会」の河西悦子代表は「来年度は国道20号からよく見えるところに看板を立てようと思っています」と豊富を述べていました。写真では読みづらいのでここに看板に書かれていた文を(読めた文を)そのまま紹介します。

笹子・森のラウンジ
「大きな桐の木の下で」


21世紀。水は命!森は源!川は絆!
大月森つくり会「百年の森プロジェクト」では(社)日本緑化機構 緑の募金を活用し、緑のボランティアの参加を得て、森への思い育む広場を造りました。
緑の募金は全国のローソン各店舗を通じて多くの方々の寄付金から成り立っています。
大月笹子は大切な水源の里。この地から新しい出会い、美しい未来が広がりますように。
2003年○月○日植樹祭を記念して。
大月森つくり会「百年の森プロジェクト」

以上、看板に歌われている文でした。(山本豊美)

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山梨の森作り

2006-12-24 23:51:00

12251.jpg 「大月森つくり会」は大月市笹子町にフィールドを持っています。大月短期大学の学生さんや、上野原市にある帝京科学大学の学生さんらが、森つくりに加わっています。あと、「桂川・相模川流域協議会」に加わっているので、その会員らが参加しています。

12月24日に樹の伐採を行いました。
森つくりのイベントに取材して感じたことは、まず、

油断は禁物その一:私は今回取材なのでヘルメットを被りませんでした。実際樹を切る作業に加わるのではないので。でも、見ていて思いました。伐採の周りにいるだけにしてもヘルメットは必要です。というのは、チェーンソーで木を切っていると、たくさんの木の粉が飛ぶからです。かなり低い位置で伐っていても、足元ばかりか、頭上まで木屑は飛んできます。半日うろうろしていれば髪の毛は木の粉まみれ。それに、木の上の方から、蓑虫とか、万が一には、蛇とかが落ちてくるのに備えて。

油断は禁物その二:チェーンソーで切ると早いけど、切れた枝が思いがけない方向に跳ねます、。私の知った人で、父上が、伐った木の枝が跳ねて目に突き刺さり、それが元で死んでしまった、という人がいます。そこまで行かなくても、枝が跳ねて思いがけぬ怪我をした人は少なくないと思います。今回、チェーンソーを写真に撮ろうと近づいたら、木っ端が顔に飛んできて、ぞっとしました。アレが目に飛び込む危険性多いにあったのですもの。
里に近くて、平坦な場所での作業だから、とつい見くびってしまうのですが、山の奥深い急傾斜地であろうと、平坦な里地であろうと、木を切る作業に危険は同じ。

油断は禁物その三:チェーンソーを使っている人は、その音と振動に神経が集中しているため、背後に人が回ったことに気づかないことが多い。木を切り終えると、チェーンソーの歯が稼動したまま、木から引き抜いて自分の体の後方へ振り回したりする。決してチェーンソーを持った人の背後に回ってはいけない。

一〜三まで油断は禁物の事項でした。
取材者という立場で一歩離れた自分も含めて、たった8人で森にいたのですが、それでも、木を切っていない人は、ついチェーンソーの伐採作業の周りに近寄っていくので、自身危ないと思う場面に何度か出会いました。これ以上の人数だと、危険性がさらに増すように思います。

森では、自分の周りの他の人が、今何をしているのかを把握していないといけません。木の枝を運んで行こうと持ち上げた木の枝が、案外大きくて、隠れたところに小枝をつけていて、その枝が近くに立っている人の頭を直撃したなんてこともあるのです。
「周りに関心が無く、自分勝手な人には、山の作業は出来ない!」と感じました。

山の作業は相手(木)をよく観察し、相手(木)の出方に思いがけない出方もあると油断無く身構える、ことが肝要です。そして仕事するチームの一人一人の動きを常に把握していること。
すなわち、人に気を配る、こと。それが自分を守る。また、仲間を守るのです。人間教育に最適だと思いました。

昔、引きこもりの子供を治すために親が自分の子を「戸塚ヨットスクール」に預け、結果殺してしまった事件があったな・・・と思い出しました。海に一人投げ出されれば、生きようという本能が目覚めて、一生懸命になる、とか、ヨットの操縦は一人では出来ないから、集団の中での協調精神も出来るとか言われましたね。でも海は底なしですよね。うまく行けば究極の刺激になるけど、失敗すれば溺れ死ぬ。

その点、山は地面の上です。泳げなくても溺れ死ぬ心配はありません。逃げて帰れます。何を言いたいかというと、自分を鍛えなおしたかったら、山の方がいいのではないの?という話。(山本豊美)

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山梨の森作り

2006-12-24 20:41:53

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「大月森つくりの会」では、間伐材を生かす道をいろいろ探っています。椅子、ベンチ、生ごみ堆肥を作るコンポストボックス。コンポストはこのブログでも以前紹介しました「2006年 桂川・相模川流域シンポジウム」に展示されていました。今年は6個試作したということです。
ボックスの大きさは家族数や、庭あるいはベランダの規模に合わせて、大・中・小の3種類があります。試作品を今モニター活用中で、その成果を踏まえ、来年度は商品化を目指しています。
また、今回は伐りませんでしたが、桐の木を伐採した時には、桐のテーブルを作ろうという計画も検討されていました。桐材のテーブルは大変軽くて持ち上げるとき、中高年の腰に優しいです。
また、桐のテーブルの表面にうってつけの塗料も見出したとのことで、製品化が楽しみです。(山本豊美)

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山梨の森作り

2006-12-24 19:04:25

12241.jpg12月24日「大月森つくり会」で植樹の下準備、間伐作業がありました。場所は山梨県大月市笹子の本陣、天野さんの家の裏山。JR中央本線の「笹子駅」から徒歩10分ぐらいのところ。15メートルぐらいのところにjrの線路が走っています。つまり、平地に近い場所です。今までの私の経験では、森の木の伐採がこんなに家並に近いところで行われたのは珍しい例です。
クリスマスイブということもあって、本日の参加者はいつもより少なくて7名。神奈川県からの参加者が2名、大月市内からの参加者が5名でした。
15本立っていた木のうち、5本が切り倒されました。「切り倒された」という言い方は木の側に感情移入している言い方ですね。人の側から言えば整地した、というか森の育成のために日当たり良くした、ということになります。伐採対象は樹齢40年ぐらいの杉の木とヒノキの木。倒した木は枝をはらって丸太にしました。間伐材の生かし方についてあれこれ意見交換しながら作業が進められました。この木が家の建築材に使われたり、家具などに使われたなら、木にとっても晴れがましいセカンドステージとなるでしょうに、どうも今の日本の現状では、そういうステージに立つにはコスト面で折り合いがつかず、山に打ち捨てられたままにされるのが一般的なようです。
でも木の悲鳴を聞かずとも、今まですっくと立って広々と枝を広げていた木が今こうして地面に横たわって、切り口の年輪を見せているのを見ていると、何とかこの木の命を別の形で生かし続けてあげられないものか・・・と考えてしまいます。葉のついた小枝も触ってみると、この青々とした生気のみなぎっているうちに、加工できないものかしら・・・などと惜しみの気持ちが湧きます。人の腕ぐらいの太さの枝なら、等間隔に切って薪にするのに・・・。(山本豊美)

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