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「有機農業映画祭」その2
2008-11-20 01:03:29
「国際有機農業映画祭」のリポートその2です。
前回、映画「赤貧洗うがごとき」の感想をお届けしました。今回は映画「アジアの行動するコミュニティ」の感想をお届けする約束です。が、その前に、このブログをご覧になる皆さんに、「国際有機農業映画祭」とは何のために誰が企画したのかを知っておいていただくことが大切だと思い、少しそのお話を。
16日、映画祭の午後の部から参加した私は、午後の部の開始にあたり、挨拶に立ったこの映画祭の実行委員会代表、大野和興(おおのかずおき)さんを見ました。
「見たところ農業者ではなさそうだし・・・どういう職種の人なのだろう?」と思っていました。手元のパンフレットを見ても大野さんがどういう人なのか書かれていませんでした。
ところが、翌日17日月曜日。我が家の、生協のお届け日。届いたカタログの中に挟まれた生協のイベントニュース「週刊WITH YOU」に大野和興さんの講演会の予告が載っていたのです。
それを読んで大野さんの職業がわかりました。「農業ジャーナリスト」なのです。
ちなみにお届けチラシに載っていたこのイベントの告知は以下のとおり。
くらしと憲法講座第2回
“食料主権”について
自給率、安全性など食糧危機が大きな社会問題になっています。今回は「生存権」としての食料主権について学習します。
日時:12月6日(土)13:30〜15:30
会場パルシステム連合会第1会議室(ツインヒルズ茗荷谷3階/地下鉄「茗荷谷駅」下車)
講師:大野和興氏(農業ジャーナリスト)
参加費:500円
申し込み締め切り:11月30日(日曜日)
申し込み方法:FAXかEメールで、くらしと憲法講座?.氏名、?を明記の上お申し込みください。
主催・問い合わせ・申し込み先:生協ОB協会事務局
?・FAX:03−5976−6391
Eメール:ohashi-hiroko@pal.or.jp
上記のイベント告知内容から、私は16日に見た「国際有機農業映画祭」も、これを企画した趣旨は「食の主権を生存権として捉え、それを守る方法を考えよう」というものだったのではないかしらと思い至りました。
そういえば、「国際有機農業映画祭」のパンフにも大野さんの言葉が載っていました。
抜粋すると
〜この地球上に生きる人びとには、平和に、尊厳をもって生きる権利があります。人だけでありません。あらゆる生き物は自らの生命を再生産する権利を持っているのです。平和的生存権ともいえるこの権利を具現化したものこそ、有機農業なのです。〜
また、ネット上で「国際有機農業映画祭」のページをのぞくと、大野さんの声が入っています。ここからのキーワードを並べると、
〜グローバリーゼーションの中で、農民の農業が崩れ去って行く。・・・時代と切り結ぶ・・・土からの平和・・・平和的生存権・・・基本に食と農がある〜
などの語録。
大野和興さんは「地球上で生きとし生けるものすべてがこれから平和的に共存していくには、有機農業が基本である」と主張しているのだと思いました。さて、前置きが長くなりました。映画「アジアの行動するコミュニティ」についてリポートします。
前回、映画「赤貧洗うがごとき」の感想をお届けしました。今回は映画「アジアの行動するコミュニティ」の感想をお届けする約束です。が、その前に、このブログをご覧になる皆さんに、「国際有機農業映画祭」とは何のために誰が企画したのかを知っておいていただくことが大切だと思い、少しそのお話を。
16日、映画祭の午後の部から参加した私は、午後の部の開始にあたり、挨拶に立ったこの映画祭の実行委員会代表、大野和興(おおのかずおき)さんを見ました。
「見たところ農業者ではなさそうだし・・・どういう職種の人なのだろう?」と思っていました。手元のパンフレットを見ても大野さんがどういう人なのか書かれていませんでした。
ところが、翌日17日月曜日。我が家の、生協のお届け日。届いたカタログの中に挟まれた生協のイベントニュース「週刊WITH YOU」に大野和興さんの講演会の予告が載っていたのです。
それを読んで大野さんの職業がわかりました。「農業ジャーナリスト」なのです。
ちなみにお届けチラシに載っていたこのイベントの告知は以下のとおり。
くらしと憲法講座第2回
“食料主権”について
自給率、安全性など食糧危機が大きな社会問題になっています。今回は「生存権」としての食料主権について学習します。
日時:12月6日(土)13:30〜15:30
会場パルシステム連合会第1会議室(ツインヒルズ茗荷谷3階/地下鉄「茗荷谷駅」下車)
講師:大野和興氏(農業ジャーナリスト)
参加費:500円
申し込み締め切り:11月30日(日曜日)
申し込み方法:FAXかEメールで、くらしと憲法講座?.氏名、?を明記の上お申し込みください。
主催・問い合わせ・申し込み先:生協ОB協会事務局
?・FAX:03−5976−6391
Eメール:ohashi-hiroko@pal.or.jp
上記のイベント告知内容から、私は16日に見た「国際有機農業映画祭」も、これを企画した趣旨は「食の主権を生存権として捉え、それを守る方法を考えよう」というものだったのではないかしらと思い至りました。
そういえば、「国際有機農業映画祭」のパンフにも大野さんの言葉が載っていました。
抜粋すると
〜この地球上に生きる人びとには、平和に、尊厳をもって生きる権利があります。人だけでありません。あらゆる生き物は自らの生命を再生産する権利を持っているのです。平和的生存権ともいえるこの権利を具現化したものこそ、有機農業なのです。〜
また、ネット上で「国際有機農業映画祭」のページをのぞくと、大野さんの声が入っています。ここからのキーワードを並べると、
〜グローバリーゼーションの中で、農民の農業が崩れ去って行く。・・・時代と切り結ぶ・・・土からの平和・・・平和的生存権・・・基本に食と農がある〜
などの語録。
大野和興さんは「地球上で生きとし生けるものすべてがこれから平和的に共存していくには、有機農業が基本である」と主張しているのだと思いました。さて、前置きが長くなりました。映画「アジアの行動するコミュニティ」についてリポートします。
有機農業映画祭in東京その1
2008-11-17 14:42:25
11月16日日曜日、東京代々木にて「国際有機農業映画祭」が開催されました。このセカンドリーグの「身近な国際協力に参加しよう」という鈴木由利子さんのブログで9月1日付け記事が紹介していました。その映画祭に出かけたリポートを3回に分けてお送りしようと思います。
会場は国立オリンピック記念青少年総合センター。センター棟の中、2会場に分かれて開催されていました。私は大きな会場の方、300名収容の会場に入りました。
午後1時から入ったのですが、会場はほぼ満席。かろうじて空席を見つけ座ることが出来ました。私の後から入場したお客さんは立ち見の人多かった様子。後でわかったことは、ここに詰め掛けた人のうち、半分は朝9時から映画を見続けていたということ。そのせいか、場内は人いきれと熱気に満ちていて、私は座ってまもなく汗をぬぐいました。
参加者の半数は私のような中高年ですが、若い人たちの姿も多く、「有機農業映画祭」にこんなに若い人たちが集まるとは意外でした。(こうした若い人たちが、日本の、また世界の有機農業を継続して行ってくれるのか!)という希望を感じました。
午後の部の最初に上映された映画は「赤貧洗うがごとき」という題名の映画。田中正造の生涯を追ったドキュメンタリー映画です。約100年昔の足尾鉱毒事件で、被害者を救おうと立ち上がった人。私も田中正造の名前は知っておりましたが、この映画で改めてスゴイ人だったのだと知りました。
何故「有機農業映画祭」で田中正造の映画が上映されたのかというと、田中正造は80年前に、富国強兵制作に突き進む中、農魚業を営む大地を鉱毒で汚してはばからない企業と明治政府とが一体になった動きに、抵抗をし、日本の国の将来に強い警鐘を鳴らした人だからです。
100年昔に、孫子の代までのような先々まで、国土の将来を見通した人がいたのだと知り、驚きました。
田中正造は1841年生まれ、1913年没。映画の題名「赤貧洗うがごとし」というのは田中正造が生まれ育ち、愛し抜いた土地、栃木県の当時は「下野(しもつけ)の国」といった辺りの、貧しい農民の暮らしのことを言うのであると同時に、田中正造晩年の暮らしをもいっていると思いました。わずかな自分の土地も貧者に分け与え、死ぬときはほとんど無一物だったそうです。無欲な人で終生、一貫して貧しい農民の味方でしたが、彼の本領は環境運動家だったという視点でこの映画は作られています。
日本の近代、足尾鉱毒事件から現代の水俣病まで、日本の国土や海を汚染し、生き物の棲息を脅かす事件はあとを絶ちません。田中正造の鳴らした警鐘に今も私達は謙虚な心を持って耳を傾けなくてはならないと思いました。
ーーー真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべしーーー
田中正造の言葉です。
尚、この映画は「田中正造を後世に伝える会」が企画し、2006年に作られた映画です。田中正造を演じた俳優石神明治さんが、田中正造その人がよみがえったかのように演じているのは素晴らしく、ナレーションで登場した藤田弓子さんや赤塚真人さんといったお馴染み俳優さんも、控えめで上質な出演の仕方で良かったです。
蛇足ですが、映画の中に、吉屋信子のことがチラと出てきます。吉屋信子の父は官吏でした。足尾鉱毒事件の際、栃木県谷中村に赴任してきていて、被害者の農民と加害者の国との間での交渉の矢面に立って苦労したようです。
このことは、私は田辺聖子が書いた評伝「はるかなり吉屋信子」
で読んだことがあります。「吉屋信子」の生涯を伝える大作でした。あの評伝で「作家田辺聖子の力量は恐るべし!」と思った私でしたが、ことに、吉屋信子の子どもの頃、父親が関わらなくてはならなかった事件、足尾鉱毒事件の記述に割くページは多く、田辺聖子の筆は熱がこもっていまして、読んでいて鳥肌が立つようでした。そのことから私は、作家田辺聖子も田中正造に深い畏敬の念を抱いていたに違いないと感じています。
あと、蛇足ついでに言うと、今図書館に出かけ、吉屋信子の本を探しても、まず見つからないか、数少ないと思います。本屋さんで見つけるのはさらに至難のわざ。
私が子供の頃、夢中で読んだし、世の中にたくさん出回っていた吉屋信子の少女小説。田辺聖子は私より、もっとずっと吉屋信子の小説に心酔した少女期を送ってきた人ですから、歳経てから、吉屋信子の生涯を自らのペンで表さずにはいられないと思ったのもわかります。
一時期あんなに売れっ子だった作家吉屋信子の名前が忘れられている。本屋でも見かけない。図書館でもめったに見ないという体験をして私はかなりショックを受けたのでした。所詮少女小説の域を出なかった人だからか・・・。
さて本題に戻って。
「赤貧洗うがごとき」。こんなに素晴らしい映画がこういう映画祭でしか見られないのは惜しいです。若い人たちにもっともっと見てもらいたい。そして見た人すべて、田中正造のような偉人が日本にいたことを誇りに思って欲しい。
次回は2番目に見た映画「アジアの行動するコミュニティ」についてお話しようと思います。
(山本豊美)
会場は国立オリンピック記念青少年総合センター。センター棟の中、2会場に分かれて開催されていました。私は大きな会場の方、300名収容の会場に入りました。
午後1時から入ったのですが、会場はほぼ満席。かろうじて空席を見つけ座ることが出来ました。私の後から入場したお客さんは立ち見の人多かった様子。後でわかったことは、ここに詰め掛けた人のうち、半分は朝9時から映画を見続けていたということ。そのせいか、場内は人いきれと熱気に満ちていて、私は座ってまもなく汗をぬぐいました。
参加者の半数は私のような中高年ですが、若い人たちの姿も多く、「有機農業映画祭」にこんなに若い人たちが集まるとは意外でした。(こうした若い人たちが、日本の、また世界の有機農業を継続して行ってくれるのか!)という希望を感じました。
午後の部の最初に上映された映画は「赤貧洗うがごとき」という題名の映画。田中正造の生涯を追ったドキュメンタリー映画です。約100年昔の足尾鉱毒事件で、被害者を救おうと立ち上がった人。私も田中正造の名前は知っておりましたが、この映画で改めてスゴイ人だったのだと知りました。
何故「有機農業映画祭」で田中正造の映画が上映されたのかというと、田中正造は80年前に、富国強兵制作に突き進む中、農魚業を営む大地を鉱毒で汚してはばからない企業と明治政府とが一体になった動きに、抵抗をし、日本の国の将来に強い警鐘を鳴らした人だからです。
100年昔に、孫子の代までのような先々まで、国土の将来を見通した人がいたのだと知り、驚きました。
田中正造は1841年生まれ、1913年没。映画の題名「赤貧洗うがごとし」というのは田中正造が生まれ育ち、愛し抜いた土地、栃木県の当時は「下野(しもつけ)の国」といった辺りの、貧しい農民の暮らしのことを言うのであると同時に、田中正造晩年の暮らしをもいっていると思いました。わずかな自分の土地も貧者に分け与え、死ぬときはほとんど無一物だったそうです。無欲な人で終生、一貫して貧しい農民の味方でしたが、彼の本領は環境運動家だったという視点でこの映画は作られています。
日本の近代、足尾鉱毒事件から現代の水俣病まで、日本の国土や海を汚染し、生き物の棲息を脅かす事件はあとを絶ちません。田中正造の鳴らした警鐘に今も私達は謙虚な心を持って耳を傾けなくてはならないと思いました。
ーーー真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべしーーー
田中正造の言葉です。
尚、この映画は「田中正造を後世に伝える会」が企画し、2006年に作られた映画です。田中正造を演じた俳優石神明治さんが、田中正造その人がよみがえったかのように演じているのは素晴らしく、ナレーションで登場した藤田弓子さんや赤塚真人さんといったお馴染み俳優さんも、控えめで上質な出演の仕方で良かったです。
蛇足ですが、映画の中に、吉屋信子のことがチラと出てきます。吉屋信子の父は官吏でした。足尾鉱毒事件の際、栃木県谷中村に赴任してきていて、被害者の農民と加害者の国との間での交渉の矢面に立って苦労したようです。
このことは、私は田辺聖子が書いた評伝「はるかなり吉屋信子」
で読んだことがあります。「吉屋信子」の生涯を伝える大作でした。あの評伝で「作家田辺聖子の力量は恐るべし!」と思った私でしたが、ことに、吉屋信子の子どもの頃、父親が関わらなくてはならなかった事件、足尾鉱毒事件の記述に割くページは多く、田辺聖子の筆は熱がこもっていまして、読んでいて鳥肌が立つようでした。そのことから私は、作家田辺聖子も田中正造に深い畏敬の念を抱いていたに違いないと感じています。
あと、蛇足ついでに言うと、今図書館に出かけ、吉屋信子の本を探しても、まず見つからないか、数少ないと思います。本屋さんで見つけるのはさらに至難のわざ。
私が子供の頃、夢中で読んだし、世の中にたくさん出回っていた吉屋信子の少女小説。田辺聖子は私より、もっとずっと吉屋信子の小説に心酔した少女期を送ってきた人ですから、歳経てから、吉屋信子の生涯を自らのペンで表さずにはいられないと思ったのもわかります。
一時期あんなに売れっ子だった作家吉屋信子の名前が忘れられている。本屋でも見かけない。図書館でもめったに見ないという体験をして私はかなりショックを受けたのでした。所詮少女小説の域を出なかった人だからか・・・。
さて本題に戻って。
「赤貧洗うがごとき」。こんなに素晴らしい映画がこういう映画祭でしか見られないのは惜しいです。若い人たちにもっともっと見てもらいたい。そして見た人すべて、田中正造のような偉人が日本にいたことを誇りに思って欲しい。
次回は2番目に見た映画「アジアの行動するコミュニティ」についてお話しようと思います。
(山本豊美)
大月のうなぎ屋「登喜和」でfrom山梨
2008-11-12 03:21:51
突然ですが、もしあなたのところに外国からお客様があり、何処かで一緒にお食事をするということになった時、家の近所で、案内したいというお店はありますか?もちろん、相手の食の趣向(肉嫌いとかもあるでしょうから)を第一に考慮した上での話ですが。
私なら、まずは専門の暖簾のあるお店。蕎麦屋とかうなぎ料理とかの専門・・・。
昨日、私は山梨に住んでいた頃行きつけだったうなぎ屋「登喜和」に行って来ました。
お昼時で店内に先客が2組あり、そのうち一つは6名のグループでした。会話が弾んでいて、聞くともなしに耳に入ってきた会話。それからすると、そのグループは中国からの客人1名を囲んで農業のこと、日本の食料輸入のことなどの話で盛り上がっていたのです。
その中国からのお客様は大変流暢な英語で話しをしています。それを横の青年が日本語に通訳していました。
私が店内に入り、高音で早口の英語が聞こえ、ハッとしてそちらを見やった時、血色のよい、パッチリした輝く目を持った丸顔が目に入りました。40歳代かしら・・・。卓上にビールの壜が何本かありましたから、お酒も入っての闊舌!?でもとても力の漲ったイキイキした人間の顔でありました。
彼を囲む日本の人たちも熱心に食料輸入の現実を語りあっている様子。
もしかしたら、商取引のお話をしている最中であったのかもしれません。
が、私が興味を持ったのは、この小さな市井の食堂で中国からのお客様を歓待することの意味。「いいのではないでしょうか!」と内心拍手。

山梨県大月市のお店「登喜和」のうな重。写真は並1800円也。
うな重のお膳が運ばれてきました。それまでの賑やかさと打って変わって一斉に、彼らは黙々と食べ始めました。その沈黙が、「うん、これは美味い!」と舌鼓を打っている様を雄弁に物語っていると見ました。
勝手にイマジネーション。
もし自分のところに外国からのお客様があつたとして、この店のほかにどういう店に連れて行こうかな?
条件)
○手ごろな価格の店
○自分行きつけの店
○日本人に馴染んでいるテイストのある店(店内インテリアも含んで)
で考えて見ると・・・
今住んでいる八王子では、蕎麦屋「坐忘」。それに館町の「増田屋」(蕎麦の苦手な人でも他に選択肢そろっている店だし・・・天丼とか)。
ハンバーグステーキなら「ジョージ」。(インテリアは洋風だが、味は日本人の馴染む味ということで)
都心に足を伸ばせば、とんかつなら有楽町駅近く高架下のとんかつ「繁」。御茶ノ水駅から神田古書街へ降りていってとんかつ「いもや」。
中華料理なら文京区水道のラーメン店「新雅」。といったところかな・・・。
大月に珍しい外国のお客様の歓待の光景を前に、嬉しくなってあれこれイメージ膨らませ、楽しんだひと時でした。(山本豊美)
私なら、まずは専門の暖簾のあるお店。蕎麦屋とかうなぎ料理とかの専門・・・。
昨日、私は山梨に住んでいた頃行きつけだったうなぎ屋「登喜和」に行って来ました。
お昼時で店内に先客が2組あり、そのうち一つは6名のグループでした。会話が弾んでいて、聞くともなしに耳に入ってきた会話。それからすると、そのグループは中国からの客人1名を囲んで農業のこと、日本の食料輸入のことなどの話で盛り上がっていたのです。
その中国からのお客様は大変流暢な英語で話しをしています。それを横の青年が日本語に通訳していました。
私が店内に入り、高音で早口の英語が聞こえ、ハッとしてそちらを見やった時、血色のよい、パッチリした輝く目を持った丸顔が目に入りました。40歳代かしら・・・。卓上にビールの壜が何本かありましたから、お酒も入っての闊舌!?でもとても力の漲ったイキイキした人間の顔でありました。
彼を囲む日本の人たちも熱心に食料輸入の現実を語りあっている様子。
もしかしたら、商取引のお話をしている最中であったのかもしれません。
が、私が興味を持ったのは、この小さな市井の食堂で中国からのお客様を歓待することの意味。「いいのではないでしょうか!」と内心拍手。

山梨県大月市のお店「登喜和」のうな重。写真は並1800円也。
うな重のお膳が運ばれてきました。それまでの賑やかさと打って変わって一斉に、彼らは黙々と食べ始めました。その沈黙が、「うん、これは美味い!」と舌鼓を打っている様を雄弁に物語っていると見ました。
勝手にイマジネーション。
もし自分のところに外国からのお客様があつたとして、この店のほかにどういう店に連れて行こうかな?
条件)
○手ごろな価格の店
○自分行きつけの店
○日本人に馴染んでいるテイストのある店(店内インテリアも含んで)
で考えて見ると・・・
今住んでいる八王子では、蕎麦屋「坐忘」。それに館町の「増田屋」(蕎麦の苦手な人でも他に選択肢そろっている店だし・・・天丼とか)。
ハンバーグステーキなら「ジョージ」。(インテリアは洋風だが、味は日本人の馴染む味ということで)
都心に足を伸ばせば、とんかつなら有楽町駅近く高架下のとんかつ「繁」。御茶ノ水駅から神田古書街へ降りていってとんかつ「いもや」。
中華料理なら文京区水道のラーメン店「新雅」。といったところかな・・・。
大月に珍しい外国のお客様の歓待の光景を前に、嬉しくなってあれこれイメージ膨らませ、楽しんだひと時でした。(山本豊美)
正座の助っ人
2008-11-05 20:34:44
突然ですが、「正座の助っ人」を紹介します。
私は正座をするのが苦手!座って5分もすると足が痺れて辛くてかないません。
若い頃のほうがまだ平気でした。20代の頃に一時期、謡曲・仕舞を習っていたことがある私。お稽古に行く度、他のお弟子さんのお稽古を1時間ほど正座して見ていたものです。
あの頃はそれほど辛いとは思わなかったのですが・・・。今のように太ってはいなかったからでしょうねえ・・・。
正座が辛いというのに、書道に打ち込もうとしたり、着物を着て暮らす生活に憧れたり・・・と、私の心の方向は、体の現実とは逆の方向に向いているのです。
和室にて静かに閑林独坐していたい心と、「それより外で運動して少しでも体重減らせよぉ!」と叫ぶ体に挟まれ、ジレンマで苦しむ私。
さて、そんな私の前に現れた「助っ人」がこの球体。

「骨盤スウィング ドーナツボール」という品名です。
つい最近、パルシステムで購入。1,290円也。10月4回の配達で届きました。
空気入れポンプもついていて、それが小さい。ぺしゃんこのゴム板をこれだけ膨らますのに、「小型ポンプ押し運動」で大汗かいて体力消耗しましたよ!私。
このポンプ押し運動を365日、毎日一回づつ実行すればスリムになること間違いなし!
話が横道にそれました。このドーナツボールは膨らませたり凹ませて体に役に立たせるものではなく、膨らませたら穴に蓋をしてそのまま使うと体に良いことがあるお品です。
正座するとき、これをお尻の下に敷いて座れば、上半身の体重が足に乗っかりません。よって長時間の正座も苦痛なく・・・ま、私の場合せいぜい20分ですが・・・過ごせます。

それに背筋を伸ばして机に向かわなくてはならない書道の時、これをお尻に敷くと、自然に背筋を伸ばした体勢がとれるのです。
なんと優れものでしょう!
私は今まで、正座時の足のシビレ対策に、折りたたみ式の「お尻枕」を使ったりしていました。

こちらは外出時、持ち運びに便利です。が、家で頻繁に使うにはちょっと・・・。
立つとき「お尻枕」をお尻の下から後ろにずらしてから立つ動作をしますと、その際、この「お尻枕」の基底部(木板)で座布団の布を擦って傷めるような気がして。
その点、このゴム製のドーナツボールなら、さっとずらせるし、布地を傷める心配もない。
最初、畳の色のトーンで統一した和室にポップな色と形のゴムボールを置くのは合わない!などと「暮らしの品格」にこだわった私でしたが、今はすっかり実用一点張りの快適さに浸って・・・ドーナツボールは私の大事な助っ人となっています。
さあ、正座が恐いあなたっ!どうですかこれ!?・・・なんて、どこかの通販の宣伝マンみたいな口調になってしまいましたが・・・。
ちなみにこのドーナツボール、品名を「骨盤スウィングドーナツボール」と言います。この上でお尻を揺らす運動をすると骨盤矯正にもいいらしいです。
私は静かに息を詰めて書道に打ち込むときだけ使いますが。
(山本豊美)
私は正座をするのが苦手!座って5分もすると足が痺れて辛くてかないません。
若い頃のほうがまだ平気でした。20代の頃に一時期、謡曲・仕舞を習っていたことがある私。お稽古に行く度、他のお弟子さんのお稽古を1時間ほど正座して見ていたものです。
あの頃はそれほど辛いとは思わなかったのですが・・・。今のように太ってはいなかったからでしょうねえ・・・。
正座が辛いというのに、書道に打ち込もうとしたり、着物を着て暮らす生活に憧れたり・・・と、私の心の方向は、体の現実とは逆の方向に向いているのです。
和室にて静かに閑林独坐していたい心と、「それより外で運動して少しでも体重減らせよぉ!」と叫ぶ体に挟まれ、ジレンマで苦しむ私。
さて、そんな私の前に現れた「助っ人」がこの球体。

「骨盤スウィング ドーナツボール」という品名です。
つい最近、パルシステムで購入。1,290円也。10月4回の配達で届きました。
空気入れポンプもついていて、それが小さい。ぺしゃんこのゴム板をこれだけ膨らますのに、「小型ポンプ押し運動」で大汗かいて体力消耗しましたよ!私。
このポンプ押し運動を365日、毎日一回づつ実行すればスリムになること間違いなし!
話が横道にそれました。このドーナツボールは膨らませたり凹ませて体に役に立たせるものではなく、膨らませたら穴に蓋をしてそのまま使うと体に良いことがあるお品です。
正座するとき、これをお尻の下に敷いて座れば、上半身の体重が足に乗っかりません。よって長時間の正座も苦痛なく・・・ま、私の場合せいぜい20分ですが・・・過ごせます。

それに背筋を伸ばして机に向かわなくてはならない書道の時、これをお尻に敷くと、自然に背筋を伸ばした体勢がとれるのです。
なんと優れものでしょう!
私は今まで、正座時の足のシビレ対策に、折りたたみ式の「お尻枕」を使ったりしていました。

こちらは外出時、持ち運びに便利です。が、家で頻繁に使うにはちょっと・・・。
立つとき「お尻枕」をお尻の下から後ろにずらしてから立つ動作をしますと、その際、この「お尻枕」の基底部(木板)で座布団の布を擦って傷めるような気がして。
その点、このゴム製のドーナツボールなら、さっとずらせるし、布地を傷める心配もない。
最初、畳の色のトーンで統一した和室にポップな色と形のゴムボールを置くのは合わない!などと「暮らしの品格」にこだわった私でしたが、今はすっかり実用一点張りの快適さに浸って・・・ドーナツボールは私の大事な助っ人となっています。
さあ、正座が恐いあなたっ!どうですかこれ!?・・・なんて、どこかの通販の宣伝マンみたいな口調になってしまいましたが・・・。
ちなみにこのドーナツボール、品名を「骨盤スウィングドーナツボール」と言います。この上でお尻を揺らす運動をすると骨盤矯正にもいいらしいです。
私は静かに息を詰めて書道に打ち込むときだけ使いますが。
(山本豊美)
秋の夜長に洋菓子一つ
2008-10-28 05:28:53

秋の夜長。紅茶と洋菓子は秋の夜の読書の合間の必須アイテムですね。
2008年の私の収穫は、山梨から4月に東京に移住して、東京の味のいくつかにめぐり合ったこと。「東京の味」というのは「都会の味」。今は田舎にいても宅配で「都会の味」に触れることは簡単なのです。が、「エル・マドロン」との出会いは八王子で、たまたま私の仕事場のお茶の時間に知ったモノ。八王子で就職した先の仕事場に置かれていた、ということから「田舎にいては知れなかった味」で、「東京の味」とします。「エル・マドロン」の洋菓子。職場で一枚だけいただいたクッキーがすごく美味しかったので、「エル・マドロン」の会社に電話してみました。「八王子に住んでるんですけど、近くでお宅の洋菓子、買えませんか?」と。電話対応してくださった方は親切に「多摩地域ですと、吉祥寺の駅近くの「ミウラ屋」にて売っております」と。私(そうか・・・吉祥寺でしか売っていないのか。吉祥寺ってそんな町だったのか・・・)と、改めて多摩地域の中の吉祥寺の存在の大きさを思い知ったわけでありました。
後日、JR吉祥寺駅近くの交番で道順を聞いて、たどり着いた「ミウラ屋」で「エル・マドロン」の洋菓子を買うことが出来ました。その時は夏でしたが、冷えた紅茶に添えて楽しみました。これからの夜長。楽しい読書の良い相棒になりそうです。(山本豊美)
牛久で図書館の本を修復する人たち
2008-10-19 20:09:14
今回は「のんびる11月号」に掲載されている「牛久製本同好会」のリポートをお届けします。
私は2年ほど前、「日本中の図書館で、近年本を借りる人のマナーが悪くなり、ページが破られたり落書きされたりした本が増え、困っている」という新聞記事を目にし、印象に残りました。『傷んだ本はどうなるのだろう・・・?』と常々思っていました。
そんな私に8月末、編集室から(ボランティアで図書館の本を修復する活動をしている)「牛久製本同好会」の取材依頼が届きまして、「これは日頃抱いていた疑問を解決するチャンス!」とばかり、喜んで私はその話に飛びつきました。
取材したのは9月3日の水曜日。毎週水曜日の午前中が会の活動日なのです。牛久市立中央図書館の1室で会員の皆さんが本の修復作業をしている現場にお邪魔しました。私が訪問したときは8人が修復作業をしていました。

綴じがバラバラになった本の綴じ直しの作業をする会員さん。
代表の山川輝夫(やまかわ てるお)さんは、「いつもはもっと多いんです。うちはシャイな人が多くて、『取材で写真を撮られるのは恥ずかしい』と早々帰ってしまった人や、休んでしまった人もいるんですよ」と言いつつ笑顔で迎えてくださいました。

ハサミを使ったり、糊をつけた筆を使ったり、黙々と各々の作業に没頭する会員さんたち。本の修復には神経の集中を要する。
山川さんは、本の修復の手を休めず、傷んだ本を見せながら私の質問に丁寧に答えてくださいました。
「近年の本の傷み方はひどいのですか?」との質問に、「そうですねえ。昔には考えられなかった汚し方を目にすることがありますねえ・・・」「例えば、これ」と山川さんが見せてくれた本。
「犬が齧ったあとです」と・・・。「はあ・・・つまり、家の床に放り出して置いたら、家の中で飼っている犬が・・・ということですよね」と私がつぶやくと「そうです」とうなづく山川さん。
本の扱い方も昔と変ってぞんざいになったし、ライフスタイル(犬を家の中で飼うなどの)も変ってきたから・・・という日本人のくらしの背景があるようです。
「クッキーなどの食べものの粉が折り挟まれた本も多いです」ともおっしゃっていました。

「セロハンテープで自分で破損本を直す人もいるんですが、これも困ります。べたつきや黄変が起こりますからね」いろんな事例を話す山川さん。(右横顔)

豪華本の修復もある。この本は裏表紙の扇の貼り絵が破れていた。
「それと・・・」と、山川さんが表情を改めておっしゃったのは「最近の本は綴じかたが安易に出来ているんですよ。製本が悪い。だからすぐに本の姿が崩れるのです」と。

本の背を見せて綴じかたの説明をする山川さん。
・・・なるほど、最近は本を読む側の姿勢もぞんざいなら、製本する側も軽いのか・・・・。大量の出版物が毎日のように発刊され、機械化に便利な「無線綴じ」の廉価版が出回る現代。書籍は消耗品となる傾向にあります。
「良い書籍は消耗品ではない!」と「牛久製本同好会」の人たちは理念を掲げます。
山川さんは昔作られた本と、最近出回っている子供向けの本の綴じかたの違いを、実物を見せながら説明してくださいました。確かに昔の本は背を糸でしっかり綴じてありました。最近の本の多くは糊で貼り付けてあるものが多いことも目のあたりにしました。また、糸綴じの本でも、その糸が弱い糸で細い糸で綴じられている場合が多いそうです。
修理の方法は、いくつかあります。もちろん個々の本の真新しい状態に戻す修復ですから、その本の成り立ちに沿って修復が行われます。糊綴じの本であれば糊綴じに、糸綴じであれば糸で綴じます。犬が齧ったページはその部分を綺麗に切り、欠けた箇所に同質の紙を貼って修復されていました。

「近代の本は紙質もいろいろですね。ビニールをコーティングしたような紙もありますね。そういう本が水に濡れてしまったものを修復するのはとても大変です」と山川さん。
作業机には糸・糊・アイロン・ハサミといった道具がたくさん置かれています。8人が8様にそれぞれの修復をしていらっしゃいます。別の机に載っている重石をする機械を動かしている人もいます。修復成った本は重石をかけて姿形を整えるのです。

牛久市にお住まいの会員の皆さん。自分の書いた本を製本したりもしている。製本の学習会にも出たり、と自己研鑽に熱心。
図書館の蔵書修復に必要な道具類は皆図書館側で用意してくれるとのことです。毎週一度10名ほどが集まり修復作業を行ってもまだまだ修復を待つ本はたくさんあります。「悲しいのは、私達が修復して戻した本がまた修復に回ってきた時です」と、山川さん。
11月3日「文化の日」は牛久中央図書館の「図書館まつり」。「牛久製本同好会」はこの日図書館で、図書館利用者の持参した個人の毀れた本の修復をします。

「図書館まつりには毎年参加していますが、修復成った本を手に瞳を輝かす子ども達や年配の人たち姿を見るのが嬉しいですね」と山川さん。
「牛久製本同好会」の皆さんは本をこよなく愛し、また、文化を伝える縁の下の力持ち的人たちなのだと感じました。
聞けば「牛久製本同好会」のような、図書館蔵書修復のボランティアは各地でいくつか誕生しているとのこと。それは嬉しい。全国の図書館に満遍なくそうした縁の下の力持ちがついて欲しい。そうしたらどんなに地域文化が活き活きすることでしょう!
山川さんの今後の夢は、個人の書籍の修理とその相談にも応じたいということ。今迄も、関東圏内の人たちから個人蔵書に関する相談を受けることは度々ありましたが、「遠方から足を運んでもらうのは大変だ」とお客様を思いやる山川さん。「デジタルカメラやメールを介してヒント助言をさせていただくシステムを構築したい」と夢見ておられるのです。興味のある方、趣旨に賛同される方は山川さんに是非連絡をして下さい。
山川さんのメールアドレスは
yamasan9@olive.ocn.ne.jp
(山本豊美)
私は2年ほど前、「日本中の図書館で、近年本を借りる人のマナーが悪くなり、ページが破られたり落書きされたりした本が増え、困っている」という新聞記事を目にし、印象に残りました。『傷んだ本はどうなるのだろう・・・?』と常々思っていました。
そんな私に8月末、編集室から(ボランティアで図書館の本を修復する活動をしている)「牛久製本同好会」の取材依頼が届きまして、「これは日頃抱いていた疑問を解決するチャンス!」とばかり、喜んで私はその話に飛びつきました。
取材したのは9月3日の水曜日。毎週水曜日の午前中が会の活動日なのです。牛久市立中央図書館の1室で会員の皆さんが本の修復作業をしている現場にお邪魔しました。私が訪問したときは8人が修復作業をしていました。

綴じがバラバラになった本の綴じ直しの作業をする会員さん。
代表の山川輝夫(やまかわ てるお)さんは、「いつもはもっと多いんです。うちはシャイな人が多くて、『取材で写真を撮られるのは恥ずかしい』と早々帰ってしまった人や、休んでしまった人もいるんですよ」と言いつつ笑顔で迎えてくださいました。

ハサミを使ったり、糊をつけた筆を使ったり、黙々と各々の作業に没頭する会員さんたち。本の修復には神経の集中を要する。
山川さんは、本の修復の手を休めず、傷んだ本を見せながら私の質問に丁寧に答えてくださいました。
「近年の本の傷み方はひどいのですか?」との質問に、「そうですねえ。昔には考えられなかった汚し方を目にすることがありますねえ・・・」「例えば、これ」と山川さんが見せてくれた本。
「犬が齧ったあとです」と・・・。「はあ・・・つまり、家の床に放り出して置いたら、家の中で飼っている犬が・・・ということですよね」と私がつぶやくと「そうです」とうなづく山川さん。
本の扱い方も昔と変ってぞんざいになったし、ライフスタイル(犬を家の中で飼うなどの)も変ってきたから・・・という日本人のくらしの背景があるようです。
「クッキーなどの食べものの粉が折り挟まれた本も多いです」ともおっしゃっていました。

「セロハンテープで自分で破損本を直す人もいるんですが、これも困ります。べたつきや黄変が起こりますからね」いろんな事例を話す山川さん。(右横顔)

豪華本の修復もある。この本は裏表紙の扇の貼り絵が破れていた。
「それと・・・」と、山川さんが表情を改めておっしゃったのは「最近の本は綴じかたが安易に出来ているんですよ。製本が悪い。だからすぐに本の姿が崩れるのです」と。

本の背を見せて綴じかたの説明をする山川さん。
・・・なるほど、最近は本を読む側の姿勢もぞんざいなら、製本する側も軽いのか・・・・。大量の出版物が毎日のように発刊され、機械化に便利な「無線綴じ」の廉価版が出回る現代。書籍は消耗品となる傾向にあります。
「良い書籍は消耗品ではない!」と「牛久製本同好会」の人たちは理念を掲げます。
山川さんは昔作られた本と、最近出回っている子供向けの本の綴じかたの違いを、実物を見せながら説明してくださいました。確かに昔の本は背を糸でしっかり綴じてありました。最近の本の多くは糊で貼り付けてあるものが多いことも目のあたりにしました。また、糸綴じの本でも、その糸が弱い糸で細い糸で綴じられている場合が多いそうです。
修理の方法は、いくつかあります。もちろん個々の本の真新しい状態に戻す修復ですから、その本の成り立ちに沿って修復が行われます。糊綴じの本であれば糊綴じに、糸綴じであれば糸で綴じます。犬が齧ったページはその部分を綺麗に切り、欠けた箇所に同質の紙を貼って修復されていました。

「近代の本は紙質もいろいろですね。ビニールをコーティングしたような紙もありますね。そういう本が水に濡れてしまったものを修復するのはとても大変です」と山川さん。
作業机には糸・糊・アイロン・ハサミといった道具がたくさん置かれています。8人が8様にそれぞれの修復をしていらっしゃいます。別の机に載っている重石をする機械を動かしている人もいます。修復成った本は重石をかけて姿形を整えるのです。

牛久市にお住まいの会員の皆さん。自分の書いた本を製本したりもしている。製本の学習会にも出たり、と自己研鑽に熱心。
図書館の蔵書修復に必要な道具類は皆図書館側で用意してくれるとのことです。毎週一度10名ほどが集まり修復作業を行ってもまだまだ修復を待つ本はたくさんあります。「悲しいのは、私達が修復して戻した本がまた修復に回ってきた時です」と、山川さん。
11月3日「文化の日」は牛久中央図書館の「図書館まつり」。「牛久製本同好会」はこの日図書館で、図書館利用者の持参した個人の毀れた本の修復をします。

「図書館まつりには毎年参加していますが、修復成った本を手に瞳を輝かす子ども達や年配の人たち姿を見るのが嬉しいですね」と山川さん。
「牛久製本同好会」の皆さんは本をこよなく愛し、また、文化を伝える縁の下の力持ち的人たちなのだと感じました。
聞けば「牛久製本同好会」のような、図書館蔵書修復のボランティアは各地でいくつか誕生しているとのこと。それは嬉しい。全国の図書館に満遍なくそうした縁の下の力持ちがついて欲しい。そうしたらどんなに地域文化が活き活きすることでしょう!
山川さんの今後の夢は、個人の書籍の修理とその相談にも応じたいということ。今迄も、関東圏内の人たちから個人蔵書に関する相談を受けることは度々ありましたが、「遠方から足を運んでもらうのは大変だ」とお客様を思いやる山川さん。「デジタルカメラやメールを介してヒント助言をさせていただくシステムを構築したい」と夢見ておられるのです。興味のある方、趣旨に賛同される方は山川さんに是非連絡をして下さい。
山川さんのメールアドレスは
yamasan9@olive.ocn.ne.jp
(山本豊美)
牛久で楽しむ秋の一日
2008-10-14 05:40:02
秋の一日。茨城県の牛久に行ってみませんか。

ここは牛久市立中央図書館。「牛久製本同好会」の人たちが、図書館の蔵書で破損した本を修理しています。週一度集まって修理している会を取材に行った9月3日。すごく暑い日でした。会の人たちの地域文化を支える熱意に感動を覚えつつ取材を終えて外にでると、図書館の前に「知恵の神」フクロウのモニュメントが建っていました。

ここはイタリアでしょうか?
いえ、牛久です。建物の上の空を見て「ピエロ・デ・ラ・フランチェスカの画の空だ」とつぶやいてしまいました。が、牛久市の空です。建物は牛久市立中央図書館の傍に建つ牛久市中央生涯学習センター。誰の手による建築なのか知りたくて建物の、周りや館内をそぞろに歩きまわりました。でも、わかりませんでした。

牛久市中央生涯学習センターの前庭。建てるのに協力した人の名前の入ったレンガが詰まれて渦巻き状の丘になっていました。

ここはヨーロッパでしょうか?いえ牛久です。「神谷シャトー」と呼ばれている処。牛久市立中央図書館で本の修復作業をしていた牛久市の人たちに「近くにあるから時間があったら立ち寄って見てください」と薦められた観光スポット。

「よく、スケッチをしている人たちがいますよ」との言葉どおり、この日も建物のスケッチをしている人たちの姿が館内の庭あちこちにありました。
この「威風堂々」というクラシックの名曲を連想してしまう姿はどうでしょう!さすがに「シャトー」と呼ばれるだけのことはあります。

壁画もあります。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」ですね。

これはイギリスの文豪シェークスピアの胸像。「神谷シャトー」敷地内には胸像がたくさん建っている小道があります。世界中から文化をいっぱい集めたかったのでしょうか・・・。
「神谷シャトー」の創立者とその歴史を知りたくなりました。
学習欲の前に食欲が優先されます。昼食を取れる場所を探すことにしました。
私は出掛けに、牛久に行ったら牛久沼のほとりにうなぎ料理の店が立ち並ぶ、通称「うなぎロード」に行き、何処かの店でうな重を食べることと決めていました。
でも今「神谷シャトー」に立ち寄って、まだそんなに此処を楽しんでいないのに牛久沼に移動するというのは勿体無い気がしてきました。それで、泣くなく今回、ウナギは諦めることにしました。
「神谷シャトー」内にはいくつかの食べ処があります。私は和食を選びました。「富貴洞」という和食のお店に入りました。高級料亭か・・・。恐る恐る入りました。
ところが。「富貴洞」のテーブルについてメニューを見ると、なんと!うな重があるではありませんか!
迷わず注文しました。

出てきたうな重は、思わず感嘆の声をあげるほど。食欲の権化となった私、写真を撮るのを忘れて夢中で喰らいついてしまい、慌てて食べかけを撮ったのが上の写真。ごめんなさい、うな重さま!こんな姿に写されて。それにしても、これで1,900円とは!安いと思いませんか?
おまけに「富貴洞」は高級な割烹の料亭の風格を持っています。大きな窓から日本庭園を眺めつつ心ゆくまでゆったりと食事が楽しめるのです。

牛久沼のほとりの鰻の名店から沼を見下ろしつつ食べるうな重もいいでしょうが・・・見て下さい。この日本庭園。10月末〜11月の紅葉の秋にはどんなでしょう・・・。
「富貴洞」で食欲を満たしてから、散歩欲を開放することに。
「神谷シャトー」の園内には素敵な散歩道がたくさんありました。

鯉の泳ぐ池・・・じっとのぞくのはン十年ぶり。

瀧もありました。瀧から鯉の泳ぐ池まで続く水路はまだ整備途上の感じ。これからの歳月でしっとりとした日本庭園になっていくでしょう。楽しみです。

「神谷シャトー」の園内の小道には木漏れ陽が。こんな道を歩いていると「マロニエの並木道」とか「ブロー二ュの森」とかの言葉でパリに憧れを抱いていた昔の自分が思い出されます。
「神谷シャトー」は浅草の「神谷バー」で有名な酒造家、神谷伝兵衛が作った酒造工場を現代によみがえらせたものです。
初秋のこの日の牛久行き。
私の知識欲は「神谷バー」の、また「電気ブラン」と呼ばれるお酒の由来を知ったことで満たされました。(知りたい方は神谷シャトーのホームページをご覧あれ)
そして小さな森ともいうべき園内の散歩で散歩欲も満たされました。
美味しい食事で食欲も満たしました。
さて・・・残るは買い物欲です。
お土産店でワインや地ビールや、もちろん電気ブランも、抱えきれないほど買い込んで、「4大欲」を満たされ、私は牛久をあとにしました。
深まり行く秋。何処かへ一日ぶらりと行って見ようかな・・・と思っている方は、牛久にお出かけになってみてはどうでしょう。心身共にリフレッシュできますよ。(山本豊美)

ここは牛久市立中央図書館。「牛久製本同好会」の人たちが、図書館の蔵書で破損した本を修理しています。週一度集まって修理している会を取材に行った9月3日。すごく暑い日でした。会の人たちの地域文化を支える熱意に感動を覚えつつ取材を終えて外にでると、図書館の前に「知恵の神」フクロウのモニュメントが建っていました。

ここはイタリアでしょうか?
いえ、牛久です。建物の上の空を見て「ピエロ・デ・ラ・フランチェスカの画の空だ」とつぶやいてしまいました。が、牛久市の空です。建物は牛久市立中央図書館の傍に建つ牛久市中央生涯学習センター。誰の手による建築なのか知りたくて建物の、周りや館内をそぞろに歩きまわりました。でも、わかりませんでした。

牛久市中央生涯学習センターの前庭。建てるのに協力した人の名前の入ったレンガが詰まれて渦巻き状の丘になっていました。

ここはヨーロッパでしょうか?いえ牛久です。「神谷シャトー」と呼ばれている処。牛久市立中央図書館で本の修復作業をしていた牛久市の人たちに「近くにあるから時間があったら立ち寄って見てください」と薦められた観光スポット。

「よく、スケッチをしている人たちがいますよ」との言葉どおり、この日も建物のスケッチをしている人たちの姿が館内の庭あちこちにありました。
この「威風堂々」というクラシックの名曲を連想してしまう姿はどうでしょう!さすがに「シャトー」と呼ばれるだけのことはあります。

壁画もあります。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」ですね。

これはイギリスの文豪シェークスピアの胸像。「神谷シャトー」敷地内には胸像がたくさん建っている小道があります。世界中から文化をいっぱい集めたかったのでしょうか・・・。
「神谷シャトー」の創立者とその歴史を知りたくなりました。
学習欲の前に食欲が優先されます。昼食を取れる場所を探すことにしました。
私は出掛けに、牛久に行ったら牛久沼のほとりにうなぎ料理の店が立ち並ぶ、通称「うなぎロード」に行き、何処かの店でうな重を食べることと決めていました。
でも今「神谷シャトー」に立ち寄って、まだそんなに此処を楽しんでいないのに牛久沼に移動するというのは勿体無い気がしてきました。それで、泣くなく今回、ウナギは諦めることにしました。
「神谷シャトー」内にはいくつかの食べ処があります。私は和食を選びました。「富貴洞」という和食のお店に入りました。高級料亭か・・・。恐る恐る入りました。
ところが。「富貴洞」のテーブルについてメニューを見ると、なんと!うな重があるではありませんか!
迷わず注文しました。

出てきたうな重は、思わず感嘆の声をあげるほど。食欲の権化となった私、写真を撮るのを忘れて夢中で喰らいついてしまい、慌てて食べかけを撮ったのが上の写真。ごめんなさい、うな重さま!こんな姿に写されて。それにしても、これで1,900円とは!安いと思いませんか?
おまけに「富貴洞」は高級な割烹の料亭の風格を持っています。大きな窓から日本庭園を眺めつつ心ゆくまでゆったりと食事が楽しめるのです。

牛久沼のほとりの鰻の名店から沼を見下ろしつつ食べるうな重もいいでしょうが・・・見て下さい。この日本庭園。10月末〜11月の紅葉の秋にはどんなでしょう・・・。
「富貴洞」で食欲を満たしてから、散歩欲を開放することに。
「神谷シャトー」の園内には素敵な散歩道がたくさんありました。

鯉の泳ぐ池・・・じっとのぞくのはン十年ぶり。

瀧もありました。瀧から鯉の泳ぐ池まで続く水路はまだ整備途上の感じ。これからの歳月でしっとりとした日本庭園になっていくでしょう。楽しみです。

「神谷シャトー」の園内の小道には木漏れ陽が。こんな道を歩いていると「マロニエの並木道」とか「ブロー二ュの森」とかの言葉でパリに憧れを抱いていた昔の自分が思い出されます。
「神谷シャトー」は浅草の「神谷バー」で有名な酒造家、神谷伝兵衛が作った酒造工場を現代によみがえらせたものです。
初秋のこの日の牛久行き。
私の知識欲は「神谷バー」の、また「電気ブラン」と呼ばれるお酒の由来を知ったことで満たされました。(知りたい方は神谷シャトーのホームページをご覧あれ)
そして小さな森ともいうべき園内の散歩で散歩欲も満たされました。
美味しい食事で食欲も満たしました。
さて・・・残るは買い物欲です。
お土産店でワインや地ビールや、もちろん電気ブランも、抱えきれないほど買い込んで、「4大欲」を満たされ、私は牛久をあとにしました。
深まり行く秋。何処かへ一日ぶらりと行って見ようかな・・・と思っている方は、牛久にお出かけになってみてはどうでしょう。心身共にリフレッシュできますよ。(山本豊美)
オーガニックショップしみず
2008-10-09 07:25:08
先週ブログでお伝えしました「日本熊森協会」の出会いに繋がる話。私が本「クマともりとひと」を手に入れたのは「オーガニックフードショップ」の「しみず」というお店。神奈川県相模原市藤野町にあります。「日本熊森協会」代表の森山まり子さんの素晴らしい講演の余韻がまだ覚めやらぬ10月2日、私と「熊森・・・」の縁をたぐりよせたい気持ちになり、ふらりと、この店を訪れました。お店には店主の清水さんがいらっしゃり、本「クマともりとひと」についてお話を聞くことが出来ました。

私が購入したときはお店の窓側の本棚においてあった本「クマともりとひと」がこの日はレジの机の上に平積みされていました。感激!
「私もこの本に感動して、一人で多くの人に読んでもらいたいと思い、店におくことにしたんですよ」と顔をほころばせる清水さん。このお店に来るお客さんの中にも「日本熊森・・」の会員がいらっしゃるとか。「すぐ読める本だから、人から借りて回し読みでもいいですから読んでほしいですよね」ともおっしゃっていました。ところで、このお店、人生を楽しみ、自然を愛する清水さんの人となりがそのまま形になったようなお店なのです。紹介しましょう。

私が購入したときはお店の窓側の本棚においてあった本「クマともりとひと」がこの日はレジの机の上に平積みされていました。感激!
「私もこの本に感動して、一人で多くの人に読んでもらいたいと思い、店におくことにしたんですよ」と顔をほころばせる清水さん。このお店に来るお客さんの中にも「日本熊森・・」の会員がいらっしゃるとか。「すぐ読める本だから、人から借りて回し読みでもいいですから読んでほしいですよね」ともおっしゃっていました。ところで、このお店、人生を楽しみ、自然を愛する清水さんの人となりがそのまま形になったようなお店なのです。紹介しましょう。
熊と森と人
2008-09-29 04:18:28
このところ学習会づいています。「エコフィード学習会」も大変勉強になりましたが、今回の学習会も忘れられぬ学習会になりそうです。9月28日、国分寺、本多公民館で行われた「日本熊森協会 森山まり子氏講演会」という学習会です。テーマは「クマ達が棲む豊かな森を次世代へ・・・」です。

主催は「パルシステム東京 国分寺委員会」と「六ヶ所から地球を考える委員会」の連携企画。会場には50名ほどの男女が詰め掛けました。

講師の森山まり子さんは「日本熊森協会」の会長です。私、山本は今年の夏、ラジオの深夜便で森山さんのお話を耳にする機会があり、そのお話が印象に残っていたので、森山さんの声を東京で生で聞けるチャンスと思い、勇んで出かけて行きました。
そのとき携えていったのが本「クマともりとひと」。これは少し前、神奈川県相模原市藤野町名倉にあるオーガニックフードショップ「しみず」で見つけ、購入したもの。100円でした。

買ってきた晩その本を読み(小冊子なのですぐに読めます)、感動した私はすぐにでも本の末尾についている日本熊森協会の入会ハガキを使って会員になろうと思ったのですが、寸前で「自分は今多くのことに携わりすぎている。これ以上何かに首を突っ込むことは出来ない」と思い直し、保留中。
今回、森山さんのお話の中に「今、熊森協会に全国から入会者が相次いで会員数は2万人超えています」という言葉があったので、何だかほっとしました。
でも森山さんが講演の最後にいつも使われるという、マザー・テレサの言葉の引用「愛は言葉ではありません。行動です」という言葉が胸にじんときている私。さて・・・どうしようか・・・迷います。
会員になって「熊の棲める山のトラスト運動」に加わる余裕の無い私は、せめて熊の好む木の実「ドングリ」でも庭で育てて、実がなったら協会に送るとかして居ながらにして出来る貢献を・・・などと考えつつ暮らしていたところ、先日、近所で、ドングリの実をを見つけました。
今まで気にも留めなかった木の実。「クマともりとひと」の本を読んでからは、ドングリの実を見つけたら通りすぎるわけには行きません。拾って家に持ち帰りました。今回、森山さんの講演会にもそれを持参しました。講演の後きっと質疑応答があるから、そのときに聞いてみようと思ったのです、「山に行かれない私は、この実を庭に植えて育てたとして、そんなことでもクマを守る何らかの力になりますか?」と。
・・・でも・・・聞けませんでした。この日の森山さんのお話が(ラジオで聞いたお話とも本で読んだ内容ともほぼ重なるのに)、私には素晴らしく感動的でありまして、涙が出てとまりません。講演が終わったとき私は存分に涙流した後のカタルシスに包まれており、そんな質問をすることも忘れてしまったからでした。

近所で拾ったドングリ。クヌギの木の実です。クマの好むのはどちらかというと先の尖ったコナラなどの木の実のドングリみたいですが・・・。
でも、私などが質問にしゃしゃり出ずとも、会場内で質問者はたくさん現れました。「自分の住むところで熊森協会の支部を作りたいのですが、どうすれば作れますか?」といった質問や、「関東近辺の山の実情を知るため山に入るには、どうすればいいのでしょう?山って個人所有の所もあり、簡単には入山出来ないでしょう?」といった質問が続きました。

そうした質問すべてに、朗らかに丁寧に答えている森山さん。本当に熊のこと、山のことを良く勉強なさった方なのだ、と改めて感心しました。
森山さんのお話の内容をここで紹介するにはスペースがありません。本「クマともりとひと」に載っていますので、知りたい方は是非本を手に入れて読んでみて下さい。近くの本屋さんに無い場合は以下にお問い合わせを。
Eメール
kumamoribook@docomo.ne.jp
ホームページ
http://homepage2.nifty.com/kumamori/
ホームページに入るにはこの記事冒頭の「日本熊森協会」の文字をクリックしても入れます。

本「クマともりとひと」の裏表紙。はぐれていた仔熊のクロちゃんの写真(現在はもう仔熊ではありませんが・・・)。
最後に、森山さんのお話からこんな一挿話を・・・
ある猟師がいいました。「今まで『金太郎伝説』って作り話と思っていたんだ。でもクマと暮らしはじめて、あれは昔、実際にあったことじゃないかと思うようになった。熊と人は仲良く暮らせるんだ。熊は・・・例えば、最高に忍耐強く優しい大きな犬のようなものさ。人間から受けた恩は絶対に忘れない。そして、子どもや他の動物と遊ぶのが大好きなんだよ。・・・家で引き取って育てた熊が高齢で死んでしまったとき、家内は号泣したよ。自分の子どもが死んだときのように・・・さ・・・」
ああ、今思い出してまた涙が・・・。極上の落語を聴いたあとみたいに面白く、人情や世間のしがらみを考えさせるお話をしてくださった森山まり子さん。これからも元気で日本中を飛び回り全国の熊森ファンを増やしていって欲しいです。(山本豊美)

主催は「パルシステム東京 国分寺委員会」と「六ヶ所から地球を考える委員会」の連携企画。会場には50名ほどの男女が詰め掛けました。

講師の森山まり子さんは「日本熊森協会」の会長です。私、山本は今年の夏、ラジオの深夜便で森山さんのお話を耳にする機会があり、そのお話が印象に残っていたので、森山さんの声を東京で生で聞けるチャンスと思い、勇んで出かけて行きました。
そのとき携えていったのが本「クマともりとひと」。これは少し前、神奈川県相模原市藤野町名倉にあるオーガニックフードショップ「しみず」で見つけ、購入したもの。100円でした。

買ってきた晩その本を読み(小冊子なのですぐに読めます)、感動した私はすぐにでも本の末尾についている日本熊森協会の入会ハガキを使って会員になろうと思ったのですが、寸前で「自分は今多くのことに携わりすぎている。これ以上何かに首を突っ込むことは出来ない」と思い直し、保留中。
今回、森山さんのお話の中に「今、熊森協会に全国から入会者が相次いで会員数は2万人超えています」という言葉があったので、何だかほっとしました。
でも森山さんが講演の最後にいつも使われるという、マザー・テレサの言葉の引用「愛は言葉ではありません。行動です」という言葉が胸にじんときている私。さて・・・どうしようか・・・迷います。
会員になって「熊の棲める山のトラスト運動」に加わる余裕の無い私は、せめて熊の好む木の実「ドングリ」でも庭で育てて、実がなったら協会に送るとかして居ながらにして出来る貢献を・・・などと考えつつ暮らしていたところ、先日、近所で、ドングリの実をを見つけました。
今まで気にも留めなかった木の実。「クマともりとひと」の本を読んでからは、ドングリの実を見つけたら通りすぎるわけには行きません。拾って家に持ち帰りました。今回、森山さんの講演会にもそれを持参しました。講演の後きっと質疑応答があるから、そのときに聞いてみようと思ったのです、「山に行かれない私は、この実を庭に植えて育てたとして、そんなことでもクマを守る何らかの力になりますか?」と。
・・・でも・・・聞けませんでした。この日の森山さんのお話が(ラジオで聞いたお話とも本で読んだ内容ともほぼ重なるのに)、私には素晴らしく感動的でありまして、涙が出てとまりません。講演が終わったとき私は存分に涙流した後のカタルシスに包まれており、そんな質問をすることも忘れてしまったからでした。

近所で拾ったドングリ。クヌギの木の実です。クマの好むのはどちらかというと先の尖ったコナラなどの木の実のドングリみたいですが・・・。
でも、私などが質問にしゃしゃり出ずとも、会場内で質問者はたくさん現れました。「自分の住むところで熊森協会の支部を作りたいのですが、どうすれば作れますか?」といった質問や、「関東近辺の山の実情を知るため山に入るには、どうすればいいのでしょう?山って個人所有の所もあり、簡単には入山出来ないでしょう?」といった質問が続きました。

そうした質問すべてに、朗らかに丁寧に答えている森山さん。本当に熊のこと、山のことを良く勉強なさった方なのだ、と改めて感心しました。
森山さんのお話の内容をここで紹介するにはスペースがありません。本「クマともりとひと」に載っていますので、知りたい方は是非本を手に入れて読んでみて下さい。近くの本屋さんに無い場合は以下にお問い合わせを。
Eメール
kumamoribook@docomo.ne.jp
ホームページ
http://homepage2.nifty.com/kumamori/
ホームページに入るにはこの記事冒頭の「日本熊森協会」の文字をクリックしても入れます。

本「クマともりとひと」の裏表紙。はぐれていた仔熊のクロちゃんの写真(現在はもう仔熊ではありませんが・・・)。
最後に、森山さんのお話からこんな一挿話を・・・
ある猟師がいいました。「今まで『金太郎伝説』って作り話と思っていたんだ。でもクマと暮らしはじめて、あれは昔、実際にあったことじゃないかと思うようになった。熊と人は仲良く暮らせるんだ。熊は・・・例えば、最高に忍耐強く優しい大きな犬のようなものさ。人間から受けた恩は絶対に忘れない。そして、子どもや他の動物と遊ぶのが大好きなんだよ。・・・家で引き取って育てた熊が高齢で死んでしまったとき、家内は号泣したよ。自分の子どもが死んだときのように・・・さ・・・」
ああ、今思い出してまた涙が・・・。極上の落語を聴いたあとみたいに面白く、人情や世間のしがらみを考えさせるお話をしてくださった森山まり子さん。これからも元気で日本中を飛び回り全国の熊森ファンを増やしていって欲しいです。(山本豊美)
エコフィードに農畜産業の未来がかかっている?
2008-09-27 09:13:57
9月16日(火)に東京都多摩消費生活センターで学習会があり行ってきました。「エコフィード学習会」。テーマは「食料自給率向上に向けて」「資源循環型農業について」の2つ。主催したのはパルシステム東京の「商品と食を考える委員会」をはじめとする「フード分野別委員会」。講師はパルシステム組合員にはお馴染みの、野菜果物を扱う(株)ジーピーエスの常務取締役 高橋宏通(たかはし ひろみち)さん。
「エコフィード」(食品残さ等利用飼料)についての取り組みのお話と聴取者との質疑応答の2時間はあっという間でした。50名近くの参加者はパルシステム東京の組合員の女性達。

保育もつけて、若いお母さん世代から60歳代まで幅広い年齢層が参加していました。
高橋さんのお話は、はじめに「農業の本来の意義」を踏まえた上で「今後の農業は環境との調和をいかに構築していくのかが大きな課題となる」と、大きく環境問題として展開していきます。
日本で「環境保全型農業」関連の法が整備されてきた現状も語り、今(この時点で)消費者を不安にさせている「中国産餃子事件」のが投げかけた問題にも言及しました。
冒頭、「世界の食糧危機と日本の食糧自給率」を数値で明確に説明したこともリスナーの耳をそばだてる、周到な企ての講演。
ちなみにそこの部分だけをここで引用します。
・日本の食料自給率はカロリーベースで40%、穀物ベースでは27%。
・日本の耕作農地は約450万ha弱。海外に頼っている食料に必要な耕作面積は1,200万haといわれています。
・世界人口60億人のうち、飢餓に苦しむ人々が8億3千万人もいます。3秒間に一人の割合で命を失う子ども達がいます。
・増え続ける世界人口、食料需要はますます逼迫(2002年国連推計)
(1950年)25億人→(2000年)61億人→(2015年)72億人→(2025年)79億人→(2050年)89億人
こうした統計を突きつけられると、私達は「自分達の食料をこのまま外国に依存していて良いわけが無い!」と思いますよね。そこで日本国内の生産現場で今後私達の食料をどう作ってくれるのか・・・に目がいきます。はたして作れるのか?

熱く語る高橋宏通さん。日本の農業生産の現場をあまねく渡り歩いた人ならではの説得力のある事例報告が幾つも展開しました。
高橋さんのお話は現状の問題点とその解決法とを交互に投げかけつつ進行しました。そして、「エコフィード」の取り組みが私達の今後の食料自給に大きく貢献することを示唆して終わりました。
その後の質疑応答ではたくさんの手が挙がりましたが、時間が限られていたため数名との質疑応答に絞られました。
さすがに皆さん、高橋さんのお話の細かいところまでよく聞いているなあと思わせる質問が続出。が、少し意外だったのは、質問者の声の中に「世界中で飢餓が進行している今、私達は他国の食料を奪ってはならないと思う。そのために自分のできることを今からでもやりたい。まずは日本の農業生産者を守ること。そして農地をもっと広めること。それだけでもまだまだ足りないので、自分で田畑を作ります。そして自分の食料は自分で調達します!」というような宣言がなかったこと。山本、期待したのに・・・ちょっと残念。単純直情型の山本のような人が参加者の中にはいなかったのか知らん・・・。でもきっと心のうちではそう感じてるねみんな!
会場に生産者が混じっていたならまた違った質疑応答が展開されたのではないかしら・・・。だって、エコフィード(食品残さ利用飼料)を自分の大切な家畜に食べさせるのだものね。添加物が入っていたり、少しでも変なものが混ざっていたら恐いです。実際はエコフィードの飼料は家畜に与える餌の中の数パーセントに過ぎないのです。生産者も選んで飼料を与えています。それにしても、日本の食のために実験に協力している生産者はスゴイ!高橋さんのお話からもそうした全国有数の生産現場の方々の環境循環型農業へのあくなき挑戦の姿勢がわかります。
日本の食料問題、消費者と生産者の両翼で飛ばなければ自給率向上への空に舞い上がることは出来ない!と改めて感じた講演会でした。
「エコフィード」についてはこのセカンドリーグブログでも去年11月に浅越リポーターが取り上げています。浅越さんの記事の主眼は「エコフィードに行く前に食物の大切さを思って残さず食べようよ」
というものでした。まったく正論と思います。
今回の高橋さんも質疑に答える中で、「食物残さの中でも、例えば玉ねぎ。犬・猫でも嫌がります。家畜の餌からも排除したい。人間が歯を食いしばっても食べるべき」と笑いながら言っておられました。本当は玉ねぎに限らず、何でも人間が自分のために選び、調達した食料であれば残さず食べるべきでしょうね。
10月17日(金)には、「エコフィード」の取り組みをしている工場への見学会が予定されています。今回の講演会参加者の多くが足を運び、さらに「エコフィード」と「食の未来」を自らの中で消化吸収して次なる行動へと動いてくれることを期待しています。(山本豊美)
「エコフィード」(食品残さ等利用飼料)についての取り組みのお話と聴取者との質疑応答の2時間はあっという間でした。50名近くの参加者はパルシステム東京の組合員の女性達。

保育もつけて、若いお母さん世代から60歳代まで幅広い年齢層が参加していました。
高橋さんのお話は、はじめに「農業の本来の意義」を踏まえた上で「今後の農業は環境との調和をいかに構築していくのかが大きな課題となる」と、大きく環境問題として展開していきます。
日本で「環境保全型農業」関連の法が整備されてきた現状も語り、今(この時点で)消費者を不安にさせている「中国産餃子事件」のが投げかけた問題にも言及しました。
冒頭、「世界の食糧危機と日本の食糧自給率」を数値で明確に説明したこともリスナーの耳をそばだてる、周到な企ての講演。
ちなみにそこの部分だけをここで引用します。
・日本の食料自給率はカロリーベースで40%、穀物ベースでは27%。
・日本の耕作農地は約450万ha弱。海外に頼っている食料に必要な耕作面積は1,200万haといわれています。
・世界人口60億人のうち、飢餓に苦しむ人々が8億3千万人もいます。3秒間に一人の割合で命を失う子ども達がいます。
・増え続ける世界人口、食料需要はますます逼迫(2002年国連推計)
(1950年)25億人→(2000年)61億人→(2015年)72億人→(2025年)79億人→(2050年)89億人
こうした統計を突きつけられると、私達は「自分達の食料をこのまま外国に依存していて良いわけが無い!」と思いますよね。そこで日本国内の生産現場で今後私達の食料をどう作ってくれるのか・・・に目がいきます。はたして作れるのか?

熱く語る高橋宏通さん。日本の農業生産の現場をあまねく渡り歩いた人ならではの説得力のある事例報告が幾つも展開しました。
高橋さんのお話は現状の問題点とその解決法とを交互に投げかけつつ進行しました。そして、「エコフィード」の取り組みが私達の今後の食料自給に大きく貢献することを示唆して終わりました。
その後の質疑応答ではたくさんの手が挙がりましたが、時間が限られていたため数名との質疑応答に絞られました。
さすがに皆さん、高橋さんのお話の細かいところまでよく聞いているなあと思わせる質問が続出。が、少し意外だったのは、質問者の声の中に「世界中で飢餓が進行している今、私達は他国の食料を奪ってはならないと思う。そのために自分のできることを今からでもやりたい。まずは日本の農業生産者を守ること。そして農地をもっと広めること。それだけでもまだまだ足りないので、自分で田畑を作ります。そして自分の食料は自分で調達します!」というような宣言がなかったこと。山本、期待したのに・・・ちょっと残念。単純直情型の山本のような人が参加者の中にはいなかったのか知らん・・・。でもきっと心のうちではそう感じてるねみんな!
会場に生産者が混じっていたならまた違った質疑応答が展開されたのではないかしら・・・。だって、エコフィード(食品残さ利用飼料)を自分の大切な家畜に食べさせるのだものね。添加物が入っていたり、少しでも変なものが混ざっていたら恐いです。実際はエコフィードの飼料は家畜に与える餌の中の数パーセントに過ぎないのです。生産者も選んで飼料を与えています。それにしても、日本の食のために実験に協力している生産者はスゴイ!高橋さんのお話からもそうした全国有数の生産現場の方々の環境循環型農業へのあくなき挑戦の姿勢がわかります。
日本の食料問題、消費者と生産者の両翼で飛ばなければ自給率向上への空に舞い上がることは出来ない!と改めて感じた講演会でした。
「エコフィード」についてはこのセカンドリーグブログでも去年11月に浅越リポーターが取り上げています。浅越さんの記事の主眼は「エコフィードに行く前に食物の大切さを思って残さず食べようよ」
というものでした。まったく正論と思います。
今回の高橋さんも質疑に答える中で、「食物残さの中でも、例えば玉ねぎ。犬・猫でも嫌がります。家畜の餌からも排除したい。人間が歯を食いしばっても食べるべき」と笑いながら言っておられました。本当は玉ねぎに限らず、何でも人間が自分のために選び、調達した食料であれば残さず食べるべきでしょうね。
10月17日(金)には、「エコフィード」の取り組みをしている工場への見学会が予定されています。今回の講演会参加者の多くが足を運び、さらに「エコフィード」と「食の未来」を自らの中で消化吸収して次なる行動へと動いてくれることを期待しています。(山本豊美)
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プロフィール
| 名前 | リポーター: 山本 豊美 |
|---|---|
| 自己紹介 | 農業の後継者不足、過疎化、地場産業の活性化という課題は、セカンドステージ世代の参加や活力の利用で解決できるはず。地元山梨から様々な事例を紹介して、会員の取り組み参加を促します。 |
