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マサダーユダヤ戦争最後の砦

2008-08-26 01:11:47

この夏、イスラエルに二週間行ってまいりました。この国のどこもかしこも今まで訪れた海外の国々とは異なる文化、伝統、そして自然を持っていて圧倒されました。その中でも、MASADAマサダはとりわけ印象的でした。

マサダはヘブライ語で要塞の意味で、イスラエル東部、死海西岸近く標高約400メートルの岩山にあるユダヤ時代の要塞の遺跡です。400メートルといってもふもとの死海が海抜マイナス400メートルですから下から仰ぎ見るとかなり高く見えます。ユダヤ戦争におけるユダヤ人最後の砦で、集団自決で知られています。 2001年に世界文化遺産に登録されました。

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紀元前30年ごろヘロデ大王がこの岩山を離宮兼要塞として建築し、難攻不落と言われました。全体像が描かれている模型がありました。

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66年にユダヤ戦争が始まり70年ローマ軍によってエルサレムが陥落した後、熱心党員を中心とした女子供を含むユダヤ人960人がマサダ要塞に立てこもり、ローマ軍15000人がここをを包囲しました。ユダヤ人たちは3年近く抵抗しましたが、73年についにローマ軍によって攻め落とされました。陥落直前にユダヤ人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女と5人の子供を残して全員が集団自決したといわれます。これによってユダヤ戦争は完全に終結しました。 73年のローマ軍による破壊後は長い間その所在が分からなくなっていましたが、1838年にドイツ人研究者によって発見されました。

じりじりと照りつける太陽、日陰も何もありません。観光用に整備されたロープウェイから岩山の砦に降り立つと目がくらみそうな暑さです。岩山の上に更に岩を積み上げ精巧な建物ができています。ヘロデ王は紀元前にその財力と権力でこんな高いところに離宮兼砦を築いたのかと思うとただただ驚くばかりです。王や高官の部屋だけでなくユダヤ人にとって一番大切なシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)、食料庫、台所、サウナまでありました。

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この地域は今でも降雨量が少なく、年間で60ミリほどとのこと、どのようにして水を確保したのでしょう。岩山の中腹にわずかな雨水を大切にため、そこから皮袋やつぼで上まで運びあげたようです。ヘロデ自身はここを利用しないうちに死んだとのことですが、その後のユダヤ戦争で最後の立てこもりをした熱心党の人々は3年もの間、強力なローマ軍をよせつけなかったといいます。

ガイドの熱のこもった上手な説明を聞いて、2000年近くも前のことが、目の前に髣髴としました。女子供までいたと聞いて、状況は違いますが沖縄の決戦を思い浮かべました。どんな理由であれ、戦争は人を不幸に追いやるだけだと改めて思いました。観光客のためによしずを張ったところでみんなほっと一息つきました。そこは自決をする順番を決めたところだったとのことです。陶器の破片に名前を書いてくじのように引いて決めたと聞いた時には本当に胸が苦しくなりました。

一箇所積んである岩がすこし新しく見えました。世界遺産に指定されてから作られた観光客用のトイレです。

MasadaToilet.jpg

中に入ってびっくりです。水洗式で、まるで、ホテルのように清潔できちんとお掃除が行き届いています。いつぞや取り上げた富士山のトイレとは好対照です。次回にイスラエルのあちこちで見たトイレのお話をしたいと思いますが、本当にきれいです。さすがに車椅子用のトイレはありませんでしたが、入り口までは車椅子でも入れそうです。

ガイドさんに聞いてみました。「ロープウェイがありますので、車椅子でも来ていただけます。上に上がってからの階段は車椅子では無理なので担ぎ上げます。曽野綾子さんが障害者のグループを連れていらした時は、私もかつぎました。」とこともなげに言っています。

2000年前にワープしての岩の砦の数時間でした。帰りも仲間は皆ロープウェイに乗っておりましたが、2000年昔にユダヤ人たちが上り下りをした唯一の道「蛇の道(Snake Path)」を歩きたくて炎天下を歩いておりました。

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持参したお水はお湯のようになり、目がくらくらしましたが、とにかく下までたどり着いた時には、よくぞ、熱中症で倒れなかったと思いました。絞りたての生のオレンジジュースのおいしかったこと、今降りてきたマサダの岩山がぎらぎらとした太陽の下でまぶしく光っていました。あの光景はきっと一生忘れないでしょう。

(徳重 富士子)

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