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バリアフリーと交流活動

2006-06-30 12:45:21

<何がバリアー?だれにとってのバリアフリー?> 
一口でバリアフリーといっても、バリア(障壁・妨げ)があるかないかはそれぞれの人が置かれている状況による。高齢者、手足・視覚・聴覚に障害がある人、外からは見えない内部障害がある人等々、バリアと感じられるものは人によって実に千差万別だ。家の中でも街に出ても、バリアは山ほどある中、日常生活を送るにあたってできる限りのバリアを取り除こうと最近では個人・企業・行政が大いに努力して、勿論まだまだ不十分ではあるが、試行錯誤の結果、一昔前では考えられなかった程の改善がなされてきた。障害があろうとなかろうと、人は生を享受する権利があるのだから、それを可能とするような社会が実現するよう、これからも更に、考えていきたい。
<バリアフリーの定義>
ここでバリアフリーという語彙の定義を考えてみたい。バリアフリーといつも並べて取り上げられるのがユニバーサルデザインである。まず、バリアフリー(B.F)と,ユニバーサルデザイン(U.D)の違いを考えてみた。B.Fはもともとあるバリアを取り除くこと、U.Dは最初から取り除かれていることを指すという言葉の定義から考えると、今回私が考えているのはやはりB.Fだと思う。
障害がある人ない人、老若男女全ての人に向けられるのを究極の理想とはしても、目の前には余りに障壁となるものが多すぎる。このバリアを一つ一つ根気よく取り除きつつ、新しい設定をするにあったてはU.Dを念頭に置き計画する。究極の理想はU.Dの社会を実現するということだと思うが、現時点ではバリアフリーから考えたい。そして一つ心に留めておきたいのは、バリアーというとすぐ段差、デザインというと、ハードの設計を思い浮かべがちであるが、ソフト面つまり心の中の障壁も大きなバリアになりうるということだ。物理的にも精神的にも障壁を取り除くということをバリアフリーの定義としたい。

<日常の時間と非日常の時間・・・交流活動>
日常の時間でない時間を非日常というのなら、それを“レジャー”とか“ホリデイ”と置き換えることも許されると思うが、例えば、日常の生活をちょっと延長し出会いの場を利用して人々の交流が行われるようなことをも“非日常の時間”とすると、日本人の“レジャー”とか“ホリデイ”の概念よりももっと広い意味をもたせたい。そんなことからあえて“非日常”という言葉を選んでみた。しかし何となく分かりにくい。であれば、交流活動と考えるとレジャーとか休暇とか旅というものも網羅できるような気がする。一人旅だって、結局は見知らぬ人たちとの交流になる。セカンド・リーグの提唱する"「一人ぼっちの豊かさ」なんていらない!いまこそ、地域のなかで暮らしてゆこう!"はまだ何十年も余命が期待されるセカンドステージ或いはそれより上の年代の人々にとって、或いは様々なハンディを負っている人たちにとっても、交流活動の重要性を教えてくれる本当によい道標だ。人間は決して孤独では生きていけないのだから。

(徳重 富士子)

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