前回、このブログでご紹介した小平市の「ひろげよう 市民のわっ−−NPOフェスタin元気村2007」で出会った
鍋元トミヨさん。彼女は現在、
「チェチェンの子どもを支援する会」代表として、チェチェンの子どもたちのための教育支援活動をしています。
普通の主婦だった彼女が海を越えた遠くの国の子どもたちを支援している、そんな活動を始めたきっかけや、続けている思いなどを、ご紹介します。
【「チェチェンの子どもを支援する会」を立ち上げたきっかけは?】
1999年、チェチェン共和国の人々はロシア軍の無差別攻撃で、故郷を追われ人々は難民となって近隣諸国をはじめ全世界に離散しています。
一番近い独立国でしかも同じイスラム教であることから、アゼルバイジャンにはおおぜいの人が移り住みました。食料、衣服、医療など何もかもが不足している中で、当然子どもたちは教育すら受けることができずにいます。その子どもたちを支援する会です。
テレビや新聞のチェチェン戦争報道をみて何かをしようと思いました。そんな思いからスタートした会の立ち上げは、2001年5月でした。
【具体的には?】
専業主婦でした。テレビやラジオの講座を使って、独学でロシア語を勉強していたので「言葉は、何とかなるかな」と。
会を立ち上げる以前、1995年からチェチェン支援をしている都内の市民団体にボランティアで参加していました。そこには私以外にも何人かの「チェチェンの状況に関心を持つ者」がいまして、彼らと協力して仲間5人で設立しました。
【活動内容は?】
インターネットや、チラシを作って首都圏の集会に出向いて配り、募金を募っています。これまででインターネットを見た人や集会に参加した人などたくさんの人が手伝ってくださったので、現在まで活動を続けることができました。活動財源は一般募金のみです。
募金は、難民学校の運営費やPC、PC付属品、民族衣装や、楽器を寄贈。手芸教室を開くための講師料、材料費、フットボール教室開講のための資金にしています。
チェチェンは、戦争がなければ日本並みの高等教育が行き届いていたところです。子どもたちにとって、勉強ももちろん大切だけれど、お裁縫をしたり、文化を受け継ぐ民族舞踊を踊ったりという楽しみを味わってほしいと、物心両面の支援をしています。
【この活動を支えるエネルギーのもとは?】
私にとって、たくさんの子どもや大人と出会えることもありますが、一番は、やはり子どもたちの正直で、まっすぐな好奇心に満ちた瞳が魅力的。その瞳に惹かれてでしょうか。子どもって本当は私、苦手なんです。だから、一歩引いて見ているからか、より魅力的に見えるのかもしれませんね。
【一歩踏み出せずにいる人にアドバイスを】
何か好きでやっていることがあったら、どんなことでもそれを長く続けていくと、それが社会や地域とつながるときがあると思います。だから、どんな小さなことでも感心を持って見ること。そして、とにかく続けることでしょうね。
私の場合はロシア語だったから、今こうしているのかもしれません。そして、気負わずに、思ったことを近所の人にも話してみる。
女性の方が男性よりも、ジワジワとしつこくやるのが得意かもしれませんね。
よく、海外につながるボランティアをするというと、「英語を学ぶ」と思われがちですが、やはり母国語をこちらが話すと、その国の人がぐっと近づいて来てくれます。なので、英語以外の言葉を勉強した経験があるなら、それを磨くという方向を考えるのもいいのではないでしょうか。
私から見たら、すごいことをしている人なのに、鍋元さんの語り口調は、とても淡々としていました。気負わずに少しずつ、でもしっかりと歩み続けている姿勢が、振り返ったときに大きな実績になっているのですね。あきらめずに小さな努力を重ね続け、一方で社会との接点を意識していると、地域や社会で自分が役立てる場を手に入れられるのでは、という希望が見えてきました。
チェチェンの子どもを支援する会のHP
【チェチェン共和国】
カスピ海と黒海の間に挟まれた、広さは岩手県ほどの小さな共和国。大国ロシアは、拷問、虐殺、処刑という残忍な行為でチェチェンの人々の故郷を奪ってしまった。
