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死と老いを見つめつづけるアシュリー・ヘギのこと

2007-12-17 17:18:44

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死ぬのは怖くない……I’m not afraid of dying.( Ashley Hegi)

プロジェリアという人の10倍のスピードで老いていく病の少女、アシュリーの言葉です。
テレビで放映されたのでご存知の方も多いでしょう。

彼女の言葉には、「ハッピー」という言葉が幾度となく出てきます。
幼いころから死を直視し、前向きに生をとらえたからこその言葉ではないでしょうか

I’d like to live happily. 私はハッピーに生きたい。
I’d like to encourage others. ほかの人たちを勇気づけるように生きたい。


扶桑社HP:アシュリー
あなたは、自分の「生」や「死」について、考えた事はありますか?
「死」を考える事、それはすなわち「生」を考える事です。

終末期医療を考える時、どのような死を迎えたいかという意思表示が重要になってきます。
『在宅療養支援診療所サポートセンター開設記念シンポジウム』(2007年10月13日(土)開催)での、「明治大学死生学研究所」のお話です。

「明治大学死生学研究所の紹介
〜これからの日本社会における死生学研究の役割りと在宅医療との関係性について〜」
明治大学死生学研究所代表 金山秋男氏


現代社会は、死が日常世界から放逐されている状態です。
健康・元気・明るいものばかりに、焦点が当てられ(楽しければイイヤという考え)、汚い・怖いものは、無視される(臭い物に蓋)のです。

昔は、地域に、そして家庭の日常の中に、死が存在していました。
家族は死に行くものを見つめつづけ、死に行くものは家族に感謝して逝くという姿が、家庭の中にあったのです。
病人や、死を迎えつつあるものの居場所をつくり、その症状に一喜一憂し、死を見守ることは、死の疑似体験となっていたのです。
そして、『人の死はそのまま自分の死』と受けとめる事ができたのです。

日本人の死生観の一つである「死んだらおじいちゃんや、お母さんに会える」という気持ちは、欧米にはない日本人独特のものです。
これは、死の世界へ向かうときの、救いとなっています。

明治大学死生学死生学研究所代表 川井真氏
明治大学死生学研究所は、新たなる死生観に向けて、産学官民が知恵を出し合って行う壮大なプロジェクトと位置付けています。

『いかに生きるか 死とどう向き合うか』という事を考え、みんなが人生を楽しめ、地域での豊かな生活のための生活者の声を反映していきたいと、考えています。

『生老病死を井戸端会議で語れるコミュニティー』を目指しています。

http://www.shiseigaku.jp/index.html:明治大学死生学研究所

いかがですか?
私は父の通夜の席で、『「生のいきつく先が死」と思っていたけれどそれは違う。「死と生は、裏表の関係」』という事をぼんやりと考えていました。
それは、いつ死ぬかわからない自分を自覚した時でもあり、生きていることの大切さを感じた時でもありました。

筋ジストロフィーの方のHPに
・どんな人でも、「死」ということを本当に深く考えなければ、「生きる」ことの意味は見えてこない
・「死」は決してタブーではない、人は死を正しく知った時に、生きることを大切にするのだ
・死は、今、生きていることの価値や喜びを教えてくれる
と書かれています。
http://home.catv.ne.jp/dd/nobuo/thought2.htm:「死」を知ることで見えてくる

「死」が日常から遠ざかってしまった社会に生きてきた私たちですが、変化する医療政策のなか、看取りは病院から地域・家庭へとシフトされているようです。
地域・家庭で受ける終末期医療は、患者を中心とした医療でもあります。
そのためにも、自分はどのような医療を受け、どのような最期を迎えたいかを考えておく必要があります。
それは、死を前向きにとらえることから始まり、残された家族への大切なメッセージにもなるのです。

(松尾 陽子)

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