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終りよければすべてよし 羽田澄子監督ドキュメンタリー映画

2008-05-19 11:22:37

誰もが避けることの出来ない死。
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どこでどのように過ごすのが自分(本人)にとって一番いいか。


高齢化社会に突入した今、社会全体で「死」を見直す時期にきていると思います。

この映画でも、自らの死を見つめ、どのような終末期を迎えたいかを真剣に考える事は、医療が飛躍的に発達した社会で生きるものとして、必要な事ではないかと問いかけています。

映画で紹介されている福祉先進国オーストラリアやスウェーデンや、我が国で先進的に取り組んでいる自宅で尊厳をもって死を迎えることのできる終末期医療の例を見てみましょう。
ライフケアシステム
日本で初めて在宅医療を実現させた事例である「ライフケアシステム」は、1980年10月 佐藤智医師を中心として発足した、24時間ケアを行う会員制の在宅医療組織。「自分たちの健康は自分で守る」「病気は家庭で治すもの」という2つのモットーで、会員が会費を納めそのお金で自分達の健康を守ろうとするシステムです。

総合ケアセンター・サンビレッジ(岐阜県)
人生の終末期のケアを受ける場としての特別養護老人ホーム。サンビレッジの石原智子理事長がオーストラリアのホームを訪問した時、高齢者を寝たきりにしない、昼間は可能な限りおきた状態で過ごしてもらう介護をしているのに驚き感銘を受けたと言います。その頃、日本の特養ホームでは、ほとんどの高齢者が寝たきりの状態だったのです。
こうしてサンビレッジの寝たきりゼロを目指す介護が始まりました。

寝たきりゼロを目指す介護の事例として、病院で経管栄養(胃ろう)を進められた男性の例を紹介しています。家族や本人のどうしても口から食べたい・食べさせたいという思いをかなえるために、言語聴覚士による嚥下訓練を行いました。そして、少しずつ食べられるようになった男性のために、スタッフは、奥さんが食事介助にくる夕食の時間に合わせ、体調を整えるように気遣っています。

サンビレッジでは、入居時に、死をどう考え最期をどこでどのように迎えたいかや、食べられなくなった時はどうするかなど事前指定書に書きます。そして、終末期と判断された場合は、この指定書に基づき、家族・医師・スタッフが治療方針を話し合います。この話し合いは、その時々の状態により何度でも行われるという事です。

石原理事長は、寝たきりゼロの介護や、本人の気持ちに寄り添った終末期のために、在宅医療の知識を持った医師の存在がかかせないと言います。

オーストラリア バララット市
オーストラリアバララット市のヘルスサービスを紹介しています。安心して老いる医療のために、医療と福祉が連携し、地域・総合病院・精神科を含めた総合的なサービスを提供しています。高度な緩和ケアを提供する病院もあり、患者はその時々の状態に合わせて、自宅と緩和ケア病棟、病院などを選ぶことができるのです。
そして、話し相手や聞き役になったり、花を飾ったりして患者の心を支えるボランティアの重要性も紹介しています。

スウェーデン ストックホルム市
福祉先進国といわれるスウェーデン・ストックホルム市の、患者を中心にした高度な在宅医療システムアシーを紹介しています。地域医療センター、地域ナースセンターが市全域をカバー、24時間対応の一般クリニックとも連携し、患者が安心して終末期を在宅で過ごせるようにしています。

特筆すべきことは、医療費は基本的には税金で賄われているということ、個人の保険もあるけれども国が上限を決めていて一年の支払額が少額だという点です。
このように医療費全額を税金で賄うためには、現役世代の高い税負担が必要です。けれどもそれは、老後の大きな安心となっているようです。

アスムス(栃木県)
当日時間の都合で、アスムスの事例紹介の部分を見ることができませんでした。
映画のHP:http://www.jiyu-kobo.com/より紹介します。

診療所、在宅医療を支える老人保健施設、グループホーム、デイセンター、訪問ナース、訪問ヘルパー、居宅介護支援事業所が、連携して在宅医療・看取りを支えるシステム
このような在宅医療のためには、医師たちの積極的な活動とともに、地域住民の理解も必要ではないか

★映画の中の印象に残った言葉から、終末期医療を見てみましょう。

ライフケアシステムで往診を受けている患者の家族は、「ライフケアを知る前は、何かあるたびに救急車を呼んでいた。24時間365日対応なので、いつでも電話で相談できる安心感がある」といいます。スウェーデンの事例でも「このサービスを受けるようになってからは救急車を呼ぶことがなくなった」という声がありました。

家族が終末期に入ったと診断された時、家族は「もうちょっと……」と言う気持ちがあると言います。
「もうちょっと、がんばって医療を受けてほしい」「もうちょっと生きていてほしい」と思う一方「残された日々を安らかに過ごしてほしい」という家族の揺れる思いに寄り添う事の大切さがわかる言葉です。

では、患者が終末期に入った時、医師はどのように考えればいいのでしょうか。
「患者の死をただ見守るだけというのは、病気を治すことを仕事とする医療者にとっては、受け入れがたい気持ちがある。けれども、病気を治療する医師の意識改革も必要」サンビレッジ・石原理事長
「人は皆死ぬと言うことを医師が認めなければ、本当に人は救えない」バララットヘルスサービス
心豊かな終末期を過ごすために、医療関係者にぜひとも考えてほしい事ですね。

では、社会全体としては何を考えればいいのでしょうか。
「医療の限界を知らなければならない。できるだけ安らかに死ぬための準備として、終末期に入ったかどうかの判断は非常に重要。終末期には、患者を中心において高度な在宅医療と看護やケアを提供している」スウェーデン・社会大臣
「高い税金を払ってきたからこそ、このような良い環境で終末期を迎えることができる」スウェーデンで終末期医療を受ける高齢者の家族
社会大臣の言う「医療の限界を知らなければならない」この言葉には、私たち市民にも投げかけられているような気がします。

人は皆死ぬという事を自覚すること、それこそが、自分の望む終末期を迎えるための第一歩ではないでしょうか。
オーストラリア・ババラット市民は、インタビューに次のように答えています。
「望める限りの医療を受け、望める限りのケアを受けてきた」「終末期については意識しているし、日頃から考えている。その時どのようにしてほしいかを文書にして弁護士に渡している」「自分の終末期について子供達と話し合っている」
 スウェーデン・ストックホルム市アシーの事務所の壁には、小さなろうそくたてがあります。誰かの命が消えた時に、ここに火が灯されます。そこには、静かに死を受けとめる社会を感じることができました。

最期に一番印象に残ったシーンです。
それは、オーストラリアの末期がんの高齢女性は、おしゃれです笑顔の素敵な女性です。
「受けられるだけの医療と介護を受けてきた」

受けられるだけの医療を受けてきたという彼女の満足感は、どこからくるのでしょうか。
映画の冒頭、過剰な延命措置の問題提起としてあげられたある事例からそれを探ることができます。

それは、富山県射水市民病院の人工呼吸器取り外し事件です。この事件は、2000年から2005年にかけて当時の外科部長が、人工呼吸器を外し、全員が死亡したというものです。(この事件については、次回詳しく取り上げます

一連の報道後、患者家族らは、左遷された元外科部長が現場復帰できるように署名運動を行っています。映画では「人望の厚かった医師」であったことがわかるとしています。

 オーストラリアの女性の笑顔と患者家族の署名運動、この二つに共通するもの。それは、信頼する医師にできるだけの事をしてもらったという満足感ではないでしょうか。

この映画は、第16回日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会in千葉のプレ大会として上映されたものです。
第16回日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会in千葉―地域コミュニティの場でホスピスケアを―
平成20年7月12日(土)、13日(日) 9時〜
場所:幕張メッセ 国際会議場(千葉市)


この大会については、リポーターの成相さんの記事もご参照下さい。

なお、映画の冒頭で、過剰な延命措置への問題提起として「富山県射水市民病院・人工呼吸器取り外し事件」をあげています。次回は、この“事件”についてです。

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