終末期医療に関する調査等検討会(2004年・厚労省)によると、約6割の国民が自宅での看取りを希望しているとしています。
この調査は20歳以上の成人を対象としたものですが、実際の高齢者に行った調査によると自宅での看取りを希望しているのは1割に過ぎないという報告があります。
神奈川県保険医協会の調査
脳血管疾患などで自宅療養中に肺炎などの疾患を併発した場合の療養先場所としてどこを望むか
入院を希望 58.7%
介護施設 15.3%
最期まで自宅を望む 12.5%(うち、実際に自宅で看取ってもらえると思う人はゼロ)
青森県保険医協会の調査
脳血管疾患の終末期に希望する場所
医療機関に入院して治療を希望 74%
自宅で治療を継続 9%(自宅で看取ってくれる17%)
自宅での療養を希望していても、実際に看取ってくれると答えた人は、神奈川県ではゼロ、青森県は17%という結果でした。
自宅で看取ってくれない理由は両県とも「家族への負担」や「急変時の対応に不安」が上位をしめています。
※ 脳血管疾患とは:脳の血管が詰まったり(脳梗塞)破れたり(脳出血)して起こる病気で、日本人の死因順位の第3位(1位 がん、2位心疾患)
命をとりとめても障害が残り、日常生活に不自由をきたしている人が多い疾患
在宅(施設)での在宅ケアや看取りを可能にする「連携」
ある老健での在宅復帰の例
2008年5月東京都世田谷区や横浜市などの病院や施設に勤める職員らが参加して行われた「在宅ケアを語る会」で、「家族と病院、施設、地域の連携により成果を上げることができた事例」が紹介されています。
要介護度が「3」で脳出血の後遺症がある男性。「家に帰る」という意識付けができてから落ち着きを取り戻し、1年で在宅復帰できたというのです。
一方、家族の介護力の低下や、認知症の高齢者の増加など、在宅復帰を困難にする問題が多いことも報告されました。
http://news.cabrain.net/:医療介護CBニュース
医療機関が中心になって行う地域の連携
以前、
ブログで紹介したあおぞら診療所では、地域の病院と連携し、急変時に短期入院の受け入れをしてもらっているとのことです。
老健や特養といった施設とも連携し、入居者が急変した時には、地域の病院に短期入院を受け入れてもらっているそうです。
こうした連携は、24時間365日身近な診療所とつながっているという安心であり、何かあったときには顔なじみの先生(診療所)を通じて病院へ入院できるという安心という、二重の安心となっているのではないでしょうか。
そして、医療機関のみならず薬局や訪問看護ステーションとの連携。また、デイサービスやショートステイ、訪問介護ステーションなどと連携することにより、その安心の輪が広がっていく。
これらすべての情報を結ぶネットワークができたら、その地域で暮らし、看取られていくことも可能なのかもしれません。
これは、あおぞら診療所が提唱する『街角ホスピス』という考え方です。
介護施設でのショートステイ,療養通所介護でのデイホスピス、グループホームや有料老人ホームや特養、そして老人保健施設がそれぞれの役割を担ってターミナルケアや看取りを支える事
在宅医と訪問看護師、地域の医療資源や介護施設の組み合わせにより、人生の最期の時期をその人が過ごしたい場所で選び取ることができる事
そこで最後まで生き抜いた結果、看取りまで全うする事
http://www.aozora-clinic.org/あおぞら診療所HP
あおぞら診療所を訪れた時に感じた“緊張感のある活気”。
もし、私が家族の万が一のために訪れたならば、その活気は、大きな安心感ともなるのではないかと思いました。
それは、一緒にターミナルケアをそして看取りをしてもらえるという安心感ではないかとも思いました。
医療と福祉の連携の実際
ある特養の職員の方から、医療と福祉の連携の難しさを聞いた事があります。
医療と福祉(介護)の連携が難しいのは、それぞれ別の制度で運用されているからだという事もききます。
医療保険と介護保険という二つの制度
そして、それぞれがめまぐるしくかわる現状
急速な高齢化に制度が追いついていない現実が見え隠れするようです。
愛媛県の特別養護老人ホームの「樋谷荘」の場合
施設長 大西将彦さんは、病院との連携は最重要問題であるとしています。
そして、樋谷荘が積極的にターミナルケアや看取りに取り組める理由として、母体が病院であることをあげています。
そして、医療があって福祉が無ければこれほど不毛なことはないし、福祉があって医療が後ろ盾としてなければこれだけ残酷で殺伐としたものも無いといいます。
また、介護保険施設(事業者)全てに言えるのは介護報酬がどんどん削られていき、その対応や書類作成に介護職員が翻弄されている事、そして、労働に見合わない低い報酬の中で疲弊していく実態があるといいます。
ターミナルケアへの取り組みは、職員のモチベーション向上に繋がる場合もあれば、日常業務に追われるなかストレスや焦燥感ばかりがつのる場合もあるとの事でした。
人生の最期を、その人の望む場所で看取り、ゆっくりとお別れできる事は、看取りにおける満足感やグリーフケアに繋がるともいいます。
では最後に、樋谷荘での看取りを紹介します。
施設長の大西さんは、90歳を超えた利用者が人工呼吸器や点滴につながれ、目に涙を溜めて天井を見つめている姿を見たとき「これが人生の最期のステージにふさわしいのか」という疑問と、何もしてあげられないジレンマを持っていたそうです。
ある時「入院しても長くもたないなら、最期は慣れ親しんだ施設で過ごさせてあげたい」と希望されるご家族があり、ドクターからも「本人が落ち着ける施設でみてあげたら」との提案があり、最期を施設で迎えられた方が最初だったと言います。
看取りにおける家族の意識も10年ほど前からかなり変化しているそうです。
以前はとりあえず病院という事が多かったのが、最期まで施設でと希望される方が殆どとなっているという事です。
特に利用者の年齢が高いほど、その傾向が強いようだともおっしゃいます。
施設での看取りでは、利用者の思いに寄り添う事を最優先に、状況に応じたケアを提供することに努め、家族の揺れ動く思いにも配慮して対応することが大切と考えているといいます。
そのため、極端な例では、なくなられる前日や当日でも家に連れて帰ることもあるという事です。
また、家族が落ち着いて看取ることができる環境つくりも大切であるとして、呼吸状態が悪くなるとご家族交代で泊まり込んでもらうこともあるそうです。
そうすることによって、家族には「施設には預けたけれど、最期まで精一杯見ることができた」という達成感を覚えていただけるのではないかと思っている。
きちんと「さよなら」ができるゆったりした時間を持ってもらえることも大切。
そうした中で、家族の中のわだかまりが次第に解けてゆく事も少なからず見られたといいます。
樋谷荘HP
医療が高度化した現代社会において、こうした看取りを実現するためには、医療者も介護者もそして市民も、死を自然のプロセスとして受け入れるという意識改革が必要なのかもしれません。