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日本ホスピス・在宅ケア研究会、第16回千葉大会に参加して

2008-07-15 01:23:06

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7月12・13日に千葉県の幕張メッセ国際会議場で行われた「、日本ホスピス・座IT区ケア研究会、全国大会in千葉」に行ってきました。
会場で出会った看護師の女性は、現場で真剣にホスピスを考える時代に来ていることを痛感していると言います。
そして、次のような事も話して下さいました。

看護師としての経験を積み年齢を重ねるとともに、看護職として患者さんや家族に言ってきたことが、本当にその人にとって良いことだったのかという疑問を持つようになった。それは、患者さんのいろいろな側面(人間関係や家族関係など)を考えるようになったからだと思う。

医療者や看護職だけではなく、介護職の人や患者さん、ご家族の方といろいろな人からいろんな話を聞きたいと思って参加したと言っていた彼女の言葉通り、多くの情報や人に出会えた二日間でした。
P1070563.jpgこの大会に参加して、私はある疑問について一つの結論を出すことが出来たような気がしています。
その疑問とは
胃ろうは延命治療か、延命治療とは何かという事
高齢者にとっての、延命治療とは何なのか
老衰で死ぬという事が難しくなるほど医療が発達した現在社会において、自然死とは何なのかという事
です。

そして、その結論とは
何が延命治療かは、一人ひとりが自分で決めることであり、その決断が尊重され、受容される社会である事が大切なのだという事です。
何が延命治療かなどということについて、社会通念として一つの答えを出すことはできないのではないかということです。

大会で耳にした次の言葉が、私にこの結論のヒントを与えてくれました。

・死なないつもりの日本人
・高齢社会は、人が死に行く社会である事
・知るという事
・意思表示という事
・今困っている事、考えている事を声に出すということ
・その人の心に寄り添うという事
・終末期においては、医療よりも介護が力を発揮する

「死なないつもりの日本人」
かつて死は、日常の中にあったという例で示されたのが「九相詩絵巻」です。

死が日常生活から遠のき、家の中ではなく病院で死を迎える事が多い現在では、死を目の当たりにする機会がなく、「死」を意識することはありません。意識していない情報は、人の頭を素通りしていきます。
けれども、人は必ず死ぬのです。おぎゃあと生まれた時から、死へ向かって歩み初めているのです。

知るという事、意思表示という事
人は、意識しない情報を上手に受け流す動物なのです。だから、日常から死が遠ざかっている現代社会では、終末期に関する情報は人々の頭を素通りしているのではないでしょうか。
知識なくしては何事も決めることはできません。大切な人生の終末期についても、知識がなければ、何のイメージもなく何も決めることはできないのです。あの「後期高齢者医療制度」でも「意思表示」について書かれていましたよね。
けれども今、その意思表示が出来る方は多くはいないのではないでしょうか。

今困っている事、考えている事を声に出して言う事
専門職でない市民の言葉だからこそ、人々の心に響くのではないでしょうか。
家族の介護や看取りで感じた事、困った事、良かった事、いろいろな問題点を声に出して言いましょう。一つひとつは小さな声だけれども、多くの声が集まって一つの力になる時がきっと来ると思います。
あの「スイミー」(レオ・レオニー作)のように。
http://www.kogakusha.com/leo/leo001.htm レオ・レオニーの絵本「スイミー」好学社HP

その人の心に寄り添うという事
これはなくいろいろな所で聞いてきた事ですが、その意味がようやくわかりかけたような気がします。それは、その人の心に寄り添うためにも、知識が必要だという事です。

母に胃ろうを勧めたのがきっかけで持った「胃ろうは延命か」という疑問と後悔ですが、その本質もそこにあるような気がしています。それは、母に胃ろうを勧めた時の自分の知識のなさに後悔しているのだという事です。

(松尾 陽子)

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