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ブログ紹介―看取りまでの日々

2007-09-29 22:06:48

ブログ紹介に変えて、ブログを書くきっかけとなった父の看取りまでの日々を、簡単に紹介します。

2007年3月
ある日、突然、ベッドから立ち上がれなくなり、下の世話が始まりました。
けれども、一ヶ月もしないうちに、入院することになりました。
2007年4月
病院からの電話で駆け付けると、人工呼吸器につながれていました。自発呼吸はなく、『延命治療』『終末期医療』という言葉が、頭をかすめました。

人工呼吸器がはずせたら、「もう二度とつけないで」と言うつもりでした。
けれども、人工呼吸器がはずれた時の父の力強い声にびっくりし、期待もした私は、「二度目は、先生の判断におまかせします」と言っていました。

2007年5月
二度目は思いの外早く、その二日後にやってきました。
再び人工呼吸器につながれた父を見た私は、咄嗟に「先生、三度目はもう……」と、延命治療を断りました。
姉にその事を伝えた時、以外にも、姉は納得しませんでした。
「先生とどういう話し合いをしたの?」という姉に「あ・うんの呼吸かな」と言う私の説明に納得できなかったのでしょう。
結局、姉は主治医と話し合い、これ以上の『延命治療』は意味がないことを理解してくれました。

二度目の呼吸器がはずれる日、病室へ行くと、父は自分で管を抜こうとしていました。
気管挿入の苦しさを目の当たりにした気がしました。

この日以降、父は幻覚を見ている事が多くなりました。幻覚を見ている時は、少し楽しそうだったりするのですが、父の変わり果てた姿に『尊厳死』という言葉を思い浮かべていました。

2007年6月
姉と二人で危篤の父を見守る事が、何度となくありました。
けれども、父は一人きりで旅立ちました。
私が病院についた時、父はいつも通りベッドに寝ていました。
ただ一つ違ったのは、酸素マスクも栄養補給のための管もない姿であったという事です。
「おじいちゃん」と身体を揺すりながら、なぜか、ほっとしていました。

父を看取って、「死」に対する考え方が少し変わったような気がします。
生の行き着く先に死があるのではなく、生の裏側に死があるという漠然とした思いです。

最後に、葬儀の事を、少し話したいと思います。
「できるだけ質素な葬儀」という父の遺志を尊重し、自宅で娘夫婦と五人の孫だけで行いました。
そして、納骨の日にごく内輪だけでのお別れ会を行いました。

「お別れ会」が終わった時、叔母が「最初は、質素な葬式して……と思ったけど、今日のお別れ会は、思い出話がいっぱいできたよかった。ありがとう」と言ってくれました。

みんなが納得の行く形で父を送ることができたという事は、なによりも、私の心のなぐさめとなりました。

(松尾 陽子)

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