井上ひさし作の『父と暮せば』は、2004年に宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信をキャストに映画化されました。
こまつ座による舞台のほうは3年ぶりに東京で上演されたそうですが、神奈川県逗子市でも7月上旬に1日だけ公演があり、出かけました。
会場は3年前にできた逗子文化プラザ。以前にもコンサートなどで数回来たことがあり、スタッフの方が親切で、こじんまりとした居心地のいい場所という印象があります。
それにしても、なぜここで『父と暮せば』の公演が実現したのか、誰かの「ぜひ、自分の住む地域の人たちにも観てもらいたい」という熱い思いがあったのかもしれません。
『父と暮せば』は、原爆投下から3年たった広島の父娘の物語。
映画とは異なり、登場人物は、父と娘の2人だけ。休憩なしの1時間20分の舞台です。
父の竹造と娘の美津江は2人暮らし。
美津江は勤め先の図書館で、原爆資料の収集をする教員の木下さんと出会い、互いに心ひかれます。
けれど、原爆で死んでいった人たちのことを思うと、自分が生きていることが申し訳なく、まして幸せになってはいけないと、美津江は木下さんへの思いを封印しようとします。
そんな美津江に竹造は、“恋の応援団長”になると宣言し、幸せに生きてくれと娘の背中を押そうとするのです。
インターネットでは、掲示板などでストーリーの重要部分について書いてしまうことをネタバレといい、これからその映画や本を読む人のために、ネタバレが禁止されているところもあるようです。
が、この『父と暮せば』の場合は本の裏表紙にも載っているので書かせていただきますと、実は、父の竹造はもうこの世に生きている人ではありません。原爆で亡くなったのですが、娘の恋心を知って最近姿をあらわした、というのです。
「どうして人を好いちゃいけんいうんじゃ。たしかにおまいは人がたまげてのけぞるような美人じゃない。そいの半分はわしの責任でもある。じゃけんど、よう見りゃ愛敬のあるええ顔立ちをしとるけえ、そいはわしの手柄じゃ」。
父娘の会話は、ときにユーモアにあふれ、ときに胸に迫ります。広島にゆかりがなくても、ふたりの広島弁はどこかなつかしく、あたたかい。
「あの日、あの朝、広島の上空580メートルのところで原子爆弾ちゅうもんが爆発しよった・・・」「爆発から1秒あとの火の玉の温度は摂氏1万2千度じゃ。・・・1万2千度ちゅうのがどげえ温度か分かっとんのか。あの太陽の表面温度が6千度じゃけえ・・・」
こんな具体的な数字を聞くと、原爆ドームの前に立ったときの衝撃がよみがえります。
父の励ましで、自分の恋心に素直になろうと決めた美津江。木下さんの乗るオート三輪の音が近づいてきます。
美津江が笑顔で父に礼を言って、木下さんを出迎えようとするところで幕がおりました。
家族や友人を亡くし、生き残ったことを申し訳なく思うなんて・・・。でも、美津江のように感じていた人はたくさんいたのかもしれない。戦争って理不尽すぎる。
そう思うと同時に、前向きに生きると決心した美津江のラストシーンでのとびきりの笑顔に、救われたような気がしました。
以前、沖縄のひめゆり平和祈念資料館で、元ひめゆり学徒隊の女性の方にお話を聴かせていただいたことがあります。
まもなく戦後63年。残念ですがこれから先、戦争を体験した方の生の声を聴ける機会はあまりないかもしれません。
でも、こうして1年に1度は戦争にかかわる何かにふれて、“戦争は絶対にいやだ”って思うことを、ほそぼそと続けていきたい私です。
父と暮せば(こまつ座)
娘 栗田桃子
父 辻萬長
(成相陽子)