文・写真/藤井 将
福島県楢葉町出身の「わらじ組」は、
大震災と原発事故で約4年にわたり、遠い地で避難生活を強いられた。
故郷に帰って早7年。いま人々は何を思うのか ─
震災直後からずっと関わり暮らしを見つめてきた支援者が、改めて問いかけた。
「布ぞうり」と歩んだ12年。
「被災者」となって失ったもの、そして、得たもの。
藤井 将(ならは盛り上げ隊)
<「仮説の方がたのしかった」?>
「なんだかね、たまに仮設にいたときの方が楽しかったかも、
って思うことがあるのよ」とトミ子さんは言った。
東日本大震災とそれに伴う原発事故で、福島第一原子力発電所からちょうど20キロ、
放射能汚染に晒された楢葉町は、その爆発から間もなく全町避難となった。
「てっきりすぐ帰宅できると思って、財布も持たずにバスに乗った」と振り返る人もいる。
それはあまりに唐突で、不自然で、身の危険を感じるには程遠い出来事だった。
事故の全容をその後、知るまでは。
当時、「避難」とは言っても、その行き先は誰にもわからず、
とりあえずは雨露をしのげるホテルなどの県内の宿泊施設を、
転々とせざるを得なかった。
いつ帰れるともしれないなか、我が家ではない部屋の天井を見つめながら、
無為な時間だけが過ぎていった。
すでに子どもたちはみな独立し、
夫婦で田舎暮らしを夢見た小尾さん夫婦は、楢葉町へ越してきた。
原発が爆発する3年前のことだ。
ようやく身の回りの整理整頓もでき、
これから新たな故郷で友だちを増やしていかなきゃ、と思っていた矢先でもあった。
「だから─避難先を転々とするなか、知ってる人もいない。
すっかり気が滅入ちゃって。狭い部屋で二人きり。そりゃ夫婦喧嘩も増えちゃうわよねえ」
妻が当時の苦しさを回顧するさまを見て、
夫の明さんも「ほんとにあんときは辛かったなあ」とつぶやいた。
・・・続きは 『のんびる』3・4月号をご購読ください。
写真/藤井 将
この記事は、3・4月号特集でご紹介しています。
◆『のんびる』2023年3・4月号 目次
◆ただいま注文受付中!こちらからお申込ください。