おくま・かつや
1984年沖縄県生まれ。琉球大学大学院修士課程で文学を学んだのち上京。
中編監督作に沖縄が舞台の『ギフト』(2011)、
北インド・ラダック地方で撮影した『ラダック それぞれの物語』(2015)など。
2024年に長編第1作『骨を掘る男』が完成、6月から一般公開が始まった。
写真/堂本ひまり
沖縄戦の犠牲となった人たちの遺骨が、
今なお3000柱近くも眠っているとされる沖縄本島。
映画『骨を掘る男』は、遺骨を探し続ける“ガマフヤー”
(自然壕を掘る人)具志堅隆松(※1)さんの姿を通して、
沖縄の過去と今を見つめたドキュメンタリーです。
【のんびるインタビュー】 もの言わぬ骨と 向きあう時間 奥間勝也さん(映像作家)
<一枚の写真、ふたりの大叔母> ─具志堅隆松さんは、40年以上にわたり沖縄戦の戦没者の遺骨を探し続け、 これまでにおよそ400柱を探し出しました。 5年前、何の面識もなく「撮りたい」とお願いしたのが、最初の出会いです。 一つのことをずっとやり続けている人に興味があり、 長編第一作の主人公は具志堅さんにしたいと思い会いに行きました。 長距離走となる取材なので、パートナーに近い関係性になりますし、 お互いに波長があうことがとても大事でした。 ─どう信頼関係を築いていきましたか。 僕はふだん東京で暮らしているので、 できるだけひんぱんに東京と沖縄を行き来しました。 何度も遺骨探しに同行するなかで、 「こいつは本気だ」とわかってくれた気がします。 いっしょの時間を過ごしながら、人間関係を育んでいった感じですね。 具志堅さんはマイペースな方で、僕と似たところもあるんです。 そこは素直にうれしかったし、親近感を覚えました。 ─奥間監督の大叔母にあたる國吉正子さんは、沖縄戦の戦没者の一人です。 大叔母・正子の遺骨は、今も見つかっていません。 施設で暮らす大叔母の直子(正子さんの妹)の表情と出会ったことも、 この映画を撮るうえで大きな出来事になりました。 ─亡き姉の写真を見て、直子さんが忘れていた記憶を取り戻す。 あのとき、僕の見たことのない表情を浮かべたんです。 ここに自分が立ち会ったことは、きっと何か意味があるに違いない。 会ったこともなく、平和の礎(※2)に名前が刻まれているだけの大叔母と自分を、 どう重ねていくか。 「沖縄戦の記憶をどう継承していくか」というテーマを持つにしても、 自分で地に足をつけた視点がないと、今回の作品を撮る意味がないと考えました。 ─映画の完成を待たずに、直子さんは亡くなられます。 映画では、火葬場での収骨の様子も撮影されています。 大叔母・直子の骨と向きあう時間を、映画のなかにつくりたかったんです。 それは具志堅さんや僕が、名前も知らない戦没者の遺骨と向きあう時間とはぜんぜん違います。 故人は、ゆかりある人たちに囲まれ、見送られていく。 そこには何かしらの対話があり、 生と死のグラデーションのようなものを感じます。 そういう別れの時間が持てなかったのが、戦没者遺族であり、戦没者遺骨なんです。 (※1)ぐしけん・たかまつ。1954年沖縄県生まれ。沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表。 1983年から遺骨収集を始め、これまでに約400柱の遺骨を探し出した。 遺骨を遺族のもとへ帰すためのDNA鑑定を厚生労働省に要請し、2011年に認められた。 『骨を掘る男』より。 ©Okuma Katsuya, Moolin Production, Dynamo Production ©Okuma Katsuya, Moolin Production, Dynamo Production 『骨を掘る男』公式サイト
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◆7・8月号目次◆
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