【のんびるインタビュー】わが身と仲間のあるかぎり

やまもと・すみこ
1939年、横浜生まれ。
小学校教員を務め、横浜市教育委員会の
「在日朝鮮人教育の方針」にも関わる。
現在は「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」
共同代表として、啓発活動や市民講座の企画・運営などに取り組む。
写真/堂本ひまり
 
1923年9月1日の関東大震災の直後、
流言・蜚語が引き起こした朝鮮人虐殺は、
横浜や神奈川県内でも起きた。
その事実は隠蔽され、殺された人の顔と名前もわからない。
あれから101年。今、聞こえてくる死者の声は─
 
【のんびるインタビュー】 
わが身と仲間の あるかぎり
山本すみ子さん (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り 
追悼する神奈川実行委員会 共同代表)
<隠ぺいされた朝鮮人虐殺>
─朝鮮人虐殺の問題に向き合い始めたきっかけを、最初にお聞かせください。  
関東大震災から50年(1973年)のとき、横浜の図書館で寿小学校、
磯子小学校(横浜市)の生徒が書いた震災作文を読み、衝撃を受けました。
虐殺を目の当たりにした体験が生々しく綴られていた。
それらを読んだのが、虐殺について本格的に調べ始めたきっかけです。 

─小学校の教員時代に、横浜市教育委員会の「在日朝鮮人教育の方針」
にも関わっていらっしゃいます。  
在日三世の子どもが多く通う学校に勤務しましたが、
70~80年代の教育現場は「在日の子も、同じ日本人として扱わないとかわいそう」
という考えが支配的でした。  

このことが差別である(同化教育)のだとわかってもらうのに、
随分時間がかかりました。
そんななかにあっても「本名を呼び名乗る」取り組みを中心に据え、
学校空間に韓国・朝鮮がいつもある学校づくりに努力しました。
そうしたなか、「違いこそが豊かさを生み出す」
ことを子どもたちも含め実感しました。
そういった取り組みが、市の「共生教育の方針」作成に役立ったのでしょう。

 ─関東大震災後の朝鮮人虐殺は、目撃証言があるものの、
公文書では神奈川県で2件、横浜では0とされています。  
虐殺があったことが、隠蔽されてきたのです。
しかし私たちは、子どもたちの震災作文のなかの証言、
多くの方が残した日記、記録、証言などを読み込み、
虐殺の事実、場所、日にちなどを調べていきました。
また、当時の朝鮮人留学生たちが
「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰間班」を組織して、
虐殺を免れた同胞に直接聞きながら調査した記録があります。
それらも重要な資料でした。 

昨年(2023年)、100年目にして新しい史料が見つかり、
神奈川、とくに横浜での虐殺が隠蔽されていたことが明白になりました。
現在、新史料をもとにしたフィールドワークもやっています。 
 

(三一書房、税込3,300円)

関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会
【Eメール】housenka.kanagawa@gmail.com 
【カンパ】ゆうちょ銀行00240-3-135699  
関東大震災時朝鮮人虐殺90年神奈川実行委

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