【明日へのアクション 動くヒト】知ることが、 ケアラーの希望になる 金子萌さん

かねこ・もえ 17歳のときに、父親がパーキンソン病と認知症を発症してヤングケアラーに。
東京大学を卒業後、外資コンサル会社勤務を経て、ケアラーや当事者をサポートしたいと
2022年6月に「株式会社想ひ人」を設立。

新しいアクションを起こしている人に注目する連載「動くヒト」。
今回は、10代からの十数年もの介護経験を生かし、社会制度やサービスなどの
情報を提供して当事者やケアラーを支援する会社を立ち上げた金子萌さんです。
文/中村未絵 写真/堂本ひまり

17歳のとき父親が認知症に……  
13年前、当時44歳だった父親の様子がいつもと違うことに気づいたのは、金子萌さんの母親でした。
「足をひきずっていることに母が気づき、病院に行ったらパーキンソン病だと診断されました。
そのとき私は高校2年生、部活の引退試合も終わり、ちょうど受験勉強に専念しようという時期でした」
そこから金子さんのヤングケアラーとしての生活が始まります。とはいえ、進行性の難病だったため、
最初のうちは身体的介助の必要も少なく、家族の暮らしに大きな影響はなかったそうです。
「ところが、私が大学1年生のときに病気が理由で父が会社から退職勧奨を受けてしまいました。
その時点では分かっていなかったのですが、実は父の病気はパーキンソン症状のある、
レビー小体型の認知症だったんです。家族が気づかないうちに症状が進行し、
デスクワークも難しい状況になっていました」そのときが精神的にも「ドン底だった」と金子さん。
「母はほぼ専業主婦で、私も大学生。経済的にどうなるの?という不安が大きくて。
一番つらくて悲しいのは父なのに『パパが病気にならなければ』と責めてしまいました」  
金子さんの父親は次の仕事先を探そうとハローワークの職業訓練を受け、ビルのメンテナンス会社での
研修も受けたそうです。しかし、本採用には至りませんでした。「しかも、その研修が雇用とみなされてしまい、
父は退職時に傷病手当金の受給申請資格を失ってしまいました。もし傷病手当金のことを知っていたら
再就職を無理に急ぐこともなかった。当時、弁護士や自治体の窓口にも相談に行っていたのですが、
誰もそうした情報を教えてくれませんでした」

「早く知っていたら」という後悔  
大学生活と増えていく家での介護を両立させようと多忙な日々を送っていた金子さん。
母親も慣れない介護で精いっぱいで、どんな社会制度やサービスを使えるのかを自分たちで
調べる気力はなかったと振り返ります。「そもそも介護をしていることが恥ずかしくて、
親しい友人にも何年も家族の状況を隠していました。どこに相談していいか分からず、
介護保険制度のこともよく知らなくて、要介護認定を申請するまで発症から8年もかかってしまった。
もっと早くリハビリを始めていたら、父の症状の進行を遅らせることができたのではないかと思うと後悔があります」
こうした経験から、金子さんが2022年6月に立ち上げたのが「株式会社想ひ人」です。
「最初に就職した会社でビジネスコンテストに参加する機会があったのですが、しゃべるぬいぐるみを使った
高齢者の見守りというアイデアが高評価を受けたんです。事業化を念頭にさらに案を練るなかで、
自分が感じていた『家族の介護などを行うケアラーへの支援が足りていない』という課題に的を絞ろうと考えました。
そこから試行錯誤を経て、『想ひ人』の設立に至っています」  


2022年9月には家族でハワイ旅行へ。いろいろなサービスを利用することで、
当時、要介護度4の父親も海外旅行を楽しむことができた
・・・続きは『のんびる』1.2月号特集をご購読ください。
◆1.2月号目次◆
【バックナンバーのご注文】
 富士山マガジンサービスよりご注文ください。

【定期購読(年6冊)のご注文】
・パルシステム組合員の方:ログインしてご注文ください(注文番号190608)
・パルシステム組合員でない方:こちらからご注文ください

 

 

関連記事

ページ上部へ戻る